2020年5月31日 (日)

聖霊パワーで前に進む

 緊急事態宣言は先週、全面的に解除されました。ひとまず日本では、コロナ感染の第一波が収束した模様です。諸外国と比べれば、圧倒的に犠牲者が少ない国の一つだったことを感謝します。とはいえ、まだウィルスは存在し、効果的な治療法も確立していません。いつ第二波が来るのか、それがどの程度の大きさなのかも分かりません。私たちは引き続き、できる限りの感染防止策を心掛ける必要があります。祈りも必要です。

 最近多くの自治体では、ホームページを通し、免疫力を高める生活を人々に呼び掛けて来たようです。免疫力とは、ウィルスや細菌等を監視・撃退するため、人間の体に備わっている力です。生物の体は、実に見事な造りになっています。体内に何か異物が入るとすぐにそれを感知し、取り除こうとします。この免疫の仕組みからも、私たちは創造主なる神の偉大さを感じることができます。

 免疫力は、日々の生活習慣により上がったり下がったりするようです。免疫力低下の原因は、いくつか挙げられています。不規則な生活、偏った食事、運動不足、睡眠不足、疲れやストレス等です。確かに、どれも体に悪そうですね。免疫力を上げるには、これらと逆のことをします。第一に規則正しい生活。生活リズムが一定だと自律神経の働きが整い、免疫力が高まるそうです。第二に栄養バランスの良い食事。栄養素は、免疫物質やエネルギー等のもとになります。第三に適度な運動。体全体を動かす運動は体温を上げ、免疫力を高めるそうです。第四に十分な睡眠。人によって差がありますが、多くの人は6~8時間くらい睡眠が必要とのこと。第五に気分転換。喜び、楽しみ、愛情、感謝等のポジティブな感情は、免疫力アップにつながるそうです。

 旧約時代の人々は、免疫力について知らなかったでしょうが、ポジティブな感情を持つことはもちろんありました。アブラハムは約束の地に祭壇を築き、神に感謝しました。彼の妻サラは、イサクを産んで笑いました。ヤコブは死んだはずの息子ヨセフと再会し、心から喜びました。「もう死んでも良い」とまで言いました。エジプト軍から救われたユダヤ人は、大喜びで神を賛美しました。女性たちは、タンバリンを持って踊りました。契約の箱をエルサレムに運び入れた時、ユダヤ人たちは大歓声をあげ、角笛を吹き鳴らしました。ダビデ王は、力の限り踊りました。エルサレムの神殿が完成すると、ソロモン王は感謝して長い長い祈りをささげました。ユダヤ人たちは神の恵みを心から喜び、数え切れないほどのいけにえを献げました。ポジティブな感情を持つたび、彼らの免疫力はアップしたかもしれません。でもそれ以上に強められたのは、神を愛する力だったはずです。彼らの愛は、時間とともにさめる傾向がありました。でも神はユダヤ人を深く愛し、彼らが神を愛する力を何度も引上げて下さったのです。

 今日は、ペンテコステの日曜日です。エルサレムにいたユダヤ人たちに聖霊が注がれ、初めて教会が誕生した記念日です。聖霊なる神は、昔も今も変わらずに働かれています。世界中の人々をイエス・キリストへの愛に導かれています。神の愛が必要な場所に、誰かを遣わされています。私たちの心を喜びや感謝で満たし、神を愛する力を強めて下さいます。聖霊による霊的免疫力で、私たちは忍び寄る悪の力を感知し、撃退できます。聖霊のパワーにより私たちは危機を突破し、前に進むことができるのです。

 今日は使徒ペテロの歩みを通し、聖霊のパワーについて考えてみましょう。

 第一に聖霊は、癒しのパワーで私たちを前進させて下さいます(ヨハネ21:17)。復活のイエス様と再会した時、ペテロは罪悪感に苦しむ危機にありました。イエス様を裏切ったからです。最後の晩餐の時、ペテロは「イエス様のためなら命も捨てる」と断言しました。でもイエス様からは、こう言われました。「あなたはわたしを知らないと3回言う。」その予告通りに、ペテロは行動したのです。イエス様の復活は、ペテロも嬉しかったはずです。でも彼の心には、イエス様を裏切った悲しみと自己嫌悪が残っていたように思います。イエス様が「あなたは私を愛していますか」と3回聞かれた時、ペテロの心は痛みました。でもイエス様はこの応答を通し、ペテロを罪悪感から解放し、彼の心を癒して下さったのです。この癒しは、聖霊の力を用いて行われました。聖霊の癒しのパワーにより、ペテロは前に進めるようになったのです。

 ペテロは、コンプレックスも癒されました(ヨハネ21:21-22)。彼には、気になる存在がいました。ヨハネです。ペテロはおっちょこちょいで、何度もイエス様に叱られました。でもヨハネは失敗が少なく、イエス様に愛されているようでした。ヨハネは、十字架上のイエス様の最期もすぐそばで見届けました。イエス様から、母マリアのお世話も頼まれました。その場に行けなかったペテロとは、大違いでした。それらのことが原因で、ペテロはコンプレックスに苦しむ危機があったと考えられます。イエス様は、その危機からペテロを解放されました。主のみことばと聖霊の力により、ペテロのコンプレックスは癒されたのです。ペンテコステの日以降、ペテロはヨハネとタッグを組み、ともに働きました。聖霊は同じように、私たちも癒して下さいます。聖霊の癒しのパワーで、私たちは前に進むことができるのです。

 第二に聖霊は、証しのパワーで私たちを前進させて下さいます(使徒2:32-33)。ペンテコステの日、聖霊は弟子たちに注がれました。彼らは学んだこともない外国語で、神のみわざを証言しました。その奇跡を目撃し、驚いた人々に対し、ペテロはその出来事の意味をこう説明しました。「これは、旧約の預言者ヨエルが予告した出来事です。終わりの時代が始まりました。聖書の預言通り、救い主は復活されました。イエス様は天に昇り、このように聖霊を注がれたのです。」ペテロの説明を聞いた3千人の人々は、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けました。ペテロにこのメッセージを与えたのは、聖霊です。聖霊は、私たちにも語るべきことばを与えて下さいます。聖霊の力により、私たちは証しができるのです。

 聖霊は、私たちに大胆さも与えて下さいます(使徒4:29-30)。3千人の救いの後も、聖霊は力強く働かれました。心を一つにし、仕え合う弟子たちの集まり=教会が生まれました。さまざまな奇跡があり、弟子の数は増え続けました。中でも驚くべき奇跡の一つは、ペテロとヨハネの2人を通して生まれました。彼らが神殿で出会った障がいのある男性が、奇跡的に歩けるようになったのです。この奇跡を通し、男性だけで5千人が救われました。ユダヤ人指導者たちは脅威を感じ、弟子たちに圧力をかけました。弾圧の危機でした。でも弟子たちは、この圧力に屈しませんでした。彼らは聖霊に満たされ、大胆にキリストの福音を語り続けたのです。聖霊は、私たちにも勇気や大胆さを与えて下さいます。聖霊のパワーにより、私たちはキリストの証人として前進できるのです。

 第三に聖霊は、察しのパワーで私たちを前進させて下さいます(使徒10:34-35)。ペテロは不思議な導きを通し、異邦人の家を訪問しました。聖霊が、そこに行きなさいと言われたのです。訪問したのは、カイサリアにいた百人隊長コルネリウスの家でした。そこには、コルネリウスの親族や友人も集まっていました。彼らは異邦人でしたが、イスラエルの神を信じていました。この時、ペテロは聖霊の助けにより、神のみこころを察することができました。「神はユダヤ人だけでなく、異邦人も愛している」と、聖霊がペテロに教えて下さったのです。そこでペテロは、彼らにキリストの福音を語り始めました。

 すると驚いたことに、ペンテコステの日と同じように、異邦人たちにも聖霊が注がれました(使徒11:17-18)。この後ペテロは、エルサレムの仲間から一斉に非難される危機を迎えました。でもペテロが聖霊のしるしの事実を伝えると、周りの人々も神のみこころを察しました。聖霊のしるしにより、ペテロは仲間から集中砲火を受ける危機を脱したのです。聖霊は今もさまざまなしるしを通し、私たちに神のみこころを伝えて下さいます。聖霊のパワーにより私たちはみこころを察し、前進することができるのです。

 聖霊のパワーが今、私たちにも与えられていることを感謝しましょう。私たちは聖霊の力により前進し、危機を突破して行きましょう。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

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2020年5月24日 (日)

どんな時も熱く神を愛す

 コロナウィルスの感染爆発で、夫婦関係に亀裂が生じる場合もあるようです。いわゆる「コロナ離婚」の危機です。女性向けのあるメディアは、4月の末にコロナ離婚に関する調査を行いました。10~50代の男女100人への聞き取り調査で、回答者の8割が女性でした。10%の人は、コロナ離婚を「考えるようになった」と回答。13%の人は、コロナが離婚の「後押しになりそう」だと回答。これから「考えるようになりそう」な人は、15%。これらを合わせると38%、ほぼ4割の人が、コロナ離婚の危機のようです。

 いくつか原因が挙げられています。一つは収入の減少。生活が苦しくなり、喧嘩が絶えなくなるケース。二つ目は危機意識のズレ。夫婦の一方はウィルス対策を万全にし、もう一方は全く無関心な場合。三つ目は役割分担のアンバランス。ずっと家にいるのに夫は家事や育児に全く配慮せず、妻のワンオペが続くケース。四つ目は気分転換の欠如。外出自粛でストレス発散ができず、些細なことにイライラしがちな場合です。

 コロナ離婚を避けるアイデアも、いくつか紹介されています。その一つは、良いコミュニケーション。2人で問題解決について話し合い、役割分担を見直すこと。二つ目は、共通の趣味。一緒にドラマや音楽の鑑賞、ゲーム等をして楽しむこと。三つ目は、一人になる時間を作ること。四つ目は、互いを尊重し、感謝を口にすること。私は昔、たくさんのカップルの結婚式を司式しました。式の前、新郎新婦にこう説明しました。「結婚の誓約は、神の前で結ぶ契約です。それは、いつまでも愛し続けるという契約です。」多くの夫婦が「初めの愛」に立ち返り、危機を乗り切れられるように願っています。

