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2007年9月11日 (火)

「先生」

礼拝でスーツ・ネクタイをやめた頃、牧師の呼び方も変えたいと思いました。プロテスタント教会では、一般的に牧師のことを「○○先生」と呼んだり、「△△師」と呼んだりします。実は私は、以前からこの呼び方に疑問を持っていたのです。

牧師は、確かに聖書と教会形成の専門家で、聖書とそれに関わる知識を教える指導的立場にあります。ですから、日本語の定義からすれば、十分に「先生」としての働きをしていると言えるでしょう。

ただ、イエス・キリストは弟子たちに対して、「先生(ラビ)」、「師(指導者)」と呼ばれてはいけませんと命じられています。それは、そのように呼ばれながら人々の悪い見本となっていた、当時の社会的指導者たち(パリサイ人や律法学者)と同じような生き方をしてはいけないという警告でした。

日本の教会をよく知っている、あるアメリカ人の牧師は、日本の牧師たちに対して、「先生」という呼称をやめることを呼びかけてきました。その牧師は、聖書に忠実に従った教会形成をしたいという願いから、教会内で「牧師(pastor)」という呼称を用いず、互いにファーストネームで呼び合う家族的な関係を築いてきたのです。

私もそのような教会を建て上げたいと願い、何年か前に、「佐藤先生」ではなく「shigeki(さん)」と呼んで下さいとお願いしました。教会は、互いに「ヨソサマ」でなく、神の家族という「みうち」の集まりだからです。しかし、牧師を「さん」付けで呼びにくい人も、いるようです。名前で呼んでくれる人もいますが、結局、「先生」のままの人もいますね。

何と呼ばれようと、肝心なことは、リーダーが謙遜な心を持っているかどうかです。他人から「先生」とか「師」とか呼ばれたり、「偉い人」のように扱われたりすることを、自ら求める心があってはいけないというのが、主イエスの教えのポイントです。へりくだる心をもって、「仕える人」になっていきたいですね。

「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。…また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。」(マタイ23:8、10-11、新改訳第3版)

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