書道
「塾」で学んだ「日本の伝統文化」は、先日お話した通り、剣道、茶道、書道、座禅でした。このうち剣道は、高校の時に体育の授業で少しやったことがありましたが、茶道と座禅は、全く初めてでした。
書道は、もちろん小学校の授業で誰もが経験しますが、実は私は、小学生の頃、学校以外でも習字を習っていました。あの頃は、英語とピアノ、習字の教室に通い、一時期、絵画も習い、外では野球、家ではプラモデル作りで、さらにテレビや読書、そして時々宿題をやるという生活ですから、よく時間がありましたね。
「塾」では、講師の先生が熱心に指導して下さいましたが、どんな文字を書いたか、残念ながら覚えていません。ただ、寮の共同スペースの和室に、「大忍」と書かれた塾創設者の色紙が飾られていたことを覚えています。志を成し遂げるには、大きな忍耐が必要である、という意味だったのでしょう。そう言えば、座禅の指導に来られていた円覚寺のお坊さんも、「良いものは、すぐには出来ない」というのが口癖でした。
「塾」の自室でも何か書いてみたくなり、「写経」を始めました。といっても、仏教の経典は、どうも読んでもピンと来なかったため、わざわざ中国語の聖書を買いに行き、その聖書のことばを書いてみたりしました。今は、「聖句書道」の講座があったりしますが、当時は、私自身まだクリスチャンでもなく、ちょっと試しに書いてみた程度でした。
米国留学から帰り、七飯に住むようになると、義母が、孫に習字を教えてくれると言います。義母は、長い間、函館で書道教室を開いていました。そこで、私も一緒に行き、習字を再開することにしました。私の希望は、聖書のことばをできれば色紙に書くことでしたので、なかなか上達しない一般の講座はそこそこにして、神様のみことばを書き続けています。
いつまで書いても、さっぱり上手くはなりませんが、主の教えを、昼も夜も口ずさむように何度も「書」き記し、神様から与えられている「道」を、喜んで歩き続けていきたいですね。
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(詩篇1:2、新改訳第3版)
(写真は、先週土曜日に書いてきたものです。)
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