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2007年10月10日 (水)

キリスト教諸国とイスラム勢力

神様がアブラハムに与えられた「約束の地」には、もともとカナン人が住み、「カナンの地」と呼ばれていました。ダビデが王国を確立する少し前、紀元前13世紀頃からペリシテ人たちが住み着いたようで、それが「パレスチナ」(ペリシテ人の地)という名称の由来となっています。現在のイスラエルではもちろん、神様から与えられた土地として、通常は「イスラエルの地」と呼ばれています。

ローマ帝国は紀元70年、エルサレムを破壊し、古代イスラエルが滅亡します。当時ユダヤと呼ばれていたこの地域一帯は、パレスチナと改称されます。その後、7世紀までキリスト教帝国(東ローマ帝国、通称「ビザンティン帝国」)の支配下にあったこの地域を、新たに制圧したのは、新興のイスラム勢力でした。

「最後にして最大の預言者」と自称したムハンマド(マホメット)は、イスラム共同体(ウンマ)を結成し、630年にメッカを征服。翌年にはアラビア半島のほぼ全域を影響下に置きます。彼の死後、翌633年からジハード(聖戦)によってイスラム勢力は急速に拡大し、東は中央アジア、西は北アフリカとイベリア半島にまで進出、世界帝国を樹立します。

エルサレムがイスラム軍の手に陥落したのは、638年。カール大帝の祖父カール・マルテルが、イスラム軍のフランク王国制圧を阻止するのが、732年。セルジュク朝が小アジアに進出して東ローマ帝国と戦い、勝利を収めるのが1071年。脅威を感じた東ローマ皇帝はローマ教皇に救援を要請、これが1096年から始まる悪名高い十字軍のきっかけとなります。キリスト教諸国とイスラム勢力の宿命の(?)対決は、もう千数百年の歴史を刻んでいます。

宣教開始直後から軍事行動をとり、支配地域を拡大していったムハンマドとは対照的に、イエス・キリストは、自ら十字架への道を選択されました。それは、「いのちを懸けるほど愛している」という神様のメッセージを、人々に伝えるためでした。そのメッセージは、イスラムの人々はもちろん、十字軍を送り出した中世キリスト教世界の人々にも、残念ながらよく理解されていなかったのかもしれませんね。

「イエスは答えられた。『わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。』」(ヨハネ18:36、新改訳第3版)

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