2020年8月 2日 (日)

しもべのネットワークを広げる

 今年5月、「結婚相手に望む勤め先」について、ある調査が行われました。20代から50代の男女800人が回答したそうです。1位は国家公務員で、全体の39.3%。2位は地方公務員で、39.1%。合計すると、約8割の人が公務員との結婚を望んでいるようです。昨年は国家公務員が14.3%、地方公務員が12.7%だったので、今年は3倍ほどに増えました。新型コロナの影響のようです。調査した会社は、こんなコメントを残しています。「失業や収入減少への不安感が社会全体で増している中で、雇用や収入が安定しているイメージの強い公務員に人気が集中した。」

 ただ公務員と結婚しても、全てが安泰ではありません。時には、思いもしない不幸に見舞われることもあります。岡山出身の雅子さんは、残念ながらそんな辛い経験をしました。彼女は23歳の頃、薬局の同僚から公務員の男性を紹介されました。彼は8つ年上の31歳で、同じ岡山の出身。大きな声でよく笑う人で、明るくて誠実そうでした。2回目のデートで「結婚しよう」とプロポーズされ「はい、お願いします」と答えたそうです。26年前のことでした。

 男性の名は赤木俊夫さんで、勤務先は財務省の近畿財務局でした。俊夫さんは真面目な人で、「僕の契約相手は国民です」というのが口癖だったそうです。大切にしていた「国家公務員倫理カード」には、こんな質問がありました。「国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか」、「職務や地位を私的利益のために用いていませんか」、「国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか」。彼はこれらの原則に違反したと思い悩み、2年前、自ら命を絶ちました。妻の雅子さんは、当時をこう振り返っています。「国民の皆さんに死んでおわびすることにしたんだと思う。」

 公務員は、社会に対して大きな責任を負っています。日本国憲法第15条も、こう記しています。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」公務員を意味する「公僕(公のしもべ)」という言葉がありますが、これは「public servant」の訳語として明治時代に造られたようです。それ以前の時代は、「下々がお上に仕える」のが常識でした。「お上が下々に仕える」という発想は、ほとんどなかったはずです。第2次大戦後に定められた今の憲法には、「公僕」としての公務員の位置づけがはっきり示されています。赤木俊夫さんは、この原則を忠実に守りたかったのでしょう。先日始まった裁判を通し、真実がさらに明らかにされることを願っています。

 イエス・キリストは世界全体のしもべとなり、全ての人の罪を背負って死なれました。そして弟子たちにも、しもべとしての生き方を求められました。それは、弟子たちにとって新しい生活様式でした。彼らが属した社会も、「下々がお上に仕える」文化だったからです。イエス様は「メシア=油注がれた王」だと、弟子たちは信じていました。イエス様が即位すれば、自分たちは最高権力者の「お友達」で、側近になれると期待していました。一番偉くなるのは誰か、互いに張り合っていました。でもイエス様が彼らに命じたのは、人々に奉仕することだったのです。イエス・キリストの弟子になったら、「偉い人」になるのではなく、しもべの仲間に入ります。私たちは、世界中にしもべのネットワークを広げる働きに招き入れられているのです。

 今日はヨハネ13章を通し、この「しもべネットワーク」拡大のため大切なポイントについて考えてみましょう。

 第一に大切なポイントは、しもべの国王を知ることです(ヨハネ13:4-5)。イエス様は最後の晩餐の場で、弟子たちの足を洗われました。十字架の前の最後の交わりを通し、イエス様は弟子たちに重要な教訓を教えられたのです。足を洗うのは、しもべの役割でした。当時のユダヤ人は、たいていサンダルを履いていました。木やシュロの皮、アザラシの皮等で作った底に皮ひもを通し、足に結びました。道はほこりだらけだったので、サンダルで歩けば当然、足は汚れました。家の中に入る人は足を洗いましたが、それはその家のしもべの仕事だったそうです。弟子たちは、足を洗う人がどこにいるのかとキョロキョロ探していたかもしれません。すると、なんとイエス様がたらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い始めたのです。イスラエルの国王が、彼らのしもべになって下さいました。

 これを見た弟子たちは、たいへん驚きました(ヨハネ13:8)。特にペテロは、そんな恐れ多いことをしてほしくないと思いました。国王は、国王らしくしてほしいと彼は思ったのです。ペテロはイエス様に、自分の足は決して洗わないでくれとお願いしました。するとイエス様は、こう答えられました。「もし洗わないなら、あなたと私の関係はもう終わりだ。」ここでイエス様が伝えられたメッセージは、重要でした。それは、「天の御国の王は全ての人のしもべだ」というメッセージでした。天地創造の神は全世界の人を愛し、仕えておられます。その重要な真理を、弟子たちは知る必要がありました。イエス様は今、私たちにも同じメッセージを語っておられます。イエス様が全世界の王であり、同時にしもべであることを、私たちは知る必要があるのです。

 第二に大切なポイントは、しもべの国王にならうことです(ヨハネ13:14-15)。イエス様の行動は、弟子たちが見習うべき模範でした。最高権力者の行動は、国民に影響を及ぼします。国のトップが一般庶民に心を配り、全体に奉仕する無私の姿勢を貫くなら、多くの人は喜びます。指導者の立派な姿に心打たれ、自分もそんな生き方をしたいと願う人もいるかもしれません。でも、もし国のトップがそれと真逆の生き方をしたら、多くの人に悪影響が及びます。「そんな生き方でも良いんだ」と考える人が増えるからです。ソロモン王以降のイスラエルが、そうでした。多くの国王が悪い見本を示し、国民はそれにならいました。その結果、国が滅びました。イエス様は国王として、最高の模範を示されました。そして弟子たちに、その模範にならう生き方をするよう命じられたのです。

 この命令を守る人は神に祝福され、天の祝福の管となることができます(ヨハネ13:16-17)。父なる神は、御子イエス・キリストをこの世に遣わされました。イエス様はしもべとして人々に仕え、十字架で命を捨てられました。そしてイエス様は復活のいのちの祝福を受け、その祝福を全世界に流す管となられたのです。天の父がイエス様をこの世に送り出したように、今度はイエス様が弟子たちを世界中に送り出されました。彼らも神に祝福され、天の祝福の管として用いられました。今もクリスチャン一人ひとりが、イエス様に送り出されています。しもべのように仕える人を、神は祝福して下さいます。永遠の祝福を伝える管として、神が用いて下さいます。しもべのように仕えたイエス様にならい、私たちは世界に拡がるしもべのネットワークに参加できるのです。

 第三に大切なポイントは、国王の愛を伝えることです(ヨハネ13:20-21)。イエス様は、弟子たちを深く愛しておられました。3年半にわたり弟子たちと一緒に生活し、神の限りない愛を伝えられました。その愛を世界中に伝えるため、弟子たちに最高の訓練を施されました。最後の晩餐の場で弟子たち全員の足を洗ったのも、彼らがその愛を体験し、理解を深めるためでした。でも残念ながら、弟子の中には最後までその愛を受け取らない人がいました。イスカリオテのユダです。彼は結局、イエス様のことを何も理解しなかったようです。天の御国の王がしもべとなり、神の愛を伝えようとした真実を、最後まで受け取りませんでした。それでもイエス様は、最後までユダを愛されたのです。

 他の弟子たちに対し、イエス様は「互いに愛し合いなさい」と命じられました(ヨハネ13:34-35)。私たちが愛をもって互いに仕え合う時、その姿を見た周りの人は、イエス様の愛を知ることができます。互いにいがみ合っていたら、イエス様の愛は伝わりません。弱い人や困っている人を無視しても、愛は伝わりません。今はコロナ禍でいろいろたいへんですが、私たちはできる限り周りの人に目を配りましょう。そして天の御国の王なるイエス様の限りない愛を、周りの人に伝えていきましょう。

 イエス様が、私たちをしもべのネットワークに加えて下さったことを感謝しましょう。そして、このネットワークをさらに広げていきましょう。

「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。」(ヨハネ13:14)



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2020年7月26日 (日)

天来のビジョンを信じる

 日本は他国と比べ、オンライン教育が遅れているそうです。コロナの感染拡大に伴い、世界各国の学校が閉鎖されると、多くの国でオンライン教育が導入されたようです。米国では3月以降、多くの学校がオンライン授業に移行しました。必要な家庭にパソコンや通信機器を無料配布した地域もあったそうです。中国では、オンライン教育が昨年より81.9%増加し、利用者数は4億人以上、利用率は50%近いそうです。スイスでは、iPadが無料配布されて学校と同じ時間割で授業が行われ、宿題はメールで届くとのこと。メールを開きたくない子もいるかもしれませんね。シンガポールでは、20万人が自宅で授業を受け、パソコンのない子だけ学校に行くそうです。韓国でも、4月から小中高の全学校でオンライン授業が始まりました。パソコンやタブレットのない家庭は、レンタルできるそうです。でも日本では、オンライン技術がほとんど活用されないうちに通常授業が再開されました。オンライン教育は、遅れたままのようです。

 2年前、ある調査が行われました。79の国や地域に住む15歳60万人にこんな質問をしました。「1週間のうち、教室の授業でデジタル機器をどのくらい利用しますか?」国語の授業で「利用しない」と答えた人は、各国平均48.2%に対し、日本は83.0%。他の科目でも同じような結果だそうです。放課後、ほぼ毎日パソコン等を使って宿題をする人は、各国平均22%に対し、日本は3%。他国と比べると、日本では子供が自分用のスマホやパソコンを持つ割合も、圧倒的に少ないようです。何十年も前から情報化社会のビジョンが語られて来ましたが、学校教育の現場はあまり変化がなかったようです。先週から政府主催の会議で、オンライン教育に関する議論が始まりました。でも提言がまとまるのは、来年5月だそうです。教育現場では、情報化・オンライン化のビジョン実現はしばらく先になりそうです。

 ビジョンは、天地創造の神から与えられることもあります。それらのビジョンを通し、神は人々を導かれるのです。神は、アブラハムに全世界を祝福するビジョンを与えられました。彼の子孫が全ての人を祝福するとも、神は語られました。モーセには、律法に基づく国づくりのビジョンが与えられました。それは、イスラエルが祭司の王国となり、世界の中で特別な使命を果たすビジョンでもありました。ダビデには、彼の子孫が永遠の国の王になるビジョンが与えられました。その他の預言者たちにも、全世界に拡がる神の国のビジョンが与えられました。ユダヤ人がそれらのビジョンを信じなくなった時、彼らの国は滅びました。ビジョン実現への道は、途絶えたかに見えました。でも、神のビジョンにキャンセルはありません。神は、人々の想像を遙かに超える、驚くべき「プランB」を用意されていたのです。

