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2007年2月26日 (月)

諸国の民の光とされる(イザヤ49章)

Flower070225 昨日の礼拝では、「諸国の民の光とされる」ことがテーマで、イザヤ49章を開きました。この箇所は、私にとって思い出深いところです。留学した聖書大学では、教室での勉強のほか、教会における奉仕が義務付けられていました。奉仕先が決まっていない学生向けに、受け入れ教会のリストが配布されます。確か、そのリストの一番上に、ロスのダウンタウンにある、ホームレスを対象とした教会がありました。

実は私は、アメリカの教会で奉仕をするつもりは、全くありませんでした。理由は先ず、勉強が第一の目的であり、奉仕の時間はほとんどないと思われたこと。第二に、留学前にいろいろあり、疲れ果てていたこと。第三に、奉仕するだけの英会話力に自信がなかったことです。3年間は、勉強に集中し、奉仕は休みにするつもりでした。

ところが、その教会リストが配られた時、ホームレスの教会に行きなさいと、神様から言われているような気がしたのです。あまり気乗りがしなかったのですが、とりあえず地図を頼りに礼拝に行ってみると、自分は何をしなければならないのかが、分かったように思いました。その教会には、賛美のリーダーがいなかったのです。

ひょっとして使うこともあるかと思い、ギターは持って渡米しましたが、英語の賛美は、ほとんど何も知りません。幸い、アパートを提供してくれた教会の礼拝で歌う曲の多くは、日本の教会で歌っていた曲でした。そこで、日曜午前の礼拝や教会学校などで歌った曲の歌詞を、賛美しながらメモし、それをパソコンで打ち直して、日曜午後にあったホームレス教会の礼拝に持っていきました。

英語の曲を知らず、ギターもそれほど上手ではなく、うまく話もできない「Asian(アジア人)」の私が、なぜ毎週日曜午後、その教会に行き、ほとんどがアフリカ系とヒスパニック系のホームレスの人たちのため、賛美をリードしなければならないのか。私自身、「なぜ私なのか」が、よく分かりませんでした。いきなり賛美のリードをすると言う私の申し出に、牧師も最初は、少し驚いた様子でした。

「聖書概論」のクラスの宿題で、イザヤ49章6節を読んだ時、神様は、私に語りかけて下さいました。私は日本に帰って、日本人だけに福音を伝えようと思っていたけれども、そうではない。神様が遣わされるところ、世界中のどこにでも行き、すべての国の民に仕え、神様の愛を分かち合いなさいというのが、神様のみこころだったのです。ホームレス教会の賛美リーダーに関する、神様の「サプライズ人事」には、深い意味があったのでした。

「主は仰せられる。『ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。』」(イザヤ49:6、新改訳第3版)

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