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2006年8月26日 (土)

語りかけ

大学4年の春、私は進路を見失っていました。卒業論文のテーマが、見つからなかったのです。よく考えてみると、そもそも私には、続けて勉強していきたいテーマなど、なかったことに気がつきました。大学院に行っても、何を研究したら良いのか、もう分かりませんでした。

大学に入った頃から将来、何をしていこうか考え続け、やっと方向性を絞ってきたというのに、これでまた、すべてが振り出しに戻りました。そうです。何のために生きているのか、というあの重大な問いにも、まだ答えが見つかっていなかったのです。

東京・池袋の薄暗いアパートで一人、うずくまっていました。もう将来に向けて、何をしたら良いのか分かりませんでした。自分には結局、何もできないのではないか、と思いました。絶望感だけが心を支配していました。

その時です。突然、誰かが私に語りかけるのを感じたのは。その「声」は、こう語ったのです。「あなたは何もできないと思っているけれども、あなたには目があって見ることができるし、耳があって聞くことができる。手があって物をつかむことができるし、足があって歩くことができる。頭で何かを考えることもできる。それらで何かができるのではないか。」

その瞬間、それが天地万物の創造者であり、支配者である神様であることを感じました。涙がぼろぼろ出てきました。「語りかけて下さった神様は、自分のことを愛し、気にかけておられる。自分にも何かできるかもしれない。この神様のために、何かしていきたい。」まだその時点では、具体的に何をしていったら良いか分かりませんでしたが、その時、すべてが美しく輝いて見えたことを覚えています。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4、新改訳第3版)

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