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2006年12月

2006年12月29日 (金)

2006年・回顧と感謝

今年一年も、神様がすべてを守り、祝福して下さったことを感謝します。1月には、韓国の大学生(YWAM)チームが来訪し、ともに神様を礼拝し、教会の人たちや子どもたちと一緒に、楽しい時を過ごしました。函館中部高校や地域の子供会も訪問し、日韓友好に努めました。毎日のように、卓球の勝負にも燃えました。

2月には、教会の子どもたちと一緒に、スキーに出かけました。以前は、私がかかえて滑る子もいたのですが、もう皆、それぞれグループに分かれ、自由に滑るようになりました。子どもが大きくなるのは、早いものです。3月には、長男が小学校を卒業し、翌月、中学校に入学しました。姉の後を継いで(?)、すぐに吹奏楽部に入部しました。

5月には米国・ワシントンDCを訪問し、米国フォースクエア教団の大会に参加してきました。ワシントンDCの中心部を歩き回り、ホワイトハウス、リンカーン記念館、ワシントン記念塔、連邦議会議事堂などを見学してきました。スミソニアン博物館群の中の国立航空宇宙博物館も訪れ、ライト兄弟の飛行機、ゼロ戦、アポロ11号の司令船等も見てきました。

6月に東京・昭島で開催された日本の教団大会は、米国からダニエル・ブラウン博士を講師に迎え、素晴らしい時を持つことができました。私は教団書記局(事務局)なので、いつも総会(ビジネス・ミーティング)の資料準備と議事録作成が主な担当です。最近は日本語、英語、ポルトガル語と、3ヶ国語で資料を作成しなければならないので、結構たいへんです。当日は、「英語→日本語」の通訳もします。毎年、一大イベントですが、今年もすべて守られ、祝福されたことを感謝します。

7月には、七飯シオン教会の10周年記念礼拝を行い、沖縄から教団代表の比嘉幹房牧師をゲストにお迎えしました。札幌のCFNJ聖書学院のチームも応援にかけつけて下さり、礼拝後は、会堂前でバーベキュー・ランチをいただきました。食後に、お茶席も設けられました。月末には、洗礼式もありました。

8月は、教会でのキャンプの直後、ファミリーキャンプに出掛けました。今年は、あまり遠出せず、札幌と苫小牧に宿泊することにしました。札幌の「オートリゾート滝野」も苫小牧の「アルテン」も、きれいに整備されたキャンプ場で、楽しい一時でした。中学校の同期会もあり、また10月には高校の同窓会にも参加して、旧交を温めました。

11月は、タイ・バンコックに行き、フォースクエア教団のアジア・オセアニア(ECFC)大会に出席してきました。リーダーシップに関する分科会の講義を、英語で何とかこなし、ホッとしました。参加者の方々に、わりと好評だったようで、私の方がずいぶんと励まされました。「カルチャーナイト」で、20年ほど前の白い浴衣を着たところ、「書生さんのようだ」とからかわれました。(笑)

12月は、もちろん、クリスマスです。今年も、和やかなパーティーを無事に終えることができ、喜んでいます。こうして、「主の良くしてくださったこと」を思い起こし、一年を終えられるのも、神様の恵みですね。神様が私たちに、いつも変わらない愛を注いで下さっていることを、感謝します。

「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(詩篇107:1、新改訳第3版)

P.S. 来週はお休みし、1月の更新は、8日(月)からとします。新しい年、読者の皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように。

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2006年12月28日 (木)

天国への旅

昨日、ある牧師夫人が天に召されました。先日、ガンの難しい手術が成功したようで、皆で回復を祈り求めていましたが、周囲の思いに反して、天国に迎え入れられる時が訪れたようです。ご家族と教会の皆様に、神様の慰めと平安があるよう、お祈りいたします。

15年ほど前、その方が「働き盛り」で、バリバリ奉仕されていた頃、教区の集まりで、その教会を訪問したことがあります。数十人分のパーティー料理を、デザートに至るまで用意し、女性たちの働きをすべて取り仕切り、さらに、司会者が遅れそうだと連絡が入ると、その集会の司会まで難なくこなしました。私と妻にとって、たいへんな驚きでした。ご主人がいない時は、礼拝メッセージ(説教)まですると伺い、私たち夫婦の間では、「スーパーウーマン」と密かに呼んでいました。

今年は9月に、もう一人、知り合いの男性の牧師が召されています。一般企業にお勤めされていた方で、仕事をしながら、同じく牧師である奥様の働きを支えておられました。いかにも優しそうで、ソフトな話し方をされる方でしたが、突然、脳梗塞で倒れられたようです。

イエス・キリストを信じる者にとって、死は、天国への凱旋です。ですから、地上での人生は、天国へ向かう旅だと言うことができます。ある旅人が、どのような歩み方をしたのか、どのように目的地にたどり着いたのか、ということは、他の旅行者たちの模範となり、励ましとなります。すばらしい生き方をした先人たちにならい、私たちも一歩一歩、確かな歩みをもって、天の御国に向かっていきたいですね。

「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」(ヘブル13:7、新改訳第3版)

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2006年12月27日 (水)

命拾い

命拾いをした体験は、これまで三度ほどあります。最初は、生まれる時のこと。私は、札幌の天使病院で生まれましたが、逆子で、へその緒が首に巻き付いていたそうです。そのまま通常分娩で足を引っ張ると、首が絞められて、死んでしまいそうだったので、帝王切開になりました。今でも、のどが弱いのは、巻きついていたへその緒のせいなのでしょうか?(笑)

小学校1年の時、学校の中庭の池に落ちたことがあります。休み時間に、しゃがんで池の中で泳いでいる魚を眺めていたところ、誰かがぶつかったのか、後ろからドンと押され、水の中に落ちました。それまで泳いだことなど一度もなく、何をどうしたら良いか分からなくて、ただ沈んでいったのだと思います。水面が明るく揺れて見えたことだけ覚えていますが、次に気がついた時は、保健室のベッドの上でした。その後、誰が名付けたのか、「ジャボンチャン」というニックネームがつきました。