 聖書の中で、神と人との関係は、結婚に例えられています。モーセに授けた十戒の中で、神はご自身のことを「ねたむ神」だと言われました。天地創造の神は、私たちを深く愛しておられます。燃えるような愛で妻を愛し、ひたすら妻に尽くし続ける、完璧な夫のようです。(自分はそんな夫だ、あるいは私の夫はそうだと言う人いますか?)もし妻が夫の完璧な愛を理解せず、離婚を考えたら、夫は深く傷つき、怒ります。浮気してたら、なおさらです。これが、神の「ねたみ」です。ユダヤ人たちは、神の「ねたむ愛」を体験しました。神は彼らを愛し、エジプトから解放し、約束の地に住まわせて下さいました。ところがユダヤ人は神の愛を忘れ、偶像に思いを寄せました。神はさまざまな方法で、彼らに「初めの愛」を思い出させようとされました。彼らを熱く愛し、ご自身のもとに戻るように説得し続けたのです。

 エリヤは、そのような説得を任された預言者の一人でした。彼には、何の地位もありませんでした。お金もありませんでした。力を貸してくれるお友達もいませんでした。たった一人で、彼は国王夫妻の大きな罪に立ち向かったのです。「初めの愛」を捨て偶像に浮気する罪、そして悪巧みの仲間を増やす罪です。でもエリヤは、「初めの愛」を忘れませんでした。神とよくコミュニケーションをとりました。神と一緒に楽しむ時間を作りました。一人で考える時も過ごしました。神を敬い、感謝をささげる時もあったはずです。時には、道を見失いそうな危機もありました。でもエリヤは最期まで神を愛し、熱心に神に仕えました。どんな時も神を愛し続けたその生き方を、神は喜ばれました。エリヤは預言者の殿堂入りし、数百年後、モーセとともにイエス様と特別にお話する特権も与えられました。どんな状況でも熱く神を愛する人を、神は豊かに祝福して下さるのです。

 神は、どんな時にも私たちに熱く愛されたいと願っておられます。今日はエリヤの生涯を通し、私たちが神を愛すべき理由について考えてみましょう。

 第一に神は、私たちのいのちの源です(Ⅰ列王記17:2-4)。エリヤは、餓死する危機に瀕していました。イスラエルの国には数年間、雨が降らず、作物が実らなかったからです。それは実は、ユダヤ人に対する神のメッセージでした。彼らは、国王夫妻の指導の下、偶像の神々を拝むようになっていました。バアルやアシェラ等です。それらの神々が雨を降らせ、豊かな収穫をもたらすと彼らは信じていたのです。でも創造主なる神は、エリヤを国王のもとに遣わし、こう宣言させました。「ここ数年間は、雨が降らない。」天地創造の神が全てのいのちを造り、養っていることを示す目的がありました。神はその間、不思議な方法でエリヤを養われたのです。エリヤがケリテ川のほとりに行くと、毎日朝と夕、烏が食べ物を運んで来ました。神は私たち一人ひとりにいのちを与え、そのいのちを養っておられます。どんな時も必要を満たして下さる神に、私たちは信頼できるのです。

 神はその後、エリヤをツァレファテのやもめの家で養われました(Ⅰ列王記17:8-9)。ツァレファテは、イスラエルの北にあった地中海沿岸の町で、シドンの町の支配下にありました。シドンは当時のイスラエル王妃イゼベルの故郷で、バアル礼拝の中心地でした。つまり神はエリヤを偶像礼拝の中心に遣わし、そこで彼を養われたのです。遣わされたやもめの家には食べ物がありませんでした。やもめは生活の見通しが立たず、息子と一緒に心中する寸前でした。しかし神は、不思議な方法でこの親子とエリヤを養われました。息子が病気で死んだ時も、生き返らせて下さいました。エリヤの信じる神こそが、いのちを与え、養うお方であることが、偶像礼拝の中心地でも明らかにされたのです。日本に住む私たちをも神は深く愛し、いのちを養っておられます。だからこそ神は、熱く愛するに値するお方なのです。

 第二に神は、全地の王です(Ⅰ列王記18:1)。飢饉が3年目に入ると、国王アハブと面会するように、神はエリヤに命じられました。アハブに会えば、処刑される危険がありました。王妃イゼベルは主の預言者たちを死刑にし、アハブ王はエリヤを指名手配していたのです。国王夫妻は、バアルやアシェラを拝まない人々が飢饉の原因だと考えていたのかもしれません。とんでもない間違いでした。その間違いを正すため、エリヤはアハブに一つ提案をしました。カルメル山で、バアルやアシェラの預言者たちとエリヤが対決する提案です。850人対1人の戦いです。全地を支配し、自然現象をもコントロールするのは、どちらの神なのかを示す戦いでした。

 ご存知の通り、この戦いはエリヤ側の圧倒的勝利に終わりました(Ⅰ列王記18:38-39)。850人が必死に偶像に祈り求めても、何も起きませんでした。でもエリヤがたった一人、天地創造の神に祈り求めると、天から火が降ったのです。それを見た人々は、エリヤの神こそが真の神だと叫びました。するとその後、大雨が降り始めました。人々の信仰告白に、神が応えて下さったようでした。天地創造の神は、今も全世界を治めておられます。イスラエルもシドンのあるレバノンも。欧州も米国も。中国も韓国も日本もです。自然をコントロールし、地球環境を整え、ウィルスも御手の中に治めておられます。燃えるような愛で私たちを愛し、祈りに応えて下さいます。だからこそ神は、私たちの熱い愛にふさわしいのです。

 第三に神は、永遠の立案者です(Ⅰ列王記19:7-8)。エリヤにとってカルメル山の大勝利は、全く想定外の結末を迎えました。創造主なる神の権威が証明されても、国王夫妻は何も変わらなかったのです。エリヤは大きな挫折を味わい、絶望の危機でした。その時、神は天使を遣わし、エリヤをホレブの山=シナイ山に導かれました。そこは何百年も前、神がモーセに十戒を授けた場所です。神はその山で、ユダヤ人にこう命じられました。「わたし以外に、他の神があってはならない。・・・偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。」(出エジプト記20:3-5)ユダヤ人の原点と言えるその山で、神はエリヤと差しで話す計画だったのです。

 そこで神は、エリヤに次の使命を与えられました(Ⅰ列王記19:15-16)。エリシャを弟子とし、働きを引き継ぐ使命です。神は永遠の昔から、この計画を立てておられました。国王夫妻が悔い改めないことも、神は知っておられました。エリヤが挫折を味わうことも知っておられました。その上で神は、エリヤが次にすべきことをあらかじめ用意しておられたのです。神は、私たちの人生にも永遠の計画を立てておられます。コロナ終息後どうすべきかも、神に計画があります。だから私たちは安心して、このお方について行けます。熱い思いをもって私たちは、神を愛し続けることができるのです。

 神の燃えるような愛を感謝しましょう。どんな時も私たちは、熱く神を愛して行きましょう。

「エリヤは答えた。『私は万軍の神、主に熱心に仕えました。・・・』」(Ⅰ列王記19:10)

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2020年5月17日 (日)

天の家で「ステイホーム」する

 今は、世界中で多くの人が「ステイホーム」――家にとどまる生活を続けています。通常の大災害では、多くの人が近所の避難所等に逃げ込みます。所沢市は地震、洪水、大規模火災等のため、学校のグラウンドや公園など66カ所を屋外の避難場所に指定しています。体育館等も、屋内の避難所として開放されます。しかし、ウィルスの感染爆発では、そのような避難所が利用できません。大勢の人が一カ所に集まると、かえって危険だからです。非感染者の避難先は、自分の住まいです。必要な時は多少の危険を冒し、外に出ることもあります。仕事や生活必需品の買い物、気分転換の散歩やジョギング等です。でもそれ以外は、家に閉じこもる生活になっています。家が避難所だからです。

 ステイホームで大変だという声が、あちこちから聞こえて来ます。仕事のない人は、経済的な危機です。子供が勉強せず、学力の遅れを心配する親もいます。夫がいつも一緒の生活に慣れないという、妻たちの声も耳にします。家族全員の食事を毎日3食用意するのが苦痛だ、という話も聞きます。家に子供がいるため、テレワークだと仕事がしにくいという人もいます。ストレスがたまったり、うつになる恐れも指摘されています。家族関係が微妙だったり、DV(家庭内暴力)等がある場合は、なおさら大変です。

 ところが、ステイホームが嬉しい人も中にはいるようです。内向的でインドア派の人たちです。気乗りのしない集まりに参加せず、自分だけの世界に没頭できるのが幸せとのこと。米国のある女優は、こう言っています。「私は、悪名高き引きこもりです。どこにも行きたくない時はいつも言い訳して来たけど、今はそうしなくて良い。突然私は、生まれて初めてクールな人物になったのです。」

 旧約の時代、人々はさまざまな場所に避難しました。ノアの家族は、箱舟に避難しました。アブラハムやヤコブの家族は飢饉の時、食糧備蓄のあるエジプトに避難しました。モーセたちは命を守るため、家に羊の血を塗り、ステイホームしました。ダビデは指名手配された時、洞穴を住まいにし、身の危険を避けました。(一番下に引用している詩篇27篇は、ダビデが書いたとされています。)数々の避難体験を通し、ユダヤ人たちは、最高の避難所がどこにあるかを悟りました。どんな災いも避けられるのは、天地創造の神がおられる場所です。全知全能の神には、どんな災いも退ける無敵の力があるからです。

 天の神の避難所に通じる唯一の道は、イエス・キリストです。イエス様を信じるなら、どんな人もそこに身を避けることができます。最高の避難所の情報をシェアし、他の人の避難を手伝うこともできます。天の避難所は、全世界の人が集う大きな家です。ウィルスから完全に遮断された、極めて安全なグリーンゾーンです。不安もストレスもDVも、一切ありません。天の神の家でステイホームする人は、永遠の幸せに満ちた「クールな生き方」を満喫できるのです。

 イエス様は、私たちに天の家で「ステイホーム」する恵みを与えて下さいました。今日はダビデの人生を通し、天の家の隠れ場=避難所について考えてみましょう。

 第一に天の家は、戦いの時、私たちの隠れ場になります(Ⅰサムエル17:8-9)。ユダヤ人がカナンを占領した後、何百年にもわたりイスラエルに敵対した、ペリシテ人という人々がいました。彼らは、カナンの地中海沿岸に住んでいました。士師の一人サムソンは彼らと戦い、命を落としました。預言者サムエルの時代には、契約の箱が一時ペリシテ人に奪われました。彼らはイスラエルの強敵であり、宿命のライバルでした。実は神は、ユダヤ人の霊的訓練のため、ペリシテ人を用いられたのです。戦いの中で、天の隠れ場に身を避ける訓練でした。ペリシテの最強戦士ゴリヤテが現れた時、イスラエルは彼らの奴隷になる危機に直面していました。代表戦士の一騎打ちで勝敗を決し、敗者の国が勝者の国の奴隷になるという戦いでした。ゴリヤテの強さを知るユダヤ人兵士たちは、誰も名乗り出る勇気がありませんでした。

