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2007年8月

2007年8月31日 (金)

インド宣教と阿弥陀信仰

イエスの12弟子の一人、使徒トマスは、紀元52年頃、インドにキリスト教を伝えたと言われています。その頃から、インド全域で、仏教に新しい動きが始まります。すべての人類の救済を説く大乗運動でした。その運動の中でまとめられた経典が、「大無量寿経」を初めとする浄土三部経だったようです。

大無量寿経は、阿弥陀如来による極楽浄土への救済を記しています。「阿弥陀」とは、サンスクリット語で無限の寿命を持つもの、または無限の光を持つもの、という意味で、無明の現世をあまねく照らす光の仏だそうです。

この阿弥陀如来は、衆生の救済のため自ら仏の位を降り、菩薩(修行者)となり、浄土への往生の手立てを見出した後、仏になったとのこと。阿弥陀如来を拝むことにより、極楽浄土へ往生できるという他力本願の思想が、阿弥陀信仰のようです。(信仰ある人は往生しているはずなので、他の人が「冥福を祈る」のは、見当違いで失礼だそうです。)

阿弥陀仏と浄土への信仰は、インドから中国に伝わり、その後7世紀には日本に伝来します。鎌倉時代、法然の弟子である親鸞が始めた浄土真宗は、浄土三部経を拠り所とし、「南無阿弥陀仏」という念仏を広めます。それは、「私は阿弥陀仏に帰依します」という「信仰告白」でした。真宗は、室町時代の蓮如によって爆発的に成長し、現在、日本の仏教諸派の中で最大のグループとなっています。

阿弥陀信仰は、実は、使徒トマスが伝えたキリスト信仰と極似しています。無限の存在である創造主なる神様が、救い主としてこの世に降臨され、天国への道を開き、世界に希望の光を照らされました。このお方を信じることにより、私たちは神の国に入ることができるのです。トマスによるインド宣教が、阿弥陀信仰を生むキッカケとなった可能性もあり得るのではないでしょうか。

無限の寿命と無限の光を持つお方は、創造主なる神様お一人です。阿弥陀仏が、本当はイエス・キリストのことだとしたら、阿弥陀信仰を持つ人は、ぜひ聖書の教えを受け入れてほしいと思います。真の救い主を知り、神様が教えて下さる真理の道を歩んでいきたいですね。

「主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。」(詩篇25:4-5、新改訳第3版)

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2007年8月30日 (木)

景教

日本にキリスト教が伝来したのは、16世紀のフランシスコ・ザビエルから、と学校では教わります。日本の伝統宗教と異なる西洋の宗教が、近世の頃になって初めて南蛮の渡来人によって伝えられた、という図式です。

私はクリスチャンになった頃、神様は、どうして16世紀に至るまで日本を放っておかれたのだろうと、疑問を持っていました。創造主なる神様は、すべての人を愛し、「全世界に神の国の福音を伝えなさい」と命じられました。1世紀の出来事が16世紀になって初めて伝わるというのは、いくら昔の話でも、時間がかかり過ぎのように思えます。

実は多くの人々が、16世紀よりもずっと以前に、キリスト教が伝来していた可能性を指摘しています。それは、中国に伝来したネストリウス派というキリスト教で、「景教」とも呼ばれます。

ローマ帝国の国教とされたキリスト教会には、5人の総主教が置かれました。そのうちの一人、コンスタンティノポリスの総主教ネストリウスは、神学論争に破れ、431年のエペソ公会議において異端とされ、追放処分になります。彼は、マリアを「神の母」と呼ぶことに反対したということですから、今のプロテスタントの立場に近いのではないでしょうか。

シリア経由でエジプトに流されたネストリウスは、そこで客死しますが、彼の教えはシリアのクリスチャンたちに受け継がれ、ササン朝ペルシアに広まり、その後、インド、中央アジア、シベリア、中国まで伝えられたようです。

中国に伝来したのは、唐の太宗の時代で635年。太宗は宣教団を宮中に歓迎し、布教を認め、3年後には長安に教会が設立されました。当初、「波斯経教(ペルシア教)」と呼ばれた教えは、後に「大秦景教(ローマの輝ける宗教)」と改称され、教会名も「波斯寺」から「大秦寺」となります。781年には、中国全土に広がった景教流行の記念碑が長安に建立されました。真言宗の開祖・空海を含む遣唐使たちも、景教に接する機会があったのではないかと言われています。

日本に伝来した可能性が高いのは、736年、聖武天皇・光明皇后の時代です。景教徒で医者だった李密翳(りみつえい)というペルシア人宣教師が来日し、皇室に景教を伝えたようだとのこと。李密翳は天皇から位が授けられ、その後、景教用語が宮中の記録に使われるようになったり、皇后がたいへん熱心に福祉活動に力を注いだりしているそうです。(ただ一般には、これは仏教への篤い帰依によるものと理解されていますね。)

もしこの景教の伝来が事実なら、8世紀には、日本にキリスト教が伝わっていたことになります。それより以前に渡来した人々の中に、景教徒がいたと主張する人たちもいます。正式な記録には残っていないけれども、ひょっとしたら私たちの知らないところで、神様は日本に使者を遣わし、福音を伝えていたかもしれませんね。

「イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」(マルコ16:15、新改訳第3版)

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2007年8月29日 (水)

日ユ同祖論

日本人の祖先には、イスラエルから渡来した「失われた10部族」がいたという説があります。日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つという意味からか、「日ユ同祖論」と呼ばれています。

ユダヤ人の父祖は、アブラハムですが、その孫ヤコブの別名がイスラエルです。ヤコブには12人の男子が生まれ、その子孫がイスラエルの12部族になりました。エジプトからカナン(パレスチナ)の地に移住した彼らは、ダビデ王の子ソロモンの時代に王国の最盛期を迎えます。しかし、ソロモン王が外国の神々を拝むようになり、その結果ソロモンの死後、国は分裂し、南北分裂王朝となりました。