大学の頃は、以前も書いたように、自殺しようかという思いが少しあったのですが、まったく意図せぬところで、一度、死にかけています。東京の冬は、下宿の部屋が思った以上に寒く、ガスストーブをいくら焚いても、札幌の家のようには暖まりませんでした。ある日、ストーブをつけたまま、ふとんにくるまり、うっかり寝てしまいます。朝方、目が覚めた時は、おかしな臭いがし、四畳半の部屋に煙が立ち込めていました。ふとんが、火のついたストーブの上にかぶさっていたのです。

幸い、ふとんにぽっかりと穴が開いただけで、火が燃え広がることはなく、一酸化炭素中毒にもなりませんでした。あわてて火を消し、すぐに換気しましたが、よく火事にならなかったものだと、一人で胸をなでおろしました。大家さんの家の中に、一部屋借りているような下宿でしたから、私の部屋から出火などしたら、私の死後も、補償問題などで親がたいへんだったかもしれません。

命を与えて下さった神様は、拾っても下さったのでしょう。この世に生かされている間は、神様の目的があるのでしょうね。

「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」(伝道者の書3:2、新改訳第3版)

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2006年12月26日 (火)

今年の漢字・「命」

年末になると、毎年恒例のように、「今年の漢字」が発表されます。いつも清水寺で、お坊さんが、みごとな筆さばきで大きな字を書き上げるので、お寺でやっている行事かと思いきや、財団法人・日本漢字能力検定教会が、その年をイメージする漢字一字を、一般公募した結果だそうです。

今年の漢字は、「命」だとのこと。悠仁親王のご誕生、自殺、虐待、交通事故死、竜巻、そして臓器移植や北朝鮮の核問題など、「2006年は、『命』に笑い、『命』に泣き、『命』に不安を覚えた年」であり、また「ひとつしかない命の重み、大切さを痛感した年」だったと、同協会が総括しています。

いのちは、確かに、たった一つしかありません。宝石でいうなら、こんなに大きな希少価値をもった「石」は、ないでしょう。世界中に、たった一つしかないのです。しかも、一つなくしたから、別な命に代える、というわけにもいきません。一人ひとりが、本当に大切な存在として、神様に「オーダーメイド」されているのです。

人間が、ただ偶然に、アメーバから進化してきただけの存在なら、一人ひとりの人生には、ほとんど価値も意味も目的も、見出せないでしょう。弱肉強食の生存競争で、強い者だけが生き残り、種が保存されさえすれば良いわけです。格差社会の「負け組」になり、「再チャレンジ」もできない者は、ただ静かに滅んでいくしかないのでしょうか。

しかし、実は、一人ひとりの命は、神様が永遠の愛をもって愛して下さっている、かけがえのないものであり、キリストが十字架上で身代わりとなったほどの、大きな価値があるのです。私たちの命は、それ自体、神様の喜びであり、人生は、天国に行くための選択期間です。また私たちには、自らの命を活かし、他の人を愛するという人生の使命があります。神様に与えられている自分の命、そして周りの人々の命を、大切にして生きていきたいですね。

「…あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」(詩篇139:13、新改訳第3版)

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2006年12月25日 (月)

約束の成就を喜ぶ(マタイ2章)

Tree061203_1 ベツレヘムにおけるイエス・キリストの誕生をお祝いしに来たのは、羊飼いたちだけではありませんでした。星に導かれた「東方の博士たち」が、新たな王子の誕生を祝うため、イスラエルを表敬訪問します。この博士たちは、東(オリエント)から来たというだけで、どのような人たちだったか、よく分かっていません。今年10月に、82歳で天に召されたクリスチャンで、東大名誉教授、元フェリス女学院大学長の弓削達氏は、古代オリエント、メソポタミア南部のバビロニア地方から来た可能性があると、指摘しています。

同氏によると、紀元前7年、バビロニアにおいて、うお座で木星が土星と5回、大接近した観測記録があるそうです。バビロニアの占星術では、うお座は終末時代のしるし、木星は世界支配者の星、土星はパレスティナの星と考えられたとのこと。つまり、その大接近は、終末の時代、パレスティナで世界の支配者が現れる、という意味になったのです。(弓削達、「ローマ帝国とキリスト教」、河出書房新社、1989年)「東方の博士たち」は、バビロニアで星を見て、イスラエルに旅立った天文学者たちだったのかもしれません。

エルサレムの王宮で彼らと接見したヘロデ大王は、彼らの訪問目的を知り、仰天します。エドム人でありながら、ローマ指導層との友好関係に基づき、ユダヤ王と公認されていたヘロデは、自らの立場を脅かす可能性のある者たちを、極度に警戒していました。自分の妻や子どもたちさえも、次から次へと殺害していたのです。「お世継ぎの誕生」など、ヘロデにとっては、あってはならない非常事態でした。

すぐに聖書に詳しい学者たちを王宮に集め、キリストがどこに生まれるか、確かめたところ、すぐ近くのベツレヘムであることが判明します。700年以上前に記された、旧約聖書のことばに、そう預言されていたのです。ヘロデの隠れた思いなど、まったくあずかり知らぬ博士たちは、ベツレヘムで幼子と感激の対面を果たし、黄金、乳香、没薬を贈り物してささげ、自分の国に帰っていきます。

ヘロデはこの後、ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を、すべて殺させました。しかし、その時、ヨセフとマリヤ、そして幼子イエスは、天使の警告に従い、すでにエジプトに逃れていたのです。人間がいかに謀略をめぐらそうと、神様の永遠の計画をとどめることはできなかったわけですね。

