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2006年9月11日 (月)

丁稚

洗礼を受けて3ヶ月の後、東京に戻っていた私は、函館の教会に電話をかけました。「神学校に行こうと思っている」と私が言うと、牧師は、「まだ教会のことはあまり知らないだろうから、函館にしばらく移り住んで、実際の働きを経験してみてはどうか」と勧めてくれました。

古い教会堂の2階、集会兼用の一室をあてがわれた私は、丁稚(でっち)のような住み込み生活を始めます。クリスマス準備が進みつつある、11月のことでした。一応、教会スタッフ見習いのような扱いでしたが、無給でしたので、家庭教師の口を紹介してもらいました。

聖書知識も初心者レベル、教会の仕事もほとんど知らない私が、最初にできたことは、掃除と洗車、それに雪かきと「おつかい」くらいでした。ほとんど未知の世界だということすら理解せず、そこにいきなり飛び込んだ結果、それまで25年間教わってきたこと、特に大学やその後の「塾」(http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_376d.html)で学んだこと、積み重ねてきたことが、すべてゼロになったように感じました。かつて、「君たちは、日本の将来を背負って立つ指導者になるんだ」と、さんざん持ち上げられていたのが、もう遠い昔の色あせた夢のようでした。

しかし、振り返ってみれば、私にとってこの「丁稚生活」は、たいへん貴重な体験になりました。朝から晩まで、教会堂にどんな人たちが訪れ、教会は毎日、どのように動いているのか、手に取るように分かりました。いったん「ゼロ」になり、リセットされた私は、真新しいスポンジのように、まわりからすべてを吸収していくことができたのです。

「イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(マタイ16:24 新改訳第3版)

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