北の「イスラエル王国」では、代々の王が真の神様に従わず、早くに滅亡の時が到来します。滅ぼしたのはアッシリアで、紀元前721年のことです。南の「ユダ王国」は、神様に従う王が何人か出ましたが、次第に神との契約を無視するようになり、結局、紀元前586年、バビロニアに滅ぼされてしまいます。

南王国を築いたのは2つの部族で、北王国は10部族から成っていました。このうち、バビロニアに連れて行かれた南王国の人々は、その後、一部が祖国に帰還します。しかし、アッシリアに滅ぼされた北王国の人々は、歴史上消え去ってしまい、どこに行ったのか分かっていません。これが、いわゆる「失われた10部族」です。

イスラエルの民が神様と結んだ契約では、神に従わない場合には、ユダヤ人は世界中に散らされることになっています。ですから、おそらく「失われた10部族」は、全世界に離散したのではないでしょうか。と言うことであれば、その一部が、後にシルクロードとなる道を通って日本に来たとしても、何の不思議もありません。

日本の神社の構造は、古代イスラエルの幕屋や神殿に極似していると言われます。また、年中行事や祭りの習慣にも、共通性が見られるそうです。幕屋や神殿の中心に安置されていた「契約の箱」は、日本の神輿とそっくりです。「契約の箱」は、「失われた聖櫃(アーク)」として、「インディ・ジョーンズ」シリーズの映画にも登場しましたね。

この他にも、いろいろ共通点が挙げられているのですが、何しろ昔の話で、「日ユ同祖」を明確に記した記録が残っているわけでもなく、確証がありません。しかし、国を失ったユダヤ人たちが、ユーラシア大陸を横断し、東の果ての島々にたどり着いたという仮説は、私としては、歴史的なロマンを感じますね。

イスラエルの都エルサレムは、平和の町という意味です。かつて日本の都は、平安京と呼ばれました。血のつながりがあってもなくても、ともに平和を目指す国づくりをしていきたいですね。

「悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。」(箴言12:20、新改訳第3版)

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2007年8月28日 (火)

とうきびと宣教師

Corn070826 日曜午後は、恒例のとうきび狩りに行きました。今年は、私はもっぱら参加した幼児のベビーシッターでしたが(笑)、長女は一人で100本とると意気込み、家族あわせて170本になりました。(去年の記事は、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_05d7.html

「ゴールドラッシュ」というスイートコーンで、糖度17度。果物よりも、ずっと甘いそうです。高品質、イエロータイプで栽培しやすい品種とのこと。誰が名付けたのか、ゴールドラッシュとは、景気がいいですね。あるサイトには、「コーンそのものが金貨を山積みにしたイメージがある」と記されています。

とうきび(とうもろこし)は、米、小麦とならぶ世界三大穀物ですが、紀元前5000年頃にはメキシコに分布していたそうです。この南北アメリカ大陸の主要農作物を、1492年にコロンブスがキューバからスペインに持ち帰り、ヨーロッパに伝来。1579年(一説には1576年)には、ポルトガル人宣教師が、スイカやカボチャの種とともに、長崎に持ち込んだそうです。

宣教師たちは、この他にも、西洋医術による治療を行い、間引きされる乳児の救済事業に乗り出し、病人の滋養食としてカステラを焼いたとのこと。もちろん、聖書の教えも伝え、1579年にはキリシタンが10万人となり、最盛期の1605年頃には、75万人を数えたようです。一般的には、よく植民地化の手先として、宣教師たちが到来したかのように伝えられますが、それだけではこれほど急速にキリシタンが増加することはなかったでしょうね。

とうきびの本格的栽培は、明治以降のこと。北海道開拓のために招聘されたホーレス・ケプロンやエドウィン・ダンらが、アメリカから優良品種を導入したようです。現在でも、全国の生産量の43%ほどが北海道で生産されるそうですが、消費のほとんどは輸入でまかなわれ、その量はお米の生産量の2倍(!)にも上るようです。食用、薬用、飼料用、デンプンや油の原料として栽培されてきましたが、最近では燃料用としても注目されていますね。

私たちは、何も知らずにただ美味しい、美味しいと食べていますが、とうきびにも日本渡来の歴史があったのですね。宣教師たちとともに日本にやって来たとは、私も今日まで知りませんでした。神様が、異国の地から、とうきびの恵みをもたらして下さったことを感謝します。

「全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。……主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」(詩篇100:1-3、5、新改訳第3版)

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2007年8月27日 (月)

神の知恵と知識をほめたたえる(ローマ11章)

ユダヤ人は、実に不思議な民族です。祖国を3度失い、世界中を放浪し、迫害や虐殺の中、その民族的アイデンティティを決して失いませんでした。20世紀半ばに国家を再興し、アラブ諸国に包囲されつつも、今なお主権を維持しています。イギリスの歴史家アーノルド・トインビーは、「ユダヤ民族が現存すること自体が奇跡だ」と語ったそうです。

ユダヤ人の父祖は、紀元前2100年頃に生きたアブラハムという人です。神様は、今のイスラエルの地を彼とその子孫に与えると約束しましたが、同時に、彼の子孫は400年間、外国で奴隷生活を送ると言われました。そのことば通り、アブラハムの子孫は、エジプトで奴隷として虐げられます。

400年の後、イスラエルの民はモーセに率いられ、エジプトを脱出します。「約束の地」に再び戻るため、彼らは、神様と契約を結びます。「神様に従って生きるなら、イスラエルは祝福され、神様から離れるなら、国は滅び、人々は世界中に散らされる」という内容の契約でした。彼らは祖国に帰りますが、結局は神様に従わず、アッシリアやバビロニアによって国が滅ぼされ、ユダヤ人は世界中に離散します。

バビロニアに連れて行かれたユダヤ人たちが、国に帰還できたのは、紀元前536年。国家滅亡の70年後で、あらかじめ予言されていた通りでした。彼らは祖国を復興させますが、今度は、イスラエルの王として到来した救い主イエスを拒否し、十字架につけてしまいます。その結果、紀元70年、ローマ軍がエルサレムを全滅させ、100万人のユダヤ人が殺害され、生き残った人々は、再び世界中に散り散りになりました。

