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2007年1月

2007年1月31日 (水)

自由研究

月曜日は、小5の末っ子が通う小学校にも行きました。冬休みの自由研究が展示されていて、その日が最終日だったためです。玄関を入ってすぐのホールに、所狭しと、思い思いの作品が並べられていました。工作や手芸品、書初め、ファイルや模造紙にまとめられたレポートなど、「自由な研究」の範囲は多岐にわたります。6年生のレポートには、映画で話題になった「硫黄島」の研究もありました。

今回、うちの子が提出したのは、先日、韓国から来たチームの人たちへのインタビュー報告です。一人ひとりの写真と名前、出身地、日本についてどう思っていたか、来てからの感想などを、クラスの友人と一緒に、四つ切の画用紙二枚にまとめました。もう一枚の画用紙には、韓国の地図を大きく書いて、一人ひとりの出身地を地図上に記入しました。身近な韓国研究と言えるかもしれません。

長女の小学校入学以来、12年間にわたって、子どもの自由研究の相談に乗ってきました。それも、あと1年、夏と冬の2回で終わりそうです。思い出に残る自由研究は、先ず、長女の支笏湖の研究。家族で支笏湖にキャンプしたことを利用し、世界の湖の種類や支笏湖の特徴などを、模造紙数枚にまとめました。次に長男の気温調査。調査しようと思った理由から、調査の方法と結果、考察や感想などを、これも模造紙にまとめました。ただ折れ線グラフを書いただけでなく、晴れた朝の方が、曇や雪の朝より冷え込むことを発見することもできました。

私が小学生の頃、特に印象に残っているのは、工作でモーターを作ったことと、模造紙に雲の研究をまとめたことです。モーターは、自分なりに工夫して、コイルを巻いて作ったのですが、まったく動きませんでした(笑)。もう時間もなかったので、そのまま持っていって、展示してもらいました。雲の研究は、ただ百科事典をまる写ししただけでしたが、廊下に大きく張ってもらい、たいへん嬉しかったです。妻の場合は、クワガタの観察をしていたところ、いつの間にか、虫かごから逃亡していたという経験もしたそうです(笑)。

自由研究とは、「身近なことから広い世界のことまで、自分で課題を設定し、それについて取り組む研究のこと」だそうです。自由に設定した課題を通して、一人ひとりが成長できると良いですね。子どもたちだけでなく、大人の私たちも、何が自分や周りの人たちにとって、本当に良いことであり、有益であるのかを考え、物事に取り組んで生きたいものです。

「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。」(Iコリント6:12、新改訳第3版)

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2007年1月30日 (火)

不審者

最近は、「不審者」が増えているようです。私の住む地域は、どちらかというと田舎でのんびりしたところなのですが、それでも地域の教育委員会から時折、「不審者情報」なるメールが送られてきます。サングラスをかけた男性が、小学生の女の子を車の中に連れ込もうとしたとか、暗くなって帰宅し、家に入ろうとした中学生の女の子のそばに、見知らぬ男性がすり寄ってきたとか、何かの事件につながりそうな話を耳にします。近郊で発生した殺人事件の犯人も、まだ捕まっていないようで、テレビでも、毎日のように日本のどこかで起きた殺人事件のニュースが流れています。検挙率も、落ち込んでいるようです。「平和で安全な日本」は、一体どこへ行ってしまったのでしょう。

2年前、教育委員会から、困った子どもがいつでも駆け込むことができる場所を提供して下さいという趣旨で、「子供110番の家」というステッカーとノボリが配られました。昨年は、「安全・安心パトロール」という腕章が配られ、地域を歩く時につけて下さいとの要請がありました。腕章をつけている人をまだ見たことはありませんが、私は車の移動が多いので、フロントガラスのところに外から見えるよう腕章をくくりつけています。小学生の登校時は、以前から集団登校ですが、最近は、下校時に警察官が校門のそばに立って、目を光らせていたりします。

私は、運転時には帽子をかぶり、サングラスをかけたりするので、少し怪しげに見えるかもしれません。花粉症の時期には、その格好でマスクをすることもありました。パトカーとすれ違った時、警官がこちらをじろじろ見ていました(笑)。ある日、小学生が下校しているのを見て、うちの子ももう帰って来る頃かと思い、車の中から子どもたちに、「何年生?」と聞きました。サングラスもマスクもしていなかったはずですが、子どもたちは不審者と思ったのか、何も言わずに、走って逃げていきました(苦笑)。

