« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月

2007年4月30日 (月)

主の光を放つ(イザヤ60章)

Flower070429 最近は、どこへ行っても真っ暗な場所は、あまり見当たりません。至る所に照明設備が整備され、電力事情も良くなり、防犯上の理由もあるためか、たいていの場所は、人目がきくくらいには明かりが照らされています。

私がまだ小さかった頃、親戚の古い家には、真っ暗な場所がありました。居間からトイレに行くには、物置のように使われていたその場所を通らなければなりません。昼間は大丈夫なのですが、夜、明るい部屋からそこに一歩踏み入れると、本当に真っ暗で、まったく何も見えません。闇の中を真っ直ぐ進んだ先のトイレも薄暗く、下が恐ろしく深い古い汲取り式で、真っ暗な闇の底から、いきなり何か出てきそうな恐怖感がありました。

「光」と「闇」は、聖書の中で、よく対比されています。神様は、初めに天地を創造された時、まず「光あれ」と仰せられ、闇の中に光を照らされました。「光」は、神様ご自身、そして神様によって与えられる良いもの、みことば、救い、いのちなどを象徴して用いられます。「闇」はこれに対し、悪、罪、無知、死などを象徴しています。

イエス・キリストは、「わたしは世の光です」と宣言されました。「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」とも、言われています。キリストの働きを引き継いでいった弟子たちに対しても、「あなたがたは世界の光です」と語られました。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父(神様)をあがめるようにしなさい」とも、命じられています。

神様は、私たちの心の中を、光で輝かせて下さいます。主のまったき愛による喜びと賛美に満たされた私たちは、その光を、周りの人々に対しても照らす者とされます。その輝きは、今の世代だけでなく、子どもたちの世代、後の世にも受け継がれていくことが、約束されています。

私たちが、自分の努力で光り輝くわけではありません。主イエスを信じる私たちを、神様が輝かせて下さるのです。私たちは、聖霊なる神様により、内側から変えられていきます。そしてそれが、外側へと自然に流れ出していくのです。

暗闇が支配する世界の至る所に、神様の光を輝かせる者となっていきたいですね。

「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。」(イザヤ60:1-2、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月27日 (金)

コンサートと発表会

先週火曜日は、実は、米国マサチューセッツ州コンコードから来た高校生たちと七飯の中学校、高校吹奏楽部による親善コンサートがありました。コンコードというのは、七飯町と姉妹都市提携を結んでいる町です。ボストンから30キロくらいの場所にあり、人口1万6千人くらいだそうです。

1620年、102人のピューリタン(清教徒)たちは英国での迫害を逃れ、信仰の自由を求めてメイフラワー号で大西洋を渡り、マサチューセッツ州プリマスに植民地を建設しました。それ以降も英国から移民が続き、1635年には、イギリス人牧師ピーター・バルクリー(Peter Bulkeley)たちが、インディアンから、現在のコンコードの地を平和的に買い取ります。これが、コンコード(Concord=協調)という町名の由来となっているそうです。

この町から100名以上の高校生バンドが来て、みごとな演奏を披露したようです。中2の長男もユーフォニアムを吹きましたが、残念ながら、済州島にいた私のところまでは、音は届きませんでしたね。

その代わり、と言ってはなんですが、日曜午後は、長男と次女のピアノの発表会を聴きに行きました。同じ教室に通う幼児から大人(?)までの35人が、日頃の練習の成果を披露します。トルコ行進曲、ムーンリバー、子犬のワルツ、ノクターン、「美女と野獣」のテーマ、ユーレイズミーアップ、「ルパン三世」のテーマなど、私でも知っているような曲がたくさんありました。

親としては、わが子が2人とも大きなミスをせず、無事に演奏を終えてくれたので、ホッとしました。本人たちも満足のいく演奏だったようです。一緒に聴いていて下さった神様も、きっと喜んでおられたことでしょう。

発表会で何より驚いたのは、演奏した子どもたちが、ずいぶん大きくなっていたことです。長男と幼稚園から一緒だった女の子たちは、同じ吹奏楽部の子もいるのですが、皆すらりと背が高くなり、お母さんたちを追い越したりしているようです。

長男と次女の行った幼稚園のテーマ聖句は、「せいちょうさせてくださったのは、かみさまです」でした。園児たちが、このみことばを一緒に読んだ元気な声が、今も聞こえるようです。子どもたちを、すくすくと成長させて下さっている神様に感謝します。

「それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」(Iコリント3:7、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月26日 (木)

バージニア工科大学

Img_08821 済州島で滞在したホテルは、通常は一般利用ができない韓国軍の保養所だったためか、テレビはすべて韓国語放送でした。ユンソナがドラマに出ていたり、映画「クオ・ヴァディス」が吹き替えで放映されていたりしましたが、とにかくすべて韓国語で、何を話しているのか、さっぱり分かりません。

