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2007年9月18日 (火)

ブレーメン

昨日は、ブレーメンの音楽隊の話をしましたので、ブレーメン(Bremen)についてちょっと調べてみました。ブレーメンは、北ドイツ平原に位置する人口55万人ほどの都市で、近隣のブレーマーハーフェン市とともに、ブレーメン州を構成しているとのこと。ちなみにドイツ連邦共和国には16の州(連邦州)があり、その中でブレーメン州は一番人口が少ないようです。

ブレーメンは交通の要衝にあったためか、古くから歴史の表舞台に登場します。西ヨーロッパ世界を統一したフランク王国のカール大帝は、キリスト教の布教にたいへん熱心でした。この時代、政治と宗教は不可分であり、彼は、自らの王国をキリスト教に基づいて治めたいと願ったのです。ブレーメンには787年に司教管区が設置され、その後、大司教管区に格上げとなり、北欧における宣教の拠点となったようです。

オットー大帝から始まる神聖ローマ帝国の時代には、帝国自由都市として発展していくことになります。1189年には、ブレーメンの船舶が第3回十字軍に参加したとのこと。これが発端となり、三大騎士修道会の一つである「ドイツ騎士修道会(チュートン騎士団)」が発足したそうです。

宗教改革が始まる16世紀には、ブレーメンでも、贖宥状(しょくゆうじょう)販売に対する不満が高まっていたようです。贖宥状は、カトリック教会が販売した罪のつぐないを軽くする証明書で、その利益は戦費調達や大聖堂建築の資金として用いられました。

これが聖書の教えに反すると疑問をもったマルティン・ルターは、1517年、ヴィッテンベルク教会の扉に「95か条の論題」を掲示します。その知らせはブレーメンにも届き、1526年までにブレーメンの教会はすべてプロテスタントとなったようです。こうして始まった宗教改革の運動は、国家と信仰が結びついていた西ヨーロッパ全土に、残念ながらこの後、いくつもの戦争を引き起こしていくことになります。

ドイツ史上、未曾有の惨禍をもたらした30年戦争(1618-48年)において、ブレーメンは独立を守り抜き、ナポレオンがドイツを占領した時代にも、自由都市としての権利を保持しました。現在、ドイツの連邦州として残ったかつての帝国自由都市は、ブレーメンとハンブルグだけだそうです。

世界貿易と造船業で発展したブレーメンは、その後、ドイツ屈指の重工業地帯となり、第二次大戦の時には、連合軍の爆撃により、町の69%が破壊されたとのこと。しかし、戦後、昔の美しい街並みが復元されました。

信仰や経済の拠点として、これまで多くの人々が集まってきたのでしょうね。教会を中心として音楽も盛んだったでしょうから、そこの「音楽隊」に入ろうとする動物たちがいても、不思議ではなかったかもしれません(笑)。

それにしてもロバはギターを弾き、イヌは太鼓を叩き、ネコとオンドリが歌を歌う予定だったようですが、どんな音楽になったのでしょうね。歌うなら悲しい歌でなく、神様を賛美する歌を喜んで歌っていきたいですね。

「正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。立琴をもって主に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。」(詩篇33:1-3、新改訳第3版)

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