2021年6月20日 (日)

天来の霊的権威を喜ぶ

 コロナ禍が始まって以来、感染対策について、さまざまな人が議論を戦わせて来ました。今も東京五輪の開催に関し、熱い議論が続いています。

 今月初め、政府の対策分科会会長である尾身茂さんが、注目の発言をしました。「今の状況で(五輪を)やるというのは、普通はない」と言ったのです。その後、「やるのであれば覚悟を持った感染対策が求められる」とも発言したそうです。

 これに対し、田村厚生労働大臣は、こうコメントしたそうです。「参考にさせていただくものがあれば、政府でも取り入れさせていただく。」菅首相は以前から、「安全、安心な大会を実現する」と主張しているとのこと。

 こうした発言に関し、多くの人々が意見を述べ、さながら場外大乱闘のようになっています。(開催の是非や無観客にすべきかどうか等、今も議論が続いています。)

 コロナ対策の議論には、少なくとも3種類の権威が関わって来たように見えます。

一つ目は政治的な権威。政府や自治体関係者たちの持つ権威です。彼らは法令に基づく感染対策の責任者であり、国民や住民への説明責任を負っています。

二つ目は専門的な権威。研究者や医療関係者等の専門家が持つ権威です。彼らには、科学的な知見や最前線の医療に基づく情報、そして提言が求められます。

三つ目は社会的な権威。マスコミやSNS等を通し、自らの考えを伝える人たちの権威です。彼らの役割は、政府の感染対策や専門家の情報等の適確さを評価し、解説することです。

 これら3種類の権威はたいてい主張が一致せず、議論は白熱します。新型コロナは未知のウィルスだったので、そうなるのはなおさら当然とも言えます。

 権威とは、人々を従わせる強制力や影響力のことです。政治的権威や専門的権威、社会的権威は、コロナ禍の人々に大きな影響を及ぼして来ました。これらの権威は、人から委任されたもの――つまり、人々がその正当性を認め、自発的に従おうとするものです。

 でも聖書には、さらに別の種類の権威が登場します。霊的な権威です。霊的権威は人からではなく、創造主なる神から授けられる力です。その権威を認めるかどうかは、人々の選択次第です。

 モーセは、神から霊的権威を授かりました。ユダヤ人はその権威を認め、彼に従ってエジプトを脱出しました。でもエジプト人はその権威を認めず、ファラオの軍団は海の藻屑となりました。

 預言者エリヤにも、霊的権威が授けられました。7千人のユダヤ人は、その権威を認めました。でも、それ以外の多くの人々はエリヤの権威を認めず、彼らの祖国は滅亡に向かいました。

 バプテスマのヨハネは、エリヤの霊的後継者でした。霊的権威を帯び、多くの人を悔い改めに導きました。でもユダヤ人指導者たちは彼の霊的権威を認めず、ヨハネを捕え、処刑しました。

 イエス・キリストは、ヨハネの逮捕後に働きを開始されました。メシアとしての霊的権威を帯びてです。ところがその霊的権威も、指導者たちは認めませんでした。イエス様も死刑にされましたが、その後よみがえり、天に昇られました。

 イエス・キリストは今、絶対的な権威を持って全世界を治めておられます。イエス様の霊的権威を認めない人は、残念ながら今もたくさんいます。でもその権威を認め、喜ぶ人には、新しい人生が与えられています。それは、永遠の霊的権威により、あらゆる災いや死の恐れから解放された人生なのです。

「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。」(ルカ20:4)

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2021年6月13日 (日)

救世主を喜ぶ

 コロナ禍で、ハンバーガーが外食産業の「救世主」として注目されているそうです。先月末、東京・品川区にバターミルクフライドチキンの専門店がオープンしました。「Lucky Rocky Chicken」というお店で、チキンバーガーが看板メニューです。「ロイヤルホスト」や「天丼てんや」等を展開する会社が始めた新しいタイプのお店で、テイクアウトやデリバリーに力を入れているそうです。

 居酒屋チェーンの「鳥貴族」も、8月中にチキンバーガー専門店を都内に出店予定とのこと。「TORIKI BURGER」という名称で、テイクアウトやドライブスルー、デリバリーに対応するそうです。

 東京・中目黒で昨年11月に開業した、「BLUE STAR BURGER」というお店は、繁盛しているようです。焼き肉チェーンが始めた新たなお店で、冷凍していない牛肉のパティを100%使用。スマホ注文、キャッシュレス決済のテイクアウト専門店だそうです。この他、ライスバーガーのデリバリーを始めた外食店もあるようです。