そんなことがあったので、できるだけ知らない子どもたちには近寄らないようにしていたのですが、昨日もうっかり、また声をかけてしまいました。スキー場に小学生がたくさんいて、ゼッケンに○○小学校と書いてあったので、ゴンドラに乗ろうとしている一人の子に、「○○小学校って、どこにあるの?」と聞いたのです。隣にいたのが引率の先生だったらしく、「△△にあります」と答えてくれましたが、不審者かと警戒しているような様子でした。まあ、確かにこちらも、いいトシをしてスノボなどやっている怪しいオジサンには違いないのですが(笑)、不審者扱いされることは、あまり嬉しいものではありませんね。

神様は、私たちが駆け込むことのできる安全な場所を提供して下さいます。それは、城壁の中の「やぐら」に例えられています。神様の「やぐら」の中にいれば、不審者からも守られますね。

「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。」(箴言18:10、新改訳第3版)

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2007年1月29日 (月)

創造主なる神に聞く(イザヤ44章)

天地万物を創造された神様は、私たち一人ひとりに、愛をもって語りかけられるお方でもあります。愛する人に対して、私たちは、その愛を言葉や行動を通して、伝えたいと強く願います。なかなか理解してもらえなくて、切ない思いをする時もあります。天の父なる神様も、同様に、ご自身の全き愛を、私たちに伝えたいと願っておられるのです。

昨日の礼拝テーマは、「創造主なる神に聞く」ことで、イザヤ書44章を開きました。この聖書箇所で、神様は選びの民イスラエルに対し、三つのメッセージを語っておられます。その第一は、約束のことばです。神様は、彼らを選び、創造し、助け、祝福するという約束を与えて下さっています。そして、その約束が、イスラエル以外の民族にも広がっていくと語られています。イエス・キリストを信じることにより、今は、世界中の人々が神の選びの民となることができるのです。

第二のメッセージは、宣言のことばです。創造主なる神様は、唯一の永遠なる神であり、将来の計画についても、確かなことを告げられる、ただ一人のお方であることが宣言されています。その点で、人間の作った偶像の神々とは、まったく異なるわけです。そして、真の神様を信じる者たちは、創造主のことばを伝える証人とされるとも、宣言されています。

第三のメッセージは、呼びかけのことばです。神の民は、創造主のことばを伝える重要な使命を担っていることを自覚するよう、神様が呼びかけられています。救われたことを忘れず、いつも神様のもとに立ち帰るよう、教えられています。そして、救いの喜びを賛美を通して表現することも、呼びかけられているのです。

私たちは、ただ一方的に神様に祈るだけではありません。神様も、私たちに語って下さるのです。自然の景観や日常の出来事を通して、語られることもあります。聖書のことばや心に与えられる印象を通して、語られることもあります。実際に、「天の声」が聞こえることもあります。天の父なる神様が語られる愛のことばに、いつも耳を傾けていきたいですね。

「イスラエルの王である主、これを贖(あがな)う方、万軍の主はこう仰せられる。『わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。』」(イザヤ44:6、新改訳第3版)

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2007年1月26日 (金)

スケート

スケートを初めてしたのは、小6の頃だったでしょうか。従兄が持っていたスピードスケート用の靴をお下がりでもらったのが、きっかけです。ヒモの結び方からエッジの手入れの仕方まで教えてもらい、最初は、自宅前の道路でちょっと練習しました。あの頃は、車通りが少なかったので、道路は遊び場みたいなものでしたね。

なんとなく雰囲気が分かってから、一人でバスに乗って、真駒内の屋外スケート場に行きました。前年に開催された札幌オリンピックの会場となったリンクです。寒い中、開会式を見に行った場所でした。スピードスケート競技では、オランダのアルト・シェンクという人が、1500m、5000m、10000mで三冠王を達成しました。ふとももの太さが、印象に残っています(笑)。

リンクに出ると、家の前のデコボコの雪道とはまったく違い、鏡のような氷に感動しました。特に、製氷車がきれいに氷を整えてくれた後のリンクは、すばらしいコンディションでした。もちろん、最初からすいすい滑ったわけではなく、ヨロヨロと歩き、何度も転びながら、少しずつコツをつかんでいったように思います。何度か通っているうち、エッジを切り替えて、カーブもそれなりに曲がれるようになっていきました。