 それは神ご自身が人となり、伝えたビジョンを全て実現するという、あり得ないプランでした。イエス・キリストはアブラハムの子孫、ダビデの子孫としてこの世に来られました。十字架の身代わりにより、全ての人を祝福されました。主イエスを信じる人は、聖霊を通し、神の愛の律法を悟ります。祭司の王国に加えられ、全世界に神の光を輝かせる特権が与えられます。私たちは、世界中に拡がる永遠の神の国のビジョンを信じ、周りの人に伝えることができます。「オンライン世界への捕囚」のような危機が来ても、「Go To 神の国キャンペーン」は決して中止されません。最初から除外対象になる人もなく、神のビジョンが実現します。私たちは、どんな時にも天来のビジョンを信じ、その実現に向けた準備ができるのです。

 今日はゼカリヤ9-10章を開き、預言者ゼカリヤを通して神から与えられたビジョンについて考えてみましょう。

 第一に神は、平和を完成するビジョンを語られました(ゼカリヤ9:9)。ゼカリヤは、紀元前6世紀頃の預言者です。ユダヤ人たちが70年の捕囚を終え、約束の地に帰って来た頃です。土地は荒れ果て、神殿は破壊されていました。彼らは預言者ハガイやゼカリヤに励まされ、神殿を再建しました。その神殿を見て喜ぶ人がいる一方、悲しんで号泣する人もいました。かつてソロモンが建設した壮大な神殿と比べると、それはあまりにみすぼらしかったからです。エルサレムの城壁は壊れたままで、常に盗賊の襲撃等にさらされていました。厳しい現実を目の前にして、失望する人もいました。そんな中で預言者たちは、将来の希望のビジョンを語りました。ゼカリヤのこの預言は、その一つです。ろばに乗る王は、平和の到来を象徴しています。この預言の数百年後、平和の君なるイエス様がろばに乗り、エルサレムに入られました。イエス様は自らの命を犠牲にし、神と人との間に平和を築かれました。この平和を信じる人は、神の助けにより、目の前の困難を乗り切ることができるのです。

 イエス様の平和は今、世界中に拡がっています(ゼカリヤ9:10)。ここでエフライムとは、ソロモンの時代の後、2つに分裂したイスラエルの北の王国を意味しています。エルサレムは、南の王国の首都でした。南北の王国は、互いに敵対関係にありました。そして、どちらの国も外国に攻め込まれ、滅亡しました。でも神は、平和が両方の国に訪れ、そこから世界中に拡がるビジョンを語られたのです。「大河」とは、メソポタミア一帯を潤すユーフラテス川です。神は、その地域からアブラハムを呼び出し、さらにその後、捕囚のユダヤ人を約束の地に呼び戻されました。そしてイエス様は、平和の都エルサレムから神の平和を世界中に拡げておられます。私たちは、この平和の完成のビジョンを信じ、困難に打ち克つことができるのです。

 第二に神は、救いを実現するビジョンを語られました(ゼカリヤ9:11-12)。水のない穴に捕らわれたような人も神に救い出されると、ビジョンは語っています。アブラハムは神に生け贄をささげ、血による契約を結びました。ユダヤ人はその契約を何度も破りましたが、神はどんな時も契約に忠実でした。彼らが悔い改めるなら危機から救うという契約を、神は必ず守られたのです。契約の民には、彼らの砦である神のみもとにいつでも帰れるという望みがありました。神は、彼らが失ったものを2倍にして返すと約束されています。「祝福の倍返し」です。イエス様の救いを得た人は、血による新しい契約の中に入っています。救われる前の何十倍もの祝福を受けるビジョンを、イエス様は語られました。私たちは、この豊かな祝福のビジョンを信じることができます。

 救われた人は、王冠の宝石のように神の恵みの光を輝かせることができます(ゼカリヤ9:16)。神はかつてモーセを通し、ユダヤ人が神の宝となるビジョンを語られました。神との契約を守ることが、その条件でした。残念ながら彼らは、その条件を満たせませんでした。神との契約を破り、彼らは捕囚の地に連れて行かれました。でもそこで罪を悔い改めたユダヤ人に、神は再チャレンジのチャンスを用意されたのです。王冠の宝石になるチャンスです。イエス・キリストを信じる人には、誰でもこのチャンスが与えられています。その辺の道端に落ちていた石ころもイエス様に拾われ、磨かれ、周囲に神の光を輝かせます。私たちは、この素晴らしい救いのビジョンを信じ、周りの人に証しすることができるのです。

 第三に神は、御国を回復するビジョンを語られました(ゼカリヤ10:6)。ユダの家とはイスラエル分裂後の南王国で、ヨセフの家とは北王国のことです。神はどちらの国の人も愛し、捕らわれの地から連れ戻すビジョンを語られました。回復のビジョンです。多くのユダヤ人が、そのために祈りました。その祈りに神は答えると言われました。神は、私たちの祈りにも答えて下さいます。失われたものが回復します。壊れたものが修復されます。病んでいる人は癒されます。私たちはこの回復のビジョンを信じ、祈り続けましょう。

 神の助けを得るなら、私たちはどんな苦難も乗り越えることができます(ゼカリヤ10:11-12)。神は、ユダヤ人をエジプトの苦難から救われました。同じようにアッシリアの捕囚からもユダヤ人が救われるビジョンを、神は語られています。神から力を受ける人は、ビジョン実現の方向に進むことができます。私たちもどんな苦難にあっても、神の力により勝利が与えられます。全てが回復する神の御国に向かい、一歩一歩進むことができます。私たちは、この素晴らしい回復のビジョンを信じ、語り続けることができるのです。

 神から与えられたビジョンを信じましょう。そして、その実現の備えをして行きましょう

「その日、彼らの神、主は、彼らをご自分の民の群れとして救われる。まことに、王冠の宝石がその地できらめく。」(ゼカリヤ9:16)

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2020年7月19日 (日)

天の祝福の管となる

 日本は、世界平均の2倍の雨が降るそうです。インドから東南アジア、東アジアまでの広い地域は「モンスーン・アジア」と呼ばれ、日本はその東端にあります。モンスーン・アジアは、モンスーンと呼ばれる季節風が吹き、降水量の多い地域になっています。豊富な雨水を利用し、水田でお米が作られる風景は、この地域特有です。田んぼから得られる豊かな収穫により、多くの人々の食糧がまかなわれます。同じ場所がずっと利用できるので、食糧は安定的に供給可能です。田んぼを潤す雨水は、天から注がれる大きな祝福ですね。

 ただ今年の豪雨のように、記録的な大雨が降り続くと、大きな問題が発生します。浸水や土砂災害で家や仕事場を失う人、地域が孤立する人、さらに命を落とす人もいます。被災した方々や危険な地域のため、続けてお祈りしています。

 一方、日本には昔から水の足りない地域もありました。所沢も、その一つです。所沢は、入間川と荒川、多摩川に挟まれた武蔵野台地の北西部に位置しています。広大な武蔵野台地の中で、一段高い場所です。非常に水はけが良く、大きな川もないため、昔の人たちは深い井戸を掘りました。弘法大師・空海が旅の途中に立ち寄り、井戸掘りの場所を教えたという伝説もあります。(西所沢の西友の裏がその辺りだそうです。)うどんや団子が名物になったのも、田んぼを作れなかったからです。

 所沢に上水道が初めて整備されたのは、日中戦争が始まった1937年でした。地下水を汲み上げて、各家庭に供給しました。ところが第2次大戦後、人口が増えると、地下水の過剰採取で地盤が沈下。そこで1974年からは、別の水源から水を引きました。荒川や利根川の水を使う、埼玉の県営水道です。今は地下水1割、県の水9割だそうです。所沢に限らず、首都圏の水は、ほとんど荒川と利根川が水源だそうです。もちろん河川の水も地下水も、もともとは雨水です。天から注がれた祝福により、私たちは生かされているのです。

 天から注がれる祝福は、他にもあります。その一つは、天地創造の神のみことばです。神は、人類の代表としてアブラハムを選び、彼にこんなことばを掛けられました。「あなたとあなたの子孫により、全人類が祝福を受ける。」アブラハムとその子孫は、神のメッセージを人々に届ける祝福の管とされたのです。

 ヨセフやモーセは、エジプトの王宮に神のことばを届けました。ナオミは、モアブ人ルツに神のことばを教えました。ダビデは、ゴリヤテとペリシテの軍勢に神のメッセージを伝えました。ソロモンは、シェバの女王に神の知恵を語りました。預言者ヨナは、ニネベのアッシリア人に神の警告を伝えました。ユダヤ人の国が滅んだ後も、みことばを届ける働きは続きました。彼らは敵地バビロニアに遣わされ、その国に天の祝福を届ける管となったのです。それは、彼らが全く考えもしなかった新しい生活様式でした。

 イエス・キリストを信じる人は、天の祝福の管とされます。一人ひとりが、天の御国から地上の各地に祝福を届ける働きを委ねられます。日本に遣わされている人もいます。日本は、水に恵まれた国です。所沢のような土地でも、地下や遠くの河川から水を引くことができます。でも残念ながら、神のことばの祝福は、日本の多くの人にまだ届いていません。99%の人が、この素晴らしい天の祝福を受けずにいます。霊的な水涸れ、霊的脱水症で、多くの人が永遠に命を失っています。

 私たちは今、オンラインの世界に捕囚されたような困難な状態にあります。でもこの新しい生活様式の中、天の祝福を人々に届ける大切な役割を担っているのです。今日はエレミヤ29章を開き、私たちはどのように管の働きをするのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、神へのとりなしを通して天の祝福の管となります(エレミヤ29:4-6)。多くのユダヤ人は、彼らの国が滅ぶはずはないと考えていました。天地を造られた全地全能の神が、彼らを選ばれました。エジプトから奇跡的な方法で、彼らを脱出させて下さいました。荒野の訓練の後、約束の地を受け継がせて下さいました。ダビデ王朝を確立させ、平和と繁栄を築いて下さいました。彼らの国を通し、世界中に神の栄光が輝くはずでした。だからどんな敵が来ても祖国は敗れたり滅びたりしないと、多くのユダヤ人が信じていました。

 ところが彼らの国はあっさり滅び、多くの人が敵地に連れ去られました。それどころか神は、エレミヤを通してさらに驚くべきメッセージを語られたのです。「神ご自身が、彼らをバビロンに引いて行かせた」というメッセージです。ユダヤ人は神との契約を破り、約束の地から追い払われました。でも送り込まれた敵地で、彼らにはやるべきことがあったのです。そこで平和な暮らしをし、生き延びること。そしてもう一つ、彼らには果たすべき重要な使命がありました。

