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2006年9月 8日 (金)

のがれの地

函館に来た頃は、街中で、タンポポがたくさん咲いていました。砂利道があり、空き地があり、のんびりしていて、いい町だと思いました。子どもの頃過ごした、オリンピック前の札幌のようでした。アパートの大家さんに自転車を借り、あちこち走り回りました。まる6年、首都圏の喧騒の中で暮らした私にとって、ホッとできる街並みだったのです。

函館を「玄関」としてきた北海道は、歴史上、「のがれの地」(避難所)としての役割を担ってきました。「函館」(もとは「箱館」)という名称は、15世紀に津軽から逃れてきた安東氏の家来、河野政通という武士が、函館山の中腹に箱型の館を築いたことが発端だそうです。17世紀のキリシタン弾圧の時は、多くのカトリック信者たちが、「蝦夷地」に渡ってきました。1639年には、106名の切支丹が、江戸幕府の命を受けた松前藩の手により、千軒岳で処刑されています。

ペリー来航後、開港された函館は、外国人船員たちが寄港し、休みをとり、時には「外人墓地」に葬られる人もいました。宣教師たちが次々と来て、後に函館のシンボルとなる「ハリストス正教会」も建設されました。西洋式の「とりで」を築く必要を感じた幕府は、五稜郭を建設。本州での戦いに敗退し、落ち延びてきた土方歳三ら旧幕府勢力がここに拠点を築き、明治新政府軍と最後の戦い(箱館戦争)をしたことは、よく知られています。

明治維新後は、主として旧幕府側の武士たちが、屯田兵として移り住んで来ました。函館郊外の七飯には、西洋式近代農業を取り入れるため、農業試験場が作られました。札幌に新設された農学校(北大の前身)で、クラーク博士の指導を受けた若者たちも、その多くは、新しい知識を吸収して身を立てるしかない、旧幕府方の没落士族の子たちだったようです。そう言えば、今でも「北海道に飛ばされる」という表現を、耳にしたりしますね。

札幌生まれ、札幌育ちの「道産子」である私にとっても、函館は、「のがれの地」でした。ここで私は、神様こそが駆け込むべき「避難所」であることを知り、神ご自身の「とりで」の中で、しばらくの間、安息と訓練の時を持つことになります。

「しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。」(詩篇59:16、新改訳第3版)

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