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2007年5月25日 (金)

中学の恩師

今晩は、東京で、札幌の中学校の同期会が開かれるようです。20人くらい参加しそうだと聞きましたが、残念ながら私は、出席することができません。どうも、昨日のブログの「楽しげなクラス」の人たちが、中心になっているようです。30年経った今でも、楽しそうですね。

私にとって中学3年間は、「激動」の期間でした。父の転勤で、住み慣れた札幌を離れ、千葉県の中学校に入学。1年と1学期をそこで過ごし、2年の2学期から、また札幌に戻ります。3年間を通して、4人の担任が受け持つ、4つのクラスに所属しました。

中1のクラスは、荒れていました。全体がバラバラで、まとまりがなく、大学を出て間もない女性の担任は、反抗期に入った子どもたちに手を焼いていました。確か、英語が専門でしたね。私は、生徒会書記に選ばれたことを口実に、クラスのことはノータッチで、「まとめ役になってほしい」と言う先生の要望には、まったく応えようとしませんでした。すべてが新しい環境で、小学校からの友人が一人もいない、という理由もありました。

中2の1学期のクラスは、美術を教えるベテランの男性教師が担任でした。この先生は、後から聞くと、良い先生だったらしいですが、私がいた3ヶ月間は、まだその本領を発揮されていないようでした。私は、「冤罪」でビンタされたことがあり、あまりいい思い出がありません(苦笑)。

中2の2学期から、転校生として札幌に戻りました。千葉にいた1年余り、荒れた中学校でもまれたせいか、私自身がすっかり変わっていました。誰に対しても身構えるようになり、他の人から見ると、雰囲気が恐かったそうです。担任は、数学が専門の男の先生でしたが、まとまりも、やる気もないクラスで、私以外に(笑)、「問題児」と言われた生徒もいました。千葉の中学から比べると、たいへん平和な学校で、「問題児」も、私にとっては心根の優しいクラスメートでしたが…。

中3になる時、クラスは持ち上がりだったのですが、担任だけが変わりました。新たな担任のT先生は、恐るべきスーパーウーマンで、クラス全体がメンバーチェンジしたかのように「変容」しました。何人かのリーダーを育て、彼らを中心に全体が一つとなり、目標にチャレンジするクラスに生まれ変わったのです。「問題のクラス」を、短期間で「優良クラス」に変身させてしまう手腕を持つスーパー教師は、このT先生しか見たことがありません。

国語が専門で、「本を読みなさい」と、よく言われました。ノートの作り方、文章読解の方法なども、しっかりと叩き込まれました。ケンカを仲裁し、リーダーの一人であった私のやり方にも、時々チェックが入りました。「問題児」を含め、クラス全員が現役高校入学を果たした時は、たいへん嬉しそうでした。いま思えば、T先生との出会いは、神様が用意して下さった特別な「邂逅」だったようです。

昨年、札幌で同期会があった時は、小樽から一人で車を運転して来られました。まだまだお元気で、パワフルですね。私は、教員免許を取っても、教師にはなりませんでした。もし教師になったとしても、T先生のレベルには、決して到達しなかったかもしれませんね。

「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。」(マタイ10:24-25、新改訳第3版)

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