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2006年10月 2日 (月)

神の家を建て上げる(Iテモテ3章)

昨日の礼拝のお話は、テモテへの第1の手紙3章です。「愛する子」テモテへ手紙を書き送った使徒パウロは、テモテを遣わしたエペソの教会が、「神の家」としてどのように建て上げられていくか、たいへん気にかかっていました。特に重要だったのは、どんな人を教会のリーダーとして選んでいくか、という問題でした。教会は、誰にでも門戸が開かれていますが、誰でもリーダーになってよいかというと、そうではありません。どんな人がリーダーになるかにより、教会の性格と方向性が定まるからです。

米国の経営学者で、ビジネス・コンサルタントでもあるジム・コリンズ氏は、飛躍した企業に見られる特徴の一つに、「適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろす」ことがあると指摘しています。米国では、同氏の主張は営利企業だけでなく、教会を含む非営利組織でも、ずいぶん注目されてきたようです。どのような人に、リーダーとしての働きを担ってもらうのか、という課題は、営利・非営利に関わらず、すべての人の集まりにおいて、極めて重要なポイントなのです。

教会の「監督」である牧師に必要な条件として、パウロが最も強調しているのは、品性です。「教える能力」が条件のリストに登場するのは7番目であり、その前後に挙げられている条件はすべて、品性に関わる内容です。牧師とともに教会を支える「執事」の条件でも、品性が強調されています。それは、どうしてでしょうか。教会は、キリストの愛と人格を伝える役割を担っているからです。教会のリーダーが、品性に問題のある人だったら、キリストの品性を伝えることができません。

もちろん、完璧な人格を持った人は誰もいません。私自身、自分は牧師をやっていていいんだろうか、と思ったりもします。しかし、この箇所を通して、キリスト教会は神の家として何を目指すべきなのか、そのリーダーはどんな人であるべきなのかを、はっきりと知ることができます。神様の愛を伝える「家」を建て上げるため、さらにキリストの人格に近づいていきたいと願っています。

「ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。」(Iテモテ3:2~4、新改訳第3版)

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