2019年3月17日 (日)

天の力でパワーアップされる

 今日は、「セントパトリックスデー」です。みなさん知っていましたか?私は昔(そのまた昔?笑)、米国に留学するまで、聞いたことがありませんでした。米国では、この日になると街の至る所が緑色に飾られ、多くの人が緑色のものを身につけます。全身緑の人もいます。パレードもあり、テレビで放映されます。その様子を見て、当時の私はこう思いました。「セントパトリックという人は、聖書に出て来ない。カトリックの聖人だろう。アイルランドのお祭りのようだ。私は日本人だし、プロテスタントだから関係ない。」でも日本は、何でも輸入します。この祭りも輸入したようです。(ハロウィーンよりは、いいかも・・・苦笑)昨日、今日と東京・表参道をはじめとし、日本各地でパレードが行われています。アイルランドを日本に紹介したい人たちが27年前、私が留学したその年に始めたそうです。代々木公園では、「アイラブアイルランド・フェスティバル」が開かれているとのこと。アイルランドは漢字で「愛蘭土」と書かれ、略称は「愛」です。イベントに行くと、「アイルランド愛」を感じるかもしれません。

 聖パトリックは、「アイルランドの使徒」と呼ばれます。カトリックでは、アイルランドを守る聖人の中心人物とされています。グレートブリテン島のクリスチャン家庭出身。4~5世紀、島の南部がローマ帝国に支配された時代の人です。16歳の時、彼は海賊に拉致されました。アイルランドに連れて行かれ、6年間、奴隷として働かされました。苦しみの中、彼は神に救いを求めました。自分の罪を悔い改め、神への信仰を深めました。すると6年たった頃、こんな声を聞いたそうです。「あなたは、もうすぐ家に帰る。船の用意ができている。」その声を聞き、パトリックは捕われていた場所から脱走しました。船に乗り、帰宅できたのです。その後も彼は、キリスト教について学び続けました。

 数年後、パトリックは幻を見ました。アイルランドから手紙が届く幻です。その時、こんな声が聞こえました。「私たちの所に戻り、一緒に歩んで下さい。」彼は宣教師になる決心をしました。訓練を受け、神父となり、今度は自らの意思でアイルランドに行きました。そこには、多くの神々を信じるケルト人たちが住んでいました。さまざまな迫害に勝利し、パトリックは何千もの人々に洗礼を授けたそうです。彼らのリーダーとなる神父たちも任命しました。彼の働きを通し、アイルランドはカトリックの一大拠点となりました。3月17日は、パトリックの命日だそうです。伝説によると彼は、三位一体の説明のため、三つ葉のクローバー(shamrock)を使ったという話。後に緑色はアイルランドのシンボルカラーとなり、セントパトリックスデーの色にもなりました。

 パトリックは天から力が注がれ、迫害に勝利できました。奇跡も体験しました。33人の死者がよみがえったという話もあります。私たちの人生は、それほど劇的でないかもしれません。でも私たち一人ひとりにも、天の力が必要です。人生の困難を乗り切るため。勇気をもって福音を語るため。迫害に勝利するため。そして神の偉大さを証しするためです。イエス様は、私たちに天の力を注いで下さいます。私たちをパワーアップして下さいます。セントパトリックスデーの緑色を見たら、パトリックに注がれた天のパワーを思い起こしましょう。その同じパワーは、私たちにも注がれるのです。

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」(エペソ5:10)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月10日 (日)

神に喜ばれる人生を歩む

 誰かの家を訪問する時、私たちはよく手土産を持って行きます。買う前には、何が喜ばれるか考えます。埼玉県外に行く時は、所沢周辺や埼玉の名産品を持って行くこともあります。(埼玉は最近、ずいぶんディスられていますが、埼玉にも名産品はあります。笑)所沢の名産は何でしょう。焼き団子?焼き団子は日持ちしないし、遠くへ持って行けませんね。狭山茶?狭山茶は、これまで多くの人に差し上げて来ました。深井醤油のたまり漬け?これも、どなたかに上げたことがあります。川越まで範囲を広げると、くらづくり本舗のお菓子があります。それも、以前持って行きました。深谷発祥の黒胡椒せんべいも美味しいです。これも、何度か持って行きました。北海道に行く時は、東京のお土産品を買うこともよくあります。(私も北海道出身ですが、北海道の人にとっては、東京のお土産も埼玉のお土産も似たようなものかも・・・笑)羽田空港には、美味しそうな物がたくさんあります。何をお土産にするか考えるのも、楽しいですね。――どれが美味しいだろう。あの人は何が好きだろうか。このお土産は喜んでもらえるだろうか。喜んでほしいな――と思いながら購入します。