するとニュースで、米国バージニア州で、何やら事件が起きたような報道をしています。どうも韓国人が事件に関係しているようでした。後で他の牧師から、銃乱射事件だと聞きます。日本でも報道されたように、過去最悪の犠牲者を出したようですね。

米国と言うのは、世界各地から集まって来た移民たちが作った国ですから、どの国の出身者であっても、同様の事件に関係する可能性があります。私と一緒に会議に参加したアメリカ人たちも、犯人が韓国人だからと言って、特に気にしてはいませんでした。

ただ、韓国の人の中には、気になる人もいたようです。私たちが訪問したクリスチャン放送局で会ったある韓国人牧師は、たいへん心を痛め、祈っているとのことでした。同行したアメリカ人宣教師は、犯人の国籍を気にすることはないですよ、と慰めの言葉をかけていました。

米国フォースクエア教団代表であるジャック・ヘイフォード牧師は、すぐにバージニア州に飛び、被害者や近隣の人たちのために祈ったそうです。大学のすぐそばにフォースクエア教会があり、事件に巻き込まれた学生の一人は、そこの教会員でした。教会は大学の近くなので、他にも大学関係者が多かったそうです。

世界中のフォースクエア教会に対して、ともにお祈り下さいという呼びかけがなされたので、私たちの七飯の教会でも、日曜の朝、被害者と教会、地域の人々のために祈りました。人種差別的な思いや行動が引き起こされないように、とも祈りました。

傷ついた人たち、悲しんでいる人たちの上に、神様の慰めと平安がありますように。

「『わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。…平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう』と主は仰せられる。」(イザヤ57:18-19、新改訳第3版)

(写真は、済州島で見た夕日。)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

ハメルとオランダ船

Img_08701 済州島で海岸を散策している時、その昔、漂着したというオランダ船(復元)が展示してありました。この船は1653年、台湾から日本の長崎を目指して航海中に、激しい嵐に出会い、済州島に流れ着いたそうです。8月と言いますから、台風だったのかもしれません。乗組員64名のうち、生き残ったのは36名でした。

当時の朝鮮(チョソン)王朝は、鎖国政策でオランダと国交がなく、生存者たちは、すぐに帰してもらえませんでした。秀吉による朝鮮出兵と愛新覚羅氏が建国した「後金」(満州、後の「清」)による侵略の後、王朝にとっては軍事力増強が急務だったようです。漂着したオランダ人たちは、ソウルに連れて行かれ、外人部隊に配属されました。

しかし、あくまでもオランダに帰国したかった一行は、何度も逃亡を図り、13年後の1666年、8名がようやく朝鮮から脱出し、長崎にたどり着きます。朝鮮・オランダ双方と国交があった江戸幕府の要請により、まだ生きていた残りのオランダ人乗組員7名も解放され、生存者全員は、ようやく1670年に本国に生還することができたそうです。

生存者の一人、ヘンドリック・ハメル(Hendrick Hamel)が記した詳細な報告書は、後にフランス語、ドイツ語、英語に翻訳され、西欧諸国に当時の朝鮮王朝のようすが広く伝えられました。彼は、クリスチャン(プロテスタント)であったためか、儒教や仏教のあり方に関心を持ち、詳しく記述しているようです。(日本語訳は「朝鮮幽囚記」、平凡社)

18世紀に北京で洗礼を受けた李承薫(イ・スンフン)がカトリックの信仰を伝え、19世紀にはプロテスタントの宣教師たちが王朝に来訪します。20世紀の日本の植民地支配下における抗日運動では、クリスチャンたちが主要な役割を果たしたとのこと。今は、韓国国民の25%はクリスチャンだそうです。現在の韓国に、ハメルたちがやって来たら、たいへんな変わりように驚くでしょうね。

そう言えば、2002年のサッカーワールドカップの韓国ナショナルチームを率いたのは、オランダ人のフース・ヒディング(Guus Hiddink)監督でした。展示してある船の中に、ワールドカップの紹介もありました。なぜ船にワールドカップなのだろうと、見た時は理解できませんでしたが、350年の時を越え、韓国とオランダがともに手を携えて戦い、ベスト4にまで勝ち上がった、ということだったのでしょうか。

ハメルが西欧に紹介した朝鮮・韓半島に、後になって宣教師たちが来訪し、救い主による和解の福音を伝えました。漂着したオランダ船の乗組員たちは、ひょっとしたら神様が、宣教の前触れのように遣わされた「使節」だったのかもしれませんね。私たちも、どこに遣わされたとしても、平和をもたらす「キリストの使節」となりたいものです。

「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。」(IIコリント5:18-20、新改訳第3版)

(写真は、復元されたオランダ船。見学した時は、なぜか映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲が浮かんできました(笑)。)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年4月24日 (火)