 ハンバーガーが注目されるのには、いくつか理由が挙げられています。第一に、ハンバーガー注文客の6~7割がテイクアウトとのこと。妻と私も先月、車でハンバーガーを持ち帰り、外の景色を眺めながら食べました。

 第二に、業界1位のマクドナルドと2位のモスバーガーは、緊急事態の時、売上高が跳ね上がるとのこと。デリバリーの人気も高いそうです。ハンバーガー店は、ひょっとするとコロナ禍に強いビジネスなのかもしれません。

 第三に、フライドチキンの売上も伸びているため、チキンバーガーが注目されているとのこと。北海道には何年も前から、チキンバーガーを看板メニューにして成功した外食チェーンもあります。

 コロナ禍で苦境にある多くの外食店は今、「救い」を求めているようです。ハンバーガーは、そういう意味で「救世主」として期待されているのかもしれません。

 「救世主」とは、世界を苦境から救う特別な存在のことです。辞書を引くと、「イエス・キリストのこと」と先ず記されています。その他に、「不振の団体・組織などを救う働きをする人」という意味もあります。ハンバーガーを「救世主」と呼ぶのは、物を人のようにみなした言い方なのかもしれません。

 古くからユダヤ人たちは、天地創造の神こそが「救世主(救い主)」であることを学んできました。神は、彼らをエジプトの奴隷生活から救われました。荒野の苦しみから救われました。あらゆる敵の攻撃から救われました。バビロニアの捕囚生活からも救われました。

 でもユダヤ人たちは、彼らを救う神をすぐに忘れ、偶像に目を向ける弱さを持っていました。刻んだ像、つまり物を「救世主」とみなし、救いを求めました。それは、大きな間違いでした。本当の救い主、「救世主」は、唯一の創造主なる神だったからです。

 創造主なる神は人となり、私たちの世界に来られました。イエス・キリストです。このお方こそが、世界を苦境から救って下さる救い主、「救世主」です。

 この世は闇に覆われ、多くの人が道に迷っています。苦しみながら、死に向かいつつあります。イエス様は、そのような苦境から私たちを解放して下さいました。このお方を信じる人は、暗闇の中に希望の光を見出すことができます。その光を反射させ、周囲を明るく照らすこともできます。

 コロナ禍でも私たちは、救いの喜びに満たされます。ハンバーガーではなくイエス様が、「救世主」として、私たちに喜びを与えて下さるからです。

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)

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2021年6月 6日 (日)

子供のように神の国を喜ぶ

 「名探偵コナン」は、青山剛昌さん原作の推理漫画です。雑誌連載は1994年からで、その2年後にTVアニメが始まりました。放送開始から25年経った長寿番組です。わが家の子供たちも小さい頃、視聴していました。

 天才的な高校生探偵・工藤新一が悪の組織に薬を飲まされ、体が縮み、小学1年生の姿になるストーリーです。意識は高校生のままの彼は、江戸川コナンと名乗り、次々に難事件を解決します。元の体に戻るため、悪の組織の行方も追い続けます。

 TVアニメのオープニングでは、こんな決めゼリフがあります。

「たった一つの真実見抜く、見た目は子供、頭脳は大人、その名は名探偵コナン!」

このセリフを最初に聞いた頃、私は一つ気になる点がありました。コナンの頭脳は、大人なのかという点です。推理力は確かに天才的ですが、その他の意識は「大人」と言うより、ティーンエージャーのようだったからです。

 「大人」とは、何でしょうか。辞書には、例えばこう書いてあります。

「成人としての資格や能力を持ち、思慮分別があり、社会的な責任を負える人」。

 「成人としての資格」というのは、法律や慣例により、大人と見なされるという意味なのでしょう。日本の今の法律では20歳以上が成人ですが、来年春からは18歳以上になるようです。

 「成人としての能力」には、精神的・経済的に自立できる力が含まれるのかもしれません。子供は大人に依存し、自立していません。忍耐力や自己管理能力、行動や感情をコントロールする力も、小さな子にはありません。