定められた時、救い主がベツレヘムに生まれることは、神様がなされた約束でした。必ず約束を守って下さる神様は、キリストを信じるすべての人に永遠のいのちが与えられるという約束も、決してたがえることはありません。神様の約束が、ことば通りに成就されたこと、そして、これからも成就されていくことを、喜んでいきましょう。

「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ5:2、新改訳第3版)

(写真は、自宅のツリーで、長男が撮影したものです。)

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2006年12月22日 (金)

アメリカのクリスマス

アメリカ(ロサンゼルス近郊)に行った時は、クリスマスでも、いろいろ新しいことがありました。今は道南でも、ちらほらと個人宅でイルミネーションを飾っている家がありますが、向こうでは、あちこちの家で装飾がなされており、ある場所に行くと、派手な飾りつけをした家が、通りの端から端までずらっと並んでいたりします。そういう場所は、噂になって、みんな見に行きます。函館では、道路の両側に桜並木が続く道があり、多くの人がその季節に車で訪れますが、そんな感じですね。

11月の感謝祭が終わると、町全体が赤と緑のデコレーションとなります。赤はもちろん、十字架で流されたキリストの血潮、緑は永遠のいのちを象徴しています。前に書いたかもしれませんが、金色は神様の栄光、銀色はキリストによる救い(贖い)、白はキリストの聖さを表しています。新年のお祝いは特にないので、1月初めも「クリスマス・シーズン」であり、クリスマスの飾りつけが残っていたりします。

ホームパーティーがあちこちで開かれ、パーティーの「はしご」をしたりします。家族ぐるみのお付き合いで、大人は大人同士、子どもは子供同士で、話に花を咲かせます。教会の人たちのパーティーで、皆、車で来るので、忘年会と違って、アルコールは出ません。しかし、クリスチャンの人たちは、日本でもそうですが、しらふでも大いに盛り上がるところがあります。

教会でももちろん、コンサートがあったり、大人も入った降誕劇やクリスマス・ディナーがあったり、さまざまなイベントがあります。「クリスタル・カテドラル」という有名な教会のクリスマス集会に参加した時は、仰天しました。降誕劇で、巨大な劇場のような教会堂の天井から天使がワイヤーで吊られ、客席の頭上を飛び回り、ステージ上には、本物の羊やラクダが登場したのです。あの動物たちのお世話は、たいへんだろうなと、また変なところが気になりました。

クリスマスの主役であるイエス・キリストは、世界中の人々に希望の光を与えるため、この世に来られました。救い主の光に照らされ、いつも希望をもって前進する者となりたいですね。

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:9、1:5、新改訳第3版)

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2006年12月21日 (木)

クリスマス・シーズンの思い出

私の家は、もともと無宗教で、子どもの頃はクリスマスといっても、家で特別にお祝いすることは、あまりありませんでした。せいぜい1メートルくらいの小さなツリーを飾り、ローストチキンとクリスマス・ケーキを食べたくらいです。プレゼントも、小さい頃は何かもらっていたかもしれませんが、だんだん私の好みもうるさくなり、親も買いに行くのが面倒になったのか、しまいにはお小遣いをもらっていたように思います。

母はわりと「グルメ」で、新しい物好きなので、ケンタッキー・フライド・チキンも、お店ができたらすぐに買ってきました。今はなくなってしまったようですが、昔は確か、市電の西4丁目駅のすぐ前に店舗があり、カーネルおじさんの像が立っていました。三越で買ってきたローストチキンも美味しかったのですが、フライド・チキンはまた、格別の味でした。クリスマス商戦にすっかりのせられ、クリスマスは、チキンの季節でしたね。

中学2年(?)の時は、「クリスマス・プレゼント」とお年玉を一緒にして、ということだと思いますが、スキー用品を一式買ってもらいました。スキー学習のために買い揃えなければならなかったのですが、今から考えると、たいへんな出費だったでしょう。私は友人から情報を仕入れ、カタログを隅から隅まで研究し、スキー、ビンディング、靴、ストック、そしてウェアから小物に至るまで、札幌中心部のスポーツ用品店と特別セール会場を、ほとんど一人で歩き回り、購入しました。

最初に購入した「HEAD」の板がオレンジだったので、オレンジ系でコーディネートしたかったのですが、気に入っていた「LOOK」のビンディングで、なんとか合いそうなのは、黄色しかありませんでした。靴は、あくまでも「LANGE」にこだわり、予算内で収めようと、さんざんお店を探し歩いた結果、やっと小さなお店に安く売っていた、赤いスキーブーツを見つけました。色は、ちょっとチグハグになってしまったけれど、一式揃って、私としてはたいへん嬉しかったです。

ウェア以外は、つい最近まで、現役で使っていました。ところが2、3年前、スキーとストックが盗まれてしまったのです。子どもたちの新しいスキーも一緒でしたが、私の古い道具は、よく盗んだものだと変に感心しました(笑)。今は、家族でスキーに行く時は、教会の人からいただいた板とストックを使っています。でも靴だけは、たくさん歩き回ってやっと見つけた赤いLANGEを、今でも履いています。30年以上たった今も、お気に入りの一品です。

神様から見れば、私たち一人ひとりは、きっといつまでも「お気に入り」なのでしょうね。イエス・キリストが、私たちのもとに来て下さったのは、その「お気に入り」の私たちを、罪の中から、絶望の中から、そして「永遠の死」から、救って下さるためでした。この「救いの道」こそが、実は、神様からのクリスマス最大のプレゼントなのです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:16-17、新改訳第3版)

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2006年12月20日 (水)

クリスマス・ストーリー

私は、教会付属の幼稚園に通っていたので、クリスマスのお話は、小さな頃から知っていました。もちろん、サンタクロースの話ではなく、イエス・キリスト誕生の話です。幼稚園のクリスマス会では、どんなことをしたのか、残念ながらまったく思い出せません。ただ小学校低学年の頃、クリスマスにした英語降誕劇のことは、かすかに記憶しています。

