神に喜ばれる生き方をする(Ⅰテモテ2章)
最近、うちの会堂では、花壇にコスモスが咲いており、教会員の人が朝、咲いている花を切って、礼拝の始まる前に花瓶に飾って下さいます。茶道の心得の中に、「花は野の花のように生け(る)」という言葉があるようですが、草花にほとんど無頓着な私でさえ、いつも感心させられるのは、自然な色合いと曲線をみごとに生かし、花壇で咲いている以上に美しく生けているように思えることです。
昨日の礼拝では、Ⅰテモテ2章から、「神に喜ばれる生き方をする」というお話をしました。神様は、親が子を大切に思うように、私たち一人ひとりのことを愛し、私たちの存在自体を喜んでいて下さいます。私たちも、神様の子どもとしてその愛に応え、神様に喜ばれるような生き方をしていきたいものです。
先日、札幌に行く途中で、ルスツの道の駅に立ち寄ったところ、浪越徳治郎さんの銅像を発見しました。「指圧の心は母心」で有名な(と言っても、若い人は知らないかな?)、あの浪越さんですが、なんと子どもの頃、ルスツにいたというのです。7歳の時、香川県から虻田郡留寿都村に移住し、リウマチだったお母さんにマッサージをするうち、指圧の技術を生み出したそうです。出発点は、お母さんに喜んでもらいたいという、子どもの一心の思いだったようです。
私たちは、どのように生きていけば、天のお父さんに喜んでもらえるのでしょうか。ここの聖書箇所では、他の人のために祈ること、神様の愛を伝えること、そして、良い行いをしていくこと、の3つについて記されています。「パパ」を喜ばせようとする私たちの姿を、父なる神様は、温かな眼差しで見守っていて下さるに違いありません。それはひょっとすると、美しく飾られた花のように見えるのかもしれませんね。
「そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(Ⅰテモテ2:3、新改訳第3版)
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コメント
>私たちは、どのように生きていけば、天の
>お父さんに喜んでもらえるのでしょうか。
キリスト教の神を讃えるように、神道や道教やヒンドゥーの神々も讃えなさい。偏狭な神概念を卒業することが神のみこころです。
ローマ教皇の排他的な発言が、目下イスラムとの間に緊張をもたらしています。困ったことですね。
投稿: tomo | 2006年9月28日 (木) 00時32分
コメントをいただき、ありがとうございました。
神様の祝福がありますように。
投稿: shigeki | 2006年9月28日 (木) 09時42分