済州島

Img_08751 先週は、韓国・済州(チェジュ)島に行って来ました。私が属するフォースクエア教団の北アジア地域会議があったためです。日本や韓国、台湾、香港、そしてコーディネーター役の米国などから、10数名の牧師、宣教師たちが会議に出席しました。フォースクエアは現在、150以上の国に教会があり、全世界の働きが17地域に区分され、そのうちの一つが北アジアだということです。

会議は英語でしたが、通訳や休憩の時には日本語、韓国語、中国語が乱れ飛び、昔、タモリがやった「4ヶ国語マージャン」のようでした(笑)。各地の教会の様子を聞き、互いに祈り合い、そして牧師や宣教師たちと親睦を深めることもできました。

空き時間には、ハルラ山に登り、海岸を散策したり、植物園に行ったりもしました。日本、ロシア、北朝鮮などに、ラジオで福音を伝えているクリスチャン放送局の見学もしました。この放送局は、同行した日本人牧師が昔、沖縄で勤めていた会社とのこと。本土復帰後、放送できなくなった沖縄から、すべての機材が済州島に送られたようで、沖縄出身の牧師は、たいへん懐かしそうでした。

韓国料理も、ともに楽しみました。海鮮チゲ、プルコギなどの他、済州島の特産だという豚の焼肉も食べました。韓国ドラマや映画の影響からか、最近は日本人観光客も多いようです。韓国内からは、新婚旅行に来る人が多いようで、それらしき若いカップルも目にしましたね。

島には、ドラマ「チャングムの誓い(大長今)」にもたくさん出てきたような石、強い風、そして海女などの働き者の女性たちが多く、これらは「三多」と呼ばれる三大名物なのだそうです。昔から、男性たちは海に出て、よく遭難したそうです。トルハルバンと呼ばれる石像があちこちにありましたが、これは「石のおじいさん」という意味で、男性の像だとのこと。私には、男性たちを失った悲しみが表現されているように感じられました。

そういえば、この島は、かつて流刑地でもありました。チャングムも無実の罪を着せられ、漢城(ソウル)の宮廷から済州島に追放となり、島に向かう途上で、師匠のハン尚宮(サングン)が亡くなりますね。同じように島流しになった人たちの悲しみが、以前は、この土地に満ちていたかもしれません。

神様は、どんな悲しみも喜びに変えて下さるお方です。この悲しみの地で、日本、韓国、台湾、香港、アメリカの牧師、宣教師たちが、神の家族の兄弟姉妹として、互いに受け入れ合い、祈り合うことができたことを感謝します。これから初めて済州島に開拓されるフォースクエア教会も訪問し、ともに祈ることができました。神様のすばらしい愛を知り、喜びに満たされる人が多く起こされていくと良いですね。

「『主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖(あがな)い、彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた。」(詩篇107:1-3、新改訳第3版)

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年4月23日 (月)

主の道を整える(イザヤ57&58章)

「すべての道はローマに通ず」という言葉があります。ローマ帝国は、道路整備に熱心でした。それは、地域住民の生活向上を通して、帝国への支持基盤を広げ、国力を高めるという意図もあったでしょうが、おそらく第一には、軍事目的が大きかったのではないでしょうか。

無敵を誇ったローマ軍は、彼らの版図となった「世界中」のどこにでも、瞬く間に移動し、国境線を固く守りました。このいわゆる「ローマの平和」(Pax Romana)を可能にしたのが、帝国の至るところに建設された「高速道路網」だったのでしょう。

平和を支えた道路網は、人々の旅行をも容易にし、神の国の福音を世界中に伝えたクリスチャンたちにとっても、必要不可欠な「インフラ(社会基盤)」となりました。「ローマの平和」は、実は神様のご計画のうちにあったようです。神様は、地中海世界全体に張り巡らされた道路網を用い、キリストによってもたらされた「神の平和(Pax Dei)」を、全世界の人々に宣言されたのです。

ただ、神様が「道を整えよ」と呼びかけられる時、通常はもちろん、「道路整備」を意味しているわけではありません。主なる神様を迎え入れることができるよう、自らの心あるいは生き方を正しく保ち、準備していなさい、という意味になります。具体的には、悔い改めを含め、神様の前にへりくだること、愛すること、そして神様の導きに従って進んでいくことが大切です。

私たちの人生を通し、「神の平和」がさらに広がっていくような生き方をしたいですね。

「主は仰せられる。『盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。わたしの民の道から、つまずきを取り除け。』」(イザヤ57:14、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

主の水を求める(イザヤ55章)

Img_00312 小学校の頃、よく野球をして遊んだグラウンドのすぐ向かい側に、小さなオフィスがありました。それはどんな会社だったのか、今となってはまったく分かりませんが、そこにいた人たちは皆、とても親切でした。玄関を入ってすぐの場所に、当時としてはまだ珍しかったウォータークーラーが置いてあり、小学生の私たちに、その水を飲ませてくれたのです。

