大学進学
長女の新生活準備を手伝いながら、私自身の大学入学時のことを思い出しました。私が札幌から東京に行った時、最初は一人で不動産屋をまわりました。大学近くのアパートを決め、手付金を払ってから実家に電話すると、父からストップがかかります。誰かに見てもらうから、待ちなさいと言うのです。18歳の息子の判断は、信用できなかったのでしょう。
結局、父の「仕事つながり」のある人が、一緒に物件を見てくれることになりました。最初の場所は、日当たりが良くないということでキャンセルし、大学の沿線の不動産屋を「しらみつぶし」に歩いてまわりました。数日歩いてやっと決めた部屋は、金額的には前の物件とほぼ同じでしたが、角部屋の明るい4畳半です。住宅街の静かな地域で、流しとガス台は使えましたが、風呂なし、共同トイレでした。
部屋が決まってから、カーペットやカーテン、テレビと冷蔵庫、机や本棚など、基本的なものを購入しました。電話は、加入権が7万円くらいしました。すべての作業に、やはり一週間くらいかかったでしょうか。父の知人の方は、ずっとつきあって下さり、たいへんお世話になりました。
入学式は、日本武道館で行われました。この時は、両親とも上京し、出席します。私は、実は入試が思い通りにいかず、落ちたと感じていました。合格発表の時は、予備校の申込書を持って行ったくらいです。ですから入学式の日も、複雑な心境だったのですが、両親は、何だかたいへん嬉しそうな表情でした。
総長の式辞の内容はもちろん、入学式で何があったのか、ほとんど覚えていません。ただ、ゲストとして来られた作家の五木寛之さんの言葉だけが、強く印象に残りました。「君たちは、“選ばれた者”という意味で“エリート”なのだから、その自覚をしっかりもって、世の中に貢献して行ってほしい」というようなお話だったように記憶しています。
国立大学に入った人は、国家によって選ばれたのかもしれません。しかし今、私は、天地万物の創造主なる神様によって選ばれ、十字架と復活のみわざを伝える者とされています。今日は、「グッド・フライディ(Good Friday)」。イエス・キリストが十字架につけられた「受難日」です。私たちの身代わりとなって下さった、偉大な愛に感謝します。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Iペテロ2:9、新改訳第3版)
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