« 秋葉原 | トップページ | スノーボード »

2007年1月22日 (月)

主の栄誉を告げ知らせる(イザヤ42章)

Flower070121 昨日の礼拝テーマは、「主の栄誉を告げ知らせる」ことで、聖書箇所はイザヤ書42章でした。イザヤ41章では、イスラエルを捕囚から解放するペルシヤ王クロスについて記されていましたが、42章には、世界中の人々を罪の奴隷状態から解放する「神のしもべ」について、預言されています。もちろん、それはイエス・キリストのことです。

イエス・キリストは、世界を治める王として、国々に公義をもたらしに来て下さいました。「公義」にあたるヘブライ語は、「ミシュパット(mishpat)」という単語で、これは裁判で下される正しい判決という意味を含んでいるようです。イエス様は、「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」、痛み傷ついた者、弱っている者たちに、正しい裁きをもたらして下さるのです。日本人にとっては、水戸黄門や大岡越前のような「正義の味方」のイメージが、分かりやすいかもしれませんね。

キリストはまた、人々に神様のことばをもたらして下さいました。神様がすべての人を愛し、罪の中から、不安の中から、恐怖や絶望の中から救い出して下さるという、約束を伝えて下さったのです。暗闇の中に光を照らし、どんな人に対しても、希望を与えて下さいます。いつもともにいて、「あなたを愛しているよ」と優しく語りかけて下さるのです。

そしてイエス・キリストは、私たちに喜びをもたらして下さいます。全世界の人々に対し、喜び歌いなさい、と聖書は呼びかけています。神様が救いを与えて下さり、私たちが自分では解決できないようなすべての問題に、勝利を収めて下さるからです。

神様の救いを知るクリスチャンは、何を誇りとすべきでしょうか。自分自身でも、自ら成し遂げた偉業でもなく、自分の属する教会やその他の団体、あるいは郷土や国家でもありません。私たちを愛し、命を与えて下さり、そして自らの命を懸けて私たちを救って下さったイエス・キリストを誇りとし、このお方の栄誉を語り継ぐべきなのです。何も誇れるようなものがない私たちを、ただ一方的に愛し、永遠の神の国に招き入れて下さったイエス様を賛美します。

「主に栄光を帰し、島々にその栄誉を告げ知らせよ。」(イザヤ42:12、新改訳第3版)

|

« 秋葉原 | トップページ | スノーボード »

礼拝」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/186781/13617210

この記事へのトラックバック一覧です: 主の栄誉を告げ知らせる(イザヤ42章):

« 秋葉原 | トップページ | スノーボード »