暑い中、運動してたっぷり汗をかき、のどが渇いた私は、その冷たい水を飲むと生き返るような心地がしました。外の水道で手や汚れた靴底を洗うように言われたようにも記憶していますが、それにしても、汗だくで泥まみれの悪ガキたちを、建物の中によく歓迎してくれたものです。よほど心の広い方たちだったのでしょう。

人は、水なしに生きていけません。聖書の中でも、「水が豊かにある状態」は神様の祝福を象徴し、反対に、「砂漠の地」や「渇いた荒野」は、神様から離れることによってもたらされる「さばき」や特別な訓練を象徴しています。

イスラエルの民は、神様に従わなかった結果、「捕囚」という荒野の中にいました。その「渇いた」民に対して、神様は、救いと回復を約束して下さったのです。そして、その救いは、ただイスラエルの人々だけでなく、世界中の民族にもたらされると語られています。

渇いた者は、誰でも求めさえすれば、神様が与えて下さる「いのちの水」を手にすることができます。「水」は、聖霊なる神様の象徴でもあります。聖霊は、私たちのスピリチュアル(霊的)な目を開き、神の真理を教えて下さり、罪から救われ、「永遠のいのち」が与えられた人の心の奥底に内住して下さいます。そして、私たちの心を満たし、神様の恵みの豊かな流れの中に「浸して」下さるのです。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と、主は言われます。「いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」とも呼びかけられています。私たちが、どんなに汗まみれ、泥だらけで汚れていても、愛に満ちた神様は、「水」を求める私たちを喜んで受け入れて下さいます。ダビデの子孫として生まれ、私たちに救いの契約をもたらされた、主イエスの素晴らしい恵みに感謝します。

「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。…耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。」(イザヤ55:1&3、新改訳第3版)

(写真は、昨年暮れに教会員の方が作って下さったステンドグラス。フォースクエア教団のロゴで、イエス・キリストが救い主、いやし主、聖霊のバプテスマの授け主、来たるべき王であることを表している。左下のハトは、聖霊の象徴。ちなみに撮影は、12月にまだ七飯にいた長女)

P.S. またまた都合により(最近、多い?)、明日以降、今週の更新をお休みします。また来週、お会いしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月13日 (金)

嗅覚

私は、小さい頃から鼻炎気味で、小学校の頃、よく耳鼻科に通っていました。大学の頃は、手術を勧められたこともありますが、「セカンドオピニオン」に従い、手術しませんでした。花粉症を「発症」したのは、おそらくトラック運転手の頃です。それから春と秋には、耳鼻科医のお世話になり続けています。

そのせいかどうか、他の人と比べ、嗅覚が弱いような気がします。妻や子どもたちほどには、においをかぎ分けることができません。しかし、そんな私でも、はっきりと分かる「におい」はあります。明らかな良い匂いと悪い臭いですね。

ロスのダウンタウンにあったホームレスの教会に行くと、あまり良い匂いはしませんでした。中心部のビル街に近い場所ですが、そこはアメリカではなく、「第三世界」(今は、あまり聞かないかな?)のようでした。教会は、野菜か何かの配送センターの一角で、日曜ごとに椅子を並べ、マイク、ミキサー、アンプ、スピーカー等のPA(音響)機器を設置しました。

日陰ではありましたが、きちんとした屋根がなく、礼拝中も気を付けていないと、その辺を飛び回っているハトからの「落下物」があります。ギターを弾いて歌っている時も、メッセージを聞いている時も、チラチラと天を仰ぎ、それなりの「緊張感」がありましたね(笑)。

ある日、礼拝に行くと、誰かがトイレ代わりにしたのか、壁にそれらしき痕跡と臭いが残っています。誰も特にコメントしませんでしたので、私も知らんぷりして、いつものようにその壁を背に賛美リードをしました(苦笑)。ホームレス教会ならではの出来事でしょう。

私たちが属していたロス郊外の教会は、対照的に、良い匂いに満ちていました。ミドルクラス(中流家庭)中心の教会でしたが、日曜朝はスーツやドレスの人が多く、そのような人は性別や年齢に関わらず、皆さんが香水をつけていました。牧師夫妻もそうで、ハグをすると、こちらに良い香りがうつりそうです。日本では、牧師が礼拝に香水をつけて来るというのは、ちょっと考えられなかったので、少々、カルチャーショックでした。

グッドニュース(よい知らせ)を伝える「レポーター」とされたクリスチャンは、世界中をキリストの良い香りで満たしているようだと、使徒パウロは例えています。私たちが訪れるすべての場所において、神様の愛の「かぐわしい香り」を放っていきたいですね。

「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」(IIコリント2:14-15、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月12日 (木)

味覚

米国滞在中は、妻が食事を作ってくれたので、いつも「ご飯と味噌汁」を口にしていました。通常は、近く(と言っても、車で10分くらい)のスーパーで買い物をしましたが、月に一度、フリーウェイで30分くらいの場所にある、ジャパニーズ・マーケット(日本食専門のスーパー)に買出しに行きました。たいていのモノは手に入りましたが、新鮮な魚だけはダメでしたね。