どうやって滑り方を覚えたかと言えば、最初にちょっと従兄に教えてもらった以外は、自分で実際に滑ってみて、さらに他の滑っている人たちの真似をしたわけですね。このパターンは、私たちの生き方にも、共通しているような気がします。教えてもらい、実践し、模範を見て修正していくというサイクルです。

そういえば以前、メーカーに勤めている時は、PDCAサイクルという言葉を教えてもらいました。事業を行っていく上で、計画(Plan)、実行(Do)、検証(Check)、改善(Action)の流れを、次の計画に生かしていくという考え方です。これにも、ちょっと似たところがありますね。

イエス・キリストは、人がどのように生きるべきかを教え、生き方の模範を示されました。私たちは、その教えを受け取り、実践し、模範にならうことができることを感謝します。

「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(Iペテロ2:21、新改訳第3版)

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2007年1月25日 (木)

スキー

「雪国」で山の近くに住んでいたせいか、スキーは、物心ついた頃からやっていたように思います。最初は、小さな子ども用の、長靴でつっかけるタイプのものですね。最近のは、プラスチック製のスキーをプラスチック製のベルトで、靴にしっかり固定する方式ですが、私が子どもの頃は、木製のスキーに皮のベルトが一枚ついていて、ただサンダルのように履いただけでした。つっかけているだけですから、簡単にぬげてしまいます。

小学校の頃は、合板スキーにカンダハーという締め具がついていました。カンダハーというのは、靴のつま先を金具にあて、バネ式のワイヤーをかかとにまわし、前方に締めて固定するものです。私のストックはスチール製でしたが、父の持っているストックは竹製でした。靴は、革製だったかどうか、よく覚えていませんが、すべてヒモを結ぶタイプでしたね。

中学では、父の転勤で1シーズンのブランクがありましたが、札幌に帰ると、友人たちの持つスキー用品が一変していたのに驚きました。スキーはグラスファイバーやメタルが主流となり、ビンディングはステップイン式で、安全性を考慮し、つま先やかかとに圧力がかかると外れるものになっていました。外れた後、スキーだけが滑っていかないよう、「流れ止め」もつけられました。ストックは、アルミ合金(ジュラルミン)製に変わり、靴はプラスチック製でバックルを締めるタイプになりました。

最近、子どもたちがはいているのは、カービングスキーという短く、ターンのしやすいスキーです。スキー用品だけをとってみても、日進月歩で、移り変わりが激しいものです。目に見えるすべては、変化していきます。神様も、日々、新しいことをされています。しかし、激動の現代社会にあっても、神様の愛は、いつまでも変わることがありません。下の詩篇の作者が創造主に対して語っているように、私たちをいつも変わらず愛し、支えて下さっている神様を、つねに見失わずに生きていきたいですね。

「あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。…すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」(詩篇102:25-27、新改訳第3版)

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2007年1月24日 (水)

今年は、雪が少ないです。大人たちは、あまり雪かきをしなくてよいので楽だと、喜んでいますが、ウィンタースポーツ大好きの(子どものような?)私としては、少し寂しい思いがします。ただでさえ、函館周辺は雪が多くないのに、今年は、こんなに少なくて、またスキー場がつぶれるのではないかと、ちょっと心配です。スキー場は、私の家から車で15分のところに一つ、30分のところに二つあります。実は、もう一つ、よく利用したスキー場があったのですが、残念ながら、昨年から営業停止になっています。

生まれ育った札幌は、たくさん雪が降ったので、雪には、多くの思い出があります。友だちとした雪合戦や雪だるまづくり、スキーやそり、プラスチック製のミニスキーや竹スキー、スキー靴につけて滑る雪スケートなど、いくらでも遊び方がありました。小さな頃から、スキーをかついで、近くの山に滑りに行きました。中学3年の冬休みは、毎日のように藻岩山スキー場に行き、お年玉をほとんどロープウェイとリフト券代で使い果たしました。3学期に入っても、受験勉強そっちのけで放課後、クラスメイトと雪上サッカーに興じていたため、担任の先生が職員室の窓を開け、「早く帰りなさい」と叫んでいました。