 それは、敵国の平安を祈ることでした(エレミヤ29:7)。この「平安」と訳された言葉は、ヘブル語の「シャローム」です。全てが満ち足りて何も欠けたところがない、完全さを表す言葉です。それは、敵意や憎しみのない状態、恐れや不安のない状態、苦しみや乏しさのない状態、そして、満ち足りた喜びと平安のある状態です。

 この完全さを与えて下さるのは、もちろん天地創造の神です。バビロニアの人々が信じていた偶像の神々ではありません。ですからバビロニアの平安を祈るとは、彼らの救いを求めることでした。彼らが偶像礼拝から救われ、天地創造の神だけを信じるように求める祈りでした。ユダヤ人はこのとりなしの祈りをするため、バビロニアに遣わされたのです。私たちも今同じように、日本の平安を祈る使命が与えられています。とりなしの祈りを通し、私たちは天の祝福の管となるのです。

 第二に私たちは、神への信仰を通して天の祝福の管となります(エレミヤ29:8-9)。ユダヤ人の中には、間違った教えを説く偽預言者たちがいました。捕囚が起きる前には、バビロニアとの戦争に必ず勝利すると、偽預言者は語りました。捕囚が起きた後は、すぐ祖国に帰れると、彼らは語りました。厳しい現実を見たくない人々は、悪霊の影響を受けた占い師にも頼りました。自分たちが見た夢を語る人もいました。多くの人は厳しい現実の話ではなく、楽観的な見通しを聞きたかったのです。コロナ感染が世界中に拡がる今の状況と似ています。神は、間違った情報ではなく、正しい情報を選び取りなさいと言われています。全知全能の神を信じる人は、聖霊と聖書を通し、天の声を聞き分ける祝福を手にしています。

 バビロニアへの捕囚は、神の計画でした(エレミヤ29:10-11)。70年間の予定でした。それはユダヤ人たちが自分たちの犯した罪を自覚し、悔い改める期間でした。唯一の神への信仰を回復し、約束の地に帰る準備をする期間でした。さらにバビロニアやペルシアの人々に創造主なる神への信仰を伝え、彼らを祝福する期間でもありました。預言者ダニエルやシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのように、敵国の王宮で信仰を証ししたユダヤ人もいました。天地創造の神を信じ、その信仰を伝えた人々に、神は将来と希望を用意しておられました。異邦人の平安を求めたユダヤ人に、神は平安の計画を立てておられたのです。救い主イエスを信じる人にも、神は平安の計画を用意されています。私たちはこの神への信仰を宣べ伝え、祝福の管となることができるのです。

 第三に私たちは、神との親密さを通して天の祝福の管となります(エレミヤ29:12-13)。捕囚の前、多くのユダヤ人は神との関係が切れていました。彼らは、周りの国々と同じように偶像を拝んでいました。でもユダヤ人が方向転換し、神を求めるなら、親密な関係は回復すると、神が約束して下さいました。切れていた関係が修復され、ユダヤ人たちは再び神と親しくお話できたのです。イエス・キリストを信じる人は、聖霊が心のうちに住んでおられます。私たちは聖霊を通し、いつでもどこでも神と親しくお話することができます。この素晴らしい祝福を周りの人と分かち合うこともできます。

 神は、ユダヤ人たちを元の場所に帰すと約束されました(エレミヤ29:14)。それは、彼らが先祖から受け継いだ土地でした。ヨシュアとともに先祖たちが、神への変わらぬ愛を誓った場所です。ユダヤ人たちは、その地で神への初めの愛を思い起こすことができたはずです。親密な語り合いを通し、神は私たちにも初めの愛を思い起こさせて下さいます。その愛に満たされ、私たちは天の祝福の管となることができるのです。

 イエス様が、私たちを天の祝福の管として下さったことを感謝しましょう。天の全ての祝福で満たされ、その祝福を周りの人に流し出して行きましょう。

「わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。」(エレミヤ29:7)

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2020年7月12日 (日)

天の国王をほめたたえる

 全世界で今、国や自治体トップのリーダーシップが問われています。迅速で的確なコロナ対策や経済対策が求められているからです。日本では、大雨による自然災害も発生しました。次々と発生する諸問題を解決し、人々の必要に十分応えることが、リーダーたちに期待されています。先週は、小池百合子さんが東京都知事に再選されました。東京は、日本の政治経済の中心地です。人口と予算規模だけでなく、今はコロナ感染も東京に一極集中しているようです。東京都知事をはじめとする全世界のリーダーが、与えられた役割を十分に果たせるようにお祈りしています。

 最近、リーダーシップが高く評価されている人もいます。デンマークの首相メッテ・フレデリクセンさんも、その一人。昨年、デンマーク史上最年少の41歳で首相に就任した、同国2人目の女性首相です。デンマークは立憲君主制ですが、国王もここ50年近く女性です。日本とは、ずいぶん様子が違いますね。政権支持率はパンデミック前40%前後でしたが、5月下旬には85%に急上昇しました。

 デンマーク政府は早い段階でロックダウンを決め、3~4ヶ月分の休業補償をしたそうです。人々の疑問や不安にも、政府は的確かつスピーディーに回答しました。首相は、子供たちのビデオによる質問に答える形の会見も放送したそうです。「外出しても良いか」という質問には、「大丈夫。でも互いに距離をとって下さい」と答えました。「友達を呼んで誕生会をしても良いか」という問いには、「誕生日おめでとう。でも延期を勧めます」と回答。若者に対しては、こんなビデオメッセージが首相から発信されました。「皆さんが自分のためでなく、人のために我慢していることを私は知っています。・・・私たちは、あなたたち若者を誇りに思っています。」こんな人がリーダーなら、確かに支持率は上がりそうですね。

 でも聖書は、人ではなく、神のリーダーシップに期待しなさいと教えています。神の国のトップは、全知全能の神だからです。神の国は立憲君主制ではなく、絶対王政です。絶対的な力を持つ神が君臨し、統治もされています。神中心の国なので、もちろん民主主義ではありません。でもそれは全ての人にとって最も幸いな国だと、聖書が語っています。

 約束の地に入ったユダヤ人は、天の国王に従う新しい生活様式が求められました。神の教えを守り、あらゆる問題解決を神にゆだねる生き方、「神の国モデル」の生活様式でした。ところが残念ながら、圧倒的多数のユダヤ人はその新しい生活様式を捨て去ってしまいました。天の国王に反逆し、神の代わりに人を国王に選びました。国のトップが悪い模範を示すと、国民もそれに倣いました。そして、彼らの国は滅びました。全世界のモデルとなるはずの生活様式を彼らが拒否したからです。

 ダビデは2代目の国王になりましたが、新しい生活様式の重要性をよく理解していました。本当の国王は天におられると、彼は自覚していたのです。そして、人々にこう証言しました。「神の国の王が私を造り、私を救い、私をイスラエル国王にして下さった。この偉大な神を、私は永遠にほめたたえる。」

 イエス・キリストは、天におられる国王です。どんな問題が起きても、私たちはイエス様のリーダーシップに期待できます。その全知全能の力により、どんな難問も解決されるからです。イエス様は私たちのあらゆる疑問に誠実に答え、励ましのメッセージを語って下さいます。天の国王は今、世界中の人々から強く支持され、賞賛されているのです。

 今日はダビデが書いたとされる詩篇145篇を通し、私たちはイエス様のどんな点をほめたたえるのか考えてみましょう。

 第一に私たちは、王権の威光をほめたたえます(詩篇145:1-2)。ダビデは、神の偉大さを告白しています。神は、永遠にほめたたえられるべき王です。全世界を創造され、全てを治めておられます。宇宙空間のあらゆる天体を定位置に置き、一定のルールで動かしておられます。地球上のあらゆる生き物に命を与え、全ての必要を満たしておられます。人類の代表としてアブラハムを選び、数え切れないほどの子孫を与え、約束の地に住まわせて下さいました。そして羊飼いの少年ダビデを選び、数々の戦いに勝利を得させ、イスラエルの国王にされました。ダビデの子孫から永遠の国の王が生まれるとも、神は約束して下さいました。来たるべきメシアの約束です。神の計画は、永遠の大きさを持っています。人の思いや力を遙かに超えています。だからこそ私たちは、神の王権の偉大さを永遠にほめたたえるのです。

 天地創造の神は、偉大なみわざを成し遂げて来られました(詩篇145:5-6)。神が造った作品の一つひとつは、製作者の偉大さを物語っています。宇宙全体が、神の見事な作品です。地球は、人が住むのにふさわしい場所として造られています。どんなに小さな生き物も、実に複雑な仕組みによってできています。人間の体の複雑さも、奇跡的です。神は人類の歴史にも介入され、さまざまな奇跡を行われました。100歳と90歳の老夫婦から、赤ん坊が生まれました。牢獄にいたある外国人奴隷は、その国のトップリーダーに選ばれました。数百万人の奴隷が集団脱走し、追っ手の軍隊は滅びました。その元奴隷たちは、荒野で40年生き延びました。ダビデ自身も数々の危機を乗り越え、国王に任命される奇跡を体験しました。その全てが、神の偉大なみわざでした。私たちもこのお方の偉大なみわざを知り、ほめたたえる奇跡を体験しています。

 第二に私たちは、愛の統治をほめたたえます(詩篇145:8-9)。神の国は、愛に満ちています。国王である神が、愛と憐れみに溢れたお方だからです。もし神がとてつもなく冷酷で、ただ厳しいだけだったら、どうだったでしょう。アダムとエバが罪を犯した時点で、人類は終わりでした。神は人類を滅ぼし、人類なしの世界を永遠に楽しんでおられたかもしれません。でも神は人類を愛し、憐れみ、アダムとエバにやり直しの人生を用意されました。彼らの将来に祝福の計画を立てておられました。人類の代表として選んだユダヤ人たちが何度しくじっても、神の愛と憐れみは決して消え去りませんでした。そして、ついに神ご自身が人類全体の罪を背負い、十字架の上で命を捨てて下さったのです。神の愛と憐れみは今、ゴルゴタの丘から全世界に溢れ流れているのです。

