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2007年2月19日 (月)

みことばに耳を傾ける(イザヤ48章)

コミュニケーションという行為は、少なくとも3つの要素から成り立っています。情報の送り手と受け手、そして伝えられる情報自体(メッセージ)です。昔、学んだ情報理論では、さらに雑音(ノイズ)という、もう一つの要素もあったように記憶しています。「雑音」とは、もちろん、正確な情報伝達の邪魔をするものです。

夫婦や親子間(あるいは学校と保護者間)のコミュニケーションが大切だという話は、よく耳にします。しかしその際、情報の送り手と受け手がどんな状態にあり、伝えられるメッセージがどのようなもので、雑音となるのは何なのかということを考慮しなければ、「コミュニケーション」は、期待したような効果をもたらさないかもしれません。

神様が私たち人間にメッセージを伝えられる際、直接語られる場合と間接的に語られる場合の二つのケースがあります。直接語られる場合は、メッセージの送り手である神様と受け手である私たちを、ただまっすぐ直線で結んだようなシンプルな形になります。間接的に語るというのは、送り手である神様が、特定の受け手にまずメッセージを伝え、その人がまた別の受け手にメッセージを語るという方法です。伝言ゲームのようですが、受け手は誰でも、伝えられたメッセージが本当かどうか、神様に直接確かめることができるので、これは直線的ではなく、神様を頂点とした「三角形のコミュニケーション」と言えるでしょう。

神様が用いられる「特定の受け手」は、「預言者」と呼ばれます。人々に神様のメッセージを伝えるため、特別に選ばれ、神様のことばが「預けられた」人のことです。旧約の時代には数多くの預言者が輩出し、伝えられたメッセージは書き留められ、聖なる巻物(書物)として大切に保管されました。これが旧約聖書の成り立ちであり、イザヤ書は、そのうちの一巻になります。

昨日の礼拝では、イザヤ書48章を開き、「みことばに耳を傾ける」ことが、そのテーマでした。神様は私たちに、訓戒のことば、予告のことば、導きのことばを語って下さいます。預言者が書き記した聖書のことばを通し、私たちは、神様の愛のメッセージを受け取ることができます。しかし、私たちが素直に受け取ろうという心の態度を持っていないと、それが雑音となり、正確なメッセージの内容を理解することができません。

ノイズをできるだけ減らし、「クリアな音質」で、神様の語られるメッセージをしっかりと受け取っていきたいですね。神様のみことばによって、私たちは、何が本当に益となり、どこに進んでいったらよいのかを知ることができます。

「あなたを贖(あがな)う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。『わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。』」(イザヤ48:17、新改訳第3版)

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