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2007年10月 5日 (金)

プロテスタント諸派の宣教

函館ハリストス正教会のすぐ横には、聖ヨハネ教会が建っています。この教会は聖公会、つまりイギリス国教会(Anglican Church)につらなるキリスト教会です。イギリスの宗教改革は、国王の離婚問題がきっかけとなり、1534年、カトリック教会から国教会が独立するところから始まっています。

初めは実に不純な動機でしたが、教会自体は国王主導による改革が進められ、エリザベス1世の時代に、カトリックとプロテスタントの中道を行く教会として方向づけがなされました。しかし、その方針を妥協的だと感じた人々は、徹底的な改革を主張します。ピューリタン(清教徒)と呼ばれた彼らは、その後、カトリック国に戻そうとした王たちと戦い、二度の革命を通して信教の自由を獲得するに至ります。

ピューリタンの多くは国教会にとどまりましたが、追放されたり、独立したりする人々もいました。彼らは、いくつかの新しいグループを形成し、それが会衆派(組合派)、バプテスト派、クエーカー派の教会となっていきます。1620年、メイフラワー号で新大陸に渡ったのは、会衆派の人々です。

イギリス国教会は、後にも新しい教派を生み出します。18世紀の産業革命期、労働者たちが貧困と過労に苦しみ、道徳が地に落ちていた退廃的な時代に、国教会の司祭だったジョン・ウェスレーらが始めたメソジスト運動です。メソジスト教会は、後に国教会から独立。19世紀にはホーリネス派や救世軍を生み、20世紀にはホーリネスを母体としてペンテコステ運動が始まります。(私たちの教会は、このペンテコステ派に属しています。)

函館に最初に来たプロテスタントの宣教師は、米国のメソジスト教会から派遣されたM・C・ハリスです。ハリス夫妻は、1874年1月に来函。現在の日本基督教団函館教会を開拓します。3年後に現在地に会堂を建設したとのこと。ハリストス正教会、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会の一角からは、坂の少し下の方になります。

74年5月には、英国聖公会から、W・デニング宣教師が函館に派遣されます。78年に、会堂を建設。礼拝には、200名もの人が集まったそうです。後に来訪したJ・バチェラー宣教師らと同じく、アイヌ伝道にも力を入れています。

ニューイングランドに生まれ育ったW・S・クラーク博士が、札幌農学校に到着するのは、1876年夏。彼は会衆派に属し、先祖はメイフラワー号の舵手だったという話も伝わっています。会衆派のクラークが伝道した農学校で、信仰をもった学生たちに洗礼を授けたのは、聖公会のデニングやメソジストのハリスたちでした。イギリスやアメリカではなく、海外の宣教地だからこその協力関係だったのでしょう。

函館山には、まったく違う歴史的背景をもつ教会が、仲良く肩を並べるように建てられています。信仰のスタイルが少々異なっていたとしても、同じ主を信じる一つの大きな家族として、愛をもって受け入れあっていきたいですね。

「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。…主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」(エペソ4:3-6、新改訳第3版)

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