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2007年6月 4日 (月)

神の祝福の民となる(イザヤ65章)

Flower070603 「God bless you!」という表現は、カタカナでそのまま表記すれば「ゴッド・ブレス・ユー」でしょうが、実際の音は、「ガッブレッシュ」に聞こえます。映画の字幕などでは、「神のご加護があるように」とよく訳されますが、日本人クリスチャンの世界では、「加護」という言葉は使いません。「神のご加護」という字句を見るたびに、何となく違和感を感じますね。

「bless」という英単語は、日本語の聖書では、「祝福する」と訳されています。それは、「神様が、その愛に基づいて、人々に良いものを与えられる」という意味になります。ですから、「(May) God bless you!」は、神様が良いことをもたらして下さいますように、という祈りであり、ただ「加護(助け守ること)」だけを祈るものではありません。映画の字幕も、「神の祝福がありますように」にしてほしいですね(笑)。

聖書の中で「祝福」は、数量的に増えること、力が与えられること、必要な物が備えられること、生きる使命や任務が与えられること、きよめられること、他の人に恵みを分け与えられること、などがその具体例になるそうです。それがただの「努力の結果」や「幸運」、「人徳」などと違うのは、「送り主」である神様が、「受益者」である人間に恩恵として施されるということでしょうか。

送り主がはっきりしている場合、普通、送り主に感謝を表しますね。そうでないと、礼を失することになります。いつもいつも祝福して下さる神様に謝意を表す行為が、感謝の祈りであり、賛美であり、礼拝です。「礼拝」はまた、特定の時間帯だけになされる行事ではなく、日々の生活の中で、神様のことばに従う生き方をすることをも意味しています。特定の時間以外に、受けた恩恵をまったく忘れていたら、「恩知らずの人生」か「裏表のある生き方」になってしまいますね。

神様は信じる私たちに、救いを与えて下さり、喜びを与えて下さり、永遠のいのちをも与えて下さっています。「新しい天と新しい地」、あるいは神の都「エルサレム」と表現される「天国」に招き入れられた、「祝福の民」とされていることを感謝します。

「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。」(イザヤ65:17-19、新改訳第3版)

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