 この限りない愛を知った人は、世界中で神に感謝をささげています(詩篇145:10)。イエス・キリストを信じる人は今、神の愛の支配を知り、喜ぶことができます。アダムとエバの時代以来、この世は壊れた状態にありました。天地創造の神を忘れ、愛を知らずに生きている人が今も大勢います。多くの人間関係にひびが入っています。次から次へと起こる問題を人のせいにし、互いに批判し合っています。でも実際は、自分の心の中の大きな問題に気づいていません。神の愛を知らず、創造主に感謝もできないという問題です。イエス様は、この問題を解決しに来られました。十字架を通し、全世界に神の愛を伝えて下ったのです。イエス様を信じる私たちは、全世界に拡がる神の国が限りない愛に満ちていることを知っています。だから私たちは、神の愛の統治をほめたたえるのです。

 第三に私たちは、正義の浸透をほめたたえます(詩篇145:17-19)。神の国は、正義に満ちた国でもあります。神は常に、弱い立場の人に目を配っておられます。助けを求める心の叫びを聞いておられます。そして、あらゆる苦難から私たちを救って下さいます。コロナに感染した人も、洪水被害に遭った人も、経済的に困っている人も、神は愛しておられます。思わぬ落とし穴にはまり、抜け出せなくなった人のことも、神は憐れんでおられます。そして手を差し伸べ、救い出して下さいます。神の正義のみわざに、私たちは期待することができるのです。

 そしてもちろん、神は悪をさばいて下さいます(詩篇145:20)。神の国全体が、正義で満たされるためです。私たちは、時には待ちきれない思いを持つかもしれません。神のさばきはあるのか、それはいつなのかと、やきもきするかもしれません。でも神は、定めた時に必ず正しいさばきを下されます。私たちは、絶対的に正しい天の国王を信じ、安心して全てをゆだねることができます。神の国に正義が満ちる日を待ち望むことができます。全ての悪を取り除く神を、私たちは心からほめたたえることができるのです。

 どんな時も天の王なるイエス・キリストを見上げ、ほめたたえましょう。このお方の素晴らしさを、周りの人にも伝えて行きましょう。

「私の神 王よ 私はあなたをあがめます。あなたの御名を 世々限りなくほめたたえます。」(詩篇145:1)

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2020年6月21日 (日)

神のことばにより生きる

 今日から何回かシリーズで、「新しい生活様式」について考えてみましょう。先月初め、新型コロナ対策の専門家会議は「新しい生活様式」の提言を行いました。「新しい生活様式」とは、感染症拡大を防ぐため、今までと違う生活をすることです。すでに多くの人は、次の3つを実践しています。第一に、感染防止の基本を守ること。身体的距離の確保やマスクの着用、手洗い等です。第二に、日常生活のあり方を変えること。いわゆる「3密」――密集・密接・密閉の回避、こまめな換気、咳エチケットの徹底等です。第三に、働き方のスタイルを変えること。テレワークやローテーション勤務、時差通勤等です。業種ごとに感染防止ガイドラインの作成も求められています。多くのキリスト教会でもインターネット礼拝が導入され、集まる場合も3密を避ける工夫がなされているようです。

 環境省と厚生労働省は先月末、新しい生活様式における熱中症対策のポイントも発表しました。第一に、換気をしつつエアコンを使用すること。窓を開けると温度が上がるため、低めの温度設定が良いそうです。第二に、屋外で他の人と十分離れていれば、マスクをはずすこと。マスクを着けたままだと体温が上昇し、熱中症の危険が高まるとのこと。その他、例年と同じ対策も必要です。こまめな水分補給、日頃の健康管理や体作り等です。

 マスクをしていると肌が荒れる人、あるいはニキビや湿疹が出る人もいるそうです。マスク着脱による摩擦や温度・湿度の急激な変化が原因とのこと。対策として、肌を清潔に保つ、乳液等を塗る、時々マスクを外す等の方法が挙げられています。「新しい生活様式」では、生活の仕方がいろいろ変わりますね。

 聖書時代の人々も、別な意味で「新しい生活様式」が求められて来ました。神の国に招かれた人は、その国にふさわしい生き方をする必要があったのです。エジプトを脱出したユダヤ人たちは、偶像の神々を拝む生活様式に長年慣れ親しんでいました。しかし天地創造の神は、彼らに全く新しい生活様式を教えられました。偶像を捨て、唯一の神だけを愛する生き方です。その生活様式を身につけるため、ユダヤ人は荒野のサバイバルを40年間続けました。その厳しい訓練を通し、ユダヤ人は後世に語り継がれる重要な教訓を学びました。創造主なる神が、あらゆる必要を満たされるという教訓。そしてみことばに基づく「新しい生活様式」により、人の命は守られ、支えられるという教訓です。

 イエス・キリストは、神のことばによって生きる「新しい生活様式」を世界中に広められました。ユダヤ人だけでなく、全ての人が神の国に招かれ、新しい生活様式を選択できる時代になったのです。その生活様式により、私たちは偶像の呪縛から逃れ、自由を得ます。創造主なる神に信頼し、日々のさまざまな心配から解放されます。どんな危機が訪れても、心は平安で満たされます。イエス様が、この素晴らしい生活様式を全ての人に提供して下さったのです。

 みことばによって生きる新しい生活様式について、今日は旧約聖書・申命記4~8章を通して考えてみましょう。

 第一にみことばで生きる生活様式とは、創造主を愛する生き方です(申命記4:32)。ユダヤ人たちは、彼らの先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神を知っていました。その神が全世界を創造し、全ての命を造られたことも知っていました。でも彼らが長年暮らしたエジプトでは、別の神々がたくさん祀られていたのです。それらの神々の中で一番偉いのは、太陽の神ラーだとされていました。ラーが全ての命を創造し、全世界を治めていると、エジプト人は信じていました。そしてエジプトの王ファラオはラーの子孫であり、化身だとされていたのです。日本の神道に似た信仰です。出エジプトは、エジプト人の信仰が間違っていることをはっきり示しました。全世界を治めているのはラーではなく、イスラエルの神ヤハウェだったのです。ヤハウェなる神は、ご自身だけが唯一本物の神で、他の神々は偽物だと断言されました。出エジプトと荒野を体験したユダヤ人たちは、その神のことばが真実だとはっきり理解することができました。

 神は、ユダヤ人たちに忠実さを求めました(申命記5:7、6:5)。唯一の真の神だけを愛する生き方です。他の神々に浮気するような生活様式から完全に離れることを、神は彼らに求められました。偶像を拝んでいたのは、もちろんエジプト人だけではありません。世界中の人がさまざまな神々を祀り、拝んでいました。全ての人は創造主に造られたのに、人々はその神を忘れ、何か別なものを拝んでいたのです。神はユダヤ人を通し、全世界の人々に「新しい生活様式」を示されました。唯一の創造主なる神だけを忠実に愛する生き方です。この「新しい生活様式」は、イエス様により私たちにも伝えられています。神のことばなるイエス様は、私たちに創造主だけを愛する生き方を教えて下さったのです。

 第二にみことばで生きる生活様式とは、救い主を告げ知らせる生き方です(申命記6:20-21)。ユダヤ人たちは、子供たちに神の救いを語り続けるように命じられました。出エジプトは、彼らの原点の一つでした。エジプトで彼らは奴隷となり、強制労働をさせられました。苦しみの中で彼らが神に叫ぶと、神は彼らをエジプトから救い出されました。数々の驚くべき奇跡が起きました。羊の血を塗った家の子供だけが、死なずにすみました。海が二つに分かれ、ユダヤ人は海底を歩いて渡り、エジプト軍は水の中に沈みました。そして荒野の40年間、空から食べ物が降ってきました。救い主なる神は彼らを苦しみから救い、虐殺から救い、餓死からも救われたのです。その偉大な救いのみわざを、彼らは彼らの子孫に、そして全世界に告げ知らせる使命が与えられたのです。

 神が彼らを救われたのは、彼らを愛しておられたからです(申命記7:8)。彼らが良い人たちだったからでも、優秀だったからでも、強かったからでも、あるいは何か可能性を秘めていたからでもありません。実際、ユダヤ人はこの後、数々の問題を引き起こしました。愚かな行動をとり、敵との戦いに敗れました。約束の地で、偶像を拝むことさえしました。彼らは私たちと同じように、人間的な弱さを抱える普通の人々だったのです。でも神は、彼らを深く愛されました。アブラハム、イサク、ヤコブに与えた約束を、神は忠実に守られました。そしてユダヤ人はエジプトから救われ、約束の地へ向かうことができたのです。神は同じように、全ての人を深く愛しておられます。どんな問題を抱えた人も、イエス様は救って下さいます。イエス様に救われた私たちは、この救い主の偉大さを告げ知らせる生き方ができるのです。

 第三にみことばで生きる生活様式とは、祝福の神について行く生き方です(申命記7:12-13)。神はモーセを通し、ユダヤ人に律法を与えられました。今私たちが手にしている聖書の最初の部分、創世記から申命記までです。その律法の定めを守るなら祝福すると、神は約束されました。これはユダヤ人にとって、新しい生活様式でした。出エジプトの前は、彼らに律法がありませんでした。アブラハムもイサクもヤコブもヨセフも、その都度、神に言われたことを行いました。でもシナイ山でモーセが律法を受け取った後は、律法が彼らの生活の指針になったのです。どんな生き方をしたら神に祝福されるのか、律法を見て判断できるようになりました。私たちも聖書を通し、神の祝福を受け取る生活様式を知ることができます。どんな生き方を避けるべきかも、聖書を通して知ることができます。

 律法をユダヤ人に伝えたのは、モーセです(申命記8:1)。彼は聖霊に満たされ、預言者として神のことばを人々に伝えました。イエス様も聖霊に満たされ、最大の預言者として神のことばを語られました。ペンテコステの日以降は、全ての弟子たちに聖霊が注がれています。神のことばを預けられ、人々に伝える働きが今も続けられています。聖書が完成した後は、聖書に追加することばを語る人はもういません。人々を励まし、祝福の神に近づける預言のことばが語られます。預言のことばは、私たちが神を愛し、人を愛する生き方を全うする助けとなります。祝福の神について行く新しい生活様式が私たちにも可能になるように、励ましが与えられるのです。

 イエス様が、私たちに新しい生活様式を教えて下さったことを感謝しましょう。私たちは、みことばに基づく新しい生き方を実践して行きましょう。

「・・・それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」(申命記8:3)



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2020年6月14日 (日)

危機はチャンスに変えられる

 新型コロナ感染症の特効薬として、「アビガン」という薬が候補の一つに挙がっています。タミフルに代わる新しいインフルエンザ薬として、日本で開発された薬です。強い副作用があり、コロナ感染症への効果もはっきりしないため、日本ではまだ正式に承認されていません。この薬を作っているのは、富士フイルムの子会社、富士フイルム富山化学のこと。会社名を見た時、私は意外に思いました。「なぜ富士フイルムのグループ会社で、薬を作っているのか」と思ったのです。実は富士フイルムは、大きな危機をチャンスに変え、医薬品まで手掛ける会社になったそうです。