木造2階建ての教会堂の、1階部分が幼稚園で、礼拝堂は2階にありました。2階奥の部屋で英語を習っていたので、いつも礼拝堂の中を通って、クラスに出席しました。礼拝堂は、確かフローリングで、木のベンチだったのではないでしょうか。薄暗く、しんと静まりかえった礼拝堂の壁の上方には、イエス・キリストの顔の絵が飾られていました。

劇で何の役をやり、どんなセリフだったかも、覚えていませんが、その礼拝堂で普段と違った衣装をつけ、たいへん楽しかったことだけが印象に残っています。英語の先生は、最初ネイティブの方だったのですが、後から日本人の女性に交代しました。私の遠い親戚にあたる、美人のお姉さんで、英語の発音もとてもきれいでした。しかし、この方は、その後、男性と心中してしまいます。「どうして死んでしまったのだろう」と、大きなショックを受けました。

数年前、近くの町内会で行われた子どもクリスマス会に呼ばれ、お話をしたことがあります。「クリスマスって、何の日か知ってる?」と聞くと、サンタクロースとプレゼントのことしか、答えが返ってきません。子どもは20人くらいいたのではないかと思いますが、クリスマスがイエス・キリストの誕生日だと、誰も知りませんでした。これには、驚きました。

「クリスマス」は、「Christ's mass」、つまり「キリストのミサ(礼拝)」という言葉が語源となっています。それは、救い主の誕生をお祝いし、喜びをもって神様を賛美し、礼拝する時なのです。私たちも、このクリスマスの時、私たち一人ひとりを愛し、いのちを与えて下さった神様の栄光をほめたたえ、「平和の君」なるイエス・キリストの誕生を、心から賛美していきましょう。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」 (ルカ2:14、新改訳第3版)

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2006年12月19日 (火)

クリスマス・パーティー開催!

日曜日の夜は、恒例のクリスマス・パーティーを開催しました。95年に帰国し、今の教会を担当するようになってから、12回目のクリスマス・パーティーとなります。最初の3回は、教会堂で行っていたのですが、次第に場所が手狭になり、近くのホールを借りることにしました。椅子をびっしり並べれば、300人くらい入る広さの会場で、パーティー用に空間をたっぷりと使い、ツリーやテーブル、椅子を配置します。

最初の頃は、会場設営をする人たちの間で、お互いに要領が分からず、右往左往することもありました。しかし、さすがに同じホールで9回目ともなると、特に指示がなくても、どんどん設営が進んでいきます。照明と音響は、ホールで働いている専門の方にお願いするのですが、この方も、もうすっかり顔なじみです。

クリスマス・パーティーは、もちろん、イエス・キリストの誕生をお祝いするものです。ですから私たちの教会では、一般の人も来てお祝いしやすいように、あまり「宗教色」を出さず、「バースデー・パーティー」のように行ってきました。はじめに「イエスさま誕生おめでとう」という、「サザエさん」の主題歌の替え歌を歌い、食事を一緒にします。食後には、子どもたちの出し物があり、最後に牧師が短くお話しして、「きよしこの夜」を一緒に歌う、というパターンです。

毎年、頭を悩ませてきたのは、メインの「出し物」でした。95年には確か、小学1年生だった長女に、英語のクリスマス曲を歌ってもらいました。ホールを借りるようになってからは、子どもたちを集め、降誕劇をしてもらうことが多く、10月末頃から毎週、練習に励みました。今年は、長男のピアノ・ソロと小中生7人のハンドベル演奏になりました。ある方から、日本ハム・ヒルマン監督のDVDを貸していただいたので、クリスチャンである同監督もビデオで「特別出演」し、クリスマス・メッセージを語ってくれました。

皆さん、たいへん協力的なのですが、今年、特に感銘を受けたのは、調理室の女性チームです。食事は毎年、ポットラック形式とし、教会員の人が持ち寄ってきたのですが、今年は、食べ物を持ってこない中高生たちが増えそうだったので、料理の一部は、調理室で作ることにしました。会場設営が一段落した後、午後3時頃から調理チームが集まり、午後9時に後片付けが終了するまで、調理室は文字通り、熱気につつまれました。

天使のことば通り、飼い葉おけに寝ている救い主を発見した羊飼いたちは、その誕生をお祝いし、心から喜んで帰っていきました。私たちも、クリスマスの本当の意味を知り、この季節を、喜びの時としたいですね。

「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 」(ルカ2:20、新改訳第3版)

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2006年12月18日 (月)

救い主の誕生をお祝いする(ルカ2章)

Xmas061217 昨日の礼拝では、ルカ2章、イエス・キリストの誕生の箇所を開きました。ダビデ王の子孫であった大工ヨセフと、そのいいなずけの妻マリヤは、イスラエル北部にあるガリラヤ地方の、ナザレという町に住んでいました。本来なら、王家の子孫として、首都エルサレムのすぐそば、南部のユダ(ユダヤ)地方にある、ベツレヘムに住んでいるはずでした。神の選びの民イスラエルは、神様に聞き従わなかった結果、諸外国の侵略を受け、王朝は紀元前6世紀に、すでに滅んでいたのです。

しかし、救い主がダビデの子孫としてベツレヘムに生まれる、という神様の計画は、変わることがありませんでした。実に不思議なことに、ナザレにいたヨセフとマリヤは、マリヤがすでに身重であったにもかかわらず、ベツレヘムにどうしても行かざるを得なくなります。それは、ローマ皇帝アウグスト(アウグストゥス)が、占領地に新たな課税をするため、「本籍地」における住民登録を命じたからでした。当時の「全世界」(地中海世界)のトップに君臨していた皇帝の、ごく世俗的な、政治目的の命令が、実は、何百年も前に語られていた、神様の預言を成就するために用いられたわけです。