「神様は、選びの民ユダヤ人を見捨ててしまったのだろうか」と使徒パウロは、自問しています。「決してそうではない」というのが、彼の答えでした。12弟子も、パウロ自身も、ユダヤ人です。イエス・キリストを信じ、「神の国」の民とされる約束は、異邦人だけでなく、ユダヤ人にも与えられています。

イスラエルが、国全体として救い主を拒否することは、全知全能なる神様が前もってご存知でした。起こったこと自体は最悪の出来事でしたが、神様は、その悪いことをも良い目的のために用い、異邦人に福音を伝えて下さいました。それだけではなく、ユダヤ人にも将来の祝福の計画を備えておられるのです。

「人類の歴史が終わりに近づいている頃、イスラエルは再興される」と、神様は予告されていました。何百年にもわたり、その兆候がなかったにも関わらず、1948年、とうとうイスラエル国家が誕生します。それは、ただ人々の意思や思惑によるものではありませんでした。人知をはるかに超えた、神様の計画によるものだったのです。

私たちは、自分の頭ですべて考え、判断するのではなく、神様の無限の知恵と知識に信頼していきたいですね。全知全能の神様がいつもともにいて下さり、私たちの日々の生活を支え、将来の道を備えて下さっていることを感謝します。

「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」(ローマ11:33、新改訳第3版)

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2007年8月24日 (金)

迂回路

夏季休暇のドライブで一番思い出深いのは、何と言っても99年7月31日ですね。この年は、その数日前に8時間かけて鹿追町に到着し、34.4℃の暑い帯広で動物園に行き、雨の然別湖では遊覧船に乗り、子どもたちは乗馬も楽しみました。その後、札幌に滞在し、土曜日に七飯に向かいます。

札幌を出たのは午後2時。当時乗っていた赤のシビックで、一般道をのんびり走り、八雲までは順調でした。きれいな夕焼け空を眺めながら、7時頃には七飯で夕飯が食べられるかな、と思っていたら、野田追橋の手前で急に渋滞になります。遠出をしていて何も知らなかったのですが、道南は大雨の直後だったようで、川が増水し、橋はついさっき通行止めになったと言うのです。

迂回路に回るよう指示があったので、八雲のラーメン屋で夕食を済ませ、言われた通り、ぐるっと遠回りして日本海側に向かいました。次々と道が通行止めになり、北檜山(現せたな)回りになります。札幌と函館を結ぶ幹線道路が、たった一箇所の川で不通になってしまうのは、危機管理上、大丈夫なのかとも思いました。

日本海側に向かう道は、迂回する車で渋滞しています。さらに悪いことには、この日、あちこちで夜間の道路工事がなされており、片側一車線通行の場所がいくつもあったのです。これが、渋滞に拍車をかけました。

子どもたちのトイレだけが心配だったのですが、何とか途中の道の駅にタイミングよく入ることができ、そこで歯磨きもして、子どもたちは車内でオヤスミです。結局、七飯にたどり着いたのは、翌日曜日の午前1時でした。もちろん、その日は朝から礼拝です。札幌から七飯まで計11時間、実にハードな回り道でした(苦笑)。

イスラエルの民は、約束の地に入るため、荒野の40年という迂回路を通らなければなりませんでした。しかし、その回り道はただ空しく過ぎ去った時間ではなく、約束の地を勝ち取るための準備期間だったのです。迂回路を抜けた彼らは、川を渡り、神様の約束を手にするための戦いを始めることになります。

考えてみると私にとっても、99年夏の迂回路は、新たな「約束の地」に入るための戦闘開始のしるしだったかもしれません。そう言えば、七飯に入るため最後に走り抜けたのは、箱館戦争で官軍が、土方歳三率いる旧幕府軍と激烈な戦闘を繰り広げた峠でした。

時には迂回路もありますが、神様が私たちを、神の国という「相続地」へ導いて下さっていることを感謝します。

「今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。……強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」(ヨシュア1:2-3、6、新改訳第3版)

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2007年8月23日 (木)

フライシート

雨よけとなるフライシートの重要性をよく理解していなかった私は、支笏湖キャンプの翌年、テントに防水スプレーをかけただけで、性懲りもなく、またキャンプに出かけます。スプレーだけでなんとかなるかもしれないと考えたのが、また大誤算でしたね(笑)。

この年、テントを張ったのは、網走湖の女満別湖畔キャンプ場です。ここもワリと静かなキャンプ場で、歩いて温泉に行くことができ、目の前の湖ではしじみ採りができるとのことでした。

サイトに到着すると、あまりに肌寒かったため、夕食はバーベキューの代わりに鳥鍋を食べて体を温めました。翌日は日中、雨模様で、最高気温が14度程度。着替えも軽装しかなかったので、近隣観光の後、寒いキャンプ場に戻る前に、網走市内のお店で夕食を済ませました。

最初の晩は晴れていましたが、2日目は一日中、小雨です。テントは大丈夫だろうかと思いつつ寝袋にもぐりこむと、なんとその夜は風雨が強まり、嵐のようになりました。やはり2時過ぎから雑巾で天井を拭き始めましたが、雨も雨漏りもまったくおさまる気配がなく、4時半頃にはとうとう撤収を決断しました。

寝ぼけ眼の子どもたちを車に移し、風雨の中で片付けをするてんやわんやの両親を見て、子どもたちは面白がります(苦笑)。慣れない作業だったせいか、すべて片付けて、荷物を積み込むまで2時間もかかりました。七飯に向けて出発すると、北見に入った頃には、朝日が明るく照りつける真っ青な青空が広がります。やれやれ。

道沿いにマクドナルドを見つけたので、「朝マック」でもするか、と言うと、またまた子どもたちは大喜び。七飯にはマックがないため、「朝マック」は初めてだったのです。北見のマクドナルドは親切で、お願いしたら、コーヒーを旅行用の水筒一杯に注いでくれました。

この翌年からは、ある人の助言により、大きなビニールシートを購入し、フライシート代わりとします。それを何回か使用した後、数年前には、コールマンのテントを新たに購入しました。もちろん、フライシート付きです。最初に購入したテントには、それなりの思い入れがありましたが、ファミリーキャンプ用としては、お役御免になりました。80ドルでしたから、十分、元はとりましたね。

