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2006年11月23日 (木)

新渡戸稲造

内村鑑三と札幌農学校で同期だったのが、新渡戸稲造です。新渡戸稲造は、1862年、南部藩士の三男として、岩手県盛岡市に生まれました。札幌農学校の二期生として、内村らとともに、ハリス宣教師から洗礼を授けられています。東京帝国大学(今の東京大学)進学後、渡米し、ジョンズ・ホプキンス大学で学びつつ、クエーカー派の集会に集うようになりました。

クエーカー派というのは、17世紀にイギリスで始まったキリスト教会の一派で、信者一人ひとりの心のうちに住まわれる神様(「内なる光」)の語りかけに、静かに耳を傾けることを重視するグループです。礼拝に決まった形がなく、誰かが語りだすまで沈黙が保たれることが多いようです。ジョージ・フォックスがその創始者で、キリスト友会、フレンド会などとも呼ばれています。新渡戸は、その集まりで、メリー・エルキントンと出会い、後に結婚することになります。

新渡戸の名前が国際的に知られるようになるのは、英文の著書「武士道」によってでした。カリフォルニアで病気療養中に書き上げたこの本は、1900年に出版され、たちまち各国語に翻訳されてベストセラーになりました。極東の小さな島国である日本が、なぜ急速に近代化を遂げ、眠れる巨竜・清国との戦争に勝利したのか、欧米の多くの人々には、不思議に思えたからでしょう。これを読んだセオドア・ルーズベルト米大統領が感激し、日露戦争後の講和条約締結に一役かってくれたのは、有名な話です。

新渡戸稲造はその後、第一高等学校(東大・教養の前身)校長、東京帝国大学教授、東京女子大学学長、国際連盟事務次長など、要職を歴任します。一高在職時、矢内原忠雄らを内村鑑三に紹介したのも、新渡戸でした。日本が軍国主義に覆われた時代には、国内では軍部に対抗し、多くの人々から糾弾され、渡米しては冷たい反応の中、反日感情を和らげるため奔走しました。

彼には、「愛国心」があったでしょうか。もちろん、熱い思いで祖国・日本を愛していたと思います。「太平洋の架け橋になりたい」という、青年時に抱いた「大志」を、まっすぐに貫いていったような人生でした。それは、キリストによってもたらされた平和を、自らの人生において実現しようとする生き方であったと、言えるかもしれません。

「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(エペソ2:14-15、新改訳第3版)

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