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2007年4月30日 (月)

主の光を放つ(イザヤ60章)

Flower070429 最近は、どこへ行っても真っ暗な場所は、あまり見当たりません。至る所に照明設備が整備され、電力事情も良くなり、防犯上の理由もあるためか、たいていの場所は、人目がきくくらいには明かりが照らされています。

私がまだ小さかった頃、親戚の古い家には、真っ暗な場所がありました。居間からトイレに行くには、物置のように使われていたその場所を通らなければなりません。昼間は大丈夫なのですが、夜、明るい部屋からそこに一歩踏み入れると、本当に真っ暗で、まったく何も見えません。闇の中を真っ直ぐ進んだ先のトイレも薄暗く、下が恐ろしく深い古い汲取り式で、真っ暗な闇の底から、いきなり何か出てきそうな恐怖感がありました。

「光」と「闇」は、聖書の中で、よく対比されています。神様は、初めに天地を創造された時、まず「光あれ」と仰せられ、闇の中に光を照らされました。「光」は、神様ご自身、そして神様によって与えられる良いもの、みことば、救い、いのちなどを象徴して用いられます。「闇」はこれに対し、悪、罪、無知、死などを象徴しています。

イエス・キリストは、「わたしは世の光です」と宣言されました。「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」とも、言われています。キリストの働きを引き継いでいった弟子たちに対しても、「あなたがたは世界の光です」と語られました。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父(神様)をあがめるようにしなさい」とも、命じられています。

神様は、私たちの心の中を、光で輝かせて下さいます。主のまったき愛による喜びと賛美に満たされた私たちは、その光を、周りの人々に対しても照らす者とされます。その輝きは、今の世代だけでなく、子どもたちの世代、後の世にも受け継がれていくことが、約束されています。

私たちが、自分の努力で光り輝くわけではありません。主イエスを信じる私たちを、神様が輝かせて下さるのです。私たちは、聖霊なる神様により、内側から変えられていきます。そしてそれが、外側へと自然に流れ出していくのです。

暗闇が支配する世界の至る所に、神様の光を輝かせる者となっていきたいですね。

「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。」(イザヤ60:1-2、新改訳第3版)

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