 たった一人その勇気があったのは、羊飼いの少年ダビデです(Ⅰサムエル17:45-47)。彼は、兵士ではありませんでした。父のおつかいで、戦場にいた兄たちに差し入れを持って来たのです。戦争は初めてでしたが、彼は熊やライオン等の猛獣と戦ったことがありました。それらの戦いを通し、ダビデは天の隠れ場に身を避けるコツを学んだのです。どんな危機が迫っても、彼は神を見上げることができました。神が必ず救って下さると、彼は信じていました。その信仰により、ダビデは国運をかけた戦いに勇気を持って臨み、みごと勝利を収めました。勝利の秘訣は、天の家の隠れ場を知っていたことです。私たちにも、さまざまな戦いがあります。目の前の危機から逃げたいと思う人もいるかもしれません。でも私たちは、ダビデのように天の家の隠れ場を見上げることができます。私たちを救う神を信じ、戦いに勝利できるのです。

 第二に天の家は、忍耐の時、私たちの隠れ場になります(Ⅰサムエル18:8-9)。ダビデが華々しく活躍し出すと、妬む人がいました。時の国王サウルです。サウルは権力を私物化し、ダビデを抹殺しようとしました。究極のパワハラの危機です。ダビデは指名手配され、追われる身になりました。彼が一時避難した場所は、アドラムの洞穴でした。そこはダビデの故郷ベツレヘムから西に20キロ、ゴリヤテに勝利したエラの谷から南に3キロの地点でした。洞穴に身を潜めていると、隠れ場を求める人たちが続々と集まって来ました。なんと、400人の大集団になりました。ダビデ一人の静かな隠れ家生活は、賑やかな共同避難生活に変わったのです。彼らは、サウル王のパワハラをダビデとともに忍耐してくれる仲間になりました。

 この逃亡生活で、ダビデはサウルを暗殺するチャンスが2回ありました(Ⅰサムエル24:6)。でもダビデは、2回とも手を下しませんでした。こう考えたからです。「たとえどんなに極悪の指導者でも、サウルを国王に選んだのは神だ。だから自分は、その神の決定にあくまでも従う。いつか神は、サウルを王座から取り除かれる。それは神ご自身がなさることであり、自分がすることではない。」ダビデは、その時を待ち続けました。忍耐が強いられる中、神を見上げ、天の家の隠れ場で自制心を養いました。私たちも今、忍耐の中にあります。ウィルスの強力な感染力により、洞穴に身を潜めるような生活になっています。ウィルスがなぜそんな力を持ったのかは、分かりません。でも神は、いつかその感染力から私たちを解放して下さいます。私たちは、天の家の隠れ場で自制心が養われ、この忍耐生活を克服できるのです。

 第三に天の家は、悔い改めの時、私たちの隠れ場になります(Ⅱサムエル12:10)。ダビデはその後、イスラエルの王になり、絶頂期を迎えました。彼の子孫が永遠の国の王になるという素晴らしい約束も、神から頂きました。(イエス・キリストのことです!)ところが彼は、そこで大きな罪を犯します。家来の妻を奪い、その夫を殺させたのです。ダビデは絶大な権力を手にし、地上の立派な王宮に住むようになり、天の家の麗しさを見失っていました。神は王宮に預言者ナタンを遣わし、ダビデの家に災いが来ると告げられました。ダビデは自ら蒔いた種により、自分の命を失い、家庭も崩壊する危機を迎えていたのです。

 その時ダビデは、すぐに罪を告白し、心から悔い改めました(Ⅱサムエル12:13)。彼は、天の家の隠れ場を思い出したのです。それが、サウルとの大きな違いでした。神はダビデの罪を赦し、彼に再出発のチャンスを与えられました。彼の家に災いは来ましたが、ダビデ自身は国王として生涯を全うできました。彼の心が天の家の隠れ場に戻り、神との関係が回復したからです。人間誰しも失敗します。時には、罪を犯すこともあるかもしれません。でもそんな時は、天の家の隠れ場を思い出して下さい。天を見上げ、心から悔い改めるなら、神は赦して下さいます。その時神は、天の家を再び私たちの隠れ場にして下さるのです。

 イエス様が下さった、天の家で「ステイホーム」する恵みを感謝しましょう。

「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。・・・それは 主が 苦しみの日に私を隠れ場に隠し その幕屋のひそかな所に私をかくまい 岩の上に私を上げてくださるからだ。」(詩篇27:4-5)

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2020年5月10日 (日)

神のサプライズを期待する

 コロナ問題の影響により、世界各地でストレスや精神的な病に悩む人が増えているようです。米国では、医師や救急隊員等が相次いで自殺するニュースが報じられました。その一人は、49歳の医師ローナ・ブリーン さん。ER(緊急治療室)で多くのコロナ患者を治療後、自分もコロナに感染。完治後に職場復帰すると、うつ状態になり、自ら命を絶ちました。23歳の救急隊員ジョン・モンデロさんは、2月に職場に配属されたばかりで、1ヵ月後に感染爆発が起こりました。3月下旬から4月下旬には、救急車のサイレンが一日中鳴り続けたそうです。モンデロさんは、元警察官だった父の銃を持ち出し、自殺しました。24歳の救急隊員アレクサンダー・ラソさんは、薬物の過剰摂取で命を落としました。彼も、去年9月に入隊したばかりの新人でした。医師や救急隊員たちは、肉体的・精神的にギリギリの状態で働かざるを得ない状況です。ニューヨーク州のクオモ知事も精神疾患の増加を心配し、電話相談の利用を呼びかけたそうです。

 日本でも今、内科だけでなく精神科の受診が増えているとのこと。ある病院では3月下旬、精神科外来の調査をしました。1日に68人が受診し、そのうち58人がコロナに対して強い不安を感じていました。患者の8割以上が同じ不安を口にすることは、初めてでした。いわゆる「コロナうつ」です。「コロナうつ」は、通常の「気分の落ち込み」以外に、「不安と焦り」という特徴があるそうです。それが、息苦しさや不眠の症状につながります。今はコロナ関連で、悪いニュースばかり流れています。生活不安やDV(家庭内暴力)等の問題もあります。多くの人が不安や焦りを感じるのは、当然のように思えます。ある医師は「コロナうつ」予防のため、次の5つの方法を提案しています。第一に、不安や焦りを感じたら、コロナが原因だと自覚する。第二に、意識的にポジティブな情報にふれる。第三に、規則正しく生活し、体を動かす。第四に、明るい未来を思い浮かべる。第五に、感謝の心を持つ。「ありがとう」と言うことは、心の余裕につながるようです。

 天地創造の神に近づく人は、ポジティブな情報をゲットし、明るい未来を思い浮かべられます。感謝の心も与えられます。ノアは箱舟の中で神に近づき、明るい未来の始まりを知りました。彼は神に感謝し、ささげ物をしました。アブラハムは全世界を祝福する旅に出掛け、神に近づきました。カナンの地に着くと、感謝して神を礼拝しました。モーセが率いたユダヤ人は、出エジプトを通し、神に近づきました。彼らは、神の奇跡的な救いを感謝しました。神が輝かしい未来を用意されていることも、彼らは知りました。ダビデは数々の戦いを通し、神に近づきました。契約の箱をエルサレムに運び、神に感謝しました。自分の子孫が永遠の王国を確立することも、ダビデは知りました。創造主なる神に近づく人は、神の永遠の愛と祝福の計画を知ります。その時、私たちの心は感謝で満たされるのです。

 イエス・キリストは、天地創造の神に近づく唯一の細い道です。この道だけが、私たちを造り主のみもとに導いてくれます。神の永遠の計画を知り、私たちの心は感謝で満たされます。今のような厳しい状況の中でも、明るい未来を信じることができます。神のサプライズに期待し、感謝の心を持って危機を突破できるのです。

 神様はサプライズを通し、私たちに喜びを与えて下さいます。今日はルツ記に登場するナオミの人生を通し、私たちが期待できるサプライズについて考えてみましょう。

 第一に私たちは、安堵のサプライズを期待できます(ルツ1:1-2)。ナオミは、「さばきつかさ(士師)」の時代に生きた人です。この時代は、ユダヤ人が約束の地を占領してから国王を選ぶまでの大混乱の時期でした。カナンの地の占領は、モーセの後継者ヨシュアの指導により、実現しました。その後は、国全体を指導するリーダーが立てられませんでした。各部族の長老たちが、人々を指導しました。ただ、その体制はなかなかうまく行きませんでした。ユダヤ人たちは神の教えに逆らい、何度もトラブルを起こしたのです。神は、その度に「士師」と呼ばれるヒーローを遣わし、人々をトラブルから救い出されました。ナオミが経験した食糧不足の危機の時も、士師が活躍したようです。ただナオミの家族は、トラブル解決まで待てませんでした。食べ物がなくなり、隣の国に緊急避難をしたのです。私たちはとりあえず大丈夫ですが、もし食べ物がなくなったら、今以上に緊急事態ですね。食糧をなんとか確保しようと、あちこち駆け回るはずです。

 避難先のモアブの国で、ナオミの夫は亡くなりました(ルツ1:3-4)。でも、良いことも起きました。神は、ナオミの2人の息子に結婚相手を与えられたのです。サプライズでした。ナオミの想像を遙かに超えた出来事だったかもしれません。モアブ人の嫁たちは、2人とも性格が良さそうでした。ユダヤ人と同じ信仰に入り、アブラハム以来の伝統を受け継いでくれそうでした。ナオミはおそらく、ホッとしたはずです。神が彼女に安堵の心、ホッとするサプライズを与えて下さったのです。神は私たちにも、同じようなサプライズを与えて下さいます。非常事態の中、心は緊張しているかもしれません。さまざまな心配で、心が押しつぶされそうな人もいるかもしれません。でも神は、私たちに安堵の心を与えて下さいます。そのサプライズを、私たちは期待できるのです。

 第二に私たちは、励ましのサプライズを期待できます(ルツ1:8)。ナオミたちは、モアブの国で10年ほど過ごしました。ナオミに孫は生まれませんでしたが、食べ物に事欠くことはなかったようです。ナオミは嫁たちと良い関係を築き、ユダヤ人の信仰と習慣をきちんと伝えたはずです。ところがナオミには、再び不幸が訪れました。2人の息子が、相次いで亡くなったのです。モアブに来た時4人だった家族は、ナオミ1人だけになりました。その頃イスラエルから、飢饉の緊急事態が終わったというニュースが伝わりました。ナオミは、故郷に帰ろうと思いました。2人の嫁については実家に帰し、再婚の幸せをつかんでほしいと願いました。年老いたナオミは何の生活の当てもなく、一人で暮らすつもりだったのです。社会保障のない時代、ナオミは経済的な危機にも直面していました。