 もちろん、手土産以上に大切なのは、私たち自身です。実際に会って話をすることに意味があります。先日、妻と私は茨城に住む叔母を訪問しました。会うのは私の父の葬儀以来で、18年ぶりでした。叔母はピアノの先生で、70代後半になった今も現役で教えています。バプテスト教会で信仰を持ち、今もオルガニストの一人として奉仕しているようです。私が北海道で牧師をしていた頃、叔父と二人で訪ねに来てくれました。叔父が亡くなる一年前のことです。叔母がクリスチャンになったと聞き、たいへん嬉しく思いました。所沢に来てから、なかなか機会がありませんでしたが、ようやく先日訪問できました。黒胡椒せんべいを持って行きました。手土産を喜んでくれたかどうかは、分かりません。でも上げた以上にたくさんお土産を、逆に私たちがもらいました。(笑)叔母は、私たちの訪問をたいへん喜んでくれたようでした。18年分の話をし、交わりを深めることができました。

 私たちは、全てが完成した永遠の神の家に向かう途中です。神は、私たちの到着を待っておられます。その大きな家は、現在建設中です。私たちの祖先アダムとエバは、神に与えられた家を失ってしまいました。家主の父なる神を裏切り、家から追い出されたのです。それ以降、アダムとエバの子孫はみなホームレスになりました。神はそんな私たちを憐れみ、新居の建設を開始されました。神と永遠に同居する家――限りなく広い、多世代・多文化住宅です。私たちをその家に住まわせるため、神は史上最大のプロジェクトを開始されました。人類の代表として選んだアブラハムに、神はこう言われたのです。「あなたとあなたの子孫が、永遠の新居に入る。」

 イエス様は、人類の代表、そしてアブラハムの子孫の代表として、この世に来られました。世界中のあらゆる人を神の家に住まわせるためです。イエス・キリストを信じる人は、誰でもアブラハムの子孫になれます。神の家に入り、神と永遠に同居する特権が与えられます。私たちは、その家に手土産を持って行きます。黒胡椒せんべいではありません。(笑)手土産は、地上の私たちの人生です。私はこんな生き方をしましたと、神に差し上げるのです。イエス様は、私たちの人生をとんでもなく高い値段で買い取って下さいました。ご自身のいのちの値段です。聖霊は、買い取られた私たちの人生を値段にふさわしいものに加工して下さいます。父なる神に喜ばれる手土産にして下さるのです。神はもちろん、私たちが家に行くことだけで喜んで下さいます。と同時に、私たちの持参する手土産も大いに喜んで下さるのです。

「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。」(エペソ5:10)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 3日 (日)

天の王家にふさわしく生きる

 この2年ほどで小室圭さんは、たいへん有名になりました。横浜出身の一人っ子で28歳。10歳の時、悲しいことに父親が自殺。それ以降は、母一人の手で育てられました。東京のインターナショナルスクールからICU(国際基督教大学)に進み、現在は米国ニューヨーク州のロースクールで法律を学んでいます。7月に行われる司法試験を受けるとも噂されています。ひときわ目立つとは必ずしも言えないこの青年が、一躍、時の人になりました。眞子さまの婚約相手だと報道されたからです。おととし5月、NHK夜7時のトップニュースでした。その年の9月、婚約内定を発表する記者会見が行われました。その頃は、日本中の多くの人がお二人の婚約を祝福し、喜んでいたように思います。

 ところがその後、風向きが変わりました。週刊誌やTV等が、小室さん親子の金銭トラブルを報道し始めたからです。ネット上でも、さまざまな意見があるようです。「小室さんは眞子さまの結婚相手にふさわしくない」と言う人が、たくさんいるのです。多くの人が二人を引き離そうとしているようで、現代版のロミオとジュリエットだと言う人もいます。眞子さまも28歳で、そろそろ結婚したいと思って当然です。いい大人のお二人が結婚したいのに、見ず知らずの大勢の人に断固反対されるのは、たいへんお気の毒な気がします。