イスラエルの民が荒野でキャンプ生活をした時代、「ポータブルの神殿」だった幕屋(会見の天幕)は、一番内側の幕が、やぎの毛や雄羊の皮、じゅごんの皮という「三重のフライシート」でおおわれていたようです。防水対策としては、完璧でしたね。それを運ぶ任務を担っていたイスラエルの氏族(ゲルション族)の人たちも、雨が降っても、急に出発の時が来ても、きっとあわてることはなかったでしょう。

「備えあれば憂いなし」、「降らずとも雨用意」です。私たちも、何があってもあわてないよう、十分な準備をしてキャンプに臨みたいですね。フライシートは、忘れてはなりません(笑)。

「ゲルション人諸氏族のなすべき奉仕とそのになうものに関しては次のとおりである。すなわち幕屋の幕、会見の天幕とそのおおい、その上に掛けるじゅごんの皮のおおい、会見の天幕の入口の垂れ幕を運び、……これらに関係するすべての奉仕をしなければならない。」(民数記4:24-26、新改訳第3版)

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2007年8月22日 (水)

テント

最初に買ったキャンプ用品は、確かテントでした。95年に帰国する直前、近くのショッピングセンターで見つけたものです。80ドルでした。その時は、きちんと情報収集をしていなかったので、どんなテントが良いのか分からず、ただ安いものを購入しました。その選択が明らかに間違いだったことは、後でしっかりと思い知らされることになります(笑)。

帰国の際、荷物は郵便局から発送しました。ほとんどが箱に収まる小さな荷物だったので、それが一番、安くあがりそうだったからです。郵便局からは送れない大きさの荷物は、持ち帰ることにしました。結局、最後に残ったのは、「プレイペン」と呼ばれる折りたたみ式のベビーベッドと購入したテントです。

この他に、大きなスーツケース2個、パソコンとプリンターの入ったキャリーバッグ、カーシート2個とベビーカー、ハードケース入りのギターを持ち、7歳と1歳半の子どもを連れて帰って来たのですから、まだ若くて元気だったですね(笑)。ロス空港(LAX)までは教会のバンで送ってもらい、千歳空港に着いた時は、親戚の方にワゴン車で迎えに来ていただきました。

米国から持ち帰ったテントを家族で初めて使ったのは、その5年後、支笏湖のキャンプです。大人6人でも十分余裕のある広々としたテントを、湖畔の水際に設営しました。長女が6年生、長男は1年生、次女は幼稚園年中クラスの頃です。オコタン野営場という、支笏湖ではおそらく一番静かなキャンプ場で、最高の景観でした。

少々、雨模様でしたが、バーベキューや花火を楽しんだ後、波の音をBGMに床につきました。たっぷりと体を動かした一日の疲れから、朝までゆっくり休めるはずでした。ところが、夜中2時過ぎに異変に気づきます。テントの屋根から、水滴が顔にしたたり落ちてきたのです。

安く購入したテントは、屋根をおおうフライシートが付属せず、かつ防水性も良くなかったようです。雨は小降りだったのですが、ずっと降り続けると水滴がテントの内側にたくさんつき、雨漏りのようにぽたぽたと落ちてきました。子どもたちは寝ていましたので、私は妻とともに雑巾をとり、水滴を拭き取る作業を始めます。

拭いては少し眠り、また拭いては眠り、と繰り返しているうちに、朝が来ました。子どもたちは十分に休めたようですが、親はゆっくり休むどころではなく、夜中もしっかりと働いたのです(苦笑)。

日本と違って中東は雨の少ない地域ですが、信仰の父アブラハムが設営した天幕(テント)は、雨漏りしなかったでしょうね。彼は私とは違い、キャンプ生活のベテランで、テントのことは知り尽くしていました。信仰の歩みだけでなく、キャンプの方法についても、アブラハムのコーチングを受けることができたら良かったかもしれませんね(笑)。

「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」(ヘブル11:8-9、新改訳第3版)

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2007年8月21日 (火)

ファミリーキャンプ

今年のファミリーキャンプは、東大沼キャンプ場でした。長男の部活の都合により一泊のみとし、一日目はテント設営や買出し、バーベキューの後、近くの温泉につかりました。二日目は、片付けの後、大沼で遊ぶ予定にしていたのですが、次女の体調が悪く、名物の「大沼だんご」とローストビーフ・サンドイッチだけ買って、帰ってきました。

この間、長男は朝から夕方まで部活で、長女は友人のお見舞いに函館まで行き、なんだかせわしいキャンプでしたね。キャンプ場は、無料のわりに炊事場やトイレの掃除が行き届き、きれいでした。思ったほど混んでなく、夜に大騒ぎする人たちや暴走族もいなかったようで、快適でしたね。ただ、前日まで過ごした道央圏より10度くらい気温が下がったので、さすがに少々寒かったです。

結婚前は、家族でキャンプすることなど、想像したこともありません。ところが、普段まったくアウトドア系でない妻は、大学の頃、何度か行ったキャンプがよほど楽しかったようなのです。キャンプする気などさらさらない私を、何年にもわたり、説得し続けました!(笑)根負けした私は、子どもたちがある程度、大きくなったら行くと約束し、キャンプ用品を少しずつ買い揃え、ネットや雑誌で情報を収集することにします。

99年に鹿追町の「大草原の小さな家」というコテージに初めて宿泊し、翌年からテントを使ったキャンプに挑戦しました。これまで宿泊した場所は、支笏湖、網走湖、ネイパル森(長女の部活のため隣町)、鶴居村(釧路湿原)、アポイ山麓(様似)、金山湖(南富良野)、アルテン(苫小牧)ですね。それぞれ思い出深いですが、一番寒かったのは網走、暑かったのは富良野でした。

「継続は力なり」ではありませんが、最初、何も知らなかった私も次第に慣れてきて、教会の子どもたち向けに行うキャンプにも役立っています。家族でキャンプをしていなかったら、テント一つ張るにしても、要領が分からなかったでしょうね。大自然の中、ともに過ごす楽しいひと時は、家族の絆を強める結果につながっているようにも思います。

モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、40年間、荒野でキャンプ生活でした。その訓練期間を通し、神様が必要なものをすべて備えて下さり、行くべき道に導いて下さることを、彼らは経験します。キャンプを通して私たちも、神様の恵みを思い起こし、感謝していきたいですね。

「四十年の間、あなたは彼らを荒野で養われたので、彼らは何も不足することなく、彼らの着物もすり切れず、足もはれませんでした。」(ネヘミヤ9:21、新改訳第3版)

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2007年8月20日 (月)

信仰によって救われる(ローマ10章)

Flower070819 「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉があります。イワシの頭のようにつまらないものでも、信仰すれば非常に尊いものに思われる、という意味です。節分の時に、イワシの頭をヒイラギの小枝に刺して戸口に置いておくと、鬼が退散すると考えられた風習に基づいているようです。何であっても信じさえすれば、不思議な力を持つのだという、皮肉としても使われる言葉ですね。

「信じる者は救われる」という言葉も、同じような意味合いで用いられたりします。しかし、聖書は、何であっても信じさえすれば良く、それによって人が救われるのだと言ってはいません。それとはまったく逆で、真実を信じる人は救われるが、虚偽を信じる人は滅びると、明確に伝えているのです。

では、何が真実なのでしょうか。それは、天地万物の創造主なる神様が、被造物であるすべての人を愛し、憐れんでいて下さるということであり、偽りを信じ、死に向かっている人間に対し、イエス・キリストによる救いの道を与えて下さったということです。

キリストは、偽りを信じて生きてきた私たちの「罪」の身代わりとなり、十字架につかれ、3日後によみがえられました。この救い主イエスを信じ、生き方の「向き」を変える人は、その罪が赦され(「義と認められ」)、滅びに向かう生き方から救われるのです。

神様が、信じるべき真実を教えて下さり、救いの道に導いて下さったことを感謝します。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9-10、新改訳第3版)

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2007年8月13日 (月)

神のあわれみに感謝する(ローマ9章)

Flower070812 来春から放映されるNHK朝ドラ「瞳」のヒロインが先日、決まったようですね。榮倉奈々さんという鹿児島出身の19歳で、身長170センチの元モデルだそうですが、特技は三味線(準師範)と民謡(名取り)とのこと。シブイですね。ドラマでは、東京でヒップホップダンサーを目指す女の子が、里親としての役割も果たすのだそうです。

応募者1,608人の中から、選ばれたのは、たった一人。朝ドラは、大女優への登竜門とも言われているようで、発表会見では「夢を見てるみたい」と瞳を潤ませていたそうです。会見の前日に起用を告げられた時は、「絶叫して涙が止まらなかった」とのこと。母親も絶叫し、お祖父ちゃんはいつも見ている朝ドラに、孫が出るのが夢だったようです。

選考の理由は、「演技力とダンスはもちろん、たたずまいや存在感が光り、瞳も素晴らしい」ことだそうです。本人は、「プレッシャーもあるけど、選ばれたという自信を持って頑張りたい」とコメント。ご家族や応援する皆さんは、春からの放送を心から楽しみにしているでしょうね。

私たちを救って下さった神様は、私たちが何か素晴らしい特技を持ち、存在感が光っていたから、神の民として選んで下さったわけではありません。品性が輝いていたからでもなく、人一倍努力したからでもありません。自分の力では正しく生きることができず、空しく死に向かっている私たちを、神様がただ一方的に憐れんで下さったのです。これは、まさに「夢を見てるみたい」な出来事ですね。

イエス・キリストを信じるなら、どんな人であっても、里子ではなく、神の家族の養子として下さり、神様の愛を全世界に告げ知らせる者として下さいます。本来は、陶器師である神様の怒りにふれ、破壊される「器」だったにもかかわらず、神様は寛容と忍耐をあらわし、私たちに救いの道を開いて下さいました。

この神様のあわれみを決して忘れず、「選ばれた」という「御恩」を、いつまでも感謝して生きていきたいですね。あまりプレッシャーに感じず、頑張りすぎることもなく、自分ではなく、神様に信頼して歩んで行きましょう。神様も私たちを応援し、私たちの変えられた生き方を、心から喜んで見守っていて下さいます。

「神はモーセに、『わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ』と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ9:15-16、新改訳第3版)

P.S. 今週の更新は、本日のみで、明日から夏季休暇とします。また来週、お会いしましょう。今週の皆様の歩みの上に、神様の祝福が豊かにありますように。

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2007年8月10日 (金)

カーズ

昨晩は、ディズニー&ピクサーによる昨年夏公開のアニメ映画「カーズ(Cars)」を見ました。長女が借りたDVDを家族で鑑賞する、「夏休みシネマナイト」です! 全員で映画館に行けば1万円近くかかりますが、1年待てば180円です。「待てば甘露の日和あり」かな?(笑)

成功や名声を求めて出世街道を快走中のレースカー「ライトニング・マックィーン」は、カリフォルニアで開催されるレース会場に向かう途中、思いがけないトラブルから、ルート66(国道66号線)沿いにある、地図から消え去った古い町、ラジエター・スプリングスに迷い込みます。そこで過ごした数日間の経験が、自分だけの勝利しか考えていなかったマックィーンの生き方を、大きく変えることになります。

全編を通じて、出てくるのは車ばかりですが、「いかに生きるべきか」を考えさせる映画ですね。どんな手段を用いても、自分が勝ちさえすれば、周りがどうなろうといいんだという生き方は、弱肉強食の競争社会におけるサバイバル・レースで、頂点を目指すための必須条件かもしれません。

しかし、大歓声の中の孤独なスピードレースしか頭になかったマックィーンは、人々から忘れ去られた田舎町で、愛すべき仲間、家族、そしてコミュニティを見出します。成功や名声よりも、もっと大切なものに気づいた時、彼が目指すものは、変わりました。

米国大陸を横断する「ルート66(国道66号線)」ができたのは、1926年とのこと。私の卒業した聖書大学が創設され、フォースクエア教団がロサンゼルスに発足した頃になります。