 富士フイルムは、写真フィルムのメーカーとして1934年に設立されました。世界的なトップメーカー・米国コダック社との技術提携が拒否されたため、独自に写真フィルムを開発したそうです。1960年代には、高度経済成長でカメラとフィルムが大売れし、「お正月を写そう」というテレビCMがその頃から始まりました。1986年からは、「写ルンです」という使い捨てカメラが大ヒット。ところがデジカメの登場で、写真フィルムは売れなくなりました。コダック社はデジカメを初めて製造した先頭グループにいましたが、全社的にはデジタル化の波に乗り遅れ、2012年に倒産。一方の富士フイルムは1980年代からデジタル化の動きを予測し、3つの戦略を立てたそうです。一つ目はデジカメの開発等、デジタル分野への展開。二つ目はアナログ技術の高度化。三つ目は新規事業への進出。自分たちの技術的な強みを活かし、医療や化粧品等、新たな分野に進出しました。そして富士フイルムは、破綻の危機を乗り越えました。顧客を一斉に失う危機が、新たな顧客を創り出すチャンスに変わったのです。

 聖書にも、神がさまざまな危機をチャンスに変えられた記録をたくさん見ることができます。エジプトの牢屋に入ったヨセフは、そこで一生を終える危機にありました。でも神はその危機を、ヨセフの生涯が輝くチャンスに変えられました。エジプトの奴隷だったユダヤ人は、その地で絶滅する危機にありました。でも神はその危機を、彼らが救いを知るチャンスに変えられました。エジプトを脱出したユダヤ人は、荒野で餓死する危機にありました。でも神はその危機を、ご自身の愛と忠実さを教えるチャンスに変えられました。国が滅び、ユダヤ人が世界中に散らされた時、彼らは神を忘れる危機にありました。でも神はその危機を、またもやチャンスに変えられました。偶像の神々を信じる国々で、ユダヤ人が天地創造の唯一の神を宣べ伝えるチャンスになったのです。

 イエス様は、十字架の危機を復活のチャンスに変えられました。その後、弟子たちにも迫害の危機が訪れました。彼らは各地に散らされ、エルサレムで集まりが持てなくなりました。多くの人が一カ所に集まれない状況は、今の教会と共通しています。でも神は、その重大な危機を神の国が広がるチャンスに変えられました。弟子たちはエルサレムからユダヤ、サマリア、地の果てにまで向かい、神の国の福音を伝えたのです。弟子がいなくなる危機は、世界中で新たな弟子づくりが進むチャンスに変わりました。

 神は、どんな危機もチャンスに変えることができます。今日は初代教会の歩みを通し、危機はどんなチャンスに変わり得るのか考えてみましょう。

 第一に危機は、新たな機会を見出すチャンスに変わります(使徒8:1)。弟子たちがエルサレムを追われたのは、ステパノの殉教がきっかけでした。ステパノは食卓の奉仕をするリーダーの一人でしたが、伝道者でもありました。奇跡のみわざを行い、力強くみことばを語りました。するとある人たちが偽りの証言をし、ステパノは逮捕されたのです。裁判の場で、ステパノは雄弁に語りました。人々の罪を指摘し、天におられるイエス様が約束のメシアだと断言しました。それを聞いた人々は怒りを爆発させ、ステパノを虐殺しました。それでも彼らの怒りはおさまらず、他のクリスチャンたちに矛先が向かいました。教会を荒らし、クリスチャンを家から引きずり出し、牢屋にぶちこんだのです。使徒たち以外のクリスチャンは、ほとんどの人がエルサレムから避難しました。教会がなくなってしまう危機でした。

 しかしこの危機は、チャンスに変わりました(使徒8:4-5、26-27)。散らされた人々は行った先々で福音を宣べ伝え、新たな弟子づくりを始めたのです。エルサレム周辺のユダヤの地、その北のサマリアの地でも、弟子づくりが始まりました。ピリポも、サマリアで伝道を始めた一人です。もともと彼はステパノのように、エルサレムで食卓に奉仕するリーダーの一人でした。サマリアでは多くの人がピリポの話を聞き、奇跡を見て、イエス様を信じました。すると次にピリポは南の荒野に導かれ、エチオピア人を弟子にしました。エルサレムの危機を通し、弟子たちはユダヤ、サマリア、さらにエチオピアにまで福音を伝える機会を見出したのです。今のコロナ危機も、何か新たな機会を見出すチャンスに変わるかもしれません。オンラインの弟子づくりも、神に大きく用られることを期待しましょう。

 第二に危機は、拠点を広げるチャンスに変わります(使徒9:31)。エルサレムだけにあった教会は、危機を通して他の場所に拠点が広がりました。パウロが弟子になったのも、教会にとって大きな励ましだったはずです。パウロは、教会迫害の最前線にいました。クリスチャンを次から次へと捕まえ、牢屋に入れていました。ところがそのパウロが突然イエス様を信じ、クリスチャンになったのです。教会の人にとっても、教会に敵対する人にとっても、驚くべき出来事でした。クリスチャンたちは、神に不可能がないことを実感したはずです。こうして使徒たちのいるエルサレムの他、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの各地に教会の拠点が増え広がって行きました。私たちも今、教会堂以外の拠点が増えているようです。一カ所に集まっていた教会が、オンラインでつながった家の教会のネットワークのようになっています。

 初代教会のネットワークは、拡大を続けました(使徒11:20)。弟子たちはさらに北上し、シリアのアンティオキアまで行きました。その地でユダヤ人だけでなく異邦人に対する伝道も始まり、多くの人が弟子になりました。するとエルサレム教会からバルナバが派遣され、新たな弟子たちにみことばを教えました。パウロも、バルナバのアシスタントとして奉仕しました。アンティオキアの教会は成長し、大飢饉の時は、エルサレム教会を救援物資で支援するまでになりました。シリアにも、弟子づくりの新たな拠点ができたのです。私たちの教会も、会堂以外の場所に弟子づくりの拠点が増えているようです。これまでも、さまざまな場所で「ミニチャーチ」(小グループの集まり)が開かれて来ました。インターネット等の活用により、今の危機が拠点を広げるチャンスに変わることを期待しましょう。

 第三に危機は、人を送り出すチャンスに変わります(使徒13:2)。アンティオキアの教会は、バルナバとパウロを宣教旅行に送り出しました。迫害前のエルサレム教会は、自分たちから進んで誰かを宣教に送り出すことはしませんでした。弟子たちがエルサレムの外で宣教を始めたのは、町を追われたからです。その後、彼らはユダヤ人だけでなく、異邦人をも弟子にし始めました。それらの体験を通し、弟子たちは人を送り出す重要性を理解していたはずです。聖霊の声を聞いた時、アンティオキアの弟子たちはその導きに素直に従いました。バルナバとパウロは、聖霊がガイドを務める「地の果てツアー」に参加したのです。(ツアー名は、ちょっと怖そうかな?笑)

 さまざまな地を巡った後、パウロはとうとうローマに到着しました(使徒28:30-31)。帝国の首都、当時の世界の中心でした。パウロは、そこでも弟子づくりに励みました。ユダヤ人に拒否されると、異邦人に福音を伝えました。家を借りた時は、そこを拠点にみことばを語りました。投獄された時は、そこから手紙を書き送りました。牢獄に訪れた人をどこかの教会に遣わすこともしました。アンティオキアから送り出されたパウロは世界の中心で福音を伝え、全世界に弟子を送り出したのです。今は、私たちが送り出す番です。神は私たちの危機も、人を送り出すチャンスに変えて下さいます。新たな地で弟子づくりが始まるチャンスに変えられるのです。

 神が、私たちの危機をチャンスに変えて下さることを感謝しましょう。私たちは新たなチャンスを活かし、前に進んで行きましょう。

「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」(使徒8:4)

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2020年6月 7日 (日)

フロントラインに救いをもたらす

 先日、航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」が、東京都心上空を飛行しました。コロナ対策の最前線で働く医療従事者たちに、敬意と感謝を表すためとのこと。ブルーインパルスが都心上空を飛んだのは、3回目だそうです。最初は1964年の東京オリンピックの時で、2回目は旧国立競技場の解体前に開かれた記念イベントの時です。今回の飛行では、「感動した。元気をもらった」等の反応が報道されました。写真を撮影し、Facebookにアップする人たちもいました。一方、次のような批判もあったようです。「こんなことにお金をかけるな。お金を出すなら医療関係者に渡せ。誰が決めたのか。政治利用だ。危険だし、騒音がうるさい。戦争の道具で医療関係者を励ますべきでない」等々。感謝と敬意を表す飛行も、評価はかなり分かれるようですね。

 その日は、自衛隊中央病院の上空も飛んだようです。同病院はおもに自衛隊員のため、東京・世田谷区に建設されました。スタッフも全員自衛官です。ベッド数は500床ですが、緊急時には2倍の1,000床に増やせるそうです。この病院はこれまで約260人のコロナ感染患者らを受け入れ、治療しました。中国からのチャーター便の帰国者やダイヤモンド・プリンセス号の乗船者、さらに地域の患者等です。外国人感染者も多かったため、通訳ができる予備自衛官も招集しました。基本を徹底し、院内感染はゼロです。緊急事態のプロとして医療に従事し、感染の最前線で多くの命が救われました。退院した国内外の人々から、多数のお礼の手紙や感謝状が届いたそうです。他にも世界中のフロントライン=最前線で働く医療関係者が、数え切れないほどいます。医療以外の最前線もあります。福祉や行政、生活必需品の販売や配達に関わる人々等です。その人たちが、地域住民の生活を支えています。全てのフロントライン・ワーカーに敬意と感謝の心を持ち、その人々のため祈り続けましょう。

 人の命を救い、生活を守るため、神は多くの人々を最前線に遣わされて来ました。聖書には、そのような人々が次々に登場します。飢餓から人を救うため、神はヨセフをエジプトに遣わされました。飢饉が始まる何年も前で、ヨセフ自身も最初は派遣の目的を知りませんでした。モーセの命を救うため、神はエジプトの王女をナイル川に遣わされました。彼女は奴隷の赤ん坊を憐れみ、自分の息子として育てました。遊女ラハブを救うため、神はユダヤ人スパイを2人エリコに遣わされました。ラハブは後にユダヤ人と結婚し、キリストの系図の中に加えられました。ダビデの命を救うため、神はサウルの息子ヨナタンを遣わされました。ヨナタンはダビデに、王宮からすぐ逃げた方が良いと伝えました。ユダヤ人を虐殺の危機から救うため、神はエステルをペルシアの王宮に遣わされました。彼女の勇気ある「とりなし」により、メシア到来を待つユダヤ人が生き残りました。神はあらゆるフロントラインに人々を送り、多くの人の命を救われたのです。