 親族や友人でもない人たちが盛んに口を挟むのは、もちろん、眞子さまが皇族だからです。「天皇家の子にふさわしい相手と結婚してほしい」と思う人が、たくさんいるのです。(金銭トラブルの解決に税金が使われるか心配する人もいます。)日本の皇族は、生まれながら自由がありません。国民のしもべ、奴隷のような立場です。その天皇家に生まれることを、眞子さまは自分で選んだのではありません。それでも、これまで忠実に皇族として務めを果たして来られました。結婚したら天皇家を離れ、ようやくしもべの立場から解放されます。その後の長い人生をともにする相手くらい、自由に選んでいただきたいと、私は個人的に思います。私もお二人の親族でも友人でもありませんが、国民の一人として、これまでの眞子さまのお働きに感謝し、将来の祝福をお祈りしています。

 イエス様は、イスラエル王家の子として、この世に誕生されました。全知全能の神なので、何でも可能でした。どの時代のどの家に生まれるか、自由に選択できました。そのイエス様が選ばれたのは、イスラエルの国が滅び、ローマ帝国に支配されていた時代です。王族の立場を奪われ、大工をしていたヨセフの家を選ばれました。イスラエルの王家を立て直し、その家を全世界に広げることを自ら志願し、イエス様はこの世に来られたのです。そして神のしもべとして、全人類に仕える使命を見事に全うされました。今は天の王座につき、全世界に広がる神の国を治めておられます。

 イエス・キリストを信じる人は、天の王家に養子として迎え入れられます。生まれながらでも、知らない間にでもありません。自らの意思と決心により、天の王家の子になることを志願するのです。天の王家の子供には、ふさわしい生き方があります。王の模範にならい、しもべとして仕える使命を全うする生き方です。愛に満ちたその生き方を、私たちは自分の意思で選ぶことができます。何も知らずに捕えられていた不自由さから解放され、天の王に与えられる本当の自由を満喫することができます。天の王家に入る人は誰でも、イエス様が永遠の祝福と喜びで満たして下さるのです。

「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ4:1)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月24日 (日)

天の豊かさに満たされる

 最近は残念ながら、政府の発表する数字が信用できないようです。日本政府は、こう言っています。「日本は今、6年2ヶ月以上の長期にわたり、景気が拡大し続けている。」でも多くの人は、その実感がないと言っています。皆さんはどうですか。去年よりお金に余裕がありますか?私はそんな感じがしません。牧師という、お金儲けに縁のない働きをしているせいかもしれません(笑)。でも、社会の多くの人が経済的にどんどん豊かになっている印象を受けません。やはり、政府発表の数字が違っているのでしょうか。昔の日本は、政府が国民をだまし続けました。戦争に負けそうなのに、勝ち続けているかのように報告したのです。いわゆる「大本営発表」です。昔と同じ過ちが繰り返されないことを願っています。

 戦後、多くの人は経済的な豊かさを求め、一生懸命働きました。私の父は中学3年で終戦を迎えました。大学院を卒業し、技術者として大きな会社に就職しました。いろいろ事情があり、私が小学生の頃までは経済的に厳しかったようです。会社の仕事以外にアルバイトもしました。家計を支えるのは大変だったようです。でもその頃、日本は高度成長期で、多くの人が経済的にどんどん豊かになった時代でした。働けば働くほど、豊かになる実感があったはずです。昔はなかったテレビや冷蔵庫、洗濯機が、私の家にもありました。ステレオやテープレコーダー、電話機も家にやって来ました。父はゴルフ以外にカメラも好きで、自分の部屋で現像までしました。(私も付き合ったことがありますが、強烈な臭いでした。)私たちが住んでいた札幌市全体は、1972年のオリンピックに向け新しい建物が建ち、街並がどんどん新しくなりました。地下鉄が通りました。地下街もできました。人口も100万人を超える大都市になりました。私は子供でしたが、その頃の経済的な発展にはワクワク感があったように思います。

 今は、そのワクワク感が社会全体に感じられません。(私だけ?)長時間労働が、豊かさに直結するようには思えません。テレビや冷蔵庫、洗濯機は、何も珍しくありません。新しいビルが建っても、昔ほどの感動がありません。次から次へと出てくる新製品は、ワクワクするより目が回りそうです。(年をとったせいかな?笑)時代は大きく変わりました。もはや経済的な豊かさより、心の豊かさを求めるべきだという人がたくさんいます。経済的な豊かさにワクワクしなくなったなら、当然の成り行きです。海外旅行をした多くの人たちの「新発見」も、多少は影響があるように思えます。海外の多くの人たちは、日本人のようにあくせく働かないように見えます。ゆったりとした時間の中で暮らしています。経済的に貧しくても、結構幸せそうです。たとえ経済的に豊かでも、日本ではその豊かさを満喫できないと多くの人が感じているように思えます。