アメリカ人の家庭は、共働きでほとんど家で料理しない夫婦も多く、レストランやファストフードの安いお店が、至る所にありました。日本食のレストランやYOSHINOYA(吉野家)も、ワリと近かったです。中華、ベトナム、イタリア、メキシコの各料理店のほか、もちろんKFCやマクドナルド、ダンキンドーナツ、ピザハットなども近所にありました。

お気に入りだったのは、近くのショッピングモールにあったカフェテリア方式のレストランです。ここは最初、教会の牧師夫妻にご馳走になった場所で、リーズナブル(お手ごろ)な値段で、ステーキからローストビーフ、ターキー(七面鳥)、フライドチキンなど、好きな肉料理が食べられました。私は30過ぎで、食欲も以前ほどではなかったので、20代の時に来たかったと思いました(笑)。

初めて大好物になったのは、ブリトーです。トルティーヤという、とうもろこしや小麦粉から作った柔らかい「薄焼きパン」に、牛肉や鶏肉、豆、ご飯、トマト、レタスなどを包んで巻いたメキシコ料理で、見た目は巨大なクレープのようです。今では、日本のセブンイレブンでも売っているようですが、私は渡米するまで、見たことがありませんでした。Taco Bellなどのファストフード店よりも、神学校のカフェテリアで売っているブリトーの味の方が、私は好きでしたね。

天国は、神様が主催する宴会に例えられています。きっと、食べ尽くすことができないほど、素晴らしい料理がたくさん並んでいるような会場なのでしょう。

「宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。」(マタイ22:8-9、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

色彩感覚

アメリカと日本で、大きく違った点の一つは、色彩感覚でしょうか。今は、ずいぶん変わっているでしょうが、以前は、どちらかというと日本では、少し落ち着いた感じの色を着こなす人が多かったように思います。「わび・さび」以来の伝統でしょうか。特に年配の人は、今でもあまり派手ではないですね。しかしアメリカでは、年齢に関わらず、ブロンドの髪の毛に赤や緑といった原色の服を着た人を、ごく普通に目にしました。

私は、今でも心に焼き付いている、ある情景があります。それは、高校1年の夏休み、カリフォルニアから帰ってきた時に見た、浜松町の駅の様子です。ショートカットの黒髪、ダークスーツと渋いネクタイに身を固めたサラリーマンの「群れ」が、足早に動き回っている光景でした。その時、私は、カラーの世界から突然、白黒の世界に舞い戻ってきたような、不思議な感覚にとらわれたのです。

92年に渡米した時、再び、カラフルなアメリカ社会を目にしました。何しろ肌の色に目の色、髪の毛の色(そして背の高さと体型!)が千差万別であり、各人が自分に似合う配色の衣装を身にまとうと、日本では考えられないくらい多くのパターンがあります。日曜の礼拝に来る人たちも、皆さんとてもおしゃれで、色とりどりのファッションを身に着けていました。

イースターの時には服を新調する、という習慣があるらしく、復活祭の礼拝には、新しいスーツとドレスを着た人たちを多く目にしました。友人の一人に、「いい習慣だね」と言うと、ちょっとシブい顔で、「高い習慣だ(expensive custom)」との返事です。奥さんが毎年、いい値段のドレス(とアクセサリー?)を買う口実になっていたのでしょう(苦笑)。

私も留学中は、日本ではできないようなド派手なネクタイを締めてみたり、それまで来たことのない紫色のTシャツを着てみたりしました。帰国した時には、すっかりアメリカ的な色彩感覚に染まっていたのか、夏に真っ赤な車、冬には真っ赤なダウンジャケットを購入します。その後、車は紺色に買い替え、ダウンジャケットはすっかり色あせてしまいました。今は年齢のせいか、再び「ジャパナイズ(日本化)」されたせいか、もう、同じ色のものは買えないですね(笑)。

天国に集まる世界中の人々は、ひょっとしたら白い衣だけでなく、色とりどりの「民族衣装」も身にまとっているかもしれませんね。モノトーンな世界ではなく、たいへんカラフルな新天地だとしたら、そこにどんな色が使われているのか、ちょっと楽しみです。

「諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。…こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。」(黙示録21:24、26、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月10日 (火)

留学先のイースター

米国に留学した時、所属した教会では、盛大なイースターのお祝いがありました。イースター前日の土曜日には、子どもたち対象の「エッグハント」が行われます。これは、紙でつくった色とりどりの卵を前もって隠し、子どもたちがそれを探し出すというゲームです。

私のいた教会は、会員数が千数百名でした。日曜日に配られる「週報」は、木曜日までに原稿が印刷屋にまわされ、金曜夜に刷り上ったものが届きます。土曜日にアルバイトの高校生が他の配布物を挟み込み、日曜の礼拝でアッシャー(案内係)の人が、来た人に手渡ししました。さすがに大きな教会だと、感心しました。