ヨセフとマリヤがベツレヘムに滞在中、イエス・キリストが誕生します。宿には部屋がなかったため、生まれたばかりの救い主は、飼い葉おけに寝かされました。この飼い葉おけは、私たち人間を象徴しているとも言われています。私たち一人ひとりは、必ずしも、美しく飾られた王宮のベッドのようではないかもしれません。汚れやほこりにまみれ、動物の臭いがしみついた、飼い葉おけのようであるかもしれません。イエス・キリストは、たとえ私たちがそのような存在であったとしても、私たち一人ひとりのところに来て下さり、神様がそんな私たちをも愛して下さっていることを、教えて下さるのです。

最初に救い主の誕生を告げられたのも、社会的な地位のある立派な人たちではなく、社会の周辺で遊牧生活をしている、名もない羊飼いたちでした。彼らは、天使から告げられたグッド・ニュースを素直に受け取り、救い主の誕生をお祝いしようとする、まっすぐな心を持っていたのです。イエス・キリストは、私たちに神様の愛を伝え、私たちの身代わりとなって十字架につかれるため、この世に来て下さいました。私たちも、このクリスマスの時、素直でまっすぐな心をもって、救い主の誕生をお祝いしていきたいですね。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:10-12、新改訳第3版)

(写真は、昨晩のクリスマスパーティー会場のツリーです。)

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2006年12月15日 (金)

バスを降りる時

新経営陣の下、会社の組織も一新され、機能別組織から製品分野別の事業部制へと移行します。事業部制にすることは、21世紀委員会の提言の一つでもあり、活動の中間報告を受け、組織変更に踏み切ったのかと、少し期待しました。ところが、「上の方」から間接的に聞こえてくる話によると、どうもそうではないようです。全社運動とはまったく関係なく、新経営陣が独自の判断により、事業部制にしたと言うのです。この出来事は、運動の結末を暗示しているようでした。

21世紀委員会の最終提言発表会は、社長以下、経営幹部も出席し、盛大にとり行われました。しかし、社内での扱いは、あたかも「学習発表会」のようで、下々の思いを、お上がただ「聞き置く」というような結果になってしまいました。新経営陣にとっては、ほとんど意味のない活動だったのでしょう。提言内容への上からの回答は、「シカト」というものでした。

全社運動が終わった頃には、総合企画部も、私以外は皆、新しいメンツに一新されていました。入社時に「2、3年で辞める」と言った時、「まあ、そう言わずに、ずっといて下さい」と言って採用して下さった方々は、「そして誰もいなくなった」(アガサ・クリスティ?)状態です。私も、抹殺される前に(笑)、そろそろこの「バス」を降りる時かなぁと、感じ始めました。教会の方も、「実地訓練」が一区切りしたため、すでに米国の神学校への留学準備を始めていたのです。

退職願の提出後、4年間お世話になった会社を、愛する妻にも見せてやりたいと思い、有給休暇が切れる最終日に、家族でご挨拶に伺いました。4歳になったばかりの長女は、女の子たちの人気者となり、「おとうさん」と娘が言うと、「『おとうさん』だって」と女性たちの笑い声がしました。私が父親らしく、見えなかったのでしょう。お昼ごはんは、普段はほとんど縁のなかった近くの高級料理屋で、美味しいウナギをご馳走になりました。

全社運動で親しくしていただいた経営コンサルタントの方からは、「まだ辞め時ではない」と言われ、また教会に新たに赴任した牧師からは、「もう1年、所沢にいてもらえないか」とも言われました。しかし、31歳になっていた私の年齢、子どもの教育、仕事の区切り等を考え合わせると、その時しか、留学のチャンスはなかったように思います。何より、米国留学は大学にいた頃からの夢であり、何年も待ち続けた末、ようやく神様がゴーサインを出して下さったように、感じていたのです。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」(伝道者の書3:1、新改訳第3版)

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2006年12月14日 (木)

21世紀委員会

「21世紀委員会」に集められたのは、若手・中堅クラスの精鋭で、20名前後だったでしょうか。この人たちが、会社の将来を担っていくのかと、たいへん頼もしい思いがしました。コンサルタントの指導の下、何度も議論を重ね、提言をまとめていきます。社会・経済環境の分析から、会社のミッション(使命)および事業分野の検討、考えられるシナリオ、克服すべき課題など、議論は尽きません。熱気ある会合は、明るい未来を象徴しているかのようでした。

ところが、全社運動が始まってまもなく、社長の交代が発表されます。新社長は、親会社から来られ、それとともに経営陣が大幅に入れ替えになりました。専務も総務担当取締役も、別会社への転任が決まります。総務部長は変わりませんでしたが、総合企画部長は、別な部署と兼務になり、会社の方針が少しずつ変わりつつあるようでした。

「運動」というのは属人性が高く、人が入れ替わってしまうと、なかなかうまく行きません。前経営陣に説明を重ね、その了解の下で始めた全社運動だったため、新経営陣の受け取り方には、ずいぶん温度差がありました。しかし運動は、すでに「離陸」していましたので、なんとかどこかに、うまく「着陸」させなければなりません。事務局としては何より、熱心に議論し続けている、21世紀委員会のメンバーの人たちの思いを、大切にしたいと願っていました。

ある金曜日の午後に行われた事務局会議で、運動の今後の日程について打ち合わせた直後、同席していた総務部長から、「ちょっといいかな」と呼ばれました。別の小さな部屋に招かれた私は、いきなり辞令を渡され、「来週月曜から2週間、工場に行って、製品の検査をしてくれ」と言う部長の言葉に、耳を疑います。その直前の打ち合わせとは、まったく話が違っていたからです。