あまりにも楽しい思い出が多いせいか、雪が降り出すと、雪かきのたいへんさを思うより、なんとなく心がうきうきしてきます。雪かきに汗を流しながら、今度はいつスノボに行けるだろうか、スキー場はパウダースノーだろうかと、いつも考えてしまいます。

すべてが雪におおわれ、一面の銀世界になった時、すべての罪をおおって下さる神様の恵みを思い起こすことができます。神様は、私たちがどんなに罪深い人間であったとしても、悔い改め、イエス・キリストに従って新しい生き方をしようとする時、すべての罪を赦して下さいます。一面の雪景色は、神様の大きな愛を告げ知らせているようです。

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」(イザヤ1:18、新改訳第3版)

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2007年1月23日 (火)

スノーボード

昨日は、近くのスキー場に、スノーボードをしに行きました。今シーズン初です。スノーボードは、数年前、中学の頃から使っていたスキーを盗まれた後に始めました。加入していた火災保険に盗難補償も付いていたので、いただいた保険金で安いボードのセットを購入したのです。当時は、教会員の中にスノーボードを教えてほしい、という人がいたので、それを口実に、危険だと反対していた妻の了解を、やっと得ることができました。

できるだけコストをおさえようと、インターネット(もちろん無料サイト)で滑り方を勉強し、丁寧にワックスを塗って、車で30分くらいのゲレンデに出かけました。一番ゆるやかなスロープから始めたのですが、スキーとは全く違うスピード感に、ひどく戸惑いました。当たり前の話ですが、スキーが体の正面方向に進むのに対し、スノーボードは横方向(通常、左方向)に進みます。スキーは、左右の体重移動で曲がるわけですが、スノーボードは、前後(つまさき方向とかかと方向)の体重移動で曲がります。言葉にすれば、ただこれだけの違いなのですが、すぐに体がついていきません。

横方向のスピードに慣れないと、どうしても遠くを見るべき視線が、足元を見てしまい、体重移動もままならず、バランスをくずして転んでしまいます。第一日目は、数え切れないほど転倒し、おしりにアザをつくり、繰り返された転倒による衝撃で、体がボロボロになって帰宅しました。疲れ果てた体は、ウィルスの餌食だったようで、その後、高熱を出して寝込んでしまいました(笑)。それでもメゲずに、何回か続けて行くと、だんだんスピードと体重移動に慣れてきました。今では、スキーとは違うスピード感を、楽しめるようになっています。

昨日は、雪が少ないワリには、雪面の状態は良かったです。きれいな青空の下、駒ケ岳と海(内浦湾?)が一望できました。月曜日で、すいていたため、6人乗りのゴンドラに、1人で乗ったりもしました。1人なら、大きな声で祈ることもできます。私は、月曜日に休みをとることが多いのですが、昨日は、素晴らしい気分転換の時が与えられたことを感謝します。

「安息日は人間のために設けられたのです。」(マルコ2:27、新改訳第3版)

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2007年1月22日 (月)

主の栄誉を告げ知らせる(イザヤ42章)

Flower070121 昨日の礼拝テーマは、「主の栄誉を告げ知らせる」ことで、聖書箇所はイザヤ書42章でした。イザヤ41章では、イスラエルを捕囚から解放するペルシヤ王クロスについて記されていましたが、42章には、世界中の人々を罪の奴隷状態から解放する「神のしもべ」について、預言されています。もちろん、それはイエス・キリストのことです。

イエス・キリストは、世界を治める王として、国々に公義をもたらしに来て下さいました。「公義」にあたるヘブライ語は、「ミシュパット(mishpat)」という単語で、これは裁判で下される正しい判決という意味を含んでいるようです。イエス様は、「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」、痛み傷ついた者、弱っている者たちに、正しい裁きをもたらして下さるのです。日本人にとっては、水戸黄門や大岡越前のような「正義の味方」のイメージが、分かりやすいかもしれませんね。

キリストはまた、人々に神様のことばをもたらして下さいました。神様がすべての人を愛し、罪の中から、不安の中から、恐怖や絶望の中から救い出して下さるという、約束を伝えて下さったのです。暗闇の中に光を照らし、どんな人に対しても、希望を与えて下さいます。いつもともにいて、「あなたを愛しているよ」と優しく語りかけて下さるのです。

