英語
英語を勉強し始めたのは、小学校2年生の頃だったと思います。私が通った幼稚園の2階(教会の一室)で、ネィティブの方が教えて下さるという話があり、面白そうだったので行ってみました。後から日本人の先生も教えるようになりましたが、楽しかったので、6年生まで続けました。ずっと発音の良い先生方に習っていたので、中学校に入った時、英語の先生の発音にビックリした記憶があります。心に思うところが外に現れたのか、後で先生の一人に、「最初から態度の大きい生徒だった」と言われました。
高1の夏休みにカリフォルニアに行った時、自分の使える表現が実に少なく、もどかしさを覚えました。大学1年の時は、米国人の先生の英会話クラスを選択したのですが、そこでは帰国子女や留学経験者たちの英語に圧倒されました。流行のファッションに身を包み、自由にペラペラと英語をあやつる彼らの様子は、いつも冴えない格好をしていた私から見て、まばゆいばかりでした。小2から英語を習っているのに、会話が満足にできない自分が情けなく、今まで一体、何をして来たんだろうと思いました。
当時、注目されていた松本道弘さんの本を読み、英字新聞やタイムをとり、FEN(米軍のラジオ放送)を聞き始めました。しかし、一朝一夕に上達するわけがなく、いつかは留学したいと思いつつも、英語だけの授業についていく自信はありませんでした。後に函館の教会で訓練を受けた時も、一つだけ「できない」と言って奉仕を断ったことがありますが、それは、宣教師の礼拝メッセージ(説教)の通訳でした。
トラックの仕事をしていた時、運転中は文化放送も聞きましたが、FENを聞いていることが多かったように思います。ニュース以外は音楽番組が多く、マドンナやシンディー・ローパー、そしてU2などが、よくかかっていました。英語放送をガンガンかけて、都内を走り回っている配送のトラックは、あまりなかったかもしれません。最近は、「英語耳」とか言われますが、トラック内でも1年間、FENを聞き続けたことは、少しはリスニングの訓練になったのではないでしょうか。神様はどのような経験も、私たちの訓練のために用いて下さるようです。
「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。」(申命記8:5、新改訳第3版)
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