 もちろん小さな子には、思慮分別もありません。自己中心的で、人に対する思いやりや気遣いもありません。したことの責任を自分で負うこともできません。

 子供から大人になるプロセスを通し、私たちはそうした力を少しずつ身につけます。ティーンエージャーは、見た目は大人っぽくなりますが、まだ中間地点です。ある調査によると、「大人になった」と日本人が実感する年齢は、平均すると30歳頃だそうです。

 年齢的に大人になっても、精神的に大人でない人もいます。例えば、誰かに依存している人、自己管理や行動・感情のコントロールができない人、自分のことしか考えず、他の人を思いやったり、気遣ったりできない人、あるいは自分で責任を取らない人などです。そんな人を指す、「逆コナン」という言葉もあるそうです。「見た目は大人で頭脳が子供」という意味です。精神的に子供っぽい人が増えると、人間関係は難しくなりますね。

 一方、大人になる途中で、余計なものを身につける人もいます。コンプレックスや偏見を持ち、「たった一つの真実」が見えない人がいます。先行きを思い煩い、将来に絶望する人もいます。果てしない欲望に従い、人生を台無しにする人もいます。そんな人たちは、余計なものを捨て去り、子供のような心に立ち返る必要があります。

 イエス・キリストは、子供のような心の大切さを教えられました。大人の心も、もちろん大切です。私たちは、霊的・精神的な成熟が期待されています。でも同時に、子供のような純真さに立ち返ることも求められています。神の国にふさわしくないものがあったら、それらを捨て去る必要があります。コンプレックスや偏見、不安や絶望、無益な欲望などは、聖霊の助けにより処分できます。

 イエス様は、子供のように神の国を喜ぶ人を御国に迎え入れて下さいました。神の国で私たちは、子供の心を兼ね備えた大人になれます。聖書が語る「たった一つの真実」を、私たちは自ら体験できるのです。

「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(ルカ18:17)

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2021年5月30日 (日)

不可視の神の国に生きる

 しばらく前、妻の実家の屋根裏から、神道のお札を取り外しました。「棟札(むなふだ、むねふだ)」と呼ばれる、木製のお札です。建物が新築または修築される際、建物内部の高い場所に設置されるそうです。

 新築の家は骨組みができると、「上棟式(棟上げ)」と呼ばれる儀式を行うことがあります。多くは神道式で行い、建物が無事完成し、その後も守られるように神々に祈るようです。棟札は、その時に取り付けられるとのこと。日付や家主、工事業者の名前の他、お札を作成した神社や祀る神々の名も記されます。どの神々を祀るかは決まっているようで、その土地の守り神、木や家屋の守り神、それに大工の守り神だそうです。

 取り外した時、私は初めて棟札を目にしましたが、どの神々を祀っていたのか、それまで全く知りませんでした。その家が偶像の神々から自由にされたことを感謝します。

 日本では建物を建てる際、3つの儀式を行う慣例があるそうです。地鎮祭、上棟式、そして竣工式です。

 地鎮祭は工事を始める前に行うもので、その土地を守る神に土地使用の許可を求め、工事の安全を祈願します。上棟式はすでにお話した通り、工事の途中で再び行う安全祈願です。そして竣工式は工事が完成した時、神々に感謝し、末永い繁栄を祈願する儀式だそうです。完成後に神棚を置き、先祖の霊などの神々をさらに祀る家もあります。もちろん棟札は、しっかり付けられたままです。

 一つ一つの家は、まるで神々を祀る社(やしろ)、神社のようです。日本の建物の大部分は、おそらくそのような「神々の家」なのでしょう。「神々の家」が建ち並ぶ「神々の国」に、日本はなっているのかもしれません。

 ユダヤ人の家の門柱には、「メズーザー」と呼ばれる羊皮紙が取り付けられます。羊皮紙には旧約聖書・申命記6章と11章の抜粋が記され、その中にこんなみことばがあります。「これ(=神のことば)をあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。」(申命記6:9、11:20)

 そうするのはユダヤ人が、唯一の創造主なる神の祝福を決して忘れないためでした。そして彼らが偶像の神々に浮気して、国を滅ぼさないためでもありました。ユダヤ人の一つ一つの家は、日々、唯一の神を礼拝する場所――唯一の神の「社」だったのです。イスラエルは、そんな家が国中に建ち並ぶ「神の国」のはずでした。

 ユダヤ人たちは、唯一の神の素晴らしい祝福を何度も何度も体験しました。なのに彼らは、神々を祀る周りの国々に影響され、偶像を拝むようになりました。そして国が滅びました。でも神は、彼らの国の再建も約束されていました。ユダヤ人たちは、その時の到来を待ち望んだのです。