 聖書の時代には、テレビも冷蔵庫も洗濯機もありませんでした。スマホもWi-FiもSNSもありません。それでも多くの人が、幸せになる秘訣を知っていました。全知全能の神に教えていただいたのです。イエス様は、こう言われました。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。」たとえ経済的に貧しくても、幸せに生きる道があります。イエス・キリストを通し、神の国の豊かさを満喫する生き方です。天の無限の豊かさに比べれば、地上の貧富の差は人が思うほど大きくはありません。イエス様は、世界中の人を天の豊かさで満たすため、この世に来られました。イエス様を信じる人は、聖霊の満たしを受けます。天の驚くばかりの豊かさで、心が満たされます。私たちは神の愛に満たされ、周りにその愛を表すことができます。そんな人が増えたら、日本に心の豊かさが増した実感を多くの人が持つに違いありません。

「・・・そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:19)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月17日 (日)

神の家族として成長する

 先日、妻と私は東京・府中の教会に招かれ、2人で一緒に話す機会をいただきました。夫婦関係と家庭についてというテーマです。自分の教会以外で、2人揃って話をするのは初めてでした。私たちは、結婚して31年以上になります。ここに至るまで神様は私たちを導かれ、大いに祝福して下さいました。3人の子は大人になり、それぞれ仕事を見つけました。娘たちは結婚し、初孫まで生まれました。その恵みを振り返る良い機会となったことを感謝しています。

 初めて出会った時、私たちは2人ともクリスチャンではありませんでした。私が洗礼を受けた数ヶ月後、幸いなことに妻も信仰を持ち、洗礼を受けてくれました。結婚した時は、クリスチャンホームとして聖書に基づく家庭づくりをしたいと、私たちは願いました。神のことばという揺れ動くことのない、共通の土台があれば、夫婦や家族の間にも揺るがない関係を築いていけると考えたからです。

 結婚前、私は問題のある家庭をいろいろ見ていました。似たような問題は、今も多くの家庭にあるようです。離婚する夫婦。浮気する夫や妻。すれ違いの家族。文句や争いの絶えない家。愛のない家庭。虐待される配偶者や子供。最近も、子供が虐待死した痛ましい事件が大きく報道されました。でも事件になるほどでなくても、問題はあちこちに見られます。せっかく結婚するなら、幸せな家庭をつくりたいと私は思いました。それには、聖書の土台が一番だと考えたのです。

 私は牧師になるつもりだったので、特に家庭づくりに気をつけた所もあります。教会のリーダー(監督や執事)になる人は、良い家庭を築かなければならないと聖書にあるからです。牧師になる前から、「家庭は小さな教会で、自分はそこの牧師だ」と考えていました。妻と2人で、「小さな羊」のお世話をしたのです。私は子供に厳しくする役、妻は優しくする役でした。いつも夫婦で話し合い、祈り、一致を保つようにしました。「子羊」のお世話はたいへんでしたが、思えば楽しい日々でした。今は親子から、人生の先輩後輩のような関係に移りつつあります。孫については、私たちは2人とも甘やかす役を希望しています。(笑)

 人が家族をつくるのは、神の計画です。(もちろん、神のみこころに従い、生涯独身を貫く人も中にはいます。)神は、アダムとエバの結婚を祝福されました。子供たちが世界中に増え広がるように計画されました。アブラハムとサラの夫婦も、神は祝福されました。彼らの子孫を空の星、海辺の砂のように増やすと、約束されました。その子孫はエジプトで数十万世帯になり、人数は数百万人に膨れ上がりました。エジプトを出た後、彼らは荒野で子供たちをしつけました。親が子に、神の教えを伝えました。子供たちは立派な大人になり、それぞれ家族ごとに約束の地を受け取りました。神はアブラハムへの約束を守り、イスラエルの家族を大いに祝福されたのです。神に選ばれた家族として、その祝福を全世界に広げるためでした。

 イエス様は、この「神の家族」を完成しに、私たちの世界に来られました。イエス・キリストを信じる人は、神の家族に加えられます。神の祝福を体験し、全世界にその恵みを伝える人になります。信じた人は、赤ん坊として神の家に誕生します。その家の子として愛され、大切に育てられます。一番上の兄であるイエス様が、どう生きるべきかを教えて下さいます。家族とされた者同士、私たちは互いに助け合いながら生きて行きます。一人ひとりに委ねられた役割を忠実に果たします。私たちは神の家の子として成長し、イエス様のような愛に満ちた大人になって行けるのです。

