いのち
大学に入ってすぐ、クラスメートが自殺しました。クラスにはほとんど出てこなかったので、会ったことのない人でしたが、彼と親しかった友人の悲痛な顔は、よく覚えています。
その人がなぜ、自殺に至ったのかは、知りません。「必死の思いで受験勉強をして、やっと念願の大学に合格したばかりなのに、なぜ?」という疑問が、私にはありました。でもそれ以降、私自身、自殺も一つの選択肢だろうかと考え始めたのです。
生きる意味が、分かりませんでした。人生の目的が、私には見出せませんでした。大学受験という大きなハードルの向こうには、さらにいくつの高いハードルがあり、どれだけ厳しい坂道が続くんだろうと、嫌気がさしていました。
私がその時、自殺に至らなかったのは、親の心を思ったからです。それまで手をかけ、時間をかけ、お金をかけて息子を育て、東京に送り出し、ここで何も言わずに自殺してしまったら、親はきっと悲嘆に暮れるに違いないと想像しました。自殺したクラスメートの友人の表情が、ずっと心の奥底に焼きついていたのかもしれません。
神様は私たち一人ひとりにいのちを与え、愛をもって育てて下さっています。私たちの創造者として、親として、人生に意味と目的を備え、私たちの生き方を見守っていて下さいます。そのことを知るのは、もう少し後になってからのことでした。でも、そこに至るまでの道のりも、今から考えると、確かに神様が導いて下さっていたようです。いのちを与えて下さった方は、私たちがいのちを絶つことを、望んではおられません。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1、新改訳第3版)
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