私は、あっけにとられ、まじまじと総務部長の顔を眺めましたが、部長も歯切れが悪く、どうやら上の方からの指示のようです。「虚業」にいそしみ、「会議室」で無駄なおしゃべりをしているのではなく、「現場」に行って少し頭を冷やせ、という意味か、と思いました。「すまじきものは宮仕え」という言葉が、一瞬、頭に浮かびました。部長に文句を言っても仕方がないと思ったので、「分かりました」と一言答え、翌週から作業着を着て、製品の全数検査にいそしむことにしました。

ただ私が、2週間工場に行ったくらいで、全社運動の火が消えるわけではありません。本社に戻った後も、委員会の活発な議論は続き、なんとか着地点を探り出そうと、事務局の努力は続きました。

「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(ガラテヤ6:9、新改訳第3版)

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2006年12月13日 (水)

週刊誌

新しく赴任された総務部長は、私を全社運動以外にも活用したかったらしく、総務部がらみの他の仕事にも、ちょこちょこ顔を出すことになります。一つは、新卒採用のイベントで、大学生相手に全社運動の話をしてくれ、ということでした。何だかちょっと、「人寄せパンダ」のような気分がしましたが、初対面の若者たちの前で話をするのは、私にとってはいい経験になりました。

確か、新入社員向けの研修に、かり出されたこともあります。こちらは、研修の企画自体にはタッチしていませんでしたので、何をしたかよく憶えていませんが、新人たちの「良きお兄さん」役か何かが、期待されていたのでしょう。今なら、メンターだとか、コーチだとか呼ばれ、きちんとした仕組みができているのかもしれません。

一番印象に残っているのは、週刊誌の取材です。総務部としては、ユニークな人材が活躍できる会社だということをアピールしたかったのか、オン(会社)とオフ(教会)を上手に使い分けているビジネスマン(?)として、ある週刊誌に私が紹介されることになりました。

取材に来られた記者の方は、製造業では見かけないような、ちょっと小粋でエキセントリックな男性で、掲載する写真は、教会で撮りたいと言います。日曜日の礼拝では、私が前に出て、ソングアシスト(賛美リーダーのサイドボーカル)をしていると言うと、その姿を写真に収めたいと思ったようです。礼拝中には撮影できなかったため、礼拝終了後、歌っているフリをした写真を撮っていただきました。(これは、ヤラセですね!)

どちらかと言うと、ビジネスマン向けの週刊誌で、教会の人は、おそらく読まないだろうし、あまり関心もないだろうと思い、教会では特に話をしませんでした。すると、ある日突然、牧師から、その記事を見たと言われます。出張のため、新幹線で移動中、車内に置き去りにされていた週刊誌を手にし、私の写真を発見したと言うのです。天使が、そこに置いていったのでしょうか。これには驚きました。

アヤシイ週刊誌でもなく、悪いことをしたわけでもありませんでしたが、たとえ黙っていたとしても、もちろん神様はすべてご存知であり、時が来たら、隠し事も明らかにされます。この出来事は、後々まで、一つの教訓となりました。

「おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。」(マタイ10:26、新改訳第3版)

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2006年12月12日 (火)

全社運動

「人生は出会いで決まる」と、誰かが言っていたように記憶していますが、それは会社勤めをしている頃の私にも、当てはまったように思います。メーカーに就職した時、引っ張って下さったのは、総合企画部の部長さんでした。この方が手を上げなければ、グループ内の別会社に採用される予定だったそうです。(そのあたりの経緯は、こちらのリンク→http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/2_c49d.html)そして、もう一つの大きな出会いは、私がせっせとレポート書きをしている頃、新たに本社総務部長に赴任された方でした。

当時、私の部署は3階の大部屋で、社長室と監査役室のすぐ脇でしたが、反対隣は総務部、その向こう側が経理部となっていました。人事も担当していた新総務部長は、定時きっかりにいつも帰る私を、「ごくつぶし」と思ったかどうか知りませんが、ある日、新たな全社運動の事務局にお借りしたいと、総合企画部に乗り込んで来られました。ヨーロッパの子会社を設立して帰国したばかりの、やり手の新任部長です。通常業務に差し支えない範囲で、ということで了解が得られ、私は「モノ書き」以外の仕事も、新たに担当するようになりました。

事務局で何をするか検討した結果、売上・利益目標を達成するための企業体質改善運動として、部長層による「強み・弱み分析」、全社員による「社長への手紙」、そして将来への提言をまとめる「21世紀委員会」を立ち上げることになります。総責任者はもちろん社長、運動の旗振り役に専務、そして事務局には本社や工場から若手数名が集められ、推進体制も整いました。

この全社運動に関わることができたのは、今は、良い思い出となっています。もし、あの元気な総務部長との出会いがなければ、私はただ「月報の記者」として、会社生活を終えたでしょう。全社運動を通して、多くの方々と知り合いになり、少し閉塞感の感じられた会社の雰囲気も変わるだろうか、と期待しました。しかし、会社はその後、私のまったく「予想外」の方向に、変わっていくことになります。この会社に勤めたのは、たった4年でしたが、短い間であっても、人生、何が起こるか分かりません。

私は勝手に、企業の将来を思い描いていましたが、神様の計画は、別なところにあったようです。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──主の御告げ──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8-9、新改訳第3版)

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2006年12月11日 (月)

救い主なる神を喜びたたえる(ルカ1章)

Flower061211 昨日の礼拝で開いたのは、「受胎告知」に関わる聖書箇所でした。「受胎告知」というのは、ご存知の通り、天使ガブリエルが乙女マリヤのもとに遣わされ、救い主が生まれることを告げる場面です。昔から、多くの画家たちにインスピレーションを与えた題材らしく、さまざまな描かれ方がされています。妻も昔、エルミタージュ美術館の展覧会を見に行った際、ムリーリョという人の作品を購入したようで、私の家にも一枚、複製画が残っています。

