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2007年5月21日 (月)

主の恵みを求めて祈る(イザヤ63-64章)

Flower070520 「天にまします我らの父よ…」で始まる「主の祈り」は、クリスチャン以外の人々にも、広く知られているようです。先日は、映画の中でアメリカ人警察官が祈った場面をご紹介しましたが、日本のテレビドラマでも、以前、「主の祈り」のシーンを見たことがあります。北海道・富良野を舞台にした、倉本總脚本の「北の国から」です。

確かある夜、クマに襲われそうだと勘違いした純と蛍が、ふとんにもぐって、必死に「主の祈り」を唱えます。彼らは、どこであの祈りを覚えたのだろうと、不思議に思いました。「神様、助けて!」というストレートな祈りでなく、あたかも日曜学校で教えられたそのままのように、「み名があがめられますように。み国が来ますように…」と祈っていたのは、いかにもけなげで、可愛らしかったですね。

聖書には、「主の祈り」以外に、たくさんの祈りが出てきます。アブラハム、モーセ、サムエル、ダビデ、ソロモン、エリヤといった旧約聖書のヒーローたち、そして主イエスやペテロ、パウロといった新約聖書のリーダーたちは、後世の模範となるような祈りをのこしています。詩篇は、祈りと賛美を集めたもので、祈りの教科書とも呼ばれます。私たちは、これら多くの祈りをモデルとして、最初に祈った人々や他にも同じ祈りをした人たちと心と思いを一つにし、神様の前に祈ることができます。

祈りは、神様との対話です。特別な時間、特別な場所を設けることができれば感謝ですが、そうでなくても、いつでもどこでも、何をしていても、私たちは、神様とお話しすることができます。神様は、主イエスを信じる私たちといつもともにいて下さり、私たちとお話しすることを喜んでいて下さるのです。

恵みを求める私たちの祈りに、しっかりと応えて下さる神様に、いつも感謝していきたいですね。

「私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。」(イザヤ63:7、新改訳第3版)

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