そしてイエス・キリストは、私たちに喜びをもたらして下さいます。全世界の人々に対し、喜び歌いなさい、と聖書は呼びかけています。神様が救いを与えて下さり、私たちが自分では解決できないようなすべての問題に、勝利を収めて下さるからです。

神様の救いを知るクリスチャンは、何を誇りとすべきでしょうか。自分自身でも、自ら成し遂げた偉業でもなく、自分の属する教会やその他の団体、あるいは郷土や国家でもありません。私たちを愛し、命を与えて下さり、そして自らの命を懸けて私たちを救って下さったイエス・キリストを誇りとし、このお方の栄誉を語り継ぐべきなのです。何も誇れるようなものがない私たちを、ただ一方的に愛し、永遠の神の国に招き入れて下さったイエス様を賛美します。

「主に栄光を帰し、島々にその栄誉を告げ知らせよ。」(イザヤ42:12、新改訳第3版)

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2007年1月19日 (金)

秋葉原

昨日も、ブログは書けませんでしたね。実は、火曜朝から所沢に出張で、昨日も朝から会議でした。夜は空いていたので、ほぼ20年ぶり(?)に小中高時代の友人に会うことにしました。(その友人については、こちら→http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_b75a.html

3時に会議が終わった後、ホテルに荷物を預け、秋葉原で息子の誕生日プレゼントを購入し、その後、7時に浜松町あたりで会う予定でした。ところが、会議がなかなか終わらず、結局、1時間ほど延びてしまいました。私は、時間を気にしながらホテルに急ぎ、部屋に荷物を置いてから、京浜東北線に飛び乗りました。浜松町に着いた時は6時半頃で、これでは秋葉原に行く時間がないかなぁと思っていると、携帯に連絡が入りました。友人の方も、その時、会議が終わったばかりで、浜松町までは45分ほどかかると言います。

私の買い物のついでがあるので、秋葉原で会うことになりました。友人も普段は忙しく、秋葉原にはしばらく来たことがなかったようですが、私も、十数年ぶりかもしれません。電車を降りると、ずいぶん様変わりしていて、最初は、どこが以前の電気街なのか、分かりませんでした。急ぎ足で目的のポータブルCDプレーヤーの価格調査をし、一番安い店で購入しました。ただ目指す品物だけを求め、その後は食事する場所を探していたので、残念ながら、オタクっぽい人がどれだけいるかとか、どこがメイド喫茶なのかとか、を観察する余裕がありませんでしたね(笑)。

友人とは、新しくできたビルの中で食事をともにし、昔話に花を咲かせ、互いに情報交換をしました。彼は、阪神大震災の時、神戸で牧師をしていたのですが、今は、首都圏に住み、全国組織の事務所で仕事をしているようです。94年に大虐殺のあったルワンダに、一昨年行ってきたそうで、昨日は、その写真をたくさん見せてくれました。

彼と私の属する教会は、同じプロテスタントであっても教派が違い、細かいことを言うと、いろいろと信じていることが異なるようです。しかし、そのような違いを越え、同じ神の家族、イエス・キリストにある兄弟とされていることを感謝します。昔は、牧師同士になるなど、思いも及びませんでしたが、神様は、実に不思議な方法で、同じ「神の家に住む兄弟」として下さったものです。

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133:1、新改訳第3版)

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2007年1月17日 (水)

函館中部高校訪問

またまたメンテナンスでしたね。1日お休みをいただきました。

一昨日、月曜日には、YWAMチームとともに、函館中部高校を訪問しました。同校の歴史の先生が、韓国の大学生たちと日本の高校生たちとの交流の場を設けたいということで、昨年に引き続き、二回目の訪問です。この先生は、日本史と世界史の両方を教えられているそうで、日韓の過去の出来事についても、かなりお詳しいようです。

普段の授業では、日本ではあまり知られていない韓国の英雄たちについて、教えられているとのこと。秀吉による朝鮮出兵時の水軍の将・李舜臣(イ・スンシン)や伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)、三・一独立運動で獄死した柳寛順(ユ・グワンスン)等について、少しお話しされていました。

同じ高校の英語の先生には、韓国語がペラペラの方がおられ、挨拶や通訳をして下さいました。もう一人の別な先生は、冬休みに韓国に行ってきたばかりで、ハングルの新聞(フリーペーパー)を何紙も持ってきて下さいました。朝一番に校長先生のところにご挨拶に行くと、校長先生も、韓国に三度行ったことがあるそうです。日韓の浅からぬ関係を思わされました。

