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2007年10月11日 (木)

反ユダヤ主義とシオニズム

中2の頃、家出をしかけたことがあります。父とケンカになり、「出てけっ!」という言葉を真に受け、着の身着のまま、家を飛び出しました。今となっては、何が原因だったかよく覚えていませんが、とにかく反抗期でした。

実際に飛び出してみて、よく分かったのは、行くところがないということです。親戚の家に行っても、友人の家に行っても、すぐ連れ戻されることは明らかでした。所持金も少なく、中学生ですから、働き先を見つけるのも難しかったでしょう。しばらく街中を歩いて、結局は家に帰ることにしました。帰って来た息子を見て、両親もほっとした様子でした。

行き先がない、あるいは居場所がない、というのは、つらいものです。ましてや、行った先々で悪質ないじめにあったら、それこそ死んでしまいたいような思いになってもおかしくありません。祖国を失ったユダヤ人たちは、千数百年もの間、そのような過酷な状況を生き延びたのです。彼らには、帰ろうとしても、帰る場所がありませんでした。

真に残念なのは、このユダヤ人迫害に、キリスト教会が深く関わってきたことです。ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認して以来、それまで帝国内で保護されてきたユダヤ教徒たちに対する風当たりは強くなりました。反ユダヤ主義により、「キリストを殺した異教徒」という偏見が流布し、カトリック教会が進めた十字軍や宗教裁判を通して、あるいは大流行したペストの犯人扱いをされ、多くのユダヤ人が惨殺されました。

19世紀末から20世紀初頭の帝政ロシアでは、ボグロムと呼ばれるユダヤ人迫害運動がありました。ロシア系ユダヤ人に対する破壊、略奪、殺人、婦女暴行に関し、正教会はよくて黙認、時には攻撃に手を貸したそうです。

ナチスによるホロコーストに、思想的な土台を提供したのは、実はプロテスタント運動の創始者マルティン・ルターです。ユダヤ人たちが福音を受け入れないのを見て、彼は反ユダヤ的な言葉を多く遺しました。ヒトラーは、ルターの著作により、ホロコーストを正当化します。その結果、ヨーロッパにいた600万人のユダヤ人の命が奪われたのです。そのうち200万人は、子どもだったそうです。

これだけ世界各地で「いじめ」が続けば、離散する前の故郷に帰りたいと思うのは、当然です。ユダヤ人への冤罪であるドレフュス事件を取材し、ショックを受けたテオドール・ヘルツルは、1896年、「ユダヤ人国家」を出版。祖国イスラエルの再興を目指す「シオニズム(シオン主義)運動」が始まり、約60年の後、イスラエル国が誕生することになります。

シオンとは、エルサレムのある丘のことです。それは、かつて神殿のあった丘であり、神様がおられる場所を象徴しています。そして、世の終わりとともに完成される「神の国」を象徴する場所でもあります。私たちも、教会が犯した過去の罪を悔い改め、ユダヤ人たちとの関係を修復し、「新しいシオン」で神様の永遠の愛をともに喜んでいきたいですね。

「主はこう仰せられる。『わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。』…『再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう。』 …『もし、これが、その日、この民の残りの者の目に不思議に見えても、わたしの目に、これが不思議に見えるだろうか。』」(ゼカリア8:3-6、新改訳第3版)

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