 ところが長男の嫁ルツは、ナオミと一緒にベツレヘムに行き、同居すると言い出しました(ルツ1:16-17)。これはナオミには、サプライズだったはずです。ルツは、ナオミの忠実な弟子でした。イスラエルの神がどんなお方か、ナオミから教えられていました。神はアブラハムの子孫を通し、全世界を祝福すると約束されました。モーセを通し、エジプトの奴隷生活からユダヤ人を解放されました。荒野で40年訓練を受けた後、約束の地を占領させて下さいました。その神の選びの民から離れたくないと、ルツは強く願ったのです。神はルツの心を導かれ、ナオミに大きな励ましを与えられました。神は、私たちにも励ましのサプライズを与えられます。私たちが危機にある時、神は誰かを遣わして下さいます。逆に私たちが遣され、他の誰かの励ましに用いられることもあるのです。

 第三に私たちは、回復のサプライズを期待できます(ルツ1:20-21)。ルツが一緒でも、ナオミの心は落ち込んでいました。ベツレヘムに帰ってすぐは、ポジティブな情報がなく、明るい未来は思い描けませんでした。神が苦しみを与えたと思うと、神に感謝する心も持てませんでした。ナオミは、うつ状態の危機でした。私たちも、気をつけないとうつ状態に陥るかもしれません。神を見上げ、神の愛を思い起こすことが大切です。神は、試練を耐え抜く力を私たちに与えて下さいます。私たちが試練から脱出する道も、神は備えておられるのです。

 ナオミを苦しみから救うため、神が用いたのはルツでした(ルツ4:14)。不思議な出会いを通し、ルツはボアズと再婚しました。そして、ナオミの孫となる男の子を産みました。その子を通し、ナオミは夫や息子たちの遺産を取り戻したのです。またもや神のサプライズでした。ナオミは人々からポジティブな言葉を掛けられ、明るい未来を思い描けました。喜びと感謝の心を回復できたはずです。神は、私たちにも回復のサプライズを用意されています。神の奇跡を信じましょう。神に不可能はありません。たとえ世界が闇に閉ざされても、神はサプライズを起こし、光輝く世界を回復されるのです。

 神が、私たちにサプライズを用意されていることを感謝しましょう。私たちはどんな時も、神のサプライズを期待して歩んでいきましょう。

「その子はあなたを元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだのですから。」(ルツ4:15、新改訳2017

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2020年5月 3日 (日)

神の救いを体験する

 今年は、4年に1度のオリンピックが1年延期と決定されました。ドイツでは、10年に1度のイベントが2年延期されたそうです。オーバーアマガウ村で行われるキリスト受難劇です。オーバーアマガウはドイツ南部、オーストリア国境近くの小さな村で、人口5,000人余り。アルプスの山々に囲まれた、静かで美しい村とのこと。でもこの小さな村には、10年ごとに50~75万人もの人が世界中から押し寄せて来ました。村人の約半数が出演し、キリストの苦難、十字架、復活を演じる野外劇を見るためです。公演期間は、5月から9月か10月まで。上演時間は、前後半合わせて5時間。間に3時間の夕食休憩が入るそうです。世界中から来る人のため、ホテルやショップ、レストラン等ももちろんあります。この受難劇は、村が10年がかりで準備する一大イベントなのです。

 受難劇の始まりは、約400年前に欧州で起きたペストの感染爆発がきっかけでした。4人に1人が亡くなったようです。オーバーアマガウ村にも、80人の死者が出ました。危機感をもった村人たちは神に救いを求め、こう祈りました。「もしこれ以上死者が出なければ、私たちは10年ごとにキリスト受難劇を上演します。」それは1633年のことで、欧州は30年続いた大戦争の最中でもありました。神は、村人の祈りに応えられました。彼らが祈った後、死者は出なかったそうです。受難劇は翌年から始まり、これまでずっと続いて来ました。中止や延期は、戦争等があった3回のみ。村人たちは400年間、忠実に誓いを守って来たのです。主催者は、こう言っています。「村人たちは、この誓いを果たし続けます。」ペストから神に救われた経験を、彼らはいつまでも忘れないようです。

 旧約の時代、神がもたらした最大の救いは、出エジプトでした。エジプトの奴隷生活から、ユダヤ人たちが奇跡的に解放されたのです。その特別な体験は、今も多くのユダヤ人が毎年3回はお祝いしています。いわゆる3大祭りの時です。「過越の祭り」では、家族で一緒に子羊の肉を食べ、子羊の血による救いを記念し、感謝します。「ペンテコステの祭り(七週の祭り・五旬節)」では、徹夜で律法を学ぶそうです。エジプトを出た後、シナイ山で授けられた律法を感謝する時です。「仮庵の祭り」では、仮小屋の中で時間を過ごします。荒野のキャンプ生活を思い、神の守りと祝福を感謝するのです。ユダヤ人は、全人類の代表として神に選ばれました。出エジプトの歴史とその記念行事は、全世界の人に重要な真理を伝えています。「神は危機から人を救う」という真理です。

 イエス・キリストは、全ての人を救うために来られました。アダムとエバ以来、全人類は罪の奴隷になりました。その呪いから私たちを解放するため、イエス様は過越の子羊になり、十字架で血を流して下さいました。全ての律法と預言を成就し、神に従う新たな道を示して下さいました。荒野を突っ切るように地上の働きを完了し、今は天で私たちの永遠の住まいを用意しておられます。イエス・キリストを信じる人は、誰でも罪や死の呪いから救われ、神の永遠の家に住む特権が与えられます。地上では、さまざまな苦難があります。でも私たちの心は、神の平安で満たされます。聖霊の助けにより、私たちは神の救いを体験できるからです。

 今日はモーセが生きた時代を振り返り、神の救いについて考えてみましょう。

 第一に私たちは、束縛からの救いを体験できます(出エジプト2:23)。ユダヤ人たちは、エジプトで奴隷の身分に落とされました。強制的に重労働をさせられ、自由はありませんでした。彼らは、疲れ果てていました。どこにも逃げ場がありませんでした。頑張って働けば、いつか生活が良くなるとも思えませんでした。どん底の中でできたのは、ただ上を見上げることでした。彼らの先祖アブラハム、イサク、ヤコブが信じた神を見上げ、こう叫んだのです。「神様、どうか助けて下さい。」その叫びは、神に届きました。私たちも今、大きな束縛の中に置かれています。自由な生活ができません。前より忙しくなり、疲れている人がいるかもしれません。心が折れそうな人もいるかもしれません。この非常事態がいつどのように終わるのか、誰にも分かりません。私たちが今できるのは、上を見上げ、神の助けを求めることです。神は、私たちの祈りを必ず聞いておられます。

 神は、ユダヤ人たちの必死の祈りに応えられました(出エジプト15:2)。数々の奇跡を起こし、彼らをエジプトから脱出させて下さいました。彼らを追って来た軍勢は紅海の水に沈み、全滅しました。神は、ユダヤ人をエジプトの脅威から完全に解放して下さったのです。ユダヤ人たちは神の救いを喜び、賛美の歌を歌いました。私たちも、コロナウィルスの束縛から神が救って下さいます。神は、今でも奇跡を行われます。私たちに迫り来るウィルスを撃退して下さいます。ウィルスへの恐れから、私たちを完全に解放して下さいます。ユダヤ人たちと同じように私たちは救いを体験し、心から神を賛美するようになるのです。

 第二に私たちは、混迷からの救いを体験できます(出エジプト32:4)。エジプトを脱出したユダヤ人は、烏合の衆でした。モーセがいないと、何をし出すか分かりませんでした。彼らは、モーセの兄アロンに偶像を造ってくれと頼んだのです。アロンは人々から金のアクセサリーを集め、それで子牛の像を造りました。ユダヤ人は完成した像を見て、こう言いました。「これが、私たちをエジプトから救った神々だ。」彼らは、混迷の中にいたのです。創造主なる神の教えがないと、人々は道を見失います。何でもいいから神にして拝みます。太陽や月、山や海、大木や動物等、何でもです。鰯の頭を拝む人もいるかもしれません。全てを造られた神を見失うと、人々は混迷を深めるのです。

 神はモーセに、みことばを授けられました(出エジプト34:1)。十戒の石版を神から頂くのは、これが2回目でした。シナイ山の頂でモーセが最初の石版を受け取った時、麓にいた人々は金の子牛を造っていました。「偶像を造ってはならない」という十戒の教えに、完全に反したことをしていたのです。金の子牛を見たモーセは持っていた石版を投げ捨て、粉々にしました。それは、神との契約が破られたことを象徴していました。でも憐れみ深い神は、2度目のチャンスを下さったのです。ユダヤ人たちは、もう一度神と契約を結び直すことができました。神のことばに導かれ、混迷から救われるチャンスを得たのです。私たちも、愚かな生き方をして来たかもしれません。でも神のことばであるイエス様は、どんな人をも混迷から救って下さいます。この救いの体験を、私たちは周りの人にも証言できるのです。

 第三に私たちは、破綻からの救いを体験できます(民数記14:3)。ユダヤ人たちは、約束の地の一歩手前まで来ました。そこで神は、彼らに偵察隊を送れと命じられました。各部族のリーダー12名です。カナンの地は、荒野と全く違いました。水が流れ、緑に溢れ、作物が豊かに実る土地でした。でもそこには、怖そうな人々が住んでいました。12人のうち10人は、あそこに行くのは無理だと主張しました。それを聞いたユダヤ人たちはカナン行きを中止し、エジプトに戻ろうと言い出したのです。彼らは神のさばきに遭い、疫病で全滅しそうな危機に陥りました。神の救いの計画は、破綻しそうだったのです。神の約束を信じなければ、神からの祝福は受け取れません。神の救いの計画を体験できないのです。

 信じなかった人々は、約束の地に入れませんでした(民数記14:33)。その代わり神は、約束を信じる新たな世代を40年かけて育てると言われました。荒野は、彼らの訓練センターになったのです。私たちも今、荒野の生活のような困難を強いられているかもしれません。でも神はこの機会を用い、私たちを訓練して下さいます。人はパンだけで生きるのではなく、神のことばにより生きることを知る訓練です(申命記8:3)。私たちの訓練は、ひょっとしたらもっと短く済むかもしれません。訓練の末には、神が永遠の約束の地を私たちにも用意されています。信じる人には、神の救いの計画が実現します。私たちは、破綻から救われる経験ができるのです。

イエス様は、私たちに神の救いのチャンスを与えて下さいました。イエス・キリストを信じる人は、聖霊の助けを受け、あらゆる危機から救われる体験ができるのです。ハレルヤ!

「わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、・・・彼らを導き上るためである。」(出エジプト3:8)

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2020年4月26日 (日)

置かれた場所で実を結ぶ

 外出自粛要請で、多くの人の生活が一変しました。外に行かず、家で過ごす時間が増えているようです。3月末に「家での過ごし方」について、ある調査が行われました。東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県に住む、20~69歳の男女1,000人が対象の調査です。行動が制限されたことの第1位は旅行で、30.2%。第2位はショッピングで、29.7%。第3位は一人か少人数での外食で、27.6%。外出制限でプラスになったことの第1位は「お金を使わなくなった」で、37.4%。2位は「のんびりすることができた」34.6%。3位は「家族や同居人との時間が増えた」24.5%。一方、外出制限でマイナスになったのは、第1位「運動不足」49.8%。第2位「ストレスがたまった」46.2%。第3位「将来的な不安が生まれたか、大きくなった」29.5%です。政府の緊急事態宣言が出る前の調査なので、経済的な不安を感じる人はまだ多くなかったかもしれません。

 家でする時間が増えたのは、「テレビを見る」が圧倒的で50.2%。2位は「家の掃除や片付け」27.7%。3位は「料理を作る」27.6%。以下、「インターネット閲覧」26.2%、「寝る」26.0%と続きます。今後やってみたい家での過ごし方は、第1位が「筋トレやストレッチ」21.5%。2位は「家の掃除や片付け」18.6%。3位「読書」17.2%。以下、「勉強」14.4%、「映画を観る」13.0%です。皆さんいろいろ考えていますね。クリスチャンの場合は、「祈る」や「聖書を読む」が増えてほしいようにも思います。先週こういう話も耳にしました。「教会のおじいちゃん、おばあちゃんのパソコン力がアップしている。」インターネットでの礼拝や交わりが増えているからですね。私たちが家に閉じこもっても、神はその状況を用い、何か良いことをして下さると期待できます。

 聖書にも、閉じこもる生活をした人たちが登場します。しばらく閉じこもった結果、何か良いことが起きています。アブラハムの孫のヤコブは父の家を離れ、しばらく叔父ラバンの家に閉じこもりました。ヤコブはそこで結婚相手と出会い、男の子が12人生まれました。経済的にも祝福されました。その後、彼の家族は飢饉を避け、エジプトにしばらく閉じこもりました。70人だった家族は時が経つと、数百万人の民族になりました。モーセは人を殺し、ミディアンの荒野に閉じこもりました。そこで彼は、謙遜さと羊の群れの導き方を学びました。エジプト脱出後、ユダヤ人はシナイの荒野に閉じこもりました。40年間の訓練を終え、彼らは神に忠実に従う精鋭部隊に生まれ変わりました。ダビデやエリヤも、荒野に閉じこもりました。彼らはそこで十分に祈り、神への信頼を深めました。閉じこもる生活は快適ではなく、苦痛を伴います。でもその苦痛を経て、神が私たちに良い実を結ばせて下さるのです。

 8年前、渡辺和子さんが「置かれた場所で咲きなさい」という本を出しました。彼女は若い頃、慣れない土地で慣れない仕事を任され、自分の殻に閉じこもる経験をしました。その時、ラインホルド・ニーバーという神学者の詩に出会い、生き方が変えられたそうです。「神に植えられた場所で輝き、他の人を幸せにしなさい」という内容の詩です。花が咲けば、実を結ぶ季節が来ます。私たちは今、家に閉じこもる時間が増えています。でも家の中に置かれても、神は私たちに素晴らしい実を結ばせて下さるのです。全知全能の神に不可能はありません。

 危機的な状況に置かれても、神は私たちに良い実を結ばせて下さいます。今日はヨセフが直面した危機を通し、私たちの結ぶ実について考えてみましょう。

 第一に私たちは、誠実の実を結べます(創世記39:6)。ヨセフは兄たちに売られ、エジプトに連れて行かれました。ファラオの家臣ポティファルの家で、しもべとして働くようになりました。神は、彼の働きを祝福されました。ヨセフは何をやっても上手くこなし、主人に信頼されました。主人から、全財産の管理を任せられるまでになりました。彼は若くて優秀、しかもマッチョなイケメンでした。当然のように、誘惑の危機がヨセフに忍び寄って来ました。主人ポティファルの妻が、毎日ヨセフを誘惑したのです。夫は仕事で忙しく留守がちで、妻のことはほったらかしだったのかもしれません。毎日言い寄られるのは、大変な誘惑でした。もしヨセフがその甘いささやきに負けたら、彼はそれまで手にした物全てを失ったはずです。私たちにも誘惑の危機がやって来るかもしれません。その時、何を選択するかが、大きな違いをもたらします。

 ヨセフは、誘惑に屈しませんでした(創世記39:9)。彼は、天地創造の神を信じていました。ヤコブの子として、アブラハム、イサク、ヤコブの神への信仰を受け継いでいました。誘惑に乗り、自分の主人を裏切ることは、神への裏切りでした。ヨセフはそう信じ、誘惑をはねのけたのです。ポティファルの妻は、プライドが傷つきました。ヨセフが襲って来たと、夫に嘘をつきました。その結果ヨセフは、牢屋に入れられます。でも彼は、一切言い訳をしませんでした。ポティファルのしもべである以上に、ヨセフは神に仕える誠実なしもべだったのです。罪の誘惑に勝利し、ヨセフは誠実の実を結びました。私たちも、同じ実を結ぶことができます。信仰により誘惑の危機を突破し、誠実の立派な実を結びましょう。

 第二に私たちは、知恵の実を結べます(創世記39:20)。牢屋に入れられたヨセフは、絶望の危機に直面していました。彼は兄弟の中で一番、父に可愛がられていました。兄たちが彼にひれ伏す夢も見ました。でも兄たちはヨセフを妬み、奴隷として売り飛ばしました。ヨセフは、ポティファルにも可愛がられていました。家の管理の全てを任されました。でもポティファルの妻はヨセフを中傷し、彼は投獄されました。悪いことをしていないのに酷い扱いを受け、全てを失ったのです。もし皆さんが同じ状況に陥ったら、どうでしょう。私なら、絶望するかもしれません。何もやる気がなくなるかもしれません。でもヨセフは、絶望しませんでした。監獄でもポティファルの家と同じく、全ての管理を任されたのです。

 ヨセフが監獄に閉じ込められても、神は彼とともにおられました。そして、夢を解き明かすチャンスと知恵を与えられたのです(創世40:8)。それは、ファラオの献酌官長と料理官長が投獄された時のことでした。彼らは過ちを犯し、ヨセフと同じ監獄に入れられました。2人はそこで、不思議な夢を見ました。ヨセフは神から知恵を頂き、2人の夢をそれぞれ解き明かしました。ヨセフが言った通りのことが起きたのです。その後ヨセフは、ファラオの夢を解き明かすチャンスもゲットしました。その時も彼は、神の知恵により見事に夢を解き明かしました(創世記41:39)。神は、私たちにも知恵を授けて下さいます。神の助けにより、私たちは絶望の危機を突破し、知恵の輝かしい実を結ぶことができるのです。

 第三に私たちは、愛と自制の実を結べます(創世記42:6)。ヨセフはファラオの夢を解き明かし、エジプト全土の支配を任されました。そこにカナンから、兄たちがやって来ました。飢饉で穀物がなくなり、買いに来たのです。ヨセフはすぐに兄たちだと分かりましたが、兄たちはヨセフが分かりませんでした。彼らが自分の前でひれ伏した時、ヨセフはずっと昔に見た夢を思い出しました。彼はその時、怒りや憎しみを爆発させる危機にありました。兄たちに復讐するチャンスでした。でもヨセフは、爆発しませんでした。その代わり昔、兄たちが犯した過ちを悔い改めているのか、確かめようとしました。私たちも時には、爆発しそうな危機があるかもしれません。でも爆発すれば、全てがぶち壊しになる恐れがあります。

 ヨセフは、ぶち壊しにしませんでした(創世記45:7)。自分は神に遣わされ、今この場所に置かれていると理解していたのです。ヤコブの家族を飢饉から救うため、ヨセフはエジプトの王宮の中に置かれました。それは、「アブラハムの子孫イエス・キリストを通し、全世界の人が祝福される」という神の壮大な計画の一環でもありました。ヨセフは神を愛し、自分の家族を愛していました。そして、怒りや憎しみが爆発する危機を突破できました。私たちも聖霊の力により、感情爆発の危機を乗り越えられます。そして、愛と自制の美しい実を結ぶことができるのです。

 危機の中に置かれても、神が私たちに良い実を結ばせて下さることを感謝しましょう。私たちはそれぞれ置かれた場所で実を結び、暗闇にイエス様の光を輝かせましょう。

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20)

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2020年4月19日 (日)

天の導きに従う

 全世界は今、大きな危機に直面しています。どうしたらこの危機を突破できるかが今、問われています。危機突破について聖書からどんなことが学べるのか、何回かにわたり考えてみましょう。第1回目の今日は、「天の導き」についてです。

 先週の復活祭の前日、ある牧師がコロナウイルス感染症で天に召されました。ジェラルド・グレン牧師、66歳です。彼はその2週間以上前に体調を崩し、何度か病院に行きましたが、持病の症状だと言われました。ところが1週間以上経って新型コロナ陽性と判定され、その8日後に死亡。彼の家族は夫人と子供3人、義理の息子1人の計5人が感染しました。この悲しい時に一緒に集まれないのが、最も辛いという話でした。グレン牧師は元警察官で、25年前にバージニア州でペンテコステ系の教会を開拓。その地域の警察署で、黒人として初めてチャプレン(警察署付き牧師)になりました。牧師夫人は、亡き夫についてこう語っています。「愛と思いやりに満ちた、正しい人でした。人々をただ愛していました。主がそんな愛を与えて下さったのだと信じています。」

 グレン牧師は、礼拝の自粛はしませんでした。それが、神の導きだったかどうかは分かりません。彼は体調を崩す前、たくさん集まった人々の前でこう宣言しました。「私は刑務所か病院に入らない限り、メッセージを語り続ける。」州知事は外出自粛を要請し、参加者が10人を超える集会を控えるよう呼びかけていました。しかしグレン牧師は、最期の説教の中でこう語ったそうです。「神はこの非常に恐ろしいウイルスより大きなお方だと、私は固く信じています。」

