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2006年10月30日 (月)

神の賜物を燃え立たせる(IIテモテ1章)

Flower061029 昨日の礼拝からは、テモテへの第二の手紙に入りました。イエス・キリストこそが旧約聖書に約束されている救い主であり、父なる神、聖霊なる神とともに天地万物の創造主であり、すべてを治めておられる天の王である、と信じ、宣べ伝えることは、大きなコストを伴いました。今なお世界各地で続く、キリスト教会迫害と殉教の歴史が、パウロやテモテの時代、すでに始まっていたのです。パウロがこの手紙を書いたのは、ローマ皇帝ネロの下、牢獄の中に捕えられ、自分の死が迫っていることを感じている時でした。「第二の手紙」は、ローマ帝国各地に福音を伝えてきた使徒パウロが、「愛する子」テモテに書き送った遺書と言っても良いでしょう。

パウロがテモテに先ず言いたかったのは、神様がテモテに与えて下さった人生の目的を忘れず、熱き思いをもって、自らの使命を果たしていきなさいということでした。神様は、人それぞれに異なった才能や力、「賜物」を与えておられますが、それらはすべて、十分に生かしきることが期待されています。私たちの多くは、いつも「燃えている」わけではなく、時には「さめている」ような状態、「ぬるま湯」のような状態の時もあります。もちろん、静まって休息する期間も必要ですが、ずっとそのままで良いわけではありません。与えられた「賜物」を燃え立たせ、本来の目的のため、十分に生かしていくことが大切なのです。

「福音=よい知らせ」をただ伝えていた人が捕えられ、殺されるという状況に置かれると、他のクリスチャンたちは、大きな選択を強いられます。いのちをかけて大胆に、信じることを語り続けるのか、それとも社会的な圧力に屈して、信仰を捨ててしまうのか、という選択です。日本にも、そのような時代がありました。江戸初期には、踏み絵を踏まなかった多くの人たちが殺されました。また第二次大戦中には、国家神道を拒否し、「非国民」扱いされた人たちが捕えられ、死に至るケースもあったのです。当時、「国家神道は宗教ではないから、全国民がその儀礼に参加すべきだ」と強要されたようで、これは、昭和初期の急速な右傾化の記憶が風化しつつある今、決して忘れてはならない歴史的事実です。

「何のために、神様がいのちを与えて下さり、今、生かされているのか、もう一度思い起こしなさい。」迫害の中、死を間近にしたパウロは、弟子テモテに対して、そう書き送ったのです。私たちも、それぞれ与えられた人生の目的と使命を、見失わずにいきたいと思います。

「あなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」(IIテモテ1:6、新改訳第3版)

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