1年生と2年生の4つのクラスと、交流の時間がありました。チームの人たちが自己紹介をし、韓国人と日本人との間で、お互いに質疑応答の時間が設けられました。日本や韓国の映画やドラマの話、芸能人やミュージシャンの話、アニメの話のほか、竹島(独島)問題や日本の首相による靖国神社参拝問題にまで話が及びました。「隣の国同士なのだから、良い協力関係を築いていくことができるよう、互いに努力していくべきだ」というチームの一人のコメントに、高校生たちから拍手がわき起こりました。

放課後は、音楽部の人たちに合唱を聴かせていただき、YWAMチームの方も、賛美を一曲披露しました。政治家たちのパフォーマンスではなく、若い人たちによるこのような草の根の交流こそが、地道ながらも、両国のよりよい関係づくりに役立っていくのではないでしょうか。

「悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。」(詩篇34:14、新改訳第3版)

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2007年1月15日 (月)

主から新しい力を得る(イザヤ41章)

昨日の礼拝は、イザヤ書41章を開き、「主から新しい力を得る」ことがテーマでした。イスラエルの民は、神様のことばを伝えるという重要な使命を帯びていたにも関わらず、神様に従わなくなった結果、祖国を失ってしまいます。バビロニアがイスラエルを懲らす国として神様に用いられ、イスラエルの国(ユダ王国)は滅び、その民の多くはバビロニアに連れて行かれます。これが、紀元前6世紀に起きた「バビロン捕囚」です。

しかし、選びの民イスラエルに対する神様の計画は、これで終わりではありませんでした。神様は、彼らの国を滅ぼすだけではなく、その国を再び回復させる計画をも、お持ちだったのです。そのために用いられたのが、ペルシヤ王クロスでした。彼は、バビロニアを滅ぼし、捕われの身だったユダヤ人たちを解放するのです。イスラエルの民は、「約束の地」に帰還し、国を再建することができました。

この捕囚と帰還の出来事は、驚くべきことに、紀元前8世紀に生きた預言者イザヤによって、すでに予告されていたのです。神様は、歴史を背後から動かされるお方であり、国を失い、捕われの身となるような絶望的な状況の中に人々が置かれたとしても、いつもともにいて助けて下さいます。私たちの人生を見守り、生きていくための力を新たに注いで下さるのです。

イスラエルを滅ぼしたバビロニアのネブカデネザル王も、その後、国を再建させたペルシヤのクロス王も、彼らが知ろうと知るまいと、実は神様のみ手の中で動いているに過ぎませんでした。全知全能の神様は、すべてをそのみ手で治めておられます。私たちは、その真実を知る時、どんな状況の中にあろうとも、希望を持つことができます。神様から、いつも新しい力を得ることができることを感謝します。

「主の手がこのことをし、イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、彼らが見て知り、心に留めて、共に悟るためである。 」(イザヤ41:20、新改訳第3版)

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2007年1月12日 (金)

きみは愛されるため生まれた

最初のYWAMチームは、昨日も書いた通り、受け入れがたいへんでしたが、ずいぶん彼らに励まされたところもあります。この時のチームのテーマソングは、「あなたは愛されるため生まれた人」でした。この曲は、韓国ではよく知られており、あのヨンさまも好きな歌だそうです。作詞・作曲者のイ・ミンソプによる「公認日本語訳」は、「きみは愛されるため生まれた」というタイトルになっており、いのちのことば社からCDも発売されています。(CDと歌詞情報は、こちら→http://www.wlpm.or.jp/life_st/title/48389.htm)

2005年のYWAMチームは、自分たちで歌詞を訳したらしく、一部、日本語が分かりにくい部分がありました。しかし、歌のメッセージは、十分、こちらに伝わってきます。「あなたは愛されるため生まれた人 あなたの人生 愛で満ちている」と、私たちのために、何度も歌ってくれました。「あなたの存在が 私には どれほど大きな喜びでしょう…」というくだりには、たいへん力づけられました。

原曲の楽譜ももらったので、さっそく3月末のイースターで、教会の子どもたちに歌ってもらうことにしました。日本版CDが発売されていることをまだ知らなかったため、チームが歌った日本語の歌詞と韓国語の楽譜をながめながら、両方に修正を入れ、作曲ソフトで新たな楽譜と伴奏CDまで作成し、子どもたちに覚えてもらいました。12月のクリスマスには、今度は「公認訳」の曲を、降誕劇の最後に、子どもたちに歌ってもらいました。

私たちが、どんな人間であっても、私たちの存在自体を神様が喜んで下さり、愛しておられることを感謝します。「あなたは愛されるため生まれた人」と歌われている通り、すべての人は、本来、神様に愛されるため生まれたのです!

