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2007年2月 5日 (月)

救い主を仰ぎ見る(イザヤ45章)

Flower070205 日本は、有史以来、国が消滅したり、国民の大部分が外国に強制的に移住させられるという経験がありません。そういう意味では、たいへん幸せな国と言えるでしょう。イスラエルは、神様との特別な契約を守らなかった結果、国は滅ぼされ、国民のほとんどが世界中に散らされるという経験を、何度かしています。

アッシリアという国に北イスラエル王国は滅ぼされ、その国民は「失われた十部族」と呼ばれるように、すっかり行方不明になってしまいました。バビロニアという国に南ユダ王国は滅ぼされ、その国民は、征服者たちの国に連れ去られました。この「バビロン捕囚」に遭った人々は、異国の川のほとりにあって故郷を思い、涙を流したという詩が、詩篇137編に残されています。

国土を失い、国民の多数を失い、異国で捕われの身となるという絶望的な状況に置かれていた人々に対し、神様は再び、「救い」の約束を語られました。ペルシヤ王クロスによって、バビロニアは滅ぼされ、捕囚の民は解放され、イスラエルの国が再興されるという預言です。実際、歴史は、その預言の通りに動いていきました。

創造主なる神は、世界のすべてを造られ、歴史を導き、正義を貫かれる真の神様です。だからこそ、この「救い主」であるお方に信頼し、その「救い」に期待して生きていきなさいと、神様ご自身が呼びかけられておられます。昨日の礼拝では、イザヤ書45章を開きました。そこに語られている通り、「救い主を仰ぎ見る」生き方をしていきたいですね。

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ45:22、新改訳第3版)

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コメント

「見る」事は大切ですね。教会では、毎日ミサを執り行い、そこでは必ず御聖体の主をみんなに見えるように高く司祭が掲げます。それを神様を信じる人は見つめます。御聖体は、主が「私たちといつも共にいる」と言う約束とともに残された尊くありがたい教会の宝です。教会にはいつも御聖体の主がいて、私たちを迎えてくれます。御聖体があるので、教会は聖なる場だと実感できます。本当に素晴らしい恵みです!

投稿: さやけかり・・・♪ | 2007年2月 6日 (火) 00時01分

さやけかり…♪様
コメントありがとうございました。カトリックの方ですね。私も以前、カトリック教会のミサに行ったことがあります。
私たちの教会はプロテスタントなので、「ミサ」は「礼拝」と呼び、土曜・日曜のみです。「御聖体」は、ただ「聖餐式のパンとぶどう酒」と言うだけですね。聖餐式は、月に一度、行っています。
聖餐式を通して、イエス様の十字架の恵みを覚えることができることは、感謝ですね。

投稿: shigeki | 2007年2月 6日 (火) 07時58分

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主の晩さんとも呼ばれるミサは、聖なる集会の儀、つまり、イエス様がこれから自分が捕 [続きを読む]

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