世話人
今年、還暦を迎えるというもう一人の元・「塾」職員の方は、塾生が受ける研修の企画・運営を担当しておられたW氏です。入塾から卒塾まで、身勝手で自己主張が強い塾生たちの世話を焼き、日々、苦労が絶えなかったと思います。鳴り物入りで日本全国から集められた、あの輝ける1期生たちの担当を任された人です。かなり、実力を見込まれていたのでしょうね。私は4期生で、W氏としては、2回目の受け持ちでした。
確か、柔道をされていたように記憶していますが、いかにも武道家といった風貌で、短髪で無口、無表情。いつもは背広にネクタイでしたが、家電メーカーの社員というより、警察官か自衛官の方が似合っているのではないかと思えました。当時、塾生がつけたニックネームは、「岩石」です。しかし、この方、意外とインテリで、新左翼の教祖的存在だったという吉本隆明(作家「よしもとばなな」の父)を好んで読み、退職後は、詩人として生きたいそうです。
「塾」も設立後30年近くなり、今はある程度、「かたち」が定まってきたようですが、私が在塾した頃は、まだ試行錯誤の過程にあり、さまざまな「研修」がありました。早朝の清掃、ランニング、朝会から一日が始まり、政治経済や中国古典の講義から日本文化の習得ということで剣道、茶道、書道、座禅の時間までありました。塾創立者を知るために、ということで、家電の工場や販売店での実習も経験しました。W氏が塾生と一緒に受けた研修も、多かったですね。
一番印象に残っているのは、「100キロ歩行」です。体力と精神力を鍛錬する目的だったのでしょうか。塾のあった茅ヶ崎から鎌倉、横須賀を抜け、三浦半島を一周して帰り、100キロを一日で歩きぬくという研修でした。W氏は、塾生と一緒に深夜0時にスタートし、驚くべきスピードで歩き続け、その日の夕刻、トップでゴールします。W氏に負けるものかとライバル心を燃やした同期の塾生たちは、ペース配分に無理をして、ほとんど途中リタイヤしました(笑)。私のチームは、最初からW氏についていくのは無理だろうと思っていたため、ゆっくりと自分たちのペースを守り、夜10時頃、帰塾しました。塾生たちが、ちょっとやそっとでは歯が立たない、実に逞しい「岩石」でしたね。
昨日お話ししたM氏が「案内人」だとしたら、W氏は、「世話人」だったと言えるでしょう。私たちは、多くの人のお世話を受けながら、成長していきます。神様は、そのような人たちを、私たちの周りに置いて下さるのです。神様ご自身が、いつも変わらぬ愛をもって、私たちのお世話を焼いて下さるお方だからです。
「まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。」(エゼキエル34:11、新改訳第3版)
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