両親
確か秋頃、25歳の誕生日前後だったと思います。札幌に住む両親に、牧師になる決心を伝えに行きました。洗礼を受けた時は、「あ、そう」程度の反応だったのですが、今度は、たいへん険悪な雰囲気でした。
「どうしてそう思ったのか」、「世の中のことが嫌になったのか」、「東京になんか、行かせない方が良かった」と、いろいろ言われました。宗教とほとんど関わりのないサラリーマン家庭を築いてきた両親にとっては、「牧師になること」イコール「世捨て人になること」のように思えたのかもしれません。
しかし、私の決心が固いことを見て取った父は、最後には、「お前の人生なんだから、好きなように生きたら良い」と許してくれました。それから1年半の後、両親は、そろって札幌の教会で洗礼を受けることになります。母は私に、「『老いては子に従え』だからね」と言って、笑っていました。
母は今も健在ですが、父は5年前、ガンで亡くなりました。逆らってばかりいる悪い息子で、ほとんど親孝行などできませんでしたが、クリスチャンになって天国に送り出すことだけはできて、本当に良かったと感謝しました。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31、新改訳第3版)
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