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2006年12月26日 (火)

今年の漢字・「命」

年末になると、毎年恒例のように、「今年の漢字」が発表されます。いつも清水寺で、お坊さんが、みごとな筆さばきで大きな字を書き上げるので、お寺でやっている行事かと思いきや、財団法人・日本漢字能力検定教会が、その年をイメージする漢字一字を、一般公募した結果だそうです。

今年の漢字は、「命」だとのこと。悠仁親王のご誕生、自殺、虐待、交通事故死、竜巻、そして臓器移植や北朝鮮の核問題など、「2006年は、『命』に笑い、『命』に泣き、『命』に不安を覚えた年」であり、また「ひとつしかない命の重み、大切さを痛感した年」だったと、同協会が総括しています。

いのちは、確かに、たった一つしかありません。宝石でいうなら、こんなに大きな希少価値をもった「石」は、ないでしょう。世界中に、たった一つしかないのです。しかも、一つなくしたから、別な命に代える、というわけにもいきません。一人ひとりが、本当に大切な存在として、神様に「オーダーメイド」されているのです。

人間が、ただ偶然に、アメーバから進化してきただけの存在なら、一人ひとりの人生には、ほとんど価値も意味も目的も、見出せないでしょう。弱肉強食の生存競争で、強い者だけが生き残り、種が保存されさえすれば良いわけです。格差社会の「負け組」になり、「再チャレンジ」もできない者は、ただ静かに滅んでいくしかないのでしょうか。

しかし、実は、一人ひとりの命は、神様が永遠の愛をもって愛して下さっている、かけがえのないものであり、キリストが十字架上で身代わりとなったほどの、大きな価値があるのです。私たちの命は、それ自体、神様の喜びであり、人生は、天国に行くための選択期間です。また私たちには、自らの命を活かし、他の人を愛するという人生の使命があります。神様に与えられている自分の命、そして周りの人々の命を、大切にして生きていきたいですね。

「…あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」(詩篇139:13、新改訳第3版)

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