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2007年7月26日 (木)

大和魂

日本人は、誇り高き民族で、他の国への従属的な立場を好まない傾向があります。「サムライ」の国としての矜持なのでしょうか。しかし、文明史的に考えると、日本は、古くから中国文明の周辺国であり、明治以降は、西欧近代文明の周辺国と言えます。「日本文明」という見方を主張する人たちもいるようですが、世界史に与えた影響力の大きさから見れば、少し無理があるように感じます。

外来の文明を吸収する際、意識されるようになったのが、「大和魂(やまとだましい)」でした。最初は、中国から流入してきた知識や文化を日本風にアレンジすることを意味したようで、「和魂漢才」と言われます。その後、近代化を急いだ明治期には、「和魂洋才」という言葉が出来ました。すべて西洋化するのではなく、「日本の心」を失わず、外来文化はあくまでも「和風」に摂取するという意味ですね。

西アジアで生まれた「キリスト教」が、欧米経由で日本に入ってきた時、それは「外来宗教」として位置づけられ、「和魂」と対立する「洋才」として理解されました。近代国民国家が、1648年のウェストファリア条約以降、キリスト教諸派を国家の倫理的基盤としているなら、日本は神道を基盤とすべきだというのが、明治新政府の選択だったのです。

しかし、もし「大和魂」が「外来文化を日本風に摂取する心」だとしたら、外来宗教を拒否する心は、大和魂とは言えないのではないでしょうか。実際、仏教も外来宗教であり、それを日本風にアレンジしてきた歴史があります。「聖書の教え」も、ソトから来たものだからと言って受け入れないのではなく、日本風に積極的に吸収していこうという考え方が、本来の「和魂」だと私には思えます。

倫理観が崩壊しつつある今、「攘夷」的な排外主義や超国家主義という「いつか来た道」に戻るのではなく、真の「大和魂」に基づいて、個人や社会の倫理的基盤について再考する時が来ているのではないでしょうか。

「大和魂」は、「和魂(にぎたま、にぎみたま)」とつながるとも言われるようです。「にぎたま」とは、神道で、「雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面」のことだそうです。私たちは、真の平和を築いて下さる創造主なる神様の教えを、「和の心」を大切にしながら、しっかりと吸収していきたいですね。

「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。」(詩篇119:165、新改訳第3版)

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