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2007年5月18日 (金)

串だんごと生タマゴ

3年くらい海外に住むと、妙なものが無性に食べたくなるもので、私の場合、それは串だんごと生タマゴでした。所沢に住んでいる時、駅から帰宅する途中の商店街に、美味しいお団子屋さんがありました。まだお店が開いている時間に帰った時は、よくお餅や串だんごを買って帰りました。

ロス周辺では、お餅は発見したのですが、串だんごが見つかりませんでした。3年間、団子の断食です(笑)。帰国後、1回くらいは所沢駅近くのお店に行くことができました。あのお店の味は、格別でしたね。その商店街は、最近ずいぶん様子が変わりましたので、今も同じ場所で営業しているかどうかは、ちょっと分かりませんが…。

生タマゴも、なかなか食べられませんでした。日系二世の教会員の方から、「タマゴは生で食べない方がいいよ」と言われたからです。どうも保存方法が違ったようです。ある時、妻は、近くのスーパーで買ってきた卵で、目玉焼きを作ろうとしました。すると、殻を割った瞬間に腐った臭いが広がり、何と、卵の中身は緑色だったそうです!日本のスーパーでは、ちょっと考えられませんね。(ちなみにその後、当のスーパーはつぶれたそうです。)

ディズニー・アニメ「美女と野獣」のガストンや映画「ロッキー」の主人公が、生タマゴをいかにも見せ付けるようにして食べるのは、要するに、普通の人はそのように食べないことの裏返しなのでしょう。

生タマゴ抜きの生活を続けていたある日、ロスのダウンタウンにあった日本人向けスーパーで、「生で食べられます」と張り紙のある卵を見つけます。私と妻は、喜んでそれを買って帰り、舌鼓を打ちました。その日の夜は、ご飯と味噌汁、そして納豆も一緒だったかもしれません。これぞ典型的な日本食ですね。

モーセに率いられてエジプトから脱出し、荒野を40年間歩いたイスラエルの民は、エジプトで慣れ親しんだ食物を食べるわけにはいきませんでした。私たちも、神様から与えられる「日ごとの糧」が何であろうと、決して文句を言わず、感謝していただきたいですね。

「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。」(申命記8:2-3、新改訳第3版)

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