年貢の納め時
85年の5月、函館に来ました。友人から紹介してもらった、ある国際交流団体の調査という名目でした。夏に大きなイベントがあるため、一度、見に来ないか、と当時の事務局長の方にお誘いをいただいたのです。
その時その団体は、ある会社の古い独身寮の一部を事務所として使用しており、数名の職員以外は、みなボランティアで手伝いに来ていました。
ある日、30代くらいの男性の方が、ボランティアとして来られました。どんな仕事をしているのかと聞くと、教会の「伝道師」だと言うのです。私は、それを聞いた瞬間、これが「年貢の納め時」だと思いました。
神様の存在を信じるようになってから、一人で聖書は読んでいましたが、どこの教会にもつながっていませんでした。大学3年の頃の「使者」の人は大学卒業後、フランスに留学し、音信不通になっていました。
(その人については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_0660.html)
なんとなくどの教会にも行きづらかった私に、神様は、もう一人の「使者」を遣わされたのです。自分の進むべき道を見出す糸口になりそうだと感じた私は、すぐに礼拝の時間と場所を聞きました。誘いもしなかったのに、「礼拝に行きます」といきなり私に言われたため、その伝道師の方は、少し驚いている様子でした。
もうそろそろ教会に行かなくてはならないと感じ始めていた、まさにその時、神様は絶妙なタイミングで、人との出会いを用意されたのです。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」 (伝道者の書3:11、新改訳第3版)
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