 残念ながらグレン牧師は、地上でメッセージを語る働きを終えました。多くの人が訃報を聞き、涙しました。でもこの最悪の状況にも、良いことがいくつかありました。グレン牧師は、復活の主イエスから永遠のいのちを受け取っていたこと。時が来たら、家族や世界中のクリスチャンと再会できること。牧師の家族は、回復中であること。家族も復活の主を信じ、この困難を乗り切ろうとしていること。そして今回、グレン牧師が払った大きな犠牲により、全世界に暗黙のメッセージが発信されたこと。「今は教会も、むやみに集まる時ではない」というメッセージです。これこそ神の導きではないかと、私は感じています。同牧師の娘さんは、こう語っています。「この重大性と深刻さを人々が理解してくれるよう、ただ願っています。自分自身だけでなく、私たちの周りにいるすべての人に関わると言われているからです。」

 神は、さまざまな方法で私たちにメッセージを発信されます。自然界の奇跡的な営みを通し、創造主なる神はご自身の知恵と力を示しておられます。聖書のみことばを通し、神は全世界に対する永遠の計画を語っておられます。そしてイエス・キリストの十字架と復活を通し、神は全人類に対する深い愛と永遠のいのちの道を伝えておられます。私たちがどんな危機に直面しても、神の愛は決して変わりません。私たちが危機を突破する道を、神は備えておられます。

 信仰の父アブラハムは天の導きに従い、数々の危機を乗り越えました。私たちも同じようにして、危機を突破できるのです。今日はアブラハムの歩みを通し、私たちはどんな危機を突破できるのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、変化の危機を突破できます(創世12:1)。神は、アブラハムに語りかけられました。「これまで慣れ親しんだ土地や人々、生活から離れなさい。見ず知らずの土地で新たな生活を始めなさい。」天の導きでした。それは、アブラハムの生活が大きく変わることを意味していました。彼はその時、75歳でした。今の感覚なら、たいていの人はその年齢になると、大きな変化は望まないかもしれません。年を取れば、多くの人は安定を求めます。今まで通り同じことをするなら、結果はだいたい予想がつきます。でも何かを変えると、結果の予想がつかなくなります。いきなり、危機に陥るリスクもあります。新型ウイルスの感染爆発で、多くの教会の働きがオンラインに切り替わりました。それがどんな結果になるのか、今は予想がつきません。世界中のクリスチャンは今、アブラハムのように先の見えない未来に向かっているのです。

 神は、アブラハムに約束を与えられました(創世12:2-3)。「アブラハムを祝福し、彼を通して世界中の人が祝福される」という約束です。もしこの素晴らしい約束を信じなかったら、アブラハムは生活を変えようと思わなかったかもしれません。いままでと同じで、それなりに安定した生活を続けたかもしれません。後世の人は、誰も彼の名を覚えていなかったかもしれません。でもアブラハムは、神の祝福の約束を信じました。そして未知の世界に一歩踏み出しました。祝福を全世界に届けるため、敢えて危険を冒しました。そして彼は、変化の危機を突破したのです。イエス・キリストを信じる人は、この祝福の約束を受け継いでいます。私たちは、周りの人に永遠のいのちの祝福を伝えることができます。天の導きに従い、私たちも今直面する変化の危機を突破できるのです。

 第二に私たちは、待機の危機を突破できます(創世15:3-4)。アブラハムとサラは長い間、子供ができることを待ち続けました。でも、80歳近くになっても与えられませんでした。アブラハムは、使用人に全財産を譲ろうと思っていました。でも神は、さらに待ちなさいと言われたのです。待つのは、辛いです。今は、多くの人がコロナ問題の終息を待っています。学校の再開を待っています。どこにでも自由に行き、自由に集まれる時を待っています。クリスチャンは思い切り賛美を歌い、交わりを楽しめる時を待っています。でも神は今、私たちに「待ちなさい」と言われているようです。アブラハムとサラは、待ちきれなくなりました。女奴隷ハガルにアブラハムの子を産ませました。それで問題が起きました。じっと待っていれば、もっと良いことが起きたのです。

 それは、神の偉大な奇跡でした(創世21:1-2)。年老いたサラが、アブラハムの子を産む奇跡です。そんな奇跡が起こるとは、誰も予想しませんでした。神の導きに従い、待っていれば、私たちも奇跡を体験できるかもしれません。思いも寄らない、素晴らしいことが起きるかもしれません。ただじっと待つ時は、なかなか良いことが起きるとは考えられません。外から悪いニュースばかり聞こえてきます。友人と会い、ストレス解消もできません。気分が落ち込みます。「コロナうつ」になりそうです。家族で一緒に過ごす時間が増え、イライラする人もいるようです。家庭内の虐待や「コロナ離婚」の恐れもあります。でも私たちは神の憐れみを信じ、この待ち時間の先にある神の祝福を期待することができます。天の導きに従い、待ち時間の危機を突破できるのです。

 第三に私たちは、犠牲の危機を突破できます(創世22:1-2)。神はアブラハムに、大きな犠牲を求めました。約束の子イサクを生け贄として献げなさいと言われたのです。これはアブラハムにとって、「天の導き講座」の卒業試験のようでした。彼がそれまで学んだことを十分に活かせば、合格点をとれる試験でした。世界中で今、同じような試験が行われています。天に導かれ、多くの人が犠牲を払っています。医療関係者。福祉施設や保育園で働く人。警察官や消防署員、自衛官。政府や自治体、マスコミの人。その他、やむを得ず電車通勤する人。あるいは休む人。多くのクリスチャンは、一カ所に集まることを犠牲にしています。一日中パソコンの前に座り、オンラインで祈り、他の人を励ます人もいます。多くの人が今、「天の導き講座」の試験中なのです。

 試験に合格したアブラハムには、神が2つの素晴らしいプレゼントを用意されていました(創世22:15-18)。1つは、イサクの身代わりとなる雄羊。この雄羊は、全人類の身代わりとなったイエス様の象徴でした。もう1つのプレゼントは、アブラハムの「子孫」による祝福の約束です。この子孫というのも、イエス様のことです。イエス・キリストを信じる人は、誰でもこの祝福を受けられます。私たちは今、この素晴らしい知らせを全世界に伝える使命を担っています。イエス様は私たちを愛し、大きな犠牲を払って下さいました。今度は、私たちが愛をもって犠牲を払う番です。救い主イエスを信じる人は、聖霊の助けを得て、「天の導き講座」の試験に合格できます。大きな犠牲を伴う危機も突破できるのです。

 神が私たちを導き、危機を突破させて下さることを感謝しましょう。私たちは天の導きに従い、今直面しているこの危機を突破していきましょう。

「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。』」(創世記12:1)

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2020年4月12日 (日)

原点に立ち返る

 今日は「イースター」、復活祭です。全世界で20億人以上いるクリスチャンが、救い主イエス・キリストの復活をお祝いする日です。ただお祝いの仕方は、これまでと全く異なる教会が多いようです。3月後半に米国で行われたある調査を見ても、教会は明らかに変化しています。82%の牧師が、教会の働きはすでに変わったと回答しました。45%の牧師が、復活祭はインターネット礼拝にすると言いました。13%の牧師は、録音メッセージを配布する予定と答えました。日本でも、首都圏の教会はオンライン中継だけの礼拝が増え、会堂を閉鎖する教会も目立っています。4月、5月に予定されていた各種イベントも中止か延期、または無観客のライブ配信です。これまでクリスチャンは、誰かに声を掛け、「ここに来て下さい」と誘うことがほとんどでした。でも今は、それが全くできない状態です。私たちは今、考え方をシフトさせるべき時なのかもしれません。

 かつて、全世界の中心はエルサレムだった時期がありました。神は、人類の代表としてアブラハムを選ばれました。神を礼拝する生き方の手本にするためです。アブラハムは、後にエルサレムとなるモリヤの山に祭壇を築き、神を礼拝しました。一匹の雄羊をイサクの身代わりの生け贄としました。モーセの時代、礼拝の中心は幕屋になりました。ポータブルの礼拝所です。幕屋はユダヤ人とともに荒野を旅し、約束の地に入りました。幕屋の一番の中心は、契約の箱でした。ダビデは、この契約の箱をエルサレムに運び入れ、そこを礼拝の中心地としました。彼は自分で賛美の歌も書き、最高レベルのワーシップチームを編成しました。ソロモンの時代には、壮大な神殿が完成しました。エルサレムは、天地創造の神を礼拝する人々が集まる、世界で最も重要な「聖地」になったのです。

 イエス・キリストは、この人の流れを反転されました。イエス様が十字架についたのは、エルサレムの町外れです。全人類の身代わりの子羊として、自ら生け贄となりました。しかしイエス様は死からよみがえり、時代の流れが変わったのです。エルサレムに人が集まるのではなく、そこから人が送り出される時代となりました。復活の主イエスを信じる人には、聖霊が注がれ、神が心のうちに住まわれます。信じる人一人ひとりが、「モバイルの聖地」とされるのです。私たちは今、世界中どこでも神を礼拝できます。何人か集まれば、私たちは互いに励まし、支え合うことができます。一人の時も、私たちはいつでもどこでも神を礼拝できます。神は私たちを深く愛し、いつでもどこでもいつまでも、ともにいて下さいます。この嬉しい知らせを今、私たちは全世界に届けているのです。

 多くのクリスチャンが、どこかで迷子になっていたかもしれません。特定の場所にできるだけ多く人を集めようと、熱中し過ぎたかもしれません。それが自分の使命だと信じ込んでいたかもしれません。でもイエス様の弟子たちは、全世界に送り出されました。エルサレムに人を集めるためでなく、信じた人をさらに別の場所に送り出すためです。復活の主を信じる信仰が、世界中に拡がりました。病と死をもたらすウィルス感染ではなく、癒しといのちをもたらすキリスト信仰の拡大です。一つの場所に集まりにくい今は、クリスチャンが原点に立ち返る良い機会です。私たちの出発点を振り返り、これからどこに向かうべきなのか、神の導きを求めましょう。