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8、新改訳第3版)

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2007年1月11日 (木)

大沼と駒ケ岳

今日は、YWAMチームを、「ネイパル森(北海道立森少年自然の家)」に送ってきました。ネイパル森は、1996年に新設された駒ケ岳の麓にある自然の家で、「ちゃっぷ林館」という温泉の隣にあります。宿泊室や研修室、体育館の他、夏は外でキャンプをすることもできます。私たちも、何年か前、8月に家族でキャンプをしたことがあります。冬はもちろん、テントで寝る人はいませんが、近郊の学校のバレー部や剣道部などが、よく合宿をしています。

韓国YWAMチームが初めて北海道に来た2年前、確か1月4日函館到着予定だったと思いますが、連絡を受けたのは、その5日前、12月30日でした。クリスマスが終わり、年末年始の準備もすべて終えて、ほっとしているところに、突然、韓国にいる友人からファックスが流れて来ました。大学生のチーム14名が、函館と札幌・旭川方面に来て、28日まで滞在予定だが、宿泊場所と奉仕先がまだ決まっていないと言うのです。

それから、電話をかけまくりました。函館や七飯、森、札幌、旭川、千歳の教会や学校で、なんとか奉仕を受け入れていただき、宿泊場所も確保できました。七飯の教会では、ふとんが足りなかったため、教会員の人たちから、貸してもらいました。そのドタバタの中で、ネイパル森にも2泊3日、滞在できることになったのです。忙しいスケジュールの中、チームの人たちには、良い息抜きの時となったようで、歩くスキーも経験することができたようです。

その後、ネイパル森宿泊と歩くスキーは恒例となり、今年も利用の申し込みをしました。車4台に人と荷物を乗せ、大沼トンネルを抜けると、きれいに晴れ渡った青空の下、銀白の衣装を身にまとった駒ケ岳と白一面の大沼が、美しく光り輝いて見えました。(運転中でしたので、残念ながら、写真はありません。)「これは大沼公園です。あれは駒ヶ岳です」と説明をしながら、同じようにガイドをしていた、去年とおととしのことを思い出していました。

美しく光り輝く大沼と駒ケ岳は、あたかも神様の栄光を賛美しているかのようです。私たちも、神様の偉大な創造のみわざを見て、喜ぶことができることを感謝します。

「全地よ。神に向かって喜び叫べ。御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。」(詩篇66:1-2、新改訳第3版)

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2007年1月10日 (水)

函館・祈りのツアー

Mt_hakodate 今日は朝から、YWAMチームとともに、祈りのツアーに出かけました。YWAMチームは、日本の人たちが神様の愛を知ることができるよう、祈るためにも来ています。昨日、チームの人たちは、思い出したように降り始めた雪の中、教会堂の周辺を歩き回り、七飯や函館、北海道、そして日本のため、祈ってくれたようです。今日は、車3台を連ねて、函館山と五稜郭公園に行って来ました。

出掛ける時は、雪が舞い、函館山はまったく見えない状態でした。ロープウェイに乗る時も、山頂は見えなかったので、頂上に行っても、街並みが見られない最悪の状況を覚悟していました。ところが、山頂に着くと、少しずつ霧が晴れるように視界が開け、何と、日が差すまでになったのです。神様が、函館の街の様子を見せてくれたのだと、チームの人たちは、たいへん喜んでいました。

山麓では青空の下、聖ヨハネ教会、元町カトリック教会、ハリストス正教会を見学し、昼食の後、五稜郭タワーに向かいました。昨年4月にオープンした新タワーは、私も今回が初めてです。高さ60メートルだった旧タワーに対して、新タワーは107メートルだそうで、ずいぶん見晴らしが良くなりました。以前は1階にあった箱館戦争の展示も、ミニチュアの人形付きで展望台に置かれ、すっきりと分かりやすくなりました。帰る頃にはまた、幕が閉じるように、吹雪き始めました。

