ポール&マリリー
「教会全体の雰囲気は、主任牧師夫婦の品格と相互の関係により、大きな影響を受ける」というのは、私の持論です。だからこそ、牧師(「監督」)になる人の条件について、「家庭をよく治める」という項目が、聖書に記されているのでしょう。私自身、心していかなければなりません(苦笑)。米国で滞在したフローレンス・アベニュー教会の主任牧師夫妻は、私たちにとって、素晴らしいロールモデル(模範)でした。
ポール・リッサー牧師は、南部の牧師家庭に育ちました。お父さんは、牧師になる前は、ビジネスマンでした。姉妹の一人が結核で、死の床についていた時、医者は、「もう医学的には、治癒の見込みはない。カリフォルニアにいやしを行う有名な伝道者がいるから、そこに行ってみてはどうか」と勧めたそうです。その人の名は、エイミー・センプル・マクファーソン。フォースクエア教団の創始者でした。彼女の集会では、何万人もの群集がその場で奇跡を目撃し、最盛期には救急車がそこに病人をおいて帰っていったそうです。
ポールの「おばさん」は、カリフォルニアで奇跡的に結核がいやされ、その後、長寿を全うしました。高齢になっても、検査をすると、肺だけはティーンエイジャーのようだと医者が言ったそうです。ポールのお父さんは、それをきっかけにフォースクエアの牧師になります。南部の人口3,000人の小さな町にある、1,000人の教会でした。
ポールは、最初、牧師にはなりたくなかったようです。聖書学校で出会ったマリリーと結婚し、テキサスの教会に赴任しましたが、礼拝の翌日、毎週月曜日には辞表を書いていました。しかし、そんなポールの可能性を信じ、励まし続けたのが、マリリーでした。辞表は結局、提出されなかったようです。男の子3人に恵まれたポールとマリリーは、その後、カリフォルニアに転任し、そこで教会は大きく成長します。マリリーの「見立て」は、まさに正しかったのです。
私たちがポールとマリリーに出会った時、彼らはおそらく50代後半で、もうお孫さんもいました。いつもフォーマルにドレスアップしたお二人でしたが、ジョン・ウェインのような西部劇に出てくるカウボーイと、西部開拓時代を生き抜く逞しさを心に秘めた、美しい女性のような印象がありました。私たちにいろいろと気を遣って下さり、本当に良くしていただきました。そして、何より、大きな励ましを受けたように思います。それは、きっと自分たち自身が、多くの励ましを通して、そこまで歩み続けてきたからではないでしょうか。
私たちの帰国後、ポールは、米国教団の代表に選出されます。エイミーから数えて、4代目でした。そして、5代目の方に代表を引き継いだ今なお、世界中に講師として招聘され、励ましのメッセージを語っています。私たちの模範となる、素晴らしい牧師夫妻との出会いを用意して下さった神様に、感謝します。
「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」(Iテサロニケ5:11、新改訳第3版)
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