絵を描くときには、象徴的な色やイメージが用いられます。マリヤの服は、赤の上に青をまとっていますが、赤は慈愛、青は天(あるいは信仰)を象徴しているようです。鳩はもちろん、聖霊であり、白百合は清純さと処女性を意味しているとのこと。天使はたいてい、羽をもっているように描かれ、ムリーリョの絵では、ガブリエルは少女のようですが、その光景を見守っている他の天使は、赤ん坊のような姿をしています。

聖書の中には、確かに、翼をもった天使も登場します。しかし、出会った際に最初、天使と分からないケースもあり、そのような場合は、その時代の人間たちと同じような格好をしていたのではないか、と想像されます。受胎告知の場合、ガブリエルがどういう姿をしていたか、はっきりした聖書の記述はないため、画家たちのイメージとは違い、周りの人たちとあまり変わらない姿をしていたかもしれません。

ただ、伝えられたニュース自体に、マリヤはたいへん驚きました。旧約聖書で預言され、人々が長い間待ち望んでいた救い主を、自分が生むことになる、というのです。しかもそれは、聖霊なる神の力により、いわゆる「処女懐胎」という形を通してでした。マリヤはその後、親類のエリサベツにより確証となる言葉が与えられ、救いを与えて下さる神様を喜び、賛美しています。

クリスマス・ストーリーは、奇蹟の物語です。それは、どんなに絶望的な状況に置かれていたとしても、人間の力を超えた神様の奇蹟に期待することができる、という励ましのメッセージでもあります。私たちも、天使ガブリエルの次の言葉を信じ、神の救いを喜ぶ一人ひとりになっていきたいですね。

「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37)

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2006年12月 8日 (金)

事業部制

サラリーマンの時は、経営者やビジネスマン向けのセミナーにも、いろいろ出席させていただきました。忙しくて行けない人の代理として、私が参加し、レポートを作成するわけです。いくら残業しても仕事が追いつかない他の人と比べれば、いつも定時に帰っている私は、かなりヒマだったのでしょう。

経営コンサルタントの先生方から、薬師寺の管主だった高田好胤氏や、田中角栄元総理の秘書だった早坂茂三氏に至るまで、さまざまな方々のお話を聞かせていただきました。高田好胤氏や早坂茂三氏は、話の進め方から話法まで、さすがにプロだと、変なところに感心しました。数多くのセミナーの中、内容的に一番、印象に残ったのは、元松下電器の幹部の方のセミナーで、事業部制に関するものです。

松下電器は1918年、松下幸之助が23歳の時に、創業されました。最初は、幸之助夫妻と義弟の3人で、電灯用の配線器具を製作、販売しましたが、その後、電池式ランプ、アイロン、ラジオと製品分野を広げていきます。1933年には、ラジオ、ランプ、配線器具をそれぞれ担当する3つの事業部を設置し、各製品分野別に開発、生産、販売について一貫して責任を持つ、独立採算制の組織となります。事業ごとに責任者を一人置いたことは、経営責任を明確にし、また将来の社長候補の育成にもつながりました。

教会と企業という、2つの「組織」に身を置いていた私にとって、この話は、ずいぶん考えさせられました。教会では、ハワイのラルフ・モア牧師の影響の下、「ミニチャーチ」(別名「コイノニア」あるいは「セル・グループ」)と呼ばれる小集会が開かれ、ミニチャーチのリーダーは、その集会の牧師としての働きをしていました。ラルフ牧師にとってミニチャーチは、教会の多様な働きをできるだけ多くの人に担ってもらい、人々の細かなニーズに応えるものであり、また将来の牧師を育成するための場だったのです。ミニチャーチのリーダーから、多くの牧師が誕生することになります。

一方、私の会社の方は、製品分野が多岐にわたっているにも関わらず、開発、製造、販売、管理という働きごとに区分された機能別組織をとっていました。そのセミナー以降、製品分野ごとの事業部制に再編した方が良いのではないか、と私は考え始めます。その思いは、その後に始まる「全社運動」への一つの素地となりました。

ミニチャーチと事業部制に共通するのは、小さな範囲の職責を十分に果たし、実績を積んだ人に対し、さらに大きな職務が委ねられるという考え方です。聖書の中に、家の主人がしもべに財産を預けて旅に出る、「タラントのたとえ」という話がありますが、そこにも同様の原則が記されています。

「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25:21、新改訳第3版)

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2006年12月 7日 (木)

後世への最大遺物

いつ頃、読んだのか、はっきり憶えていませんが、内村鑑三の「後世への最大遺物」という講演録には、大きなインパクトを受けたように思います。私が読んだのは、岩波文庫版ですが、今は、ネットでも読めるようです。(PCサイトは、こちら→ http://www.aozora.gr.jp/cards/000034/card519.html

この講演は、1894年、日清戦争のあった年に、箱根で開催された「キリスト教徒夏期学校」において、なされたものでした。あの「不敬事件」の3年後です。当時33歳だった内村鑑三は、自分を育んでくれた「美しい地球」や「美しい国」(どこかで聞いた表現ですね!)に、何かを遺していきたいが、では一体、何を遺すことができるのかと、話を進めています。

後世に、お金を遺す人がいます。事業を遺す人がいます。思想を遺す人がいます。しかし、すべての人が、お金や事業、思想を、後世への遺産とすることはできません。誰にでも遺すことができるのは、「勇ましい高尚なる生涯」だと、内村鑑三は主張しています。それも大それたことをするのではなく、自分の信じることをただひたすら実行する、「真面目なる生涯」を後世に遺したい、と結んでいます。

私が牧師になろうと思ってから、特に意識してきたことは、「模範」ということばでした。教会の中では、牧師は人々の模範とならなければなりません。その意識は、自分の子どもが生まれた時、さらに強まったように思います。家庭では、ごまかしが効かないからです。

クリスチャンとして、親として、よいロールモデル(お手本)を示さなければ、と心掛けてきたつもりです。もちろん、足りない点も、多々ありました。天国に迎え入れられる時、どの程度、人々の模範となり、「真面目なる生涯」を送ることができたかは、神様と「後世」の人々が判断してくれるでしょう。

「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」(Iテモテ4:12、新改訳第3版)

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メンテナンスでした!