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」(エペソ2:19)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月10日 (日)

祝福の神をほめたたえる

 平成の時代、カラオケで最も歌われた曲は、一青窈さんの「ハナミズキ」だそうです。2004年に発売後、多くの歌手にカバーされ、幅広い年齢層の人に親しまれた曲とのこと。私は聞いたことがありますが、歌ったことはありません。(平成になってから、カラオケも行っていません。笑)「ハナミズキ」は、9・11のテロ事件がきっかけで出来た作品だそうです。ニューヨークに住む友人に送ったメッセージが歌詞となり、それに曲をつけたとの話。歌詞は難解ですが、死に行く人が生き残る人に宛てた遺言のような内容に思えます。最後は、祈りのような言葉で歌が終わります。「果てない波がちゃんと止まりますように 君と好きな人が百年続きますように」。愛する人の平和と幸せを心から願うメッセージソングと言えます。それが、多くの人の心に響いたのかもしれません。

 メッセージソングとは、歌詞に強い主張が込められた曲のこと。誰か他の人に伝える重要なメッセージが込められてます。「ハナミズキ」の場合は、多くの人に平和の大切さを訴えています。ただ最後の「祈り」は、誰にお願いしているのか、はっきりしません。目に見えない存在へのメッセージなのかもしれません。自分の願いを言葉にして唱えることで、その実現を期待しているのかもしれません。あるいは単に、聞く人の共感を求めているのかもしれません。

 私たちも毎週、礼拝でメッセージソングを歌っています。カラオケではありません。生バンドつきです(笑)。私たちが歌う曲にも、人に伝えるメッセージがあります。♪♪「主は素晴らしい」、「イエスは十字架につき、よみがえられた」、「声を上げて喜び歌おう」♪♪――そのように歌い、周りの人の共感を求めます。人ではなく、神へのメッセージソングもあります。♪♪「あなたを愛します」、「あなたの恵みをほめたたえます」、「この国を救って下さい」♪♪――賛美を通し、そのように神に伝えます。歌詞に私たちの思いを込め、心を一つにして歌います。宗教的な儀式として歌うのではありません。ノリの良い曲を歌い、自分のテンションを上げるのでもありません。素晴らしい歌声や演奏を誰かにアピールするためでもありません。歌を通し、私たちの愛のメッセージを神に届けるのです。私たちが歌う心からのメッセージを、神は喜んで受け取って下さいます。

 礼拝賛美のモデルを作ったのは、イスラエルのダビデ王だと言われます。それまでの礼拝は、動物のいけにえを献げることが中心でした。ダビデ王は、音楽のいけにえを礼拝に導入したのです。あらゆる楽器を用い、神に賛美をささげ始めました。ダビデ自身が、ミュージシャンでした。彼は礼拝賛美の奉仕者を選び、訓練させました。彼らは、みな「達人」だったと記されています。旧約聖書の詩編も管楽器、弦楽器、打楽器など、あらゆる楽器を用いて神を賛美しようと呼びかけています。初代教会や中世の時代は、楽器伴奏のない賛美が中心でした。無伴奏の歌は「アカペラ」と言いますが、もともとはイタリア語で「教会風に」という意味でした。宗教改革以降、プロテスタント教会ではオルガンを弾くようになりました。今では多くの教会で、さまざまな楽器を用いた賛美がささげられています。

 全ての音は、神が創造されました。神にメッセージを伝えるのに、使えない楽器はないはずです。あらゆる楽器を通し、神の素晴らしさを賛美できます。イエス・キリストは十字架の上で死に行く時、全世界の人の平和と幸せを心から願われました。間違いを犯し、人殺しさえしてしまう人類の救いを祈られました。私たちはその驚くばかりの恵みを知り、神をほめたたえるメッセージソングを歌います。週1回だけでなく、いつでもどこでも神の祝福を感謝し、賛美できるのです。

「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」(エペソ1:3)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月 3日 (日)

天命を全うする

 旧約聖書に登場する信仰の勇者の一人、ヤコブの子ヨセフは、波瀾万丈の生涯を生きた人です。10人いた兄たちに憎まれ、奴隷として売られ、売却先のエジプトでは監獄に入れられました。ところが奇跡的な出会いを通し、ファラオの夢を解き明かすチャンスが与えられ、それがきっかけでエジプト全土の支配者にまで上り詰めます。家族をカナンから呼び寄せ、飢饉から救い、兄たちとも和解しました。それは、ヨセフの生涯のハイライトと言える感動的な名場面です。