 イエス・キリストは全人類の救いのため、ゴルゴタの丘に遣わされました。復活後、イエス様は弟子の一人ひとりを神の国の最前線に遣わされています。フロントラインにいる人々を救うためです。この働きは、不要不急ではありません。人命に関わる、極めて重要な働きです。使徒パウロもそれを良く理解し、異邦人宣教の最前線で奉仕しました。キリストの弟子となった私たちも今、日本というフロントラインに遣わされています。天におられるイエス様は、地の果ての最前線にいる人々を救いたいと強く願っておられるのです。

 イエス様は全世界に救いをもたらすため、私たちをフロントライン=最前線に遣わされています。今日は使徒パウロの歩みを通し、主の救いについて考えてみましょう。

 第一にイエス様は、私たちを暗闇から救って下さいます(使徒9:3-4)。イエス様と出会う前、パウロは闇の中を歩んでいました。彼は、自分が正しい道を歩んでいると固く信じていました。模範的なユダヤ人、パリサイ人の一人として、律法を守ることに非常に熱心でした。教会が間違った教えを広めていると考え、パウロは徹底的に教会を迫害しました。イエス様が約束のメシアだとは、全く考えていませんでした。真実が見えない暗闇の中に、彼はいたのです。ところがダマスコに向かう途上で、パウロは突然イエス様に語りかけられました。天からの光を見た直後、彼は何も見えなくなりました。それは、彼の霊的状態の現れでした。自分は見えると思っていたけれど、実はパウロには何も見えていなかったのです。彼は、天地創造の神に熱心に従っているつもりでした。でも実際は、激しく反抗していたのです。もしここで方向転換しなければ、パウロはこのまま失明する危機にありました。

 神は、その危機からパウロを救い出されました(使徒9:19-20)。ダマスコの弟子アナニアを遣わし、パウロのために祈らせました。するとパウロの目から鱗のようなものが落ち、視力が回復したのです。パウロはこの経験を通し、イエス様が約束のメシアだと確信しました。そして、すぐに自分の信仰を人々に伝え始めたのです。周りの人々は、パウロのあまりの変化にたいへん驚きました。パウロは暗闇からキリストの光の中に救い出され、その光を周囲に輝かせるようになったのです。私たちも、イエス様を信じる前は暗闇の中にいました。何が正しくて何が間違っているのか、良く分からずに生きていました。でもイエス・キリストを信じた人は、暗闇から救われています。神が光を照らして下さいます。その光を他の人のためにも輝かせることができるのです。

 第二にイエス様は、私たちを固定観念から救って下さいます(使徒15:1)。パウロは、バルナバとともにアンティオキアから宣教旅行に送り出されました。その旅行で、多くの異邦人が救われました。彼らは暗闇から外に出て、光を見出したのです。ところがユダヤ人信者の中には、異邦人の救いに疑問を持つ人たちがいました。固定観念にとらわれた人たちです。「救われるのは、あくまでユダヤ人だけだ。救われたいなら割礼を受け、ユダヤ人になるべきだ。」彼らは、そう考えました。教会全体としてこの問題をどう考えるか、エルサレムで会議が開かれました。(もちろん当時はオンラインではなく、実際に会って議論しました。)もし割礼派が議論に勝ったら、教会はユダヤ人という一つの箱に閉じ込められたはずです。あらゆる国々の箱から、人々を救い出せなくなる危機でした。

 この会議で使徒ペテロは、自分の固定観念が砕かれた経験を語り、パウロたちの考えを擁護しました(使徒15:10-11)。ペテロが語ったのは、コルネリウスの家で異邦人の救いを目撃した体験です。救いは律法によるのではなく、イエス・キリストの恵みによるのだと証言しました。この証言が議論の流れを大きく変えました。神は、割礼にこだわっていた人々の固定観念を砕いて下さったのです。私たちの周りにも、さまざまな固定観念があります。「キリスト教は外国の宗教だ。日本人はみな神道か仏教を信じるべきだ。キリスト教は先祖を大切にしない。科学の時代に信仰や宗教は必要ない」等です。クリスチャンの中にも固定観念があるかもしれません。「教会はこうあるべきだ。牧師はこうあるべきだ。礼拝はこうあるべきだ」等々。神はコロナ問題をも用い、私たちの固定観念を砕いて下さるかもしれません。イエス様の恵みにより、私たちは固定観念からも救われることを感謝します。

 第三にイエス様は、私たちを恐怖から救って下さいます(使徒18:9-10)。パウロは、至る所で危険な目に遭いました。むち打たれ、投獄されたこともありました。暴動が起き、袋だたきに遭いそうなこともありました。コリントの町でも不穏な動きがありました。でも神は、パウロに「大丈夫だ」と言われました。「わたしが、あなたとともにいるのだから。」そのみことばが、パウロを恐れから解放しました。彼はその町に1年半腰を据え、神のことばを教え続けました。

 その後もパウロは、恐れ知らずでした(Ⅱテモテ4:8)。愛弟子のテモテに2通目の手紙を書いた時、彼は殉教の危機にありました。でもパウロは、何も恐れていませんでした。最期まで自分の働きを十分に果たすことができ、イエス様は喜んで下さっていると確信していたからです。義の栄冠を彼は楽しみにしていました。イエス様は、私たちも恐れから解放して下さいます。コロナ問題の中でも、私たちは心に平安を得られます。義の栄冠を楽しみに、人生のレースを最期まで走り抜くことができるのです。

 イエス様が、フロントラインにいる私たちとともにおられることを感謝しましょう。私たちは神の国の最前線で、イエス・キリストの救いを伝えて行きましょう。

「・・・ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」(使徒13:46-47)



 

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2020年5月31日 (日)

聖霊パワーで前に進む

 緊急事態宣言は先週、全面的に解除されました。ひとまず日本では、コロナ感染の第一波が収束した模様です。諸外国と比べれば、圧倒的に犠牲者が少ない国の一つだったことを感謝します。とはいえ、まだウィルスは存在し、効果的な治療法も確立していません。いつ第二波が来るのか、それがどの程度の大きさなのかも分かりません。私たちは引き続き、できる限りの感染防止策を心掛ける必要があります。祈りも必要です。

 最近多くの自治体では、ホームページを通し、免疫力を高める生活を人々に呼び掛けて来たようです。免疫力とは、ウィルスや細菌等を監視・撃退するため、人間の体に備わっている力です。生物の体は、実に見事な造りになっています。体内に何か異物が入るとすぐにそれを感知し、取り除こうとします。この免疫の仕組みからも、私たちは創造主なる神の偉大さを感じることができます。

 免疫力は、日々の生活習慣により上がったり下がったりするようです。免疫力低下の原因は、いくつか挙げられています。不規則な生活、偏った食事、運動不足、睡眠不足、疲れやストレス等です。確かに、どれも体に悪そうですね。免疫力を上げるには、これらと逆のことをします。第一に規則正しい生活。生活リズムが一定だと自律神経の働きが整い、免疫力が高まるそうです。第二に栄養バランスの良い食事。栄養素は、免疫物質やエネルギー等のもとになります。第三に適度な運動。体全体を動かす運動は体温を上げ、免疫力を高めるそうです。第四に十分な睡眠。人によって差がありますが、多くの人は6~8時間くらい睡眠が必要とのこと。第五に気分転換。喜び、楽しみ、愛情、感謝等のポジティブな感情は、免疫力アップにつながるそうです。

 旧約時代の人々は、免疫力について知らなかったでしょうが、ポジティブな感情を持つことはもちろんありました。アブラハムは約束の地に祭壇を築き、神に感謝しました。彼の妻サラは、イサクを産んで笑いました。ヤコブは死んだはずの息子ヨセフと再会し、心から喜びました。「もう死んでも良い」とまで言いました。エジプト軍から救われたユダヤ人は、大喜びで神を賛美しました。女性たちは、タンバリンを持って踊りました。契約の箱をエルサレムに運び入れた時、ユダヤ人たちは大歓声をあげ、角笛を吹き鳴らしました。ダビデ王は、力の限り踊りました。エルサレムの神殿が完成すると、ソロモン王は感謝して長い長い祈りをささげました。ユダヤ人たちは神の恵みを心から喜び、数え切れないほどのいけにえを献げました。ポジティブな感情を持つたび、彼らの免疫力はアップしたかもしれません。でもそれ以上に強められたのは、神を愛する力だったはずです。彼らの愛は、時間とともにさめる傾向がありました。でも神はユダヤ人を深く愛し、彼らが神を愛する力を何度も引上げて下さったのです。

 今日は、ペンテコステの日曜日です。エルサレムにいたユダヤ人たちに聖霊が注がれ、初めて教会が誕生した記念日です。聖霊なる神は、昔も今も変わらずに働かれています。世界中の人々をイエス・キリストへの愛に導かれています。神の愛が必要な場所に、誰かを遣わされています。私たちの心を喜びや感謝で満たし、神を愛する力を強めて下さいます。聖霊による霊的免疫力で、私たちは忍び寄る悪の力を感知し、撃退できます。聖霊のパワーにより私たちは危機を突破し、前に進むことができるのです。

 今日は使徒ペテロの歩みを通し、聖霊のパワーについて考えてみましょう。

 第一に聖霊は、癒しのパワーで私たちを前進させて下さいます(ヨハネ21:17)。復活のイエス様と再会した時、ペテロは罪悪感に苦しむ危機にありました。イエス様を裏切ったからです。最後の晩餐の時、ペテロは「イエス様のためなら命も捨てる」と断言しました。でもイエス様からは、こう言われました。「あなたはわたしを知らないと3回言う。」その予告通りに、ペテロは行動したのです。イエス様の復活は、ペテロも嬉しかったはずです。でも彼の心には、イエス様を裏切った悲しみと自己嫌悪が残っていたように思います。イエス様が「あなたは私を愛していますか」と3回聞かれた時、ペテロの心は痛みました。でもイエス様はこの応答を通し、ペテロを罪悪感から解放し、彼の心を癒して下さったのです。この癒しは、聖霊の力を用いて行われました。聖霊の癒しのパワーにより、ペテロは前に進めるようになったのです。