ところが、それ以外の印刷物は、すべてコピー機で作成します。日本ではあまりお目にかからない、「三田工業」(今は「京セラミタ」)の機械でした。何百枚という印刷物を、コピーしているところを見ると、ずいぶん印刷コストが高そうだと余計なことが気になりました。

コピー機で数え切れない「卵」を印刷し、何人かで手分けをして、手作業で切り取ります。妻も頼まれて、手を痛くしながら、チョキチョキと切り続けました。土曜の朝早く、教会の駐車場に、ばら撒きます。特別な卵を見つけ出すと、プレゼントがあったようです。たくさん集まってきた子どもたちは、先を争うように、「卵」を拾い集めました。

イースター当日には、通常の礼拝前に午前6時から早朝礼拝があり、ハリボテの「墓」からキリスト役の人が出てくるというパフォーマンスもありました。夜の礼拝では、生演奏付きのミュージカルもあり、出演者した教会員の人たちは、プロ並みの歌を披露しました。

クリスチャンにとって、イースターは、クリスマス以上に大きな意味を持っています。イエス・キリストは、十字架で私たちの罪を帳消しにし、自らの復活によって、私たちにもよみがえりのいのちを約束して下さっているのです。神様の大きな恵みを感謝します。

「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(使徒2:32、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月 9日 (月)

新時代の到来を喜ぶ(イザヤ54章)

Img_08511 昨日は、イースター(復活祭)でした。もちろん、イエス・キリストの復活をお祝いする日です。クリスマスは、日本でも一大イベントとなりましたが、イースターは、あまり馴染みがないようですね。「復活」という、なかなか信じがたい出来事のお祝いということもあるでしょうが、毎年、日付が変わるという事情も影響しているかもしれません。

イースターは、春分の日後の最初の満月の次の日曜日です。もともとは月の満ち欠けを基準にしている太陰暦に基づいているため、今、日本で使用されている太陽暦に直すと、3月21日から4月24日の間を、年ごとに移動することになります。ちなみに、昨年は4月16日、今年は8日で、来年は3月23日のようです。

米国では、クリスマス時期は赤と緑の飾りつけですが、イースターの季節は、街中がパステルカラーに染まります。パステルカラーは、おそらくイースターエッグの色なのでしょう。m&m'sのチョコレートも、パステルカラーのものが売られていました。イースターエッグは、新しいいのちの象徴ですね。一緒に登場する「うさぎ」(Easter bunny)も、多産なことから、いのちと繁栄の象徴だそうです。

イエス・キリストの十字架と復活により、新しい時代が到来しました。救い主を信じる者はすべて、永遠のいのちが与えられ、新たな契約(新約)に基づき、神の民として世界中に増え広がっていくという時代です。人の手によるものではない、神様による平和がもたらされるという新時代の幕開けでした。

エルサレムでの奇蹟を目撃した弟子たちは、その後、証人として世界中に遣わされ、いのちを懸けて復活の事実を語り続けます。キリストが捕えられた時に逃げ隠れた弟子たちとは、まったく別人のようでした。この弟子たちの大きな変化こそが、キリスト復活の大きな証拠の一つであるとも言われています。

2000年を経た今もなお、イエス・キリストの十字架と復活のグッド・ニュース(福音)は、世界中の人々に宣べ伝えられています。神様の愛を信じる人々がますます増え広がり、荒れ果てた社会が神のみ手により、愛に満ちたものに変えられようとしていることを感謝します。

「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。」(イザヤ54:2-3、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 6日 (金)

大学進学

長女の新生活準備を手伝いながら、私自身の大学入学時のことを思い出しました。私が札幌から東京に行った時、最初は一人で不動産屋をまわりました。大学近くのアパートを決め、手付金を払ってから実家に電話すると、父からストップがかかります。誰かに見てもらうから、待ちなさいと言うのです。18歳の息子の判断は、信用できなかったのでしょう。

結局、父の「仕事つながり」のある人が、一緒に物件を見てくれることになりました。最初の場所は、日当たりが良くないということでキャンセルし、大学の沿線の不動産屋を「しらみつぶし」に歩いてまわりました。数日歩いてやっと決めた部屋は、金額的には前の物件とほぼ同じでしたが、角部屋の明るい4畳半です。住宅街の静かな地域で、流しとガス台は使えましたが、風呂なし、共同トイレでした。

部屋が決まってから、カーペットやカーテン、テレビと冷蔵庫、机や本棚など、基本的なものを購入しました。電話は、加入権が7万円くらいしました。すべての作業に、やはり一週間くらいかかったでしょうか。父の知人の方は、ずっとつきあって下さり、たいへんお世話になりました。

