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2007年10月22日 (月)

主のもとに帰る(ゼカリヤ1章)

Flower071021 最近、社会が壊れてきているように感じます。家庭が壊れ、学校が壊れ、地域社会が壊れているようです。多くの人は、政治に解決を求めます。確かに、政治が取り扱わなければならない問題も多々あるのでしょう。しかし下手をすると、政治的解決を叫び、他の人に責任を押し付けることは、真の問題から目をそらす結果をもたらしているかもしれません。

真の問題、それは私たち自身が壊れているということです。人類共通の父祖アダム以来、私たちは、創造主なる神様から離れて生きてきました。神様の存在を無視し、そのことばに聞き従うことがありませんでした。すべての善悪と価値判断の基準なる創造主から離れてしまった時、何が正しく、何が間違っているのか、私たちは自分たちで勝手に判断するようになります。こうして正しさの尺度が、次第に壊れてしまったのです。

価値判断の尺度が失われてしまうと、人はそれぞれ好き勝手に生きるようになり、社会は崩壊へと向かいます。「共通のルール」を守ろうとする意思が希薄になると、互いに信頼関係を築くのが困難となり、人は相互不信に陥ります。そして、人々は孤立化し、表面的な関わりしか持たず、人間関係は簡単に壊れてしまうようになります。

真の問題、つまり私たちが「壊れている」問題を解決するには、どうしたら良いのでしょうか。神様は、「わたしのもとに帰りなさい」と言われています。壊れている私たちを直すことができるのは、全知全能なる神様だけだからです。

イエス・キリストを信じる人は、心のうちに聖霊が住まわれ、創造主なる神様のための「神殿」とされています。この「神殿」は、ずっと破壊された状態でしたが、神様が少しずつ回復を与え、本来のあるべき姿へと再建して下さるのです。私たちが、「万軍の主」と呼ばれる創造主のもとに帰る時、神様ご自身も、アダム以来、神様から距離を置いていた私たちのもとに戻って来て下さいます。

神様に、私たちの壊れている部分をたくさん直してほしいですね。

「わたしに帰れ。……そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ1:3、新改訳第3版)

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