 ペテロは、コンプレックスも癒されました(ヨハネ21:21-22)。彼には、気になる存在がいました。ヨハネです。ペテロはおっちょこちょいで、何度もイエス様に叱られました。でもヨハネは失敗が少なく、イエス様に愛されているようでした。ヨハネは、十字架上のイエス様の最期もすぐそばで見届けました。イエス様から、母マリアのお世話も頼まれました。その場に行けなかったペテロとは、大違いでした。それらのことが原因で、ペテロはコンプレックスに苦しむ危機があったと考えられます。イエス様は、その危機からペテロを解放されました。主のみことばと聖霊の力により、ペテロのコンプレックスは癒されたのです。ペンテコステの日以降、ペテロはヨハネとタッグを組み、ともに働きました。聖霊は同じように、私たちも癒して下さいます。聖霊の癒しのパワーで、私たちは前に進むことができるのです。

 第二に聖霊は、証しのパワーで私たちを前進させて下さいます(使徒2:32-33)。ペンテコステの日、聖霊は弟子たちに注がれました。彼らは学んだこともない外国語で、神のみわざを証言しました。その奇跡を目撃し、驚いた人々に対し、ペテロはその出来事の意味をこう説明しました。「これは、旧約の預言者ヨエルが予告した出来事です。終わりの時代が始まりました。聖書の預言通り、救い主は復活されました。イエス様は天に昇り、このように聖霊を注がれたのです。」ペテロの説明を聞いた3千人の人々は、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けました。ペテロにこのメッセージを与えたのは、聖霊です。聖霊は、私たちにも語るべきことばを与えて下さいます。聖霊の力により、私たちは証しができるのです。

 聖霊は、私たちに大胆さも与えて下さいます(使徒4:29-30)。3千人の救いの後も、聖霊は力強く働かれました。心を一つにし、仕え合う弟子たちの集まり=教会が生まれました。さまざまな奇跡があり、弟子の数は増え続けました。中でも驚くべき奇跡の一つは、ペテロとヨハネの2人を通して生まれました。彼らが神殿で出会った障がいのある男性が、奇跡的に歩けるようになったのです。この奇跡を通し、男性だけで5千人が救われました。ユダヤ人指導者たちは脅威を感じ、弟子たちに圧力をかけました。弾圧の危機でした。でも弟子たちは、この圧力に屈しませんでした。彼らは聖霊に満たされ、大胆にキリストの福音を語り続けたのです。聖霊は、私たちにも勇気や大胆さを与えて下さいます。聖霊のパワーにより、私たちはキリストの証人として前進できるのです。

 第三に聖霊は、察しのパワーで私たちを前進させて下さいます(使徒10:34-35)。ペテロは不思議な導きを通し、異邦人の家を訪問しました。聖霊が、そこに行きなさいと言われたのです。訪問したのは、カイサリアにいた百人隊長コルネリウスの家でした。そこには、コルネリウスの親族や友人も集まっていました。彼らは異邦人でしたが、イスラエルの神を信じていました。この時、ペテロは聖霊の助けにより、神のみこころを察することができました。「神はユダヤ人だけでなく、異邦人も愛している」と、聖霊がペテロに教えて下さったのです。そこでペテロは、彼らにキリストの福音を語り始めました。

 すると驚いたことに、ペンテコステの日と同じように、異邦人たちにも聖霊が注がれました(使徒11:17-18)。この後ペテロは、エルサレムの仲間から一斉に非難される危機を迎えました。でもペテロが聖霊のしるしの事実を伝えると、周りの人々も神のみこころを察しました。聖霊のしるしにより、ペテロは仲間から集中砲火を受ける危機を脱したのです。聖霊は今もさまざまなしるしを通し、私たちに神のみこころを伝えて下さいます。聖霊のパワーにより私たちはみこころを察し、前進することができるのです。

 聖霊のパワーが今、私たちにも与えられていることを感謝しましょう。私たちは聖霊の力により前進し、危機を突破して行きましょう。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

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2020年5月24日 (日)

どんな時も熱く神を愛す

 コロナウィルスの感染爆発で、夫婦関係に亀裂が生じる場合もあるようです。いわゆる「コロナ離婚」の危機です。女性向けのあるメディアは、4月の末にコロナ離婚に関する調査を行いました。10~50代の男女100人への聞き取り調査で、回答者の8割が女性でした。10%の人は、コロナ離婚を「考えるようになった」と回答。13%の人は、コロナが離婚の「後押しになりそう」だと回答。これから「考えるようになりそう」な人は、15%。これらを合わせると38%、ほぼ4割の人が、コロナ離婚の危機のようです。

 いくつか原因が挙げられています。一つは収入の減少。生活が苦しくなり、喧嘩が絶えなくなるケース。二つ目は危機意識のズレ。夫婦の一方はウィルス対策を万全にし、もう一方は全く無関心な場合。三つ目は役割分担のアンバランス。ずっと家にいるのに夫は家事や育児に全く配慮せず、妻のワンオペが続くケース。四つ目は気分転換の欠如。外出自粛でストレス発散ができず、些細なことにイライラしがちな場合です。

 コロナ離婚を避けるアイデアも、いくつか紹介されています。その一つは、良いコミュニケーション。2人で問題解決について話し合い、役割分担を見直すこと。二つ目は、共通の趣味。一緒にドラマや音楽の鑑賞、ゲーム等をして楽しむこと。三つ目は、一人になる時間を作ること。四つ目は、互いを尊重し、感謝を口にすること。私は昔、たくさんのカップルの結婚式を司式しました。式の前、新郎新婦にこう説明しました。「結婚の誓約は、神の前で結ぶ契約です。それは、いつまでも愛し続けるという契約です。」多くの夫婦が「初めの愛」に立ち返り、危機を乗り切れられるように願っています。

 聖書の中で、神と人との関係は、結婚に例えられています。モーセに授けた十戒の中で、神はご自身のことを「ねたむ神」だと言われました。天地創造の神は、私たちを深く愛しておられます。燃えるような愛で妻を愛し、ひたすら妻に尽くし続ける、完璧な夫のようです。(自分はそんな夫だ、あるいは私の夫はそうだと言う人いますか?)もし妻が夫の完璧な愛を理解せず、離婚を考えたら、夫は深く傷つき、怒ります。浮気してたら、なおさらです。これが、神の「ねたみ」です。ユダヤ人たちは、神の「ねたむ愛」を体験しました。神は彼らを愛し、エジプトから解放し、約束の地に住まわせて下さいました。ところがユダヤ人は神の愛を忘れ、偶像に思いを寄せました。神はさまざまな方法で、彼らに「初めの愛」を思い出させようとされました。彼らを熱く愛し、ご自身のもとに戻るように説得し続けたのです。

 エリヤは、そのような説得を任された預言者の一人でした。彼には、何の地位もありませんでした。お金もありませんでした。力を貸してくれるお友達もいませんでした。たった一人で、彼は国王夫妻の大きな罪に立ち向かったのです。「初めの愛」を捨て偶像に浮気する罪、そして悪巧みの仲間を増やす罪です。でもエリヤは、「初めの愛」を忘れませんでした。神とよくコミュニケーションをとりました。神と一緒に楽しむ時間を作りました。一人で考える時も過ごしました。神を敬い、感謝をささげる時もあったはずです。時には、道を見失いそうな危機もありました。でもエリヤは最期まで神を愛し、熱心に神に仕えました。どんな時も神を愛し続けたその生き方を、神は喜ばれました。エリヤは預言者の殿堂入りし、数百年後、モーセとともにイエス様と特別にお話する特権も与えられました。どんな状況でも熱く神を愛する人を、神は豊かに祝福して下さるのです。

 神は、どんな時にも私たちに熱く愛されたいと願っておられます。今日はエリヤの生涯を通し、私たちが神を愛すべき理由について考えてみましょう。

 第一に神は、私たちのいのちの源です(Ⅰ列王記17:2-4)。エリヤは、餓死する危機に瀕していました。イスラエルの国には数年間、雨が降らず、作物が実らなかったからです。それは実は、ユダヤ人に対する神のメッセージでした。彼らは、国王夫妻の指導の下、偶像の神々を拝むようになっていました。バアルやアシェラ等です。それらの神々が雨を降らせ、豊かな収穫をもたらすと彼らは信じていたのです。でも創造主なる神は、エリヤを国王のもとに遣わし、こう宣言させました。「ここ数年間は、雨が降らない。」天地創造の神が全てのいのちを造り、養っていることを示す目的がありました。神はその間、不思議な方法でエリヤを養われたのです。エリヤがケリテ川のほとりに行くと、毎日朝と夕、烏が食べ物を運んで来ました。神は私たち一人ひとりにいのちを与え、そのいのちを養っておられます。どんな時も必要を満たして下さる神に、私たちは信頼できるのです。

 神はその後、エリヤをツァレファテのやもめの家で養われました(Ⅰ列王記17:8-9)。ツァレファテは、イスラエルの北にあった地中海沿岸の町で、シドンの町の支配下にありました。シドンは当時のイスラエル王妃イゼベルの故郷で、バアル礼拝の中心地でした。つまり神はエリヤを偶像礼拝の中心に遣わし、そこで彼を養われたのです。遣わされたやもめの家には食べ物がありませんでした。やもめは生活の見通しが立たず、息子と一緒に心中する寸前でした。しかし神は、不思議な方法でこの親子とエリヤを養われました。息子が病気で死んだ時も、生き返らせて下さいました。エリヤの信じる神こそが、いのちを与え、養うお方であることが、偶像礼拝の中心地でも明らかにされたのです。日本に住む私たちをも神は深く愛し、いのちを養っておられます。だからこそ神は、熱く愛するに値するお方なのです。

 第二に神は、全地の王です(Ⅰ列王記18:1)。飢饉が3年目に入ると、国王アハブと面会するように、神はエリヤに命じられました。アハブに会えば、処刑される危険がありました。王妃イゼベルは主の預言者たちを死刑にし、アハブ王はエリヤを指名手配していたのです。国王夫妻は、バアルやアシェラを拝まない人々が飢饉の原因だと考えていたのかもしれません。とんでもない間違いでした。その間違いを正すため、エリヤはアハブに一つ提案をしました。カルメル山で、バアルやアシェラの預言者たちとエリヤが対決する提案です。850人対1人の戦いです。全地を支配し、自然現象をもコントロールするのは、どちらの神なのかを示す戦いでした。