入学式は、日本武道館で行われました。この時は、両親とも上京し、出席します。私は、実は入試が思い通りにいかず、落ちたと感じていました。合格発表の時は、予備校の申込書を持って行ったくらいです。ですから入学式の日も、複雑な心境だったのですが、両親は、何だかたいへん嬉しそうな表情でした。

総長の式辞の内容はもちろん、入学式で何があったのか、ほとんど覚えていません。ただ、ゲストとして来られた作家の五木寛之さんの言葉だけが、強く印象に残りました。「君たちは、“選ばれた者”という意味で“エリート”なのだから、その自覚をしっかりもって、世の中に貢献して行ってほしい」というようなお話だったように記憶しています。

国立大学に入った人は、国家によって選ばれたのかもしれません。しかし今、私は、天地万物の創造主なる神様によって選ばれ、十字架と復活のみわざを伝える者とされています。今日は、「グッド・フライディ(Good Friday)」。イエス・キリストが十字架につけられた「受難日」です。私たちの身代わりとなって下さった、偉大な愛に感謝します。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Iペテロ2:9、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月 5日 (木)

入学の日

4月1日は、長女の大学入学式でした。新入学生数千人の入学式は、三回に分けて行われ、長女の式は12時からです。11時頃、大学に向かうと、駅方面から似たような黒っぽいフォーマル・スーツに身を包んだ大集団が、ゾロゾロと列をなして歩いています。その列を取り囲むように、サークルの案内をする大勢の在校生たちが、絶え間なく声をかけながら、チラシを配っていました。

お祭りのような人だかりのキャンパスを奥に進み、会場の大きなホールに着くと、ここも長蛇の列です。ホールの中は、体育館二つ分くらいのスペースに、椅子が整然と並べられ、壇上には先生たちが座る椅子と、みごとに飾りつけられた大きな花が置かれていました。

大学創設者の「趣意書」が朗読された後、学長による素晴らしい式辞がありました。ただ学力や技能を伸ばすのではなく、人格教育に重点が置かれているようです。そして、教育とは国家百年の計であること、政府によらない教育機関に大きな意義があることを訴える創設者の志には、たいへん感銘を受けました。

私にとっては、非常に感慨深い入学式でしたが、長女はそうでもなかったのか、感想を聞くと、「眠たかった」との一言(笑)。そう言えば、私自身、大学の入学式は眠たかったように記憶しています。こういうのは、本人より親の方が、心に迫るものが多いのでしょうか。

式の後は、ガイダンスや父母会総会などがあり、生協で買い物をした後、長女のマンションに戻ったのは夕方でした。それから着替えて、今度は近くのホームセンターに、カーペット等を買いに行きます。部屋にカーペットを敷くことは、後から決めたため、この日になってしまったのです。

私は翌日の便で帰る予定でしたので、その日に敷くとしたら、持ち帰るしかありません。折りたたんである6畳のカーペットを手に、降り出した雨の中、10分あまり歩いて帰ります。スケジュール上、昼食は「断食」でした。最後は体力勝負です(笑)。

帰る途中で買ったコンビニ弁当を急いで食べ、まだ片付いていない荷物をかき分けながら、カーペットを敷きます。NHKの大河ドラマとニュースをBGMに、タンスの組み立てをやっと終えたのは、もう9時過ぎでした。長女のために祈り、今度は私一人で、関西空港近くのホテルに向かいます。チェックインは11時過ぎ。この日も長い一日でした。

長女にとっては、新しい土地での新生活です。目に見えるところでは一人暮らしですが、神様がいつもともにいて、その歩みを導き、支えていて下さることを信じます。親元を巣立った長女が、これからも神様が与えられる志に従い、一歩一歩、力強く歩んで行ってほしいと願っています。

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1:9、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 4日 (水)

鍵渡し日

長女の学生マンションの鍵渡し日(入居日)は、3月31日でした。本来なら、不動産屋で鍵がもらえるはずですが、契約者が大勢いるため、隣駅の「商工会館」で受け渡し、となっています。私たちは、荷物が多いので、マンションの管理人さんにお願いして、先に荷物だけ部屋に置かせてもらうことにしました。

8時半にホテルをチェックアウトし、10時過ぎにマンションに到着、重い荷物からやっと解放されました。10時50分頃、「商工会館」に行くと、何とそこには、すでに数百人の行列ができています。1時間ほど並んで、鍵をもらった後、すぐそばにあった「マツモトキヨシ」等で生活雑貨を購入、帰る途中のローソンで弁当を買って、急いで帰り着いたのが午後2時です。

昼食を済ませると、購入した商品や実家からの荷物が届き始めました。照明がつき、冷蔵庫、洗濯機、テレビ等がセットされます。組立商品の本棚とタンス、調理器具等も、到着しました。電気の利用申込みは、鍵渡しの行列中に電話をしておきました。

ところが、ガスの方はずっと話し中で、2時過ぎにやっと通じたら、担当者が来られるのは7時頃になると言います。そこで、私はタンスを組み立て、長女は片付けや洗い物をしつつ、待つことにしました。

