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2007年8月30日 (木)

景教

日本にキリスト教が伝来したのは、16世紀のフランシスコ・ザビエルから、と学校では教わります。日本の伝統宗教と異なる西洋の宗教が、近世の頃になって初めて南蛮の渡来人によって伝えられた、という図式です。

私はクリスチャンになった頃、神様は、どうして16世紀に至るまで日本を放っておかれたのだろうと、疑問を持っていました。創造主なる神様は、すべての人を愛し、「全世界に神の国の福音を伝えなさい」と命じられました。1世紀の出来事が16世紀になって初めて伝わるというのは、いくら昔の話でも、時間がかかり過ぎのように思えます。

実は多くの人々が、16世紀よりもずっと以前に、キリスト教が伝来していた可能性を指摘しています。それは、中国に伝来したネストリウス派というキリスト教で、「景教」とも呼ばれます。

ローマ帝国の国教とされたキリスト教会には、5人の総主教が置かれました。そのうちの一人、コンスタンティノポリスの総主教ネストリウスは、神学論争に破れ、431年のエペソ公会議において異端とされ、追放処分になります。彼は、マリアを「神の母」と呼ぶことに反対したということですから、今のプロテスタントの立場に近いのではないでしょうか。

シリア経由でエジプトに流されたネストリウスは、そこで客死しますが、彼の教えはシリアのクリスチャンたちに受け継がれ、ササン朝ペルシアに広まり、その後、インド、中央アジア、シベリア、中国まで伝えられたようです。

中国に伝来したのは、唐の太宗の時代で635年。太宗は宣教団を宮中に歓迎し、布教を認め、3年後には長安に教会が設立されました。当初、「波斯経教(ペルシア教)」と呼ばれた教えは、後に「大秦景教(ローマの輝ける宗教)」と改称され、教会名も「波斯寺」から「大秦寺」となります。781年には、中国全土に広がった景教流行の記念碑が長安に建立されました。真言宗の開祖・空海を含む遣唐使たちも、景教に接する機会があったのではないかと言われています。

日本に伝来した可能性が高いのは、736年、聖武天皇・光明皇后の時代です。景教徒で医者だった李密翳(りみつえい)というペルシア人宣教師が来日し、皇室に景教を伝えたようだとのこと。李密翳は天皇から位が授けられ、その後、景教用語が宮中の記録に使われるようになったり、皇后がたいへん熱心に福祉活動に力を注いだりしているそうです。(ただ一般には、これは仏教への篤い帰依によるものと理解されていますね。)

もしこの景教の伝来が事実なら、8世紀には、日本にキリスト教が伝わっていたことになります。それより以前に渡来した人々の中に、景教徒がいたと主張する人たちもいます。正式な記録には残っていないけれども、ひょっとしたら私たちの知らないところで、神様は日本に使者を遣わし、福音を伝えていたかもしれませんね。

「イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」(マルコ16:15、新改訳第3版)

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コメント

はじめまして、おそらくもっと早い時期に日本に伝来していた可能性は捨てがたいですね。宗教に関しては無知な私ですが、考えられるとすれば、当時の日本の風土に合わなかったこと、あるいは布教していく土壌や有力者がいなかったことが考えられます。

投稿: うてきなぷりぱ | 2007年9月 2日 (日) 18時48分

景教に興味がわきました。私の育った山ではキリストに関わった話が多いのです。不思議に思っておりましたが、山奥ゆえに残った喩話が在ります。古い昔の教えが、そのまま残ったのでしょうか。

投稿: 又チャン | 2010年3月 9日 (火) 19時21分

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