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2007年6月 1日 (金)

へその緒

母親のお腹の中が、よっぽど居心地が良かったのか、長男はなかなか出てきませんでした。予定日の数日前に、「おしるし(bloody show)」があったので、もうそろそろかと思いきや、予定日を過ぎても、陣痛(contractions)がちょっとあっても、赤ん坊はお腹の中でのんびりしています(笑)。

予定日の3日後、定期検診に行くと、ドクターが、「今日、生まれさせましょう」と言いました。私は、「そんなのアリか?」とあっけにとられつつ、妻を連れて、そのまま車で病院に向かいます。アメリカでは、担当医のオフィスと分娩をする病院は、別な場所にあるのです。

昼ごろ、陣痛室(labor room)に入り、胎児の頭にモニターをつけ、破水させ、陣痛促進剤をうちました。羊水を抜いて大丈夫なのかと思っていたところ、4時半ころ、胎児の心拍数が突然、半分くらい(70)に落ちます。緊急事態に気づいた看護師は、すぐさまスタッフを集め、医師に連絡し、帝王切開の準備が始まりました。

また帝王切開かと、妻はがっかりし、胎児のために祈りました。点滴で羊水にかわるものを補給すると、心拍数は元通りに回復します。回復後に到着した医師の診断では、へその緒(umbilical cord)が首を締めたのだろう、という話でした。

もうそろそろ生まれそうだということで、陣痛促進剤をやめ、そのまま普通分娩でいくことにしました。陣痛が来るたびに、「コーチ」は、妊婦の目の前で指を立てながら数を数え、適切な呼吸をするよう励まします。分娩室(delivery room)では、病院のサービスで、生まれるまでの様子をビデオに録画して下さいました。

誕生は、6時半ころです。医師は、私にハサミを手渡し、「へその緒を切れ」と言います。(後で聞くと、日本では「医療行為」にあたり、「素人」は切れないそうです。)母との「ライフライン」を父が断ち切るのかと、何だか複雑な思いを抱えつつ(笑)、ハサミで切ると、「ジョキン」と肉を切るような、何ともいえない感覚でした。

生命の誕生は、創造主なる神様の不思議な「神秘」です。神様が私たち一人ひとりを、素晴らしい「傑作」として、造って下さっていることに感謝します。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2:10、新改訳第3版)

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