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2007年10月 1日 (月)

信仰と希望をもって愛する

Flower070930 七飯町の中心部は、山地の中腹に位置しており、晴れた日には、南の方向に函館山が美しく見えます。七飯町の北には馬の鞍の形をした駒ケ岳がありますが、南に見える函館山は、牛が臥(ふ)せっている姿に似ていると言われ、「臥牛山(がぎゅうさん)」とも呼ばれています。

臥牛山の麓には、海が見えます。函館はかつてアイヌ語で、「ウスケシ(湾の端)」と呼ばれていたそうで、きれいに湾曲した海岸線とキラキラと光り輝く水面は、函館山をとりまく風景に花を添えています。

この海岸線の北側(七飯側)は、七重浜と呼ばれます。かつては戦場となった場所で、1457年に起きたアイヌ人蜂起の折には、松前藩の先祖となる武田信広が、コシャマインの軍を壊滅させたそうです。1869年の箱館戦争では、土方歳三が明治新政府軍と、この七重浜で戦いを交えました。

20世紀半ば、この七重浜は再度、死と悲しみの場所になりました。1954年9月26日夜、函館港を出航した青函連絡船「洞爺丸」は、台風15号の強風により七重浜沖に座礁し、沈没したのです。犠牲者1155名、生存者159名。世界第4の規模の海難事故だったそうです。

洞爺丸には、三人の宣教師が乗船していました。二等船室にいた彼らは、天井ロッカーから取り出した救命胴衣を他の乗客に配り、人々を励ましたそうです。船が沈む直前にまだ救命胴衣を着けていない人を見つけ、自分たちの救命胴衣をゆずりました。「君はまだ若い。日本のために役立つ機会がいくらでもある。最善をつくせ」と言い、祈ったそうです。「私にはちゃんと行くところがあるから、心配しないで下さい」とも語ったようです。

三人の宣教師のうち、二人は遺体で発見されました。あとの一人は、奇跡的に助かったとのこと。彼らは、この死と悲しみの浜を、愛があらわされた場所に変えてくれました。救い主を信じ、天国への希望をもっていたからこそ、自らのいのちを懸けて、隣人への愛をあらわすことができたのです。

私たちも、そんな生き方を目指していきたいですね。召された宣教師の一人は、アルフレッド・ストーンという52歳のカナダ人で、もう一人は、ディーン・リーパーという33歳のアメリカ人だったそうです。

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(1コリント13:13、新改訳第3版)

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大自然の中では人間なんて、こんなにちっぽけ。壮大なカナダでゆったり過ごしてみたい!とか・・・冬にスキー三昧!極寒体験などなど、カナダ旅行の参考になれば嬉しいです。ぜひ遊びに来てください。 [続きを読む]

受信: 2007年10月 2日 (火) 21時36分

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