日本と世界
「塾」ではもちろん、多くの人が政治分野に進みたいと言っていましたが、私はまず、自分は何をすべきなのか、何ができるのか、全く白紙の状態から考えてみようと思いました。それには、日本と世界がどのような方向に進みつつあるのか、大まかなイメージをつかむことが必要でした。そこで、明治以降の日本近・現代史を中心に、手当たりしだいに本を読み始めます。「塾」の人たちは、司馬遼太郎ファンが多く、しばしば話題にのぼったことも、一つのきっかけだったかもしれません。
ある方が、日本史の40年周期説を唱えておられました。1868年の明治維新から1905年の日露戦争終結までほぼ40年、そして1945年の第二次大戦終戦まで40年、それから1985年まで経済成長の40年があり、その後、2025年までの40年間に日本の真価が問われるといった内容でした。日本は、欧米への「追いつき型」の政策は得意で、1905年や1980年代にそれぞれピークを迎えるわけですが、追いついた後は、国としてのビジョンがはっきりせず、方向性が定まらなくなってしまう傾向があります。「坂の上の雲」に到達した後は、「坂の下の沼」しか見えない、というようなことを言った方もいました。
1905年以降の40年間は、大正デモクラシーという民主主義(民本主義)的な時期もあったのですが、世界恐慌後の経済危機や大陸における軍部の暴走(満州事変等)、および国内での反乱(五・一五事件、二・二六事件)を通し、国全体が急速に右傾化していきます。その結果、国を挙げての全面戦争へと突入していくことになりました。
私が「塾」にいた1980年代半ば、すでにソ連は弱体化しつつあり、かつて日本の若者たちの多くをひきつけた共産主義や社会主義は、もはや色あせて見えました。価値観の多様化が叫ばれ、何を自らの指針とし、社会を形成する土台とすべきなのか、よく分からなくなっていました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおだてられ、漫才ブームが起こり、難しい話は、流行らなくなっていたように思います。
「追いつき型」の経済復興が終わった後、日本の将来は、よく見えなくなってきていました。当時、中曽根内閣のキャッチフレーズは、「戦後政治の総決算」でした。ある学者は、左翼が力を失った今、かつての世界恐慌のような危機的状況が起これば、日本人の多くが一斉にしがみつこうとするのは、三島由紀夫の「英霊の声」的な価値観だろうと当時、予測していました。私は、その流れを食い止めるには、どうしたら良いのだろうかと考え続けました。
「国家」、「国民」の枠を超え、人々がともに平和で満ち足りた社会を築いていくため、共通の土台となりうることが世界史上、実証されている普遍的な価値観は、何か。私が出した結論は、仏教、イスラム教、キリスト教のどれかであろう、ということであり、最終的にはそれが、イエス・キリストへの信仰へとつながっていったのです。
キリストの次の言葉を実践する人が増えれば増えるほど、日本も世界も、まるで違った光景になっていくのではないでしょうか。
「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。」(ルカ6:27、新改訳第3版)
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