身代わりの計画に感謝する(イザヤ53章)
昨日の礼拝では、イザヤ書53章を開きました。この箇所は、「苦難のしもべ」について預言している有名な箇所です。苦難を受けると予告された「主のしもべ」とは、もちろん、イエス・キリストのことですね。
イエス・キリストは、私たちの精神的苦痛を担って下さいました。まったく罪がないのに捕えられ、有罪宣告を受け、鞭打たれ、人々から罵られ、さげすまれるというのは、たいへんな心の痛みをともなったでしょう。しかも、ほんの数日前には、エルサレム中の人々は、新しい王が来られたと言って、盛大に歓迎したのです。人の心は、変わりやすいものです。
私たちも、豹変する人の態度により、精神的に大きなダメージを受けることがあります。しかし、イエス様は、そんな私たちのすべての精神的苦痛をも、代わりに背負って下さるのです。
キリストは、私たちの肉体的苦痛をも担って下さいました。創造主なる神様が定められた「神の刑法」からすると、人が神から離れてしまうことは、死刑に相当する重大な過失であり、「罪」でした。アダムとエバ以来、私たちは、死すべき重罪を背負って、この世に生まれ出てくるのです。
しかし、キリストは、私たちの罪の身代わりとなって、十字架について下さいました。病や痛み、そして死にともなう肉体的苦痛も、すべてイエス様が代わりに背負って下さったのです。この身代わりの救い主を信じる人は、神様の恩赦を受け、無罪となり、永遠のいのちが与えられると聖書に約束されています。
驚くべきことに、神様は、天地創造のはるかに前、永遠の昔から、この「十字架による身代わり」を計画されていました。私たちを造られる前から、イエス・キリストによる救いが計画されていたのです。そして、救い主イエスを信じ、神の子とされた私たちのため、さらに今後も救われるべき多くの人々のため、キリストは天上において、今なお、とりなしの祈りを続けておられます。
神様が、永遠の愛をもって定められていた「身代わりの計画」に、感謝します。
「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎(とが)のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5、新改訳第3版)
P.S. 都合により、明日以降、今週の更新は「春休み」とします。また来週、お会いしましょう。この一週間の皆様の歩みの上に、神様の祝福が豊かにありますように。
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