 ところが、信仰の勇者を列挙する新約聖書・ヘブル人への手紙11章には、この感動的なシーンは出て来ません。ヨセフの話はたった一節だけ、臨終の場面です。創世記37章から50章までが、ほとんどヨセフ関連の話であるのと比べると、驚くばかりの簡潔さです。ヨセフは年老いて最期の時が近づくと、家族に将来の展望を語り、自らの埋葬場所を指定しました。「神は必ずアブラハムの子孫、ユダヤ人を約束の地に帰して下さる。だから自分の遺骸は、その地に埋葬してほしい。」彼は、そう遺言したのです。

 その遺言は、確かに守られました。数百年後、モーセに率いられたユダヤ人たちは、エジプトを脱出する際、ヨセフの遺骸も運び出しました。荒野を40年間さまよった時も、遺骸は彼らと一緒でした。約束の地を占領すると、遺骸はシェケムの地に埋葬されました。そこは、かつてヨセフが奴隷として売られる前、父に命じられて兄たちを捜しに行った土地でした。

 ユダヤ人をエジプトから約束の地に導かれたのは、もちろん創造主なる神です。その神の導きを象徴的に表したのは、荒野で彼らの先頭を進んだ契約の箱でした。神のことばを語るモーセの強力なリーダーシップも、ユダヤ人のサバイバル生活には不可欠でした。と同時にヨセフの遺骸は、彼らにとって大きな励ましとなったはずです。彼らのレジェンド、伝説の人物であるヨセフの遺骸は、荒野を行く民とともに約束の地を目指したのです。「必ずその地に帰ることができる。」ユダヤ人たちは遺骸を見るたび、ヨセフのその証言を思い起こすことができたはずです。

 ヨセフの天命は、エジプトの支配者となり、家族を救うことにとどまりませんでした。彼の伝説的な生涯とその遺言は、後世のユダヤ人を励まし、彼らが進むべき方向を指し示したのです。もちろんその姿は、私たちの信仰の模範でもあります。

 創造主なる神は、私たち一人ひとりにも果たすべき天命を用意されています。私たちの生涯と語ることばを通し、周りの人を励まし、人類に用意された約束の地を指し示す天命です。イエス・キリストを信じる人は、誰でもアブラハムの子孫に加えられ、ヨセフのように天命を全うすることができるのです。

「信仰によって、ヨセフは臨終のときに、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骸について指示を与えました。」(ヘブル11:22)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月27日 (日)

喜びの人生を生きる

 朝日新聞日曜版のスポーツ面に、「未来ノート―202Xの君へ―」というコーナーがあります。子供向けの記事で、日本のトップアスリートを4回シリーズで特集しています。小さい頃どんな練習をしていたか、どんな人たちに支えられたか、将来どんな夢を持っているか等が紹介されています。これまでテニスの錦織圭選手、野球の大谷翔平選手、卓球の平野美宇選手等が登場しました。(そのうち、大坂なおみ選手も登場するかもしれません。)今月は、バレーボール女子の黒後愛選手です。黒後選手は20歳で、栃木県宇都宮市出身。(餃子は好きかな?)身長180cmで、かつてのエース、木村沙織選手の後継者とも言われるそうです。

 先週20日の記事は「笑顔」がテーマでした。黒後選手の笑顔は、たいへん印象的です。昨年、世界バレーで活躍した時、笑顔が輝いていました。でも彼女は子供の頃、感情の起伏が激しかったそうです。泣き虫で、すぐ泣くし、すぐ怒りました。(「泣き虫愛ちゃん」が、もう一人いたようです!)感情のコントロールができず、気持ちにムラがありました。試合中、つまらない態度を見せることもあったそうです。父からは、こう言われました。「試合では笑顔をつくらないとダメ。試合で華のある選手になってほしい。」姉は、こう言いました。「バレーボールは一人じゃできない。エースのあなたの顔色をうかがうチームになっちゃいけない。」姉と2人で、笑顔づくりの練習もしたそうです。朝日新聞の記者に対し、黒後選手はこう語りました。「笑っていれば、いいことがある。前向きでいたい。」