第2次大戦でドイツのアウトバーンを目にしたアイゼンハワーは、1956年以降、アメリカにも高速道路網を建設しようと計画します。古い国道は次第に新しい高速に置き換えられ、1985年、とうとうルート66は廃線となりました。「ラジエター・スプリングス」は架空の町ですが、モデルになったゴーストタウン化した場所は、実際にあったようです。今は、歴史街道として復活し、観光名所のようになっているようですね。

私の住んでいるところは、ルート5(国道5号線)沿いの、北海道開拓期から歴史を持つ、のんびりとした田舎町です。今のところ、地図には載っていますが、どこかと合併してしまうと、地名はなくなってしまうかもしれませんね。建設中の新幹線や高速道路が完成したら、町の様子は一変するかもしれません。どんな地域になっていったとしても、神様に与えられた隣人たちを大切にする生き方をしていきたいですね。

「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」(マタイ22:37-39、新改訳第3版)

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2007年8月 9日 (木)

国益

好きな言葉、嫌いな言葉というのは、誰にでもあると思いますが、私は、「国益(national interest)」という言葉があまり好きではありません。国家主義と利益至上主義の両方が、一つに組み合わさったような響きを感じるからです。素人なので、間違っているかもしれませんが、「国益」という考え方はおそらく、「近代国際社会」が成立したあたりから生まれてきたのではないでしょうか。

ルネサンスと宗教改革以降のヨーロッパでは、政治的には1648年のウェストファリア(ヴェストファーレン)条約の結果、中世で主導的役割を果たした教皇や皇帝といった、国境を超越する権威・権力が力を失いました。近代という新たな時代を政治的に形づくったのは、「主権国家」であり、それら対等な国家間の「国際関係」だったのです。

国際社会は、必ずしも「平和を愛する諸国民」ばかりでなく、「万人の万人に対する闘争」状態にあるとも見られます。弱肉強食の世界で生き抜くため、各国は外交や戦争を繰り返しながら、それぞれの国益を維持し、あわよくば拡大しようとしてきました。集団安全保障のために設けられた国際機関も、結局は、国々の国益がぶつかる場になっているようですね。

「国益」が優先されると、外国に対しては損害を与え、国内では人権を抑圧する可能性があります。かつて日本が中国大陸に侵略した際のキャッチフレーズは、「満蒙は日本の生命線」であり、満州国建国は国益に合致していると判断されていました。国内では、国家神道を奉じることこそが国益だとされ、それを拒否したクリスチャンたちは、「非国民」として弾圧されました。

米国にとっては当時、中国市場の喪失は国益に反し、ヨーロッパ戦線への参加は国益にかなっていたようです。ドイツが降伏した後、「大量破壊兵器」である新型爆弾を広島と長崎に落として、戦争を早期終結に向かわせることも、米国にとっては「国益」だったのでしょう。今でも、それが正しい選択だったと考える米国人は、数多いようですね。

戦後の日本においては、対外的には平和主義、国内的には積極財政という路線こそ「国益」にかなうと考えたのが、「保守本流」でした。しかし今、憲法改正、軍備拡張、市場原理主義を「国益」とする「保守傍流」の方々が、政権の主流となっているようです。表立って靖国参拝こそしなくなり、参院選でも苦杯を味わったようですが、今後、年金のみならず、憲法や「愛国心教育」がどうなっていくのか、しっかり見張り番をしていかなければなりませんね。

私自身は、何が国益にかなうかと聞かれれば、救い主を信じ、神様の祝福を受けることと答えるでしょう。創造主なる神様が、イエス・キリストを通して与えて下さる「永遠のいのち」と、その他すべての霊的祝福にまさる「国民の利益」は、実は、この世に存在しません。日本の多くの人々が、真の「国益」に気づいてほしいと願っています。

「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。」(詩篇33:12、新改訳第3版)

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2007年8月 8日 (水)

プラダを着た悪魔

先日、DVDを借りてきて、家族で「プラダを着た悪魔(The Devil Wears Prada)」を見ました。昨年の公開作品で、かの大女優メリル・ストリープは、14回目のアカデミー賞候補となったとか。主演のアン・ハサウェイが数年前に出演した「プリティ・プリンセス」も、以前、子どもたちと一緒に見たことがあります。

名門大学を卒業したジャーナリスト志望の女の子アンディが、何百万人もの女性たちの憧れである世界的なファッション誌の編集部に就職し、「悪魔のような」編集長ミランダのアシスタントとして、徹底的にいじめられ、こき使われるというストーリーです。

最初、まったくファッションに関心がないアンディが、何の因果か、異次元の世界のような最新モードの業界にやってきて、服装も考え方も一人、浮いているという様子には、なんだか共感を覚えましたね(笑)。私にとっても、異次元の世界なので。

以下は、ネタバレ注意です。どこが「悪魔」なのかと、自分なりに考えてみました。携帯を通して24時間奴隷のように拘束する、横暴で自己中心な上司は、確かに「悪魔的」と言えるでしょう。アンディの生活は、すべてミランダ中心に動くようになり、個人的な生活が破壊され、考え方も行動様式も次第に影響されていきます。

しかし、私が一番、「悪魔的」だと感じたのは、映画の終盤、パリコレでの一騒動を治めた後、車の中でミランダがアンディに語るシーンです。たとえ友を裏切っても、最新ファッションの業界に君臨するミランダの生き方は、すべての人の憧れだ("Everybody wants to be us.")と彼女自身が語ります。その言葉は、アンディも当然、そのような生き方を選んでいくだろうという自信に満ち溢れていました。

アンディは結局、ミランダのような生き方を選択しませんでした。そしてミランダも、最後にはちょっといいところを見せ、根っからの「悪魔」ではないことが分かります。アメリカ映画らしく、ハッピーエンドでホッとしましたね。あれでアンディが「悪魔の誘惑」に乗り、ミランダと同じ生き方を選んだとしたら、ファッション業界の女帝に仕える女版アナキン・スカイウォーカーになるところでした(笑)。

