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2006年11月20日 (月)

与えられている望み(マタイ14:22-31)

Flower061119 昨日の礼拝テーマは、「与えられている望み」でした。たとえ大嵐の中を通されることがあろうと、私たちには、神様が与えて下さっている、決して消え去ることのない希望があります。どんな状況においても、神様がともにいて、支えて下さり、すべてを導いていて下さっていることを知ると、私たちの心は平安で満たされます。

ある時、ガリラヤ湖畔で舟に乗った弟子たちは、祈るためにとどまったイエスを置いて、先に向こう岸を目指して出発しました。向かい風となり、波に悩まされていた弟子たちの舟に、イエスは、湖水の上を歩いて近づいて来ます。最初はびっくりした弟子たちも、それがイエスだと分かると、自分も水の上を歩いてみたいと思いました。ペテロは、同じ奇蹟を自分にも起こして下さいとお願いしますが、許しを得て、実際に歩き出してみると、風がこわくなり、沈みかけてしまいます。

このエピソードは、私たちが不測の事態に遭遇して、いかに信仰や希望を失いやすい弱さをかかえているか、ということを象徴しています。私たちは、目に見える状況で、物事を判断しがちです。しかし、実は、これから起ころうとしていることは、まだ目には見えていないわけで、それは、私たちの想像をはるかに超えた出来事かもしれません。そして、そのすべてを治めておられるのは、やはり目には見えないお方、天地万物の創造主なる神様なのです。

私たちに求められるのは、どんな状況の中にあっても、目の前の状況すべてをみ手の中に治めて下さっている神様に、いつも信頼していくことなのでしょう。それは、年老いて、子どもがいなかったにもかかわらず、「星の数ほどの子孫が生まれる」との神様の計画を聞いた、信仰の父アブラハムの生き方にも共通するものであり、次のことばにも表現されています。

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。」(ローマ4:18)

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