 笑顔には、確かにいいことがあるようです。フランスの哲学者アランは、こう言ったそうです。「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ。」笑顔の表情をつくるだけで、脳の中でドーパミンが増えるそうです。幸せを感じさせる物質です。笑顔一つで、チョコバー2000個分幸せになるという話もあります。(チョコバーが大好きな人の場合でしょうね。笑)笑顔の人は、穏やかで有能そうな印象を与えるとも言われます。旧ソ連のユーリイ・ガガーリンは、人類初の宇宙飛行士に選ばれました。選出理由の一つは、彼の笑顔だったそうです。輝くような笑顔は、ヒーローになるのにふさわしいと判断されたとのこと。笑顔は、健康にも良いそうです。ストレスを発散させ、血行を良くし、ガンやウィルスへの抵抗力を高めると聞きます。もちろん笑顔は、人間関係も良くします。笑顔で写真に写る人は満足度の高い人生を送り、長生きするという調査結果もあるそうです。「笑う門には福来たる」ということわざ通りですね。

 聖書には、こう書かれています。「喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。」旧約聖書の箴言17章22節です。私たちの地上の人生は、嬉しいことや楽しいことばかりではありません。悲しいことや辛いことも起きます。打ちひしがれた思いになる時も、あるかもしれません。でもイエス・キリストを信じる人は、どんな時にも喜ぶことができます。目の前に起きる出来事が、全てではないと知っているからです。

 私たちの人生がたとえ荒野の旅のようでも、永遠の世界に比べれば一瞬に過ぎません。時が来たら、クリスチャンは素晴らしい約束の地に到着できます。限りない喜びと楽しみに満ちた、永遠の神の国です。そこに向かう人は、旅の途中から喜びと楽しみの「味見」ができるようになります。荒野にデパ地下がオープンするかのようです。(食べるのが好きな人向けのたとえです。笑)そこを歩けば幸せな気持ちになり、笑顔になれます。永遠の神の家に着けば、大好物を好きなだけ食べられる――その時を楽しみに、喜びながら「デパ地下」を制覇できるのです!信仰によって人生の荒野を笑顔で進み、華のある生き方ができることを感謝します。

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月20日 (日)

天与のゴールを目指す

 今年のNHK大河ドラマは、オリンピックがテーマです。主役は2人で、一人はオリンピックに初めて参加した日本人。もう一人は、オリンピックを初めて日本に呼んだ人。(フランスで今、捜査中の人ではありません。)来年の東京オリンピックへ向け、いろいろ話題が尽きませんね。

 初めてオリンピックに参加した日本人は、金栗四三(かなくりしそう)さんとのことです。私は番組の宣伝が始まるまで、この方のことを何も知りませんでした。1891年、熊本生まれ。8人兄弟の下から2番目。父親が43歳の時に生まれたので、四三と名付けられたそうです。(うちの息子は、私が33歳の時に生まれました。同じ名付け方なら「三三(さんぞう)」だったかもしれません。笑)四三君は小学生になると、自宅から学校まで毎日走りました。皆さんの小学校は、家からどのくらい離れていましたか?私は、数百メートルだったと思います。四三君の場合は学校まで片道6キロ、往復12キロでした。そこを毎日走りました。冬はわら草履、夏は裸足だったそうです。すごいトレーニングですね。それだけ走った甲斐あって、日本で初めてオリンピックのマラソン代表に選ばれました。1912年に開催されたストックホルム五輪です。四三君が、東京高等師範学校(今の筑波大学)の学生の時です。

 マラソン当日の7月14日は、快晴。午後1時半のスタートで、最高気温40度になりました。参加者68名中、半数が途中棄権。レース中に倒れ、翌日死亡した人もいました。(来年の東京五輪も心配ですね。)金栗四三選手は、26キロを過ぎた辺りで熱中症に。コース近くの家に行って倒れ、介抱されました。残念ながら、ゴールできませんでした。ところが55年後の1967年、ストックホルム五輪の記念行事に四三さんは招待されました。オリンピックの時、四三さんは棄権ではなく、行方不明扱いになっていたのです。五輪スタジアムを少し走り、ゴールテープを切りました。すると、こうアナウンスが流れたそうです。「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイムは、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。これをもって、ストックホルム五輪の全日程を終了します。」このマラソン最長記録は、今後おそらく破られないでしょう。四三さんはゴールの後、こう言ったそうです。「長い道のりでした。この間に孫が5人できました。」

 人生は、マラソンレースのようです。創造主なる神は、私たち一人ひとりに走るべきコースを用意されています。ゴールはどこか、どこをどう走るのが一番よいか、私たちの生まれる前から全て計画されています。でも私たちはほとんどの場合、何も分からないうちに走り出します。どんなコースなのか分かりません。ゴールがどこか分かりません。どのくらい長く走るのかも分かりません。多くの人は、神が計画された最善のコースから外れています。いつまで走っても、ゴールインできません。途中で疲れ果て、倒れる人もいます。目指すゴールを見失い、レースを投げ出す人もいます。