 イエス・キリストは、「神の国」の再建に来た国王です。ただその王国は、1世紀のユダヤ人が想像したような、目に見える国ではありませんでした。人の視界を遙かに超えた、時間的にも空間的にも果てしのない、超巨大な国だったのです。

 当時、ユダヤ人社会で影響力を持っていたパリサイ人たちも、「神の国」再建を求めていたはずです。でも国王を目の前にしても、彼らにはその国が見えませんでした。キリストが治める神の国は、それほど深い奥行きを持つ、果てしない国なのです。

 神の国の領域は、今も世界中で広がり続けています。その国民一人ひとりには聖霊が宿り、唯一の神を祀る家=「社」とされています。私たちは偶像の呪いから解放され、唯一の神の目に見えない国に生きる祝福を満喫できるのです。

「パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。『神の国は、目に見える形で来るものではありません。・・・見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』」(ルカ17:20-21)

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2021年5月23日 (日)

神を忠実に愛する

 神は、忠実なお方です。多くの失敗をして来た私を、決して見捨てず、支え続けて下さいました。

 私が牧師を志したのは、24歳の時です。進路を見失っていた私に、神はこう声を掛けて下さいました。

「洗礼を受けて、わたしのことばを語りなさい。」

ただ一つ、問題がありました。私は、人にまとまった話をするのが苦手だったのです。礼拝で牧師が長く話す様子を見て、「自分はあんなにたくさん話せない」と思っていました。

 小学生の頃、私はあるテレビCMが好きでした。「男は黙ってサッポロビール」というCMです。三船敏郎さんが何も言わず、ビールを飲む映像でした。小学生の私にはビールの銘柄ではなく、男は黙っていていいんだというメッセージが伝わりました。(笑)

 モーセは、「私はことばの人ではありません」と言いました。そのことばにも私は非常に共感し、励まされました。私にとって、誰かに長い話をすることは、大きなチャレンジだったのです。

 そんな私が洗礼直後に聞いた次のことばは、心に強く響きました。

「忠実さを証明するのは、時間だ。」

たとえ不得意でも、委ねられた働きをただ忠実に続けようと、その時思いました。

 語る訓練のため、神はさまざまな場を備えて下さいました。洗礼を受けた翌年、私は教会学校のスタッフに加わりました。私以外はベテランの教師が3人揃った、小学校5、6年生のクラスでした。その後、所沢に来てからは中高生男子のクラスを1人で担当しました。土曜夜の礼拝で語る機会も与えられました。渋谷周辺で集まっていた「ミニチャーチ」の担当にもなりました。

 教会が分裂し、牧師がいなくなった時は、月に3度、日曜礼拝でメッセージを語りました。神学校で学び、牧師資格を得る前の話です。神はその都度、語ることばを与えて下さいました。

 時間をかけて忠実さを証明したのは、実は私ではありませんでした。私に語ることばを与え続けた神だったのです。

 神は人類の歴史を通し、長い時間をかけて、ご自身の忠実さを証明して来られました。何千年も前にアブラハムに与えた祝福の約束を、神は今も忠実に守られています。アブラハムの子孫を通し祝福を受けた人々が、空の星、海辺の砂のように今も全世界に増え広がっています。

 モーセを通し、ユダヤ人に与えた「祝福と呪いの契約」を、神は忠実に守られました。彼らが神に従うと祝福され、従わないと呪いが実現しました。

 ダビデに与えた永遠の王の約束も、神は忠実に守られました。ダビデの子孫イエス・キリストは今、永遠の御国の王座につかれています。イエス様はそれ以外にも、神による数々の預言を成就されました。それらの事実を通し、必ず約束を守る神の忠実な愛を、私たちは知ることができます。

 イエス・キリストご自身も、自らの忠実さを証明されました。イエス様は、父なる神から永遠の昔に委ねられた働きを、聖霊とともに忠実に成し遂げられました。神の忠実な愛を示すため、十字架の上でいのちを捨てられました。死から復活し、天に昇ったイエス様は、預言通り、弟子たちに聖霊を注がれました。今日は、その記念日・ペンテコステです。

 聖霊なる神は、神を愛する力で私たちを満たして下さいます。その力を通し、私たちは小さなことも忠実に行うことができます。語るべきことばも与えられます。失敗からも立ち直れます。聖霊の働きを通し、私たちは神の忠実な愛をさらに深く知ることができます。そして私たちもまた、その愛に応える生き方ができるのです。

