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2007年10月 4日 (木)

カトリックの世界宣教

ハリストス正教会は、函館山ふもとの坂の途上にありますが、細い道をはさんで、すぐ下隣にあるのが、カトリック元町教会です。この教会は、日仏修好通商条約の締結時に通訳として来日したメルメ・デ・カッション神父が、1859年に来函し、開拓したものです。

メルメ神父は、フランスとスイスの国境にある小さな村の農家の次男だったそうです。1828年生まれとありますから、函館に来た時は、31歳だったのでしょう。4年ほど滞在し、仏英和辞典を編さん、人々にフランス語を教え、病人の世話をしたそうです。初期の会堂が二度も火災で失われた後、現在のゴシック風聖堂が建てられたのは、1924年とのことです。

カトリック教会が世界宣教に乗り出すのは、宗教改革がきっかけでした。ヨーロッパ各地に広がるプロテスタント運動に対抗するため、カトリック教会の教勢拡大の使命に邁進したのは、スペイン貴族出身のイグナティウス・デ・ロヨラが創設した、ご存知、イエズス会です。

1540年に修道会として認可されたイエズス会は、スペインやポルトガルの貿易船に同乗し、アメリカ、アフリカ、アジアへと海外宣教に出かけました。「インドと日本への使徒」とも呼ばれるフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、宣教を始めたのが1549年。それから江戸幕府がキリシタンを禁制とし、1644年、日本人イエズス会員であった小西マンショ神父が殉教するまでの約100年間、日本におけるカトリック宣教は、多大な成果を上げます。

多くの殉教者を生んだ宣教地・日本のため、カトリック教会は祈り続けていたようです。イエズス会が始めた日本宣教の働きを引き継いだのは、メルメ神父が所属していたパリ外国宣教会でした。メルメと同じ頃、長崎に赴任したプチジャン神父は、1865年に大浦天主堂(26聖殉教者天主堂)を建て、そこで200年の迫害を耐え抜いた隠れキリシタンたちと感動的な再会を果たします。その喜びのニュースは世界中を駆け巡り、衝撃を与えたようです。

明治政府によるカトリックや正教会への新たな迫害は、欧米列強の抗議を経て、1873年のキリスト教解禁へとつながります。日本のキリスト教会にとって、ようやく新しい時代が到来しました。

カトリック元町教会の祭壇は、火災の見舞いとして、ローマ教皇ベネディクトゥス15世から贈られたとのこと。(現在の教皇は、ベネディクトゥス16世のようですね。)ローマ教皇から贈られたものとしては、日本で唯一だそうです。

立派な祭壇とその周りには、福音書や使徒の働きのストーリーを表現した聖像が、いくつも並べられています。ゲルマン宣教のためには、像が用いられたようです。識字率が低ければ、目に訴える形の宣教方法は、特に有効だったでしょうね。

ハリストス正教会で、コンスタンティノポリスを思い浮かべるとすれば、カトリック教会では、ローマと世界宣教に思いを馳せることができます。初代教皇とされるペテロを始め、多くの人々が殉教してきました。その多くの人々の尊い犠牲を、私たちは決して忘れないようにしたいですね。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33、新改訳第3版)

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