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2007年9月25日 (火)

神聖ローマ帝国

ギリシア人が木馬をつくった話で有名なトロイの町。その25キロ南にある小アジアの小さな港町トロアスで、マケドニア人の不思議な幻を見たパウロが、初めてヨーロッパ宣教のためエーゲ海を渡るのは、紀元50年頃のことです。その後、多くの迫害や殉教を経た後、キリスト教が公認され、ローマ帝国の国教となり、さらにはそれがヨーロッパを征服したゲルマン人たちへと受け継がれていきました。

ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が目指したキリスト教帝国の理念を継いだゲルマンの雄、カール大帝のフランク王国は、一代限りで分裂してしまいます。その後、キリスト教に基づく帝国形成を図ったのは、ドイツのオットー大帝でした。彼は、962年、カールの子孫にあたる教皇ヨハネス12世から戴冠され、「神聖ローマ帝国」が誕生します。

少なくとも、これまで調べた資料からは、オットー大帝が、真摯な信仰心からキリスト教帝国をつくろうと願ったようには思えません。戴冠には教皇の思惑もあったようですが、オットー側としては、「皇帝」という地位を得ることにより、国内外の政敵たちに対する自らの立場を有利にするという政治的目的が大きかったのではないでしょうか。

オットーの意図がどこにあったにせよ、この神聖ローマ帝国は、名目上、ナポレオンによって解体される19世紀初頭まで続きます。そしてローマ・カトリック教会とともに、西ヨーロッパ中世の「キリスト教世界(Christendom)」を形づくる、2つの中心となっていくのです。

帝国内における聖職者の任命権(叙任権)などをめぐる教皇と皇帝の主導権争いは、宗教的権威と世俗的権力の違いを浮き彫りにしていきます。そしてそれは、宗教改革以降の動乱を経た後、近代国家における政教分離の原則へと結実するに至ります。イエス・キリストが「カイザル(皇帝)のものはカイザルへ、神のものは神へ」と言われてから、ずいぶん時間が経過してしまいましたね。

イエスの十二弟子も、使徒パウロも、武力や政治力をもって、「神聖なる帝国」を築こうとはしませんでした。それは、「天の帝(みかど)」なるイエスご自身が、そうなさろうとせず、弟子たちにもそのように命じられなかったからです。主イエスが命じられたのは、「神の国」の到来を世界中に告げる証人となることでした。

「そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。』イエスは言われた。『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』」(使徒1:6-8、新改訳第3版)

P.S. 都合により、今週の更新は本日までとします。また来週お会いしましょう。今週の残りの日々も、神様の祝福がありますように。

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