「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。」(ルカ16:10)



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2021年5月16日 (日)

神の愛を知る

 「愛を知る」で検索したら、2つの楽曲が表示されました。一つは、昨年4月にリリースされた「ラストアイドル」という女性グループの曲です。秋元康さんプロデュースによる、「究極のアイドルグループ」だそうです。「愛を知る」というタイトルの曲も、秋元さんが作詞しました。

 その曲は、愛を知って人生が一変する「僕」の思いを歌っています。「僕」は自分が嫌いで、死にたいと考えていました。ところが同じ痛みを感じる「君」と出会い、「僕」はその子を愛する「もう一人の自分」を発見します。生きがいを見出し、幸せに気づいて感謝します。生きてて良かったと感じます。

 ハッピーエンドの歌ですね。でも余計な心配をしがちな私は、「その2人はずっとハッピーなのだろうか」とも思ってしまいます。(笑)

 検索でヒットしたもう一つ曲は、今月配信開始されたばかりの「愛を知るまでは」という曲です。作詞作曲は、26歳の女性シンガーソングライター、あいみょんさん。今は大活躍中の彼女がデビュー1年目、焦りを感じた頃に書いた曲だそうです。

 その曲は、思い通りに行かず、自信を失う若い人の思いを歌っています。その人は、「愛を知るまでは死ねない」と考えています。「導かれた運命を辿って、今日も明日も生きて行こう」と決意します。

 誰の愛を求めているのかは、よく分かりません。でもそんな若い人のひたむきな思いを聞くと、親世代の私は応援したくなります。私も若い頃、思い通りにならず、自信を失いました。愛とは何かが、よく分かりませんでした。導かれた方向に向かい、生きて行こうと決心しました。今の若い人も進むべき道を辿り、本当の愛を知り、ハッピーエンドを迎えてほしいと願っています。

 聖書は一貫して、神の愛を知ることの大切さを語っています。天の父なる神は、私たち一人ひとりを大切な存在として造られました。全ての人を深く愛しておられます。アダムとエバが裏切っても、神は彼らを愛しておられました。神の愛を見失ったまま永遠に生きないように、愛を知る長い旅路へ彼らは送り出されました。

 その旅路の中でユダヤ人が選ばれ、彼らを通して、神はその限りない愛を示されました。彼らがその愛を見失っても、神の愛は変わりませんでした。彼らがその愛を思い出し、救いを求めると、神は何度も手を差し伸べました。苦難をも用い、神はユダヤ人たちに本物の愛を教えられました。イスラエルの国が滅んだ時も、神は救い主を通し、愛する彼らの国を再建すると約束されました。

 イエス・キリストは、その救い主です。天の父なる神の限りない愛を、全世界の人に知らせに来られました。その知らせを信じる人は、神の愛を知る旅に参加できます。その旅を通し、父なる神の愛が少しずつ分かるようになります。

 神は私たちを愛し、祝福の人生を計画されています。さまざまな出会いを私たちに与えて下さいます。

 私たちは神の愛によって変えられ、「もう一人の自分」を発見します。永遠の喜びと生きがいを見出し、幸いな人生を歩むことができます。生かされていることを感謝できます。

 神の愛を知り、永遠のいのちを頂くので、私たちはいつ死んでも大丈夫です。神の導きに従い、今日も明日も希望をもって生きて行けます。父なる神の愛を知る人には、永遠のハッピーエンドが用意されているのです。

「・・・子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」(ルカ15:31-32、新改訳2017

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2021年5月 9日 (日)

キリストの弟子として生きる

 今日は母の日なので、母の思い出を少しお話しします。昨年91歳で亡くなった母は、わがままだった私を辛抱強く育ててくれました。母は正義感が強く、曲がったことが嫌いな人でした。長男の私にも「過ちを犯さず、正しく生きてほしい」と、強く願っていたようでした。その分、躾けも厳しかったように思います。私が何か悪さをすれば、必ずきつく叱られ、お尻を叩かれました。「悪いことをしたら痛い目にあう」という教訓を、小さい頃から私は体に叩き込まれました。

 当時の母は、クリスチャンではありませんでした。聖書の教えも、あまり聞く機会がなかったはずです。それでも「子供を愛し、しっかり躾ける」という聖書的な子育てを、自ら実践していたかのようでした。