 復活のイエス様は、私たちの生き方の原点を示して下さいました。今日はマタイ28章を通し、私たちの原点についていくつか考えてみましょう。

 第一に私たちには、出会いという原点があります(1-2節)。日曜日の朝早く、2人の女性がイエス様のお墓を見に行くと、天使と出会いました。天使は、天からの重要なメッセージを伝えに来たのです。「イエス様はよみがえられた。弟子たちは、ガリラヤに行けばイエス様に会える」という内容のメッセージです。女性たちは、この重要なメッセージを弟子たちに伝えに行きました。神は、私たち一人ひとりに大切な出会いを用意しておられます。天からのメッセージを受け取るための出会いです。私は遠い昔、幼稚園の先生からメッセージを受け取りました。同じ学校で学んだ友人たちからもメッセージを受け取りました。訪れた教会の人たちからもメッセージを受け取りました。皆さんのところにも、神は誰かを遣わされたはずです。自分の家族かもしれません。友人かもしれません。中には、天使と出会った人もいるかもしれません。神は、重要なメッセージを伝えるため、私たちにさまざまな出会いを用意されるのです。

 弟子たちのもとに向かった2人の女性は、途中でイエス様と出会いました(9節)。イエス様は彼女らの目の前に現れ、復活した姿を見せて下さいました。天使のことばに間違いがないことを自ら示されたのです。イエス様は、私たちにもさまざまな形でご自身の姿を現して下さいます。イエス様の夢や幻を見る人もいます。声を聞く人もいます。誰かの行為を通し、イエス様の愛を感じる人もいます。聖書のことばを通し、イエス様の姿をイメージする人もいます。もちろん伝道メッセージを通し、イエス様と出会う人もいます。創造主がなさることは、実にクリエイティブです。さまざまな方法を用い、イエス様は私たちと出会って下さいます。その出会いが、私たちの生き方の原点となっているのです。

 第二に私たちには、選択という原点があります(12-13節)。墓を見張っていた番兵たちは、何が起きたかをユダヤ人指導者たちに報告しました。天使が来た時の恐ろしい状況も、全て報告したはずです。でも指導者たちは、彼らの言うことを信じませんでした。報告を信じないという選択をしたのです。それだけではありません。番兵たちを買収し、嘘を言い広めなさいと命じました。嘘を拡散する選択です。何を信じ、何を信じないかを、私たちは自ら選ぶことができます。何を人に伝えるかの選択も、私たちの手の中にあります。もし嘘を信じるなら、嘘で塗り固められた世界に生きることになります。嘘を言い広める協力もします。天地創造の神はいないと信じる人がいます。そう言い広める人もいます。イエス・キリストは神でないと信じ、そう人に伝える人もいます。何を選択するかで、私たちの生き方が変わるのです。

 番兵たちは、嘘を言い広める選択をしました(15節)。残念ながら多くのユダヤ人もまた、その話を信じる選択をしました。でもこの後、ペンテコステの日以来、イエス・キリストを信じるユダヤ人はどんどん増えて行きました。彼らは嘘ではなく、真実を信じる選択をしたのです。イエス・キリストが、墓の中からよみがえられたという真実です。クリスチャンは誰でも、ある日どこかでこの選択をしています。それが、その人の生き方の原点となっているはずです。私も24歳の時、イエス・キリストを信じる選択をしました。それが、私の原点となりました。真実を選ぶ選択をし、それが今も私の生き方の原点であることを感謝しています。

 第三に私たちには、使命という原点があります(18-19節)。イエス様はガリラヤで弟子たちと会い、彼らの使命は何かを語られました。あらゆる国の人々を弟子とすることです。弟子とは、イエス様を師と仰ぎ、イエス様から学ぶ人のことです。バプテスマ=洗礼とは、弟子入りの宣言です。洗礼を受ける人は、イエス・キリストの弟子になることを神と人の前で宣言します。洗礼を授ける人は、その人が弟子の仲間入りしたことを公に宣言するのです。クリスチャンにとって、洗礼も原点の一つです。イエス様に学ぶ生き方が、そこから正式に始まるからです。

 イエス様の弟子として、私たちはその教えを学びます(20節)。教え通りに生きようと力を尽くします。弟子の使命は新たな弟子をつくることだと、イエス様は教えられました。弟子たちはその使命を担い、世界中に送り出されて来ました。私たちも今、同じ使命が与えられています。それぞれが遣わされた場で、弟子づくりをする使命です。この使命も、私たちの原点の一つです。今は、人と接することが難しい状況です。でも今、私たちは電話やメールやSNS等を通し、人とつながることができます。ビデオ通話やインターネット礼拝も可能です。弟子づくりの使命という原点に立ち返り、新たな方法にチャレンジして行きましょう。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。・・・』」(マタイ28:18-19)

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2020年4月 5日 (日)

暗闇に一筋の光を見る

 世界は今、非常事態です。辞書によると、非常事態とは「突然起こった、いつもと異なる状況」のこと。コロナウィルスの感染爆発で、全世界はこれまでと全く違う状況になっています。ウィルスの感染者や死者が日々増え続けています。英国の首相も感染しました。志村けんさんは亡くなりました。感染者が入った病室や火葬場に、家族や親族は一切行けないそうです。医療スタッフの感染も増加しています。病院でもマスクや防護服、消毒用アルコールが不足しています。ベッドや人工呼吸器も足りなくなりそうです。スーパーやコンビニでは、トイレットペーパーが売り切れたりします。銀座や渋谷から人波が消え、上野公園の花見客はいなくなりました。多くの人が、経済的な危機にあります。精神的な疲れがたまり、「コロナうつ」になる人も増えそうな状況です。

 こんな時は、天を見上げることが大切です。全てを造られた神を見上げることです。聖書の中には、天を見上げ、非常事態を乗り切った人がたくさん登場します。ヤコブはある時、非常事態に直面しました(創世記27:41-28:22)。兄を怒らせ、殺されそうになったのです。たった一人で家を出た時、彼は不安で一杯だったはずです。そんなある夜、ヤコブは夢を見ました。神が夢の中で、ヤコブにこう語られました。「私はあなたとともにいる。あなたがどこに行ってもあなたを守り、あなたをこの地に帰らせる。わたしは、必ずこの約束を果たす。」ヤコブは、非常事態に天を見上げることができました。そして彼は、さまざまな困難を乗り切ったのです。

 モーセは、紅海のほとりで非常事態に陥りました(出エジプト14章)。ユダヤ人を引き連れ、やっとエジプトを脱出した直後です。ファラオとその軍勢が追っかけて来ました。「皆殺しにされる」と、ユダヤ人たちは恐れました。彼らは、モーセにこう文句を言いました。「ここでわれわれを殺すために、エジプトから連れ出したのか。」目の前は海。背後にはエジプト軍。逃げ場は、どこにもありません。でもモーセは、天を見上げることができました。神が救って下さると、モーセは信じていたからです。その信仰通り、神はユダヤ人に勝利を与えて下さいました。海が二つに分かれ、逃げ道が与えられました。水が元に戻ると、敵は全滅しました。モーセも天を見上げ、非常事態を乗り切ったのです。

 ダビデは、何度も非常事態に遭遇しました。その一つは、疫病でした(Ⅱサムエル24章)。国のトップが罪を犯した結果、イスラエルに疫病の感染爆発が起きたのです。死者は7万人でした。この時、ダビデ王は天を見上げました。悔い改め、神の赦しを求めました。神を礼拝し、必死に祈りました。すると神は彼の祈りを聞き、疫病は終息しました。ダビデも天を見上げ、非常事態を乗り切ったのです。

 キリストの十字架は、全世界の非常事態でした。人々に裏切られ、全世界の王が処刑されたのです。天から地に下った救い主が殺害されました。人類の希望の光が、消えたようでした。でもその闇の中、一筋のかすかな光を見た人もいました。こう信じた人です。「どんな非常事態でも、その全てをコントロールできる神がおられる。イエス様は、確かにその神の子だ。」

 私たちも、この非常事態の中で天を見上げましょう。天から地の闇を照らす、一筋の光を見出しましょう。キリストの光に力を得、非常事態を乗り越えて行きましょう。

 イエス様は私たちの罪を背負い、暗闇の世界に一筋の光を輝かせて下さいました。今日はマタイ27章を通し、どうしたらその光が見えるのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、聖書のみことばを通して光を見ることができます(1-2節)。ユダヤ人の指導者たちは、イエス様を死刑にしようとしていました。彼らにとり、イエス様は邪魔者だったのです。自分たちの立場を脅かされたくないと思っていました。ただ死刑にするには、ローマ総督ピラトの承諾が必要でした。彼らの国は当時、ローマ帝国に占領されていたためです。彼らはよく分かっていませんでしたが、イエス様の死刑は旧約の時代から預言されていました。イエス様は、モーセが教えた「過越のいけにえ」でした。イザヤの預言通り、人々の罪を背負い、自分の命をささげられました。ダビデが歌ったように、死の直前に人々のために祈りました。旧約の預言を通し、私たちはイエス様が約束の救い主だと信じることができます。

 イエス様が成就した預言は、他にもたくさんありました(9-10節)。ユダはイエス様を裏切った時、指導者たちから銀貨30枚をもらいました。それは、奴隷の値段でした。イエス様が捕まった後、ユダは自分のしたことを後悔しました。まさか死刑になるとは、思ってなかったのかもしれません。自分の罪の重さに耐えきれず、ユダは自殺しました。その時、彼は銀貨を投げ捨てましたが、それは陶器師の畑を買う代金になりました。この銀貨30枚と陶器師の畑についても、旧約の預言者たちが預言していたのです。イエス様は、そんな細かい預言も全て成就されました。ご自身が約束の救い主であると、自ら証明されたのです。私たちは聖書を詳しく調べ、イエス様の真実を確かめることができます。そのようにして、暗闇の中に一筋の光を見ることができるのです。

 第二に私たちは、人々の証言を通して光を見ることができます(19節)。イエス様が捕えられた夜、ローマ総督ピラトの妻は嫌な夢を見ました。無実のユダヤ人が死刑になり、その結果、自分が苦しむ夢です。自分の夫が間違った判決を下す夢だったのかもしれません。彼女は、裁判中の夫に伝言を届けました。「その無実の人を有罪にしないで」というお願いです。ピラトの法廷には、誰もイエス様の味方がいませんでした。被告側の弁護人も証人もいませんでした。イエス様が有罪だと訴える人しかいなかったのです。イエス様自身も、一切自己弁護をしませんでした。その中でたった一人、無罪を主張したのは、ピラトの妻です。彼女が、創造主なる神を信じていたかどうかは分かりません。でも彼女の夢は、おそらく神が見せて下さったのでしょう。私たちは彼女の証言を通し、暗い法廷に一筋の光が差した光景を思い描くことができます。