私たちは、私たち自身が直面する「悪魔の誘惑」に、気をつけて生きていきたいですね。どんな手段を使っても、この世の栄華を手に入れようとする生き方への誘惑です。それは、イエス・キリストが公的な活動を始める前、荒野で勝利された誘惑でもありました。

「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。』イエスは言われた。『引き下がれ、サタン。“あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ”と書いてある。』」(マタイ4:8-10、新改訳第3版)

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2007年8月 7日 (火)

格差社会

私が牧師を志す以前に政治経済を学んだ1980年代前半、日本社会の近未来を読み解くキーワードは、「国際化、高齢化、情報化」だと言われていました。それから20数年を経て、今の時代を理解するキーワードは、水野和夫というエコノミストの方の話によると、「帝国化、金融化、二極化」だそうです。

グローバル経済化が進み、国境の意味がなくなる「帝国化」、金融取引が実物経済より優位に立つ「金融化」、あらゆる面で格差が広がる「二極化」が、現代を特徴づける構造変化ということのようですね。(詳しくは、「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」、日本経済新聞出版社刊)

二極化対策の一環なのかどうか、本日、内閣府が公表した2007年度の経済財政白書では、格差是正のため、低所得者層を支援する新たな制度が必要だと提言されているそうです。具体的には、「負の所得税」なる仕組みを挙げているとか。最低生活水準以下の低所得者層に、その差額のある割合を政府が現金給付する仕組みだそうです。

格差の拡大が進むと、いい仕事につけず、将来への希望を失いがちになる人たちが増え、その結果、アルコール依存症や自殺者数、そして犯罪も増加する傾向があるとのこと。そういえば最近は、犯罪検挙率が落ちているにも関わらず、刑務所はもう受刑者が入りきらないほど一杯だという話を耳にしますね。

どこかの誰か(!)が言ったように、「格差はどんな時代にもある」のは事実です。だからこそ、どの時代にも、政府による何らかの経済的救済措置が必要になるのでしょう。格差が固定化すると、社会の活力が失われるという議論もあります。

しかし、イエス・キリストは、まったく別の観点から、「格差社会」に救いの手を差し伸べました。たとえ社会的に「負け組」となり、貧しい生活をしていたとしても、神様の愛によって心が満たされている人は、幸いで、心豊かな生き方をすることができるということです。自らの「貧しさ(足りなさ)」を認め、真の豊かさを求める人には誰でも、神の国の祝福と喜びが約束されています。

格差社会の中で、どんな生活を営んでいたとしても、経済的状況にすべてを支配される必要はありません。経済格差に左右されない、状況を超越した生き方をしていきたいですね。神様はまた、すべて必要なものを備えて下さり、状況を乗り越える力をも与えて下さいます。

「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。」(ルカ6:20-21、新改訳第3版)

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2007年8月 6日 (月)

圧倒的な勝利者として生きる(ローマ8章)

Flower070805 「人生ゲーム」というロングセラーの盤ゲームがあります。日本での発売開始が、高度成長絶頂期の1968年で、それ以来、1,000万個以上を売り上げているという話ですから、驚くべきヒット商品ですね。私も小学生の頃、友だちの家で遊んだ記憶があります。

何年か前、家にある人生ゲームを、教会にささげて下さるという方がいました。集まる子どもたちが一緒に遊べるように、という趣旨でした。お気持ちはありがたかったのですが、ちょっと考えて、やはりお断りすることにしました。「億万長者を目指す」というゲームのゴールが、聖書の教えにそぐわないように感じたからです。申し出て下さった方も、クリスチャンでしたから、すぐ理解して下さいました。

聖書が語る「勝ち組」と「負け組」の尺度は、もちろん、お金ではありません。イエス・キリストは、天国に行った貧乏人と行けなかった金持ちの例え話をしています。地上の世界において、「勝ち組」人生を満喫したお金持ちは、死後、炎の中で苦しみもだえます。ところが、「負け組」だったラザロという貧乏人は、天上において、永遠の祝福を満喫するようになるのです。

二人の違いがどこにあったのか。実はそれは、お金を持っているか否かでは、ありませんでした。創造主なる神様の教えに、聞き従うかどうかだったのです。お金持ちが「勝ち組」で、貧乏人が「負け組」なのではなく、逆に億万長者だから即、地獄に落ち、無一文だから天国に行くわけでもありません。聖書が教える「勝ち負け」の尺度は、目に見える世界の経済格差を超越しています。

イエス・キリストは、信じる人すべてに対し、「天国に凱旋する」勝利の人生を与えて下さいます。私たちを罪と死から解放し、将来に希望を与え、豊かでも貧しくても、どんな中にあっても私たちを助けて下さいます。

地上での人生は、永遠の天上世界から見れば、ほんの一瞬にしか過ぎません。しかし、それは永遠の違いをもたらす一瞬でもあります。私たちが地上において、何を求め、どのように生きるかにより、死後の落ち着き先が大きく異なるからです。

神様は、私たちがどんな経済生活の中にあっても、救い主イエスに聞き従い、「圧倒的な勝利者」として生きてほしいと願っておられます。皆が一攫千金の「億万長者を目指す」のではなく、神様が与えて下さっている、真の「勝ち組」の人生を歩んでいきたいですね。

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37、新改訳第3版)

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2007年8月 3日 (金)

吹奏楽コンクール

世の中には、知らない世界というものはあるものです。私にとって吹奏楽の世界は、長女が中学に上がるまで、ほとんど未知の世界でした。長女は、中学の吹奏楽部でフルートを吹き、部長をつとめました。今は、中2の長男が、ユーフォニアムを吹き、副部長をつとめています。

先週の金曜日は、年1回のコンクール地区大会がありました。仕事の都合がついたので、妻と次女、そして義母とともに、函館市民会館に応援に行きました。道南で35人以上の編成をもつ5つの中学校のうち、2校だけ全道大会に行けるとのこと。長女が中1の時は、所属する吹奏楽部が、東京の全国大会にまで出場した実績があります。

