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2006年11月22日 (水)

内村鑑三

「愛国心」で思い出すのは、あのいわゆる「不敬事件」を起こした内村鑑三です。内村鑑三は、1861年、高崎藩士の長男として、江戸小石川に生まれました。明治維新の「負け組」だった旧幕府側に属していたため、自らの才覚で身を立てるしか道がなく、東京英語学校を経て、札幌農学校(今の北海道大学)に入学しました。

初代教頭として赴任していたクラーク博士の影響の下、イエス・キリストを信じ、函館のメソジスト教会宣教師M・C・ハリスにより、洗礼を授けられます。卒業して北海道開拓使に勤務した後、米国に留学し、帰国後、第一高等中学校(東京大学の前身)の嘱託教員となります。「不敬事件」が起きたのは、この時でした。

1891年、講堂で行われた教育勅語奉読式において、天皇直筆の署名に対して最敬礼を行わなかったことが、他の教師や生徒たちから非難され、新聞にも取り上げられる大問題となりました。聖書が禁じる「偶像礼拝」を避けようとした内村の行為は、多くの日本人には理解されず、「不敬の徒」としてのレッテルを貼られた結果、辞職に追い込まれます。その後、急速に右傾化していく日本の、先行きを暗示するような出来事でした。

内村鑑三には、愛国心がなかったのでしょうか。彼は、こう告白しています。「自分は2つのJを愛する。ひとつはジーザス・クライスト(Jesus Christ)であり、ひとつはジャパン(Japan)日本である。2つのJ-イエスと日本-そのどちらをより多く愛するか、自分は知らない。」

辞職後、内村は多くの著作を発表し、雑誌「聖書之研究」、「無教会」を創刊し、自宅で聖書の講義を始めました。弟子の中には、後に東京大学総長となった南原繁や矢内原忠雄がいました。南原は戦時下の大学でファシズムを批判し、矢内原は平和主義を説き続けたようです。弟子を見れば、師がどのような人だったか、伺い知ることができるとも言います。内村鑑三は、彼なりの方法で、日本と日本人を愛したに違いありません。

「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」(Iヨハネ3:23、新改訳第3版)

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