 ご存知の通り、この戦いはエリヤ側の圧倒的勝利に終わりました(Ⅰ列王記18:38-39)。850人が必死に偶像に祈り求めても、何も起きませんでした。でもエリヤがたった一人、天地創造の神に祈り求めると、天から火が降ったのです。それを見た人々は、エリヤの神こそが真の神だと叫びました。するとその後、大雨が降り始めました。人々の信仰告白に、神が応えて下さったようでした。天地創造の神は、今も全世界を治めておられます。イスラエルもシドンのあるレバノンも。欧州も米国も。中国も韓国も日本もです。自然をコントロールし、地球環境を整え、ウィルスも御手の中に治めておられます。燃えるような愛で私たちを愛し、祈りに応えて下さいます。だからこそ神は、私たちの熱い愛にふさわしいのです。

 第三に神は、永遠の立案者です(Ⅰ列王記19:7-8)。エリヤにとってカルメル山の大勝利は、全く想定外の結末を迎えました。創造主なる神の権威が証明されても、国王夫妻は何も変わらなかったのです。エリヤは大きな挫折を味わい、絶望の危機でした。その時、神は天使を遣わし、エリヤをホレブの山=シナイ山に導かれました。そこは何百年も前、神がモーセに十戒を授けた場所です。神はその山で、ユダヤ人にこう命じられました。「わたし以外に、他の神があってはならない。・・・偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。」(出エジプト記20:3-5)ユダヤ人の原点と言えるその山で、神はエリヤと差しで話す計画だったのです。

 そこで神は、エリヤに次の使命を与えられました(Ⅰ列王記19:15-16)。エリシャを弟子とし、働きを引き継ぐ使命です。神は永遠の昔から、この計画を立てておられました。国王夫妻が悔い改めないことも、神は知っておられました。エリヤが挫折を味わうことも知っておられました。その上で神は、エリヤが次にすべきことをあらかじめ用意しておられたのです。神は、私たちの人生にも永遠の計画を立てておられます。コロナ終息後どうすべきかも、神に計画があります。だから私たちは安心して、このお方について行けます。熱い思いをもって私たちは、神を愛し続けることができるのです。

 神の燃えるような愛を感謝しましょう。どんな時も私たちは、熱く神を愛して行きましょう。

「エリヤは答えた。『私は万軍の神、主に熱心に仕えました。・・・』」(Ⅰ列王記19:10)

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2020年5月17日 (日)

天の家で「ステイホーム」する

 今は、世界中で多くの人が「ステイホーム」――家にとどまる生活を続けています。通常の大災害では、多くの人が近所の避難所等に逃げ込みます。所沢市は地震、洪水、大規模火災等のため、学校のグラウンドや公園など66カ所を屋外の避難場所に指定しています。体育館等も、屋内の避難所として開放されます。しかし、ウィルスの感染爆発では、そのような避難所が利用できません。大勢の人が一カ所に集まると、かえって危険だからです。非感染者の避難先は、自分の住まいです。必要な時は多少の危険を冒し、外に出ることもあります。仕事や生活必需品の買い物、気分転換の散歩やジョギング等です。でもそれ以外は、家に閉じこもる生活になっています。家が避難所だからです。

 ステイホームで大変だという声が、あちこちから聞こえて来ます。仕事のない人は、経済的な危機です。子供が勉強せず、学力の遅れを心配する親もいます。夫がいつも一緒の生活に慣れないという、妻たちの声も耳にします。家族全員の食事を毎日3食用意するのが苦痛だ、という話も聞きます。家に子供がいるため、テレワークだと仕事がしにくいという人もいます。ストレスがたまったり、うつになる恐れも指摘されています。家族関係が微妙だったり、DV(家庭内暴力)等がある場合は、なおさら大変です。

 ところが、ステイホームが嬉しい人も中にはいるようです。内向的でインドア派の人たちです。気乗りのしない集まりに参加せず、自分だけの世界に没頭できるのが幸せとのこと。米国のある女優は、こう言っています。「私は、悪名高き引きこもりです。どこにも行きたくない時はいつも言い訳して来たけど、今はそうしなくて良い。突然私は、生まれて初めてクールな人物になったのです。」

 旧約の時代、人々はさまざまな場所に避難しました。ノアの家族は、箱舟に避難しました。アブラハムやヤコブの家族は飢饉の時、食糧備蓄のあるエジプトに避難しました。モーセたちは命を守るため、家に羊の血を塗り、ステイホームしました。ダビデは指名手配された時、洞穴を住まいにし、身の危険を避けました。(一番下に引用している詩篇27篇は、ダビデが書いたとされています。)数々の避難体験を通し、ユダヤ人たちは、最高の避難所がどこにあるかを悟りました。どんな災いも避けられるのは、天地創造の神がおられる場所です。全知全能の神には、どんな災いも退ける無敵の力があるからです。

 天の神の避難所に通じる唯一の道は、イエス・キリストです。イエス様を信じるなら、どんな人もそこに身を避けることができます。最高の避難所の情報をシェアし、他の人の避難を手伝うこともできます。天の避難所は、全世界の人が集う大きな家です。ウィルスから完全に遮断された、極めて安全なグリーンゾーンです。不安もストレスもDVも、一切ありません。天の神の家でステイホームする人は、永遠の幸せに満ちた「クールな生き方」を満喫できるのです。

 イエス様は、私たちに天の家で「ステイホーム」する恵みを与えて下さいました。今日はダビデの人生を通し、天の家の隠れ場=避難所について考えてみましょう。

 第一に天の家は、戦いの時、私たちの隠れ場になります(Ⅰサムエル17:8-9)。ユダヤ人がカナンを占領した後、何百年にもわたりイスラエルに敵対した、ペリシテ人という人々がいました。彼らは、カナンの地中海沿岸に住んでいました。士師の一人サムソンは彼らと戦い、命を落としました。預言者サムエルの時代には、契約の箱が一時ペリシテ人に奪われました。彼らはイスラエルの強敵であり、宿命のライバルでした。実は神は、ユダヤ人の霊的訓練のため、ペリシテ人を用いられたのです。戦いの中で、天の隠れ場に身を避ける訓練でした。ペリシテの最強戦士ゴリヤテが現れた時、イスラエルは彼らの奴隷になる危機に直面していました。代表戦士の一騎打ちで勝敗を決し、敗者の国が勝者の国の奴隷になるという戦いでした。ゴリヤテの強さを知るユダヤ人兵士たちは、誰も名乗り出る勇気がありませんでした。

 たった一人その勇気があったのは、羊飼いの少年ダビデです(Ⅰサムエル17:45-47)。彼は、兵士ではありませんでした。父のおつかいで、戦場にいた兄たちに差し入れを持って来たのです。戦争は初めてでしたが、彼は熊やライオン等の猛獣と戦ったことがありました。それらの戦いを通し、ダビデは天の隠れ場に身を避けるコツを学んだのです。どんな危機が迫っても、彼は神を見上げることができました。神が必ず救って下さると、彼は信じていました。その信仰により、ダビデは国運をかけた戦いに勇気を持って臨み、みごと勝利を収めました。勝利の秘訣は、天の家の隠れ場を知っていたことです。私たちにも、さまざまな戦いがあります。目の前の危機から逃げたいと思う人もいるかもしれません。でも私たちは、ダビデのように天の家の隠れ場を見上げることができます。私たちを救う神を信じ、戦いに勝利できるのです。

 第二に天の家は、忍耐の時、私たちの隠れ場になります(Ⅰサムエル18:8-9)。ダビデが華々しく活躍し出すと、妬む人がいました。時の国王サウルです。サウルは権力を私物化し、ダビデを抹殺しようとしました。究極のパワハラの危機です。ダビデは指名手配され、追われる身になりました。彼が一時避難した場所は、アドラムの洞穴でした。そこはダビデの故郷ベツレヘムから西に20キロ、ゴリヤテに勝利したエラの谷から南に3キロの地点でした。洞穴に身を潜めていると、隠れ場を求める人たちが続々と集まって来ました。なんと、400人の大集団になりました。ダビデ一人の静かな隠れ家生活は、賑やかな共同避難生活に変わったのです。彼らは、サウル王のパワハラをダビデとともに忍耐してくれる仲間になりました。

 この逃亡生活で、ダビデはサウルを暗殺するチャンスが2回ありました(Ⅰサムエル24:6)。でもダビデは、2回とも手を下しませんでした。こう考えたからです。「たとえどんなに極悪の指導者でも、サウルを国王に選んだのは神だ。だから自分は、その神の決定にあくまでも従う。いつか神は、サウルを王座から取り除かれる。それは神ご自身がなさることであり、自分がすることではない。」ダビデは、その時を待ち続けました。忍耐が強いられる中、神を見上げ、天の家の隠れ場で自制心を養いました。私たちも今、忍耐の中にあります。ウィルスの強力な感染力により、洞穴に身を潜めるような生活になっています。ウィルスがなぜそんな力を持ったのかは、分かりません。でも神は、いつかその感染力から私たちを解放して下さいます。私たちは、天の家の隠れ場で自制心が養われ、この忍耐生活を克服できるのです。

 第三に天の家は、悔い改めの時、私たちの隠れ場になります(Ⅱサムエル12:10)。ダビデはその後、イスラエルの王になり、絶頂期を迎えました。彼の子孫が永遠の国の王になるという素晴らしい約束も、神から頂きました。(イエス・キリストのことです!)ところが彼は、そこで大きな罪を犯します。家来の妻を奪い、その夫を殺させたのです。ダビデは絶大な権力を手にし、地上の立派な王宮に住むようになり、天の家の麗しさを見失っていました。神は王宮に預言者ナタンを遣わし、ダビデの家に災いが来ると告げられました。ダビデは自ら蒔いた種により、自分の命を失い、家庭も崩壊する危機を迎えていたのです。

 その時ダビデは、すぐに罪を告白し、心から悔い改めました(Ⅱサムエル12:13)。彼は、天の家の隠れ場を思い出したのです。それが、サウルとの大きな違いでした。神はダビデの罪を赦し、彼に再出発のチャンスを与えられました。彼の家に災いは来ましたが、ダビデ自身は国王として生涯を全うできました。彼の心が天の家の隠れ場に戻り、神との関係が回復したからです。人間誰しも失敗します。時には、罪を犯すこともあるかもしれません。でもそんな時は、天の家の隠れ場を思い出して下さい。天を見上げ、心から悔い改めるなら、神は赦して下さいます。その時神は、天の家を再び私たちの隠れ場にして下さるのです。

 イエス様が下さった、天の家で「ステイホーム」する恵みを感謝しましょう。

「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。・・・それは 主が 苦しみの日に私を隠れ場に隠し その幕屋のひそかな所に私をかくまい 岩の上に私を上げてくださるからだ。」(詩篇27:4-5)

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