 私の将来の進路について、母はほとんど口を出したことがありませんでした。でも牧師になると私が言った時は、父と一緒に猛反対しました。「人生を悲観して『世捨て人』になるのか」と言われました。「大学時代の多額の仕送りは無駄だった」と嘆かれました。話し合いが決裂したまま、私は母教会の奉仕を手伝い始めました。母から連絡はありませんでしたが、父は何度か手紙を送って来ました。「そんなことは辞めて、早くまともな仕事に就け」と書いてありました。

 ところが驚いたことに、神は奇跡を起こされました。決裂から1年半ほどで両親は洗礼を受け、クリスチャンになったのです。母はその時こうつぶやき、笑っていました。「『老いては子に従え』って言うからね。」

 その後、私は結婚し、子供が3人生まれました。母の躾けを思い出し、妻とともに聖書を学びながら、子育てをしました。孫たちが健やかに成長する姿を見せ、私も少しは親孝行できたかと思います。牧師として母の葬儀を司式できたことも、私にとっては恵みでした。

 旧約の時代、天地創造の神は、親子関係を用いてご自身の教えを後世に残されました。アブラハムはイサクに、イサクはヤコブに、ヤコブは12人の息子たちに神の約束を伝えました。モーセは、ユダヤ人たちにこう命じました。「神のことばを、あなたの子供たちによく教え込みなさい。」

 ユダヤ人の中には今もこの命令に従い、次の世代に神の教えを伝え続ける人たちがいます。7日に一度休みをとり、家族で天地創造の神に感謝をささげます。春の過越の祭りでは、エジプトからの解放を家族で喜びます。初夏の七週の祭りでは、シナイ山で与えられた律法を家族で感謝します。秋の仮庵の祭りでは、荒野の訓練と約束の地の収穫を家族で感謝します。神が計画されたイスラエルの国は、親が子にみことばを伝える家族の集まりであり、国自体が一つの大きな家族=神の家族だったのです。

 イエス・キリストは、新たな家族づくりを始められました。血縁に関係なく、キリストの弟子となる人が天地創造の神の家族とされる時代になったのです。旧約時代のユダヤ人家庭では、親が子供を弟子として育てました。でも時とともに、みことばを受け継がない子供たちが増え、イスラエルの国は滅亡しました。今はイエス様の弟子に加わる人が、新たな弟子づくりに参加します。血縁関係があってもなくてもです。

 弟子入りの際には、血縁上の家族から反対されるかもしれません。大事にして来たものを捨てる覚悟がいるかもしれません。でもイエス様の弟子には、何よりも素晴らしい永遠の祝福が約束されています。神の恵みにより、失ったものが奇跡的に回復されることもあります。自分の十字架を背負い、キリストの弟子として生きる人は、幸いなのです。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:27)

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2021年5月 2日 (日)

狭き門から御国に入る

 今は、コロナ禍で海外旅行どころではありません。でも以前は、私もあちこちの国に行く機会がありました。米国やブラジル、中東の3カ国、東アジアの3カ国、東南アジアの7カ国、南アジアの2カ国――合計17カ国を訪問したことがあります。さまざまな国の人と会い、異文化にふれた貴重な体験を感謝しています。

 時には、福音宣教の機会も与えられました。ある国の集会が、特に印象に残っています。何百人もの人々にメッセージを語った時、ステージ脇では警備員がライフルを持ち、周囲に目を光らせていました。集会場への道は危険なため、地元警察が車で先導してくれたこともありました。

 ほとんどの国はもっと安全でしたが、海外滞在中の私には日本と違う緊張感がありました。帰りの便が日本に無事着陸すると、いつも内心ほっとしたものです。

 帰国の時は、飛行機を降りた後、3つのチェックポイントがあります。先ず、検疫です。健康状態に関する質問票を提出し、機械で自動的に検温されました。今はコロナ禍でチェックがかなり厳しいようですが、以前はよほど具合悪くなければほぼフリーパスでした。

 次のチェックポイントは、入国審査です。外国人用の窓口は行列ができていましたが、日本人用の窓口はたいてい空いていました。パスポートを提出し、スタンプを押してもらえば、すぐ通過できます。

 預けた荷物を受け取った後は最後のチェックポイント、税関のカウンターがあります。申告書を提出し、いくつか質問に答えれば、たいてい問題なく通過できます。「アヤシイ奴だ」と思われなければ、荷物を開けてチェックされることもありません。