 イエス様は、そのような私たちに目指すべきゴールと正しいコースを教えに来られました。ゴールは、ストックホルムではありません。東京でもありません。永遠の神の都のスタジアムです。イエス・キリストを信じる人は誰でも、そのスタジアムにゴールインできます。ゴールを見失った人も、途中で倒れた人も、しばらく休んだ人も大丈夫です。大歓声に包まれた栄光のスタジアムに、世界中から無数のランナーが集まって来ます。レースを走り抜いた最高の喜びを、私たちは、イエス様とともにいつまでも味わうことができるのです。

「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」(ピリピ3:13-14)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月13日 (日)

新しい自分を生きる

 映画「ボヘミアン・ラプソディー」は先週、ゴールデン・グローブ賞の映画ドラマ部門で、最優秀作品賞と最優秀主演男優賞を獲得したそうです。ご存知、伝説のロックバンド「クィーン」のボーカル、フレディー・マーキュリーの生き方を描いた映画。日本では先週末までに600万人以上がこの映画を観て、84億円以上の入場料を支払いました。売上げは世界一とのこと。リピーターも多く、まだまだ大ヒット上映中だそうです。

 私はクィーンのファンではなく、映画も観ていません。(妻は関心があるようです。)でも先週、ネットを見ていたら、映画を観た人たちの感想に目が留まりました。その人たちは、フレディー・マーキュリーの次のような言葉に感動したそうです。「I decide who I am.(自分が何者かは自分で決める。)」彼が、自分の病気(エイズ)をバンドメンバーに告白するシーンだそうです。フレディーは、マイノリティ(社会的少数派)でした。アフリカ・タンザニアの島で生まれた、ペルシャ系インド人。ゾロアスター教を信じていたようです。そしてゲイ(同性愛者)でした。今風に言うと、LGBTです。17歳の時、イギリスに移住しましたが、社会の中で明らかに彼は少数派でした。「他の人々と全く違う自分は、一体何者なのか。」フレディーは、その答えを長い間、求めていたのかもしれません。

 「自分は何者か」という意識を、心理学で「アイデンティティ」と言います。私たちは、たいてい大人になるまでに、自分がどういう人間か意識するようになります。私は道産子(北海道出身)で、日本人です。無宗教の家に育ち、大学卒業後、クリスチャンになりました。今は所沢の教会の牧師です。プロテスタントの中でも、ペンテコステ(聖霊派)というグループに属しています。長男であり、夫であり、父であり、祖父です。それが、私のアイデンティティです。

 時々私たちは、自分が何者かを見失うことがあります。「アイデンティティ・クライシス」と呼ばれます。東京で一人暮らしを始めた頃、私は自分を見失いました。道産子は、マイノリティです。(どこの地方出身でも同じでしょう。)大都会の人混みで、自分だけ浮いている感じがしました。大学の難しい勉強について行けないように思いました。東京の有名私立高出身者に気おくれがしました。地方出身の友人たちと渋谷でさんざん飲み歩きましたが、何の解決にもなりませんでした。(お金を失くしただけです。笑)自分のアイデンティティを再発見したのは、創造主なる神と出会った時です。自分は神に造られ、愛されている存在だと、初めて分かりました。自分が何者かを、神に教えていただいたのです。その時、私は心に決めました。「そのアイデンティティを、自分は信じる」と。

 聖書の神を信じる人は、多くの場合、マイノリティです。アブラハムやその子孫のユダヤ人たちは、全世界のマイノリティとして神のことばを伝えました。イエス様と弟子たちも、社会の少数派でした。ヨーロッパに最初に福音が伝わった時も、信じる人は少数でした。今なお世界中の多くの国々で、クリスチャンはマイノリティです。日本もその国の一つです。全てを造られた神は、全ての人を愛しておられます。マジョリティ(多数派)の人も、マイノリティの人も、神は愛しておられます。その愛のゆえに、神は全ての人にこう言われています。「あなたにふさわしい、最善の人生を歩んでほしい。」でも神は、強制はしません。自分は何者かを選択する自由が、私たち一人ひとりに認められています。聖書が教えるアイデンティティを選択する人は、本来の自分の姿に回復することができます。人が自分たちの思いで決める姿でなく、神が計画し、完成して下さる新しい自分の姿です。どんな人であっても、神に受け入れられ、新しい人として生きる助けが与えられるのです。

「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ1:27)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«完成への道を突き進む