 総督ピラトは結局、自分では判決を下しませんでした(24-25節)。ユダヤ人たちがすることに許可を与えただけです。ピラトも、イエス様の無実を証言したのと同じ状況でした。ローマ帝国の法廷は、イエス様が無罪なのに死刑になったと認めたのです。罪を犯したのは、ユダヤ人指導者や群衆たちでした。罪のない人に罪をかぶせ、殺害したのです。イエス様は罪がなかったのに、人々の罪のゆえに死なれました。自分の命を奪う人々のためにも、その罪が赦されるように祈りました。私たちは、イエス様の無罪を証言する言葉を通し、神の愛を思うことができます。闇におおわれた地に差し込む、一筋の愛の光を見ることができるのです。

 第三に私たちは、自らの体験を通して光を見ることができます(45、51節)。イエス様が死なれる時、不思議なことがいくつも起きました。辺り一帯が突然暗くなりました。日食だったかもしれません。岩に亀裂が入るほどの大きな地震もありました。エルサレムの神殿では、仕切りの幕が真っ二つに裂けました。それらの出来事はみな、救い主の死を告げ知らせていました。一つの時代が終わったという知らせでもありました。私たちは天変地異を通し、何かを感じることがあります。異常気象や地震、津波がきっかけで、天を見上げる人もいます。暗闇を経験し、光を求めるようになるのです。

 その他にも、いろいろ変わったことが起きました(52-54節)。百人隊長たちはその様子を見て、イエス様が確かに神の子だと思ったようです。私たちの周りにも、いろいろ変わったことが起きます。今まで見たことも聞いたこともない病気が、あっという間に世界中に拡がることもあります。この感染爆発により、一つの時代が終わったのかもしれません。私たちは今、目に見えない新たな敵と戦う新たな時代を体験しています。世界中に、闇が広がりつつあるようです。でもその中で、私たちは天を見上げることができます。天から差し込む一筋の光を見て、その圧倒的な力により、この戦いを勝ち抜くことができるのです。

 イエス様が、暗闇の世界に一筋の光を照らされたことを感謝しましょう。私たちは、どんな時にも主の光を見て進んで行きましょう。

「百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。『この方は本当に神の子であった。』」(マタイ27:54)

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2020年3月29日 (日)

神のみこころを願い求める

 「なぜ自分はこんな目に遭うのか」と思うことが、時にはあるかもしれません。今は特にそんな状況です。コロナウィルスに感染し、症状が悪化する人がいます。その人の家族がいます。経済が停滞し、大きな被害を受けている人もいます。東欧のクロアチアでは先週、悪いことが重なりました。日曜の朝6時半、大地震が発生したのです。クロアチアの首相は、国民にこう呼びかけました。「感染拡大を防ぐため、人との間に距離を保ちながら屋外に避難してください。」避難するのも大変です。日本では、東京オリンピックの延期が決まりました。代表に決まった選手たちや大会関係者、チケットを買った人たちなどは今、大混乱です。「なぜこんな目に?」と思う人も、中にはいるかもしれません。

 私たちの人生は、ある日突然、大荒れになることがあります。9年前の3月、私たちはそれを経験しました。その日は、いつもと同じように始まりました。大きな揺れを感じた瞬間、私は自宅のトイレにいました。夕方から都心部に出て、中学時代の同級生と会食の予定でした。メールが来て、予定はキャンセル。でもすでに都心部にいた友人は、帰宅難民になったようです。私たちの教会堂には、大きな被害はありませんでした。わが家では、お米やガソリンがなくなりそうでした。当時は、育ち盛りの子が2人いました。でも私が自転車で走り回った頃はもう、お米はほとんどの店にありませんでした。その頃、私は教団の代表でもあったので、そちらの対応にも迫られました。メディアは、悲惨なニュースを次々に報道していました。時間とともに死者や行方不明者の数が、どんどん増えました。「なぜ自分がこんな目に遭うのか」と思う人は、たくさんいたのではないかと推察します。

 聖書にも、いきなり大きな災難に遭った人が出て来ます。先週ちょっとお話した、ヨブです。ヨブは、誠実で真っ直ぐな人でした。悪事に手を染めませんでした。7人の息子と3人の娘に恵まれ、経済的にも豊かでした。神に祝福され、平和で幸せに暮らしていました。ところがある日突然、立て続けに災いがやって来ます。財産を全て失い、子供たちは全員死亡。ヨブ自身も重い病気にかかりました。彼の妻はそれを見て、こう言いました。「神を呪って死になさい。」(私は自分の妻に「こうは言わないでくれ」とお願いしています。笑)ヨブの親しい友人が3人来ると、さらに追い討ちをかけます。お見舞いに来たのに、「災難は全てヨブの責任だ」と責め始めたのです。追いつめられたヨブは、ついにこう言いました。「私は何も悪くないのに、神がこうされた。」すると、神はヨブに答えられました。一言で言うと、こういう回答です。「おまえに何が分かる。」このことばを聞き、ヨブは悔い改めました。その後、彼の健康は回復し、財産は以前の2倍になりました。再び7人の息子と3人の美しい娘に恵まれました。神は人の思いを遙かに超える祝福で、ヨブの後半生を豊かに満たされたのです。

 イエス様は、「なぜ自分がこんな目に」と思えるような苦難を耐え忍ばれました。全ての人の罪を代わりに背負い、十字架につかれたのです。それは、天の父のみこころでした。私たちの人生には、理解できないことがたくさん起こります。でも神は、人の思いを遙かに超える計画を持ち、全てを益として下さいます。どんな時にも全知全能の神に信頼し、みこころがなるように願い求めて行きましょう。

(ここまでは通常のブログで、礼拝メッセージの導入部。以下は、メッセージの後半部分になります。)

 イエス様は、みこころを願い求める模範を私たちに示して下さいました。今日はマタイ26章を通し、神のみこころについて考えてみましょう。

 第一に、神のみこころは私たちが神を礼拝することです(12-13節)。イエス様は、エルサレムのすぐ近くのベタニアまで来ていました。マルタ、マリア、ラザロの3人兄弟が住んでいた町です。その町で、ある女性がイエス様の頭に香油を注ぎました。弟子たちが「もったいない」と思うほど、非常に高価な香油でした。なぜ女性は、そうしたのでしょう。イエス様がメシア=油注がれた王だと、おそらく信じていたからです。イエス様に油を注いだのは、イスラエルの王でも祭司でも預言者でもありません。社会的に何の影響力も持たない、名もない一人の女性です。これは、当時のユダヤ人社会でイエス様が置かれていた危険な立場を象徴する出来事でした。まさに「埋葬の準備」だったのです。イエス様はイスラエル、そして全世界の王です。同時に苦難のしもべであり、全ての人のために命を捨てに来られました。イエス様に油を注ぐことは信仰の告白、礼拝の行為であり、イエス様はこの女性がしたことを喜ばれました。私たちも今、彼女の信仰に心を合わせましょう。イエス様をメシアと信じ、このお方を心から礼拝しましょう。

 イエス様はその後、弟子たちと過越の食事をともにしました(27-28節)。最後の晩餐です。過越の祭りは、エジプトからの解放を祝うイスラエルの祭りです。今年は、あと10日ほどで始まります。モーセの時代、神はユダヤ人にこう命じられました。「家族ごとに一匹の羊を生け贄にしなさい。その血を家の門柱と鴨居に塗りなさい。その血を塗った家は、死の災いから救われる。」イエス様は、この過越の生け贄でした。イエス・キリストを信じる人は、神が新しい契約を結んで下さいます。キリストの血により、罪と死の呪いから救われる契約です。この契約を可能にするため、イエス様は自ら過越の生け贄になって下さいました。イエス様の尊い犠牲に感謝し、礼拝をささげましょう。私たちの礼拝する心を見て、イエス様は喜んで下さいます。

 第二に、神のみこころは私たちが神に祈ることです(31節)。最後の晩餐の後、イエス様は祈るため、ゲッセマネの園に向かいました。ゲッセマネは、エルサレムの東側にあるオリーブ山の麓にありました。道すがら、弟子たちはイエス様とお話しする時がありました。これから何が起きるか、イエス様は弟子たちに教えて下さいました。弟子たちは、語られたことばに応答しました。でも、素直な応答ではありませんでした。私たちは祈りの中で、似たような体験をするかもしれません。祈っている時、神が私たちに語りかけて下さるのです。聖書のみことばを通して、語りかけられることもあります。私たちは、語られたみことばに素直に応答しましょう。祈りを通して神と対話することを、神は喜んで下さいます。

 ゲッセマネでイエス様は、3度祈りの時を持たれました(39、42、44節)。3回とも、ほぼ同じ祈りでした。父のみこころを確認する祈り。そして、十字架で死ぬ覚悟を固める祈りです。私たちもさまざまな場面で導きを求め、みこころを確認する祈りをします。神を信じ、洗礼を受ける決心をする祈り。人生を左右する大きな選択肢がある時、神の導きと祝福を求める祈り。大きな困難に直面し、どうすべきか導きと助けを求める祈り。今は、まさにそういう時です。祈りを通し、私たちは神のみこころを知ります。神が導きを与えて下さいます。私たちが祈る時、神は喜んで聞いて下さるのです。

 第三に、神のみこころは私たちが神を証しすることです(57-58節)。イエス様は逮捕され、大祭司の家に連行されました。それは、イエス様が選んだ道でした。つまりイエス様は、自ら望んで大祭司の家を訪れたとも考えられます。約束を必ず守られる、神の真実を証しするためでした。ペテロもイエス様について、その家に一緒に行きました。イエス様について行くこと自体は、神のみこころだったのかもしれません。私たちも、行くべき場所に聖霊が導いて下さいます。神の真実を証しする場所です。時には、思わぬ場所に導かれるかもしれません。日々、聖霊の導きを求めつつ、行動して行きましょう。

 イエス様は、ここで重要な証言をしました(63-64節)。ご自身がメシア=油注がれた王であることを認めたのです。死を覚悟しての証言でした。残念ながらこの時、ペテロは勇気ある証言ができませんでした。自分はあの人を知らないと、3回言ったのです。それは、神を悲しませる言葉でした。皆さんなら、どうしますか。自分の力では、勇気をもって証言できないかもしれません。でも聖霊は、私たちに力を注いで下さいます。神に喜ばれる証言ができるよう、聖霊が私たちを助けて下さるのです。

 イエス様が、みこころを願い求める模範を私たちに示して下さったことを感謝しましょう。私たちは神のみこころを求め、みこころを行う生き方をして行きましょう。

「イエスは再び二度目に離れて行って、『わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように』と祈られた。」(マタイ26:42)

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