 そこを抜けた先は、到着ロビーです。妻にメールを送り、ようやく私は海外旅行の緊張感から解放された気がしました。

 神の国に入国する際にも、チェックポイントがあります。完成した神の国には病気がないので、検疫はありません。自分の体以外、手荷物もないので、税関もありません。唯一あるのは、厳格な入国審査です。どの国の出身者でも、窓口に違いはありません。

 入国の条件は、神の国に国籍があり、それを示す「パスポート」を所持していることです。そのパスポートがあれば、即座に入国が認められますが、ないと入国はできません。

 入国審査を通過し、神の国に入った人は、この世のあらゆる苦しみ、悲しみ、病気や死から解放されます。余計な緊張感もありません。神の国は、永遠の愛と安らぎ、喜び、楽しみに満ち溢れています。私たちは限りない祝福で満たされ、永遠に笑顔が絶えません。

 神の国の国籍を取得し、その国から「パスポート」を受け取るには、たった一つの方法しかありません。イエス・キリストを神の国の王と認め、王に忠誠を誓うことです。

 イエス様は全世界を創造し、全ての人を愛しておられます。十字架と復活により、私たちが御国に入る道を開いて下さいました。世の終わりには、永遠の御国を完成されます。イエス様を王と認め、御国の国籍を得た人は、いわば「パスポート」として聖霊が心のうちに住まわれます。

 イエス様こそが、神の国に入る唯一の門であり、狭き門なのです。

「すると、ある人が言った。『主よ、救われる人は少ないのですか。』イエスは人々に言われた。『狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。』」(ルカ13:23-24)

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2021年4月25日 (日)

御国の希望に溢れて生きる

 コロナ禍は依然として終わりが見えず、先行きが心配な人は多いようです。LINE株式会社は先月、1万8千人を対象にアンケート調査を実施しました。新生活を迎える気持ちを聞くと、「不安」と答えた人が最も多く、29.1%。第2位は「ワクワクする」で22.4%ですが、第3位は「緊張」で18.3%でした。

 「不安」や「緊張」と回答した人に対し、どんなことに不安を感じるのか質問しました。すると「仕事/就職/転職活動」が16.9%、「将来(人生)」が16.6%、「金銭的なこと」が16.1%という回答でした。

 他の人に言いづらい不安や悩みの解決法を聞くと、「一人で考える」が最も多くて29.7%。第2位「趣味で発散する」の19.3%を、10ポイントも引き離しています。難しい状況ではありますが、一人で考え過ぎないでほしいですね。

 ある精神科医は、コロナで不安を感じる人に3つのアドバイスをしています。第一に、不安をゼロにしようとせず、上手く付き合うこと。コロナのことを考えない努力は逆効果で、余計考えてしまう結果になるそうです。「不安があって当然だ」と認める方が、落ち着いて生活できるとの話です。

 第二のアドバイスは、不安につながる行動を減らすこと。多くの人はTVのワイドショーやネット情報を見て、不安が増すようです。一方、友人と他愛もない話をする時は不安になりません。そこで自分の日々の行動と不安の程度を日記のように記録し、不安になりやすい行動を減らすと良いそうです。

 この方の第三のアドバイスは、マインドフルネスです。今、目の前にあることに集中する生き方で、東洋の瞑想がルーツだそうです。未来を考えると不安になるので、今生きている感覚に意識を集中します。すると、不安という感覚を客観的に見直すことができるという話です。

 聖書には、別のアドバイスが記されています。全知全能の神に希望を見出すことです。

 エジプト人奴隷のハガルは、息子とともにアブラハムの家から追い出されました。途方に暮れ、荒野で一人泣いていました。すると神は彼女に語りかけ、将来に希望があると言って励まされました。

 エジプトに行ったユダヤ人は奴隷としてこき使われ、死に絶えそうでした。すると神は、モーセを通して彼らに希望を伝え、約束の地に導かれました。

 夫と2人の息子を亡くしたナオミは、先行きに絶望していました。すると神は嫁のルツを用い、ナオミの財産を回復させ、老後の世話をする男の子まで与えられました。

 ダビデは2度も王宮から命からがら逃亡し、お先真っ暗な状態になりました。若い時はサウル王に、年老いた時は息子アブサロムに命を狙われました。すると神は彼を危機から救い、処刑の心配から解放されました。