素晴らしい景色を見ると、神様が愛をもって、一つひとつ大切に創造されたのだと感じとることができます。函館と周辺の海や山、すべてを丹念に「手作り」された神様は、この地域とそこに住む人々をも、深く深く愛しておられます。私もチームと一緒に、地域の人たちが神様の愛にふれられるよう、お祈りさせてもらいました。

「地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。」(詩篇95:4-5、新改訳第3版)

(写真は、五稜郭タワーから見た函館山)

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2007年1月 9日 (火)

コリアン・フレンズ・デイ

Ywam2007_2 昨日は教会で、午後3時から夜の9時まで、「コリアン・フレンズ・デイ」というイベントがありました。主として中高生の子どもたちが、韓国YWAMチームとともに、冬休みの楽しい一日を過ごすという企画でしたが、小学生や幼稚園の子も集まってくれました。

最初に自己紹介をして、その後、ゲームをしました。5時ころからは、皆で食事の準備をしました。昨晩のメニューは、ビビンバ(韓国風まぜご飯)とサンジョク(肉と野菜の串焼き)です。デザートには、トッピング付きのアイスクリームがつきました。担当者を時折、入れ替えつつ、手の空いている人には「福笑い」をさせたりして、ほぼ40人分の食事を、慣れないメンバーで用意したため、「有頂天ホテル」のような目まぐるしさでした(笑)。

食事の後、YWAMチームの皆さんが、ボイパ(ボイスパーカッション)に合わせた「アメージング・グレース」の賛美やイエス・キリストによる救いを表現した無言劇、ダンスによる賛美などを見せてくれました。6時間におよぶ長いイベントで、お手伝いの「中高生」ならぬ「中高年スタッフ」は、くたびれ果てました(笑)が、子どもたちには楽しい時を喜んでもらったようです。

神の国(天国)は、パーティーに例えられています。神様は私たちを、永遠の喜び、楽しみの場に導いて下さっており、私たちは唯一の「道」であるイエス・キリストを通して、そこに至ることができます。地上での喜びや楽しみは、実は、何よりもまさる天上での喜び、楽しみの「予告編」なのです。YWAMチームが、この真実を伝えに、今年も七飯に来てくれたことを感謝します。

「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇16:11、新改訳第3版)

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2007年1月 8日 (月)

主から慰めを受ける(イザヤ40章)

Ywam2007_1 新しい年を迎えました。2007年の皆様の歩みの上に、神様の祝福が豊かにありますように。

4日から、韓国のYWAM(大学生)チーム13名が、七飯に滞在しています。YWAM(通称ワイワム)とは、Youth With A Missionの略で、世界中の若者たちによる宣教団体です。米国のYWAMサイトによると、世界149カ国の1,000以上の場所で、その働きがなされており、スタッフは総勢16,000人ほどだそうです。私たちの教会には、2年前からソウルの大学生たちが来ることになり、お正月のチームは、今回で3回目を迎えました。

昨日の礼拝では、「テコンドーダンス」と人形劇、賛美、そして証(あか)しをしてくれました。「証し」というのは、神様についての「証言」のことで、英語では「testimony」と言います。神様が自分に、どのようにしてその愛をあらわして下さったか、個人的な体験談をお話しすることです。昨日は、19歳の女の子が高校生の時、イエス様が優しく語りかけて下さり、その心をうるおして下さったという体験を語ってくれました。日本の若い人たちも、神様と出会い、同じように心がうるおされてほしいと願っていました。

礼拝後は、新年愛餐会の時を持ち、食事をともにしました。韓国風お好み焼のようなチヂミ(キムチ入り)や、春雨を使った焼きそばのようなチャプチェも登場しました。チェプチェは、「チャングムの誓い」で、ハン尚宮が得意としていたそうです(笑)。手巻き寿司や手作りの伊達巻もあり、日韓の代表的な料理に舌鼓を打ちました。

礼拝メッセージのテーマは、「主から慰めを受ける」でした。神様が、韓国からYWAMチームを送られ、私たちの教会に慰めを与えて下さっていること、そして同じように、求めるすべての人に対して、慰めを与えて下さることを信じ、感謝します。

「『慰めよ。慰めよ。わたしの民を』とあなたがたの神は仰せられる。」(イザヤ40:1、新改訳第3版)

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