道
行ってみた教会は、若い人が多く、たいへん活気がありました。礼拝は、聖歌・賛美歌ではなく、ワーシップソングと呼ばれる現代風の新しい曲を、30分以上、元気にみんなで歌っていました。歌詞をOHPで映し出し、伴奏にはエレクトーン、ピアノ、ギター、ベース、ドラム、そしてフルートがつきました。賛美と献金の後、牧師による聖書の話が、40~50分ほどありました。昔あった「うたごえ喫茶」というのは、こんな感じだったのだろうかと、馬鹿な想像をしていました。
何回か礼拝に出席し、聖書の勉強会にも参加した後のことです。函館の街中にいた時、神様からの語りかけを感じました。「洗礼を受けて、わたしのことばを語りなさい。」そう言われたのです。将来の道を探し続けていた私は、すぐにそれが、「牧師になりなさい」という意味なのだと理解しました。
最初に語りかけを受けた頃(http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c2d1.html)から、しばらくの間は、天地創造の神様と、イエス・キリストとの関係が分かりませんでした。しかし、一人で聖書を読み続けた結果、函館に来た頃には、イエス・キリストが神の子・救い主であり、私たちと父なる神様との関係を回復させて下さる唯一の「道」であることを、知るようになっていました。
土曜日に教会に行って牧師と話をし、翌日すぐ、洗礼を受けることになりました。通常は「洗礼準備会」に何回か出席しなければならないので、これはかなり例外的だったようです。いきなり「語りかけがあった」とか、「牧師になりたい」などと言っても、本気にしてもらえないだろうと思ったので、それは黙っていました。
洗礼を受ける日曜日の朝、国際交流団体のスタッフの一人に電話をして、「洗礼を受けることになった」と言うと、「その教会、大丈夫なの?」と聞かれました。「大丈夫じゃなかったら、出ればいいよ」と答えたのを覚えています。今から考えれば、カルト団体でなくて良かったです。洗礼式を見に来てくれた彼女とは、その2年後、結婚することになりました。
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6、新改訳第3版)
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コメント
佐藤先生
当時を懐かしく思い出しながら、読ませていただきました。
こちらソウルはすでに秋の風が吹いています。
季節の移り変わりはなんて早いのでしょう。
でも私達人間の人生もそのようなものなのでしょうね。。。と、いつまでも若いつもりでいた私ですが、鏡を見ながら老けたな~と思う今日この頃です。
このプログ、時々訪問させていただきますね。
これからの素晴らしい七飯の秋を存分に満喫して下さい。
投稿: つちだ | 2006年9月 7日 (木) 15時52分
アンニョンハセヨ、つちださん!
コメントありがとうございました。
インターネットは国境がなく、便利ですね。
七飯も涼しくなり、秋の花粉症の季節となりました。
あの頃からもう、xx年になりますね。早いですね。
神様によって日々新たにされ、若々しさを保って下さい。
投稿: shigeki | 2006年9月 7日 (木) 16時49分