私は、まったくの門外漢なので、聞いてもほとんど違いが分かりません。5校のうち1校だけは、音が滑らかで、美しい印象がありましたが、あとの4校は、どこが選ばれるのか分かりませんでした。それでも審査員の方々は、しっかりと聞き分けたようです。感謝なことに、長男の吹奏楽部は、全道大会に行けることになりました。

この大会は、1940年に始まったとのこと。戦前、戦中の課題曲は、「大日本」とか「皇軍の精華」、「航空日本」といったタイトルだったようですから、時代が反映されていましたね。今年の課題曲は、「光と風の通り道」とか「憧れの街」、「ブルースカイ」といったタイトルが並んでいます。平和な時代で良かったです。

聖書では、アダムの何代か後の子孫であるユバルが、「立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった」と記されています。モーセに率いられたイスラエルの民がエジプトを出て、「約束の地」に向かった時は、角笛と銀のラッパがお祭りや合図のために用いられました。ダビデ王の時代には、礼拝のための音楽隊が編成され、集められた「達人」たちは、288名いたそうです。

キリスト教会はもちろん、音楽と深い関わりがあります。グレゴリオ聖歌は礼拝音楽ですし、バッハもヘンデルもモーツァルトも、キリスト信仰をテーマにした曲を書いています。最近、日本でブームになったゴスペルも、もともとは賛美歌ですね。現在では、ロック調あり、ポップス調ありで、あらゆるジャンルの賛美曲があります。演歌や沖縄民謡風の曲もありますね。

世界中の人々とともに、あらゆる楽器や声を用いて、創造主なる神様を賛美していきたいですね。

「角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。」(詩篇150:3-4)

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2007年8月 2日 (木)

帰卿

京都に住む長女が、夏休みで帰ってきました。何日か前から、帰る前にすべきことを打ち合わせたり、飛行機の発着時間を確かめたり、路線検索で何時に出発したら良いか確認したり、本人だけでなく、家族も大騒ぎです。

祖父母の家に泊まりに行っていた次女を途中で拾い、到着予定時刻寸前に函館空港にすべり込むと、もう関西便は到着していました。札幌便の到着が大幅に遅れたせいか、預け荷物が流れてくるコンベヤー周辺は、2機の乗客で人だかりになっています。夏休み旅行の子どもや帰省する学生、観光ツアーの旅行客を迎える人たちも、大勢です。

たくさんの見知らぬ顔の一番奥に、長女の顔を発見しました。向こうもすぐ気がついたようで、手を振って合図します。数日前、風邪をひいて熱を出していたようだったので、心配していました。少しやせたようでしたが、元気そうな顔を見て、安心しました。

以前は、もっぱら送り出され、迎え入れられる側でした。しかし、今度は、こちらが送り出し、帰ってくる子を迎える側です。春に送り出してから、4ヶ月ほど経ちました。長女は、実家に到着すると、「小旅行から帰って来たようだ」と言います。いささか長い「小旅行」でしたね。

アダムとエバがエデンの園を去ることになった時、神様は彼らを、罪や苦難に満ちた地上の世界に送り出されました。その措置には、禁断の木の実を食べるという罪を犯し、神様と断絶した状態のまま、二人が永遠に生きないようにという配慮がありました。と同時に、今や自ら善と悪を判断するようになった人間が、強制されてではなく、自らの意思で善を求め、「天の故郷」におられる神様のもとに帰ることを期待されたから、と言うこともできます。

神様は、家を飛び出した「放蕩息子」が帰郷するのを心待ちにする父親のように、私たちが帰るのを待っておられます。イエス・キリストは、帰郷するための道を示して下さいました。地上の人生の旅人である私たちは、神様のみこころに反する「罪」(肉の欲)を避け、天の父のもとにまっすぐ進んでいきたいですね。

子どもたちの帰郷を待ちわびる天の父なる神様の気持ちが、前よりも少し、分かったような気がします。

「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。」(第Iペテロ2:11、新改訳第3版)

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2007年8月 1日 (水)

ミートソース

夏休みになると、子どもたちの宿題に、親も関わることになります。親はある意味、コーチのような存在で、子どもの健康管理や生活習慣、計画と実行のプロセス、ペース配分などに心を配るのが仕事です。親もそれぞれ家事や仕事があり、子どもが3人とも違う学校に行っていると、頭がパンクしそうになります。しかし、子どもの成長の監督者として、親が手を抜くわけにはいきませんね。

昨日は、中2の長男が、スパゲッティ・ミートソースを作りました。家庭科の宿題だそうです。長男が作った料理を食べるようになるとは、思いませんでしたね。急に、子どもに食べさせてもらう「お爺ちゃん」になったような気分がしました(笑)。50年近く生きていると、ずいぶん舌が肥え、味にうるさくなりましたが、昨日のスパゲッティは、たいへん美味しかったです。

スパゲッティ・ミートソースは、もともとは「ボロネーゼ」と呼ばれ、イタリア北部の都市ボローニャが発祥の地とのこと。ウィキペディアによれば、ある貴族がフランス料理風に、セロリ、ニンジン、玉ねぎ、肉を煮込んで作らせたのが始まりだそうです。うちのスパゲッティには、セロリは入りませんが、缶詰のトマトとローリエの葉が追加されるようです。

ボローニャにある大学は、西洋最古の歴史を持つそうで、創設は1088年とのこと。ローマ・カトリック教会と東方正教会が分裂し、神聖ローマ帝国が力を持ち、聖職者の叙任権をめぐって皇帝と教皇の主導権争いが起こり、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還しようとした十字軍がまさに始まろうとしていた頃です。中世真っ只中でしたね。ボローニャ大学では、ダンテやガリレオ、コペルニクスも学んだそうです。

最近、モンゴルでサッカーをしていた中田英寿選手も一時、ボローニャのサッカーチームにレンタル移籍したとのこと。一度、行ってみたいような気持ちになりますが、ここしばらくは、スパゲッティを食べて、想像力をふくらませるくらいでしょうね(笑)。「がばいばあちゃん」ではありませんが、想像するだけなら、タダです(爆)。

神様が、私たちに食べるものを与え、必要なものすべてを備えて下さっていることを感謝します。

「…あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」(詩篇23:5、新改訳第3版)

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