その周辺に下宿する新入学生は、1000人を超えるようですから、その多くが31日にすべてを一気に済ませるというのは、たいへんな話です。疲れた顔をしたガス屋さんが現れたのは、もう8時近くでした。まだ細かい買い物があったので、それから再び外出し、夕食にありついたのは、10時頃です。長い一日でした。

学生マンションの鍵は、2種類ありました。オートロック用のカードキーと自室用の金属の鍵です。失くしたら交換に数万円かかるので、失くさないようにという注意がありました。長女はこれから、しっかりと鍵を管理していかなければなりません。

イエス・キリストを信じる私たち一人ひとりにも、神様から預けられている鍵があります。「天国のマンション」に、自由に出入りすることのできる鍵です。こちらの方も、大切に管理していく必要がありますね。

「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月 3日 (火)

京・大阪

先週27日(火)から1週間、京都と大阪に行ってきました。長女が、京都の大学に進学したので、新生活の準備のためです。京都行きが決定したのが22日で、それから仕事の調整をし、航空券とホテルの手配をし、見ず知らずの土地に乗り込んで、住居探しから生活必需品の購入、電気・ガス等の手配までしてきました。

この時期は、お花見や春休み旅行のためか、京都のホテルは一杯で、大阪に宿泊予約をしました。海外旅行用の大きなスーツケースを航空会社に預けると、手元に戻ってきた時は、「Heavy(重い)」というタッグが付いていました。ホテルに一泊した翌朝早く、大学キャンパスに向かいます。

感謝なことに、5箇所くらい物件を見て、お昼くらいには決めることができました。それから隣の駅に行って銀行口座を開設し、電化製品を購入し、さらに別な駅に移動して、ふとんやまくらも買いました。電車の路線と駅は、ネットで前もって調べておきましたが、どこにどんな店があるのか、全く分からないのには閉口しました。

ホテルに帰った後、ニトリ(家具インテリア専門店)とヤマダ電機が、大学の近隣にあることをネットで発見したので、翌日は電車とバス、さらにはタクシーを乗り継いで、二つの店に行きます。借りた学生マンションは、31日以降にならないと入れないため、購入した商品は、ほとんど発送の手続きをしました。

長女も買い物に疲れたようなので、翌30日は、観光することにします。せっかく大阪に滞在しているので、大阪城と通天閣を見に行き、大阪駅(梅田)近くの観覧車にも乗りました。長女と乗るのは、小樽(北海道)の小さな観覧車以来、16年ぶりくらいです(笑)。この日は午後少し休んで、夜は礼拝に出かけました。

時期が時期なので、住まいがすぐに決まるかどうか、少々心配でした。しかし、神様がすべて備えていて下さっていたことを感謝します。新たな住まいとなった学生マンションは、数日前、別な大学に行くことになった人がキャンセルしたそうです。長女が来るまで他の人が借りないよう、神様がその場所を押さえていて下さったのでしょうね。主の細やかな配慮に感謝します。

「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」(マタイ6:32、新改訳第3版)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年4月 2日 (月)

柔和な心を育む(ガラテヤ5:23)

Img_08321 先週30日夜、長女と一緒に、ホープチャペル大阪の金曜礼拝に出席しました。金曜夜ですから、ちょうど安息日でしたね。ホープ大阪は、日曜は京橋で礼拝をしていますが、金曜の礼拝は、「なんば」教会の場所を借りて行っています。

宿泊先のホテルから地下鉄を乗り継いで、なんば駅に到着すると、そこは地理に不案内な者にとっては、とんでもなく大きく複雑な駅でした。御堂筋の脇に出る目指す出口をやっと見つけ、地図を頼りに、教会を探し当てます。出口から歩いて5分ほどの距離にある、ビルの4階フロアでした。

暗い階段を上って、教会のドアを開けると、顔なじみの二人の牧師を発見します。一人は日本人で、もう一人はアメリカ人ですが、二人とも、突然の私たちの訪問に驚きつつ、歓迎してくれました。二人で一緒にギターを弾いて賛美リードをし、その日は日本人の牧師がするメッセージを、米国人の牧師が英語に通訳しました。メッセージは、交代でしているようです。

この日のテーマは、「柔和な心を育む」でした。人に理解を示す、裁かない、思いやる、人の意見に心を開く、よく考えて対応する、敬意を払う、ということが、柔和な心を持つ上で、大切だと語られました。

柔和な心は、聖霊(御霊)なる神様が、私たちの心の中に「実」として結ばせて下さるものです。それはただの優しさと異なり、「よく制御された強い力」という意味があるそうです。神様が与えて下さる柔和さを、身につけて行きたいですね。

「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5:22-23、新改訳第3版)

(写真は、30日昼に訪れた大阪城。ホープ大阪は日曜日、この周辺で「お花見&BBQ」だったようです。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »