送別の祈り
父が肝臓がんで、もう手術ができない状態だということは、少し前から知らされていました。子どもたちが春休みの3月、「おじいちゃん」がまた入院したと聞いたので、家族でお見舞いに行くことにします。定山渓のホテルに泊まり、翌日、病院に行くと案外、元気なようすでした。
父自身はただ、自分の死期が迫っていると感じていたのか、入院中に「自分史」を書き上げていました。ラップトップを購入し、ベッドの上で、キーボードを打ち続けたようです。こっそりと病院を抜け出して、近くの書店に辞書を買いに行った日もあったとのこと。後から母が、「あれでいのちを縮めたよね」と苦笑していました。
3月のお見舞い時には、その「自分史」が刷り上っていて、父は満足そうでした。自分の足で歩き回り、洗濯もし、アイスクリームもカステラも自由に食べています。母は、医師から「5月までもたない」と言われていたようですが、そんな言葉がまったく信じられないほど、元気に見えました。
私は、4月の教会総会の後、5月末には教団の総会が予定されていました。教団の「書記局長」になって初めての総会であり、資料準備に大わらわでした。父は、4月に入ってから急に容態が悪化したようでしたが、3月の元気なようすが目に焼きついている私には、母から電話で病状を伝えられても、あまり実感がわきません。ですから、弟から電話があった時も、半信半疑でした。
仕事の区切りを付け、2001年5月2日の朝、高速バスで札幌に向かいます。父は、もう意識がなく、血色も悪く、1ヶ月ほど前とは、まるで違っていました。少し状態が落ち着いていたので、家族を連れてくることにします。夕方のバスでとんぼ返りし、翌朝6時半頃、車で七飯を出発しました。すると7時過ぎ、八雲のあたりだったでしょうか、携帯に弟から電話が入ります。私が帰った後、前夜遅く、父は天に召されたとの知らせでした。
クリスチャンのお見舞いに行く時は、最後に必ず一言、祈ります。父の場合も、そうでした。祈っている時、感じたのは、もう別れの時が「カウントダウン」され、間近に迫っていることでした。しかし、父は救い主イエスを信じ、「天国のいのち」がすでに与えられていたので、私は平安のうちに、神様にすべてをゆだねる祈りをすることができました。思えばあれが、主のみもとに送り出す「送別の祈り」だったのでしょう。父も少し、祈りに反応したかのように見えました。
神様が、イエス・キリストを信じるすべての人を、天国に招き入れて下さっていることを感謝します。
「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」(ルカ23:43、新改訳第3版)
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