 神は私たちにも同じように希望を与え、不安から解放して下さるのです。

 イエス・キリストは、全ての人に希望をもたらされました。父なる神と同様、イエス様は私たちのあらゆる必要をご存知で、それらを全て満たして下さいます。ですから私たちは、どんな心配や不安からも解放されて生きることができます。

 心配事がある時は、いつでも神に祈ることができます。神は祈りを聴き、私たちの心を平安で満たして下さいます。

 私たちには、祈りの仲間も備えられています。互いに悩み事を打ち明け、祈りをもって支え合う仲間です。他愛もない話をして、心配を笑い飛ばすこともできます。

 目の前のことではなく、神の国に思いを集中する時、私たちの心配や不安は解消されます。永遠の御国は、限りない希望で満ちているからです。

「・・・これらのものがあなたがたに必要であることは、あなたがたの父が知っておられます。むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。」(ルカ12:30-31)

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2021年4月18日 (日)

良いものを求め続ける

 先月、国連が発表した世界幸福度ランキングでは、フィンランドが4年連続1位になったそうです。2位以下はデンマーク、スイス、アイスランド、オランダと続きます。日本は、昨年から4つ順位を上げて56位。何年もの間、ずっと50位周辺を行ったり来たりしているようです。

 世界全体としては、コロナ禍でも幸福度はそれほど下がらなかったとのこと。コロナは人類共通の敵とみなされ、連帯感や仲間意識が高まったためとみられています。

 フィンランドでは、コロナの死者数が欧州諸国の大半の半分以下だったそうです。パンデミックの最中でも、フィンランド人は他の人と強い信頼関係を保ち、それが幸福度の高さをもたらしたと言われています。

 日本とフィンランドには、さまざまな違いがあると聞きます。日本ではさまざまな格差があり、多くの人は進路や職業選択の自由に制限があるようです。でもフィンランドでは、自由度が非常に高いそうです。年齢や性別、家庭の経済状況などは、大きな制約にならないとのこと・・・。

 日本では、長時間労働や休みを取りにくい職場環境が問題視されています。でもフィンランドでは退社時間が来たらすぐ帰宅し、豊かでゆとりのある生活をしているそうです。生活空間が自然に恵まれ、平日にスポーツを楽しんだり、週末にはアウトドア体験に出掛けたりする人も多いとの話です。

 日本よりフィンランドの方が、人と人との結び付きが強いと言う人もいます。コミュニティセンターと呼ばれる場所に人が集まり、そこで友人と話をしたり、図書館で本を読んだり、サウナに入ったりもするそうです。多くの人が長年、そのような生き方を求めて来た結果、幸福度の高い今の社会が実現したのかもしれません。

 日本は150年ほど前、欧米諸国をモデルとし、豊かで強い国づくりを始めました。76年前の手痛い敗戦の後、方向を変えて、今度は平和で豊かな国づくりを目指しました。しかし今は社会の大きな変化により、新たな方向性が必要とされています。

 少子高齢化で、人口が減少しつつあります。経済はゆるやかに衰退し、格差がじわじわと広がりつつあります。いわゆる「上級国民」への不信感や政治への無関心が、ますます広がっています。人口は大都市圏に集中し、人間関係が希薄になっています。コロナ禍で、希望を失う人も増えているようです。

 人々が将来に希望を持ち、幸福度の高い社会を実現するには、どうしたら良いのでしょうか。どんな生き方を、私たちは目指すべきなのでしょうか。遠い国の話に憧れ、ただ形だけ真似るのではなく、何を第一に求めるべきか、今こそ考えなければならない時のように思います。

 イエス・キリストは、こう言われました。「求めなさい。そうすれば与えられます。」それは、「人がむやみやたらと好きなものを求めれば、運や努力次第で手に入る」という意味ではありません。「天地創造の神に祈り、お願いをしたら、神が最善のものを与えて下さる」という意味です。

 神は、私たちの害になるものを自ら進んで与えることはなさいません。私たちの益となるものを与えて下さいます。自動販売機のように、ボタンを押せば即座にガランガランと出てくるのでもありません。神が定めたタイミングがあります。たとえスムーズに事が進まなくても、私たちは安心していられます。神は最善の時に最善のものを与え、私たちを祝福で満たして下さるからです。

 天から与えられる良いものに期待し、求め続ける人は、幸福度の高い生き方ができるのです。

「ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(ルカ11:9)

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