道ありき
大学3年の頃だったでしょうか、三浦綾子さんの青春時代の自伝・「道ありき」を読みました。クリスチャンの友人の勧めです。(その友人については、こちら→http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_0660.html)
戦時中、小学校の熱血教師として、子どもたちに教えていたことが、戦後、すべて否定され、虚無的になり、病気で寝込んでしまった、という著者の状況が、生きる意味をなかなか見出せない私の心と、どこか重なりあうような気がしました。
肺結核で臥せている綾子さんのお見舞いに通い続けた、前川正さんのまっすぐな生き方には、心打たれるものがありました。絶望の中で死を望み、周囲に辛らつな言葉をぶつけ続ける人に対して、「綾ちゃん、人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ」と言って、神様の教えを説き、励まし続ける姿は、容易に真似のできるものではありません。
綾子さんがイエス・キリストに希望を見出し、洗礼を受けたすぐ後、前川さんは結核で亡くなってしまいます。彼は、20世紀後半の日本における偉大なクリスチャン作家を、虚無と絶望の淵から「召し出す」ため、神様から特別に遣わされた使者だったのでしょうか。その後、綾子さんは、前川氏と面影が似ていたという、三浦光世さんと結婚し、デビュー作・「氷点」を皮切りに、数々の作品を発表していきます。「塩狩峠」、「細川ガラシャ夫人」、「ちいろば先生物語」、「銃口」など、これまで私も多くの小説やエッセイを読ませていただいたように思います。
大学4年の頃は、自宅アパート近くの小さな公園で、日向ぼっこをしながら、三浦綾子さんの本をよく読んでいました。東池袋で、サンシャインが見え、すぐ近くを首都高5号線が走っている道沿いで、車の音が賑やかでした。まさかその時は、その何年か後、自分も洗礼を受け、牧師になろうと決心し、さらには目の前の高速道路を、2トントラックで走るようにもなるとは、思ってもみませんでした。神様は、一人ひとりを、不思議な冒険の道に案内して下さるようです。
「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」(詩篇32:8、新改訳第3版)
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コメント
貴兄の三浦綾子さんとの出会いをお読みして、全く私も同じ体験をしましたので嬉しくてコメントを書いています。私は大学1年生の時に出会い、上北沢のアパートの隣が加川豊彦先生ゆかりの教会でした。その庭先や礼拝堂のオルガン練習を聞きながら、三浦文学にを読み耽りました。
私もその後牧師となり、日米で奉職後は大学教員をしながら協力牧師をさせていただいています。
お働きが祝福されますように!
村上光信
投稿: 村上 光信 | 2010年2月26日 (金) 08時47分
村上光信先生
コメントありがとうございました。
神様が与えて下さる不思議な出会いを感謝します。
祝福がありますように。
投稿: shigeki | 2010年2月27日 (土) 15時46分
こんにちは。ブログ拝見しました。私もオーストラリアで留学中に大学の図書館にたまたまあった塩狩峠と道ありきを読み、人生が変わりました。
人のために自分を捧げることのできる人がいるのが衝撃でした。
功利的に生きている人間の生き方を変えられるのは神様の愛より他ないと考えています。
投稿: Sally | 2010年3月31日 (水) 17時05分
Sallyさん
コメントありがとうございました。
しばらくチェックを怠っていて、アップが遅れました。
どうもすみません。
神様の愛をあらわす生き方をしていきたいですね。
投稿: shigeki | 2010年4月13日 (火) 17時59分