Jpg0335日午前から、本日午後3時まで、ココログのメンテナンスで、記事の更新ができませんでした。

私も知らなかったので、前もってお知らせできませんでした。どうも失礼しました。

代わりに、といっては何ですが、ある人からいただいた、「はこだてクリスマスファンタジー」の写真を掲載します。

毎年、何とか空き時間を見つけ、家族で見に行くのですが、今年は、いつ 行けるかな?

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2006年12月 4日 (月)

万軍の主に望みをかける(イザヤ8-9章)

Tree061129 昨日から、アドベントに入りました。アドベント (Advent) とは、キリストの降誕を待ち望む期間のことで、クリスマス・イブまでの約4週間のことを言います。日本語では「待降節」または「降臨節」と呼ばれるようです。ろうそくを4本用意し、最初の日曜日に一本目のろうそくに火をともし、週ごとに1本ずつ増やしていく、という習慣もあります。最近は、11月早々からクリスマスの飾りつけがなされるようになってきましたが、私たちの教会では、毎年、アドベントが始まる日から、ツリーやリースを飾っています。

キリストの誕生については、古くから多くの預言がなされてきました。アダムとエバ(イブ)のいたエデンの園において、キリストは、彼らの子孫として来られることが告げられました。紀元前2100年頃、キリストはユダヤ人の子孫として生まれることが、予告されました。紀元前1000年頃には、キリストはイスラエルの王・ダビデの家系に誕生することが、示されています。紀元前750年頃には、キリストは、ベツレヘムの町に生まれ、全人類の罪の身代わりとなって死なれることが、預言されています。

紀元前700年代に活躍した預言者イザヤは、キリストの預言を残した一人でしたが、彼は、どんなことが起きようとも、最終的に勝利を与えて下さる神様に、希望を持っていました。イスラエルの国は、神様に従わなくなった結果、滅びようとしていました。しかし、神様は、苦難と悲しみの先に、回復の時を用意しておられ、永遠の平和をもたらす王が生まれることを、イザヤを通して、人々に告げられたのです。

「万軍の主」とは、すべての戦いに勝利をおさめる「力ある神」、全能の神様という意味です。このお方が、アダムの子孫、つまり人間の子として、私たちに平和と希望をもたらすため、お生まれになりました。どんなに絶望的に見える、真っ暗闇のような状況の中にも、神様は光を照らすことができます。イエス・キリストは、闇に光を輝かせるため、私たちのもとに来られました。このクリスマスの時期、「万軍の主」なる神様に、希望を見出していきたいですね。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:6-7、新改訳第3版)

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2006年12月 2日 (土)

クリスマス・パーティー

Xmas2006 12月17日(日)午後6時30分より、七飯町文化センターにて、恒例のクリスマス・パーティーを開催します。(左の画像は、クリックすると大きく表示されます。)

どなたでも歓迎いたしますので、初めての方も、どうぞご遠慮なく、お出で下さい。

入場無料ですが、食事は持ち寄り制ですので、もし可能な方は、何か一品、お持ち下さると感謝です。

クリスマスの時期、皆様の上に、ご降誕の救い主の祝福が豊かにありますように。

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2006年12月 1日 (金)

人間関係

私は昔から、あまり人間関係の得意な方ではなく、ましてや人格的に優れているわけでもさらさらなく、よくそれで牧師になったと自分でも思います。人に嫌われる才能をもっている、と時折、宣言していますが、その「才能」は、会社勤めをしている時にも、いかんなく発揮されました。(苦笑)

総合企画部で、最初に与えられた仕事は、ある雑誌の記事に載っていたのと同様の手法で、自社と同業他社とを分析し、比較したレポートをまとめることでした。私は、経営分析はもちろん、その業界のこともほとんど知りませんでしたから、まわりの人にさんざん質問しまくって、いろいろと教えてもらい、参考文献も読んだ上で、やっとグラフのたくさん入った報告書を作成しました。

社長以下、役員を対象とした「総合企画会議」で、その内容が報告されます。部長は、初登場の私に花をもたせるつもりで、「これは、佐藤君が担当しました」と、わざわざ言って下さいました。自分でもよく分からずに書いているわけですから、ちょっと気恥ずかしい思いがしましたが、その心遣いが嬉しかったです。

しかし、少なくとも取締役の一人は、書かれた内容が気に入らなかったようで、批判的な意見を述べました。自分の担当分野が、同業他社と比べて、あまり良い評価になっておらず、「これでは今、一生懸命、改善活動をしている人たちの気持ちを逆なでする」と、言われました。私も、言われることはもっともだと思いましたが、部長は、私のことをかばって、反論してくれたように記憶しています。

ただ、この後、次第に明らかになっていくのは、どうもお気に召さなかったのは、報告書の内容だけではなかったらしいことでした。私も、会社より家庭や教会を優先していたわけですから、よく思われなくても、当然と言えば当然でした。その取締役の方は、確か私の大学の先輩にあたりましたが、私が辞めるまで、残念ながら良い関係を築くことができませんでした。

牧師になってからも、周りのすべての人と良い関係を築くことは、不可能です。それは、私自身、「イエス・キリストに免じて赦された罪人」にしか過ぎず、神様によって正しい、「義なる姿」に少しずつ近づけられつつも、今なお、足りない点をたくさん持ち合わせているからです。不完全な私を、不完全なままで受け入れ、愛して下さっている神様に感謝します。

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖(あがな)いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23-24、新改訳第3版)

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