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2007年5月 8日 (火)

1年生を迎える会

今朝は、妻と2人で、小学校の「1年生を迎える会」に行ってきました。わが家に小1の子がいるわけではなく、小6の次女が、迎える側で挨拶をし、ピアノ伴奏をする役にあたっていたからです。

桜がきれいに咲いているグラウンドを遠目に眺めながら、校舎に入ると、ちょうど1年生が体育館に入場するところでした。次女は、児童会副会長として、前の方に座っています。妻は娘に、見に行くことを告げていましたが、私は急に行くことに決めたので、何も知らせていません。変に緊張しないようにと、人陰に隠れつつ、見ていました。(バレたかな? 笑)

学年ごとに歌ったり、踊ったり、6月の運動会の紹介をしてみたり、工夫を凝らした内容でした。今回、見に行って、このイベントがなぜ4月ではなく、5月に行われるのかが、よく分かりました。新しい学年になってから、練習期間が必要なのですね。

次女は、挨拶も無事にこなし、6年生の発表の「サザエさん」の器楽演奏や、全校の合唱曲の伴奏も、特に大きなミスはなかったようです。聴いている親の方が、ちょっと緊張していたかもしれません(笑)。1年間、全校集会で歌われ続けたその合唱曲は、いつも家では伴奏しか聞くことがありませんでした。全校で歌っても、やはりピアノの音を中心に聴いていましたね(笑)。

前回、「1年生を迎える会」を見に行ったのは、長男が新入生の時で、長女が児童会会長として挨拶したように思います。次女が小学校で弾くピアノ伴奏も、今回が最後のようです。この1年間の小学校のイベントは、わが家にとって一つひとつが、「最後」になります。うれしいような、ちょっと寂しいような、ですね。

神の国が、私たちの思いをはるかに超えて広がっていくのと同じように、子どもたちも神様に守られ、いつの間にか成長していることに感謝します。

「